ルーカスフィルム公式サイトにイウォーク語の資料が公開されていましたので、ここに紹介します。英語の原文に日本語訳を添えました。イウォーク語にはカナで読み方を添えましたが、違っているかもしれませんのでご注意ください。一覧では句読点(!と?)が使われていたり、なかったりして、統一されていません。日本語訳では、句読点はそれぞれ英語とイウォーク語の原文に合わせました。なぜかイウォーク語だと訳が幼児語っぽくなってしまいます...
Originally printed in the pages of Bantha Tracks the old Star Wars Fan Club newsletter, here is a sampling of the Ewokese language:
かつてのスター・ウォーズ・ファン・クラブの会報「Bantha Tracks」(バンサ・トラックス:バンサの足跡)初出の、イウォーク語一覧です:
英語 日本語 イウォーク語(ローマ字) イウォーク語(カナ) Please どうぞ Gyeesh ギーシュ Thank You ありがと Teeha ティーハ Come Here おいで Tyatee ティヤティー Go 行け Treek トゥリーク Yes うん(はい) Chak チャク No ううん(いいえ) Den デン Hello やあ Sku スクー Goodbye さよなら Yeha イェハ Darn ちぇっ Feech フィーチ Fooey うえー(うんざり) Kvark クヴァーク Alas ああ(悲しい時) Yut ehda ユトゥ・エーダ Okay オーケー Acha アチャ What's Going On? 何事だ? Kush drojh クシュ・ドゥロージャ Yummy おいしい Gunda グンダ What's that? あれは何? Kush jeeks? クシュ・ジークス? Ewok warcry (戦いの叫び) Dangar Ewok! ダンガー・イウォーク! Hurray ばんざーい Yubnub! ヤブナブ! Be careful/lookout 気を付けて Danvay! ダンヴェイ!
上と同じくルーカスフィルム公式サイトからの抜粋(あるいはパクリ)です。ベン・バートによるイウォーク語創造の裏話です。これも初出は昔のファン・クラブ会報「バンサ・トラックス」のようです。発表年が1982年となっているということは、「ジェダイの復讐」公開の前年にすでにこういう情報が公式に出回っていたことになります。その点で「バンサ・トラックス」は重要な情報源であったと言えるでしょう。現在では公式サイトがその機能を果たしていますね。
"For the Ewoks, I was inspired by a recording on a BBC documentary of an elderly woman speaking Tibetan. It was very high-pitched and sounded like a good basis for Ewokese to me. Eventually then, what evolved was a pidgin, or double talk version of words from Tibetan, Nepali and other Mongolian languages. Huttese was created by the same process."
- Ben Burtt
Sound Designer
Bantha Tracks #17
August, 1982『イウィーク語は、BBCのドキュメンタリー番組で年配の女性がチベット語を話しているのを聴いて、発想を得たんだ。ずいぶんと甲高い声で、僕にとってはイウォーク語の元にするのにちょうど良く思えたんだ。その後、最終的に出来上がったのが、チベット語とネパール語と、あとモンゴルの諸言語から単語を集めたピジン語というか、でたらめ語さ。ハット語も同じ手法で創ったんだよ。』
− ベン・バート
音響効果担当
バンサ・トラックス第17号
1982年8月
「スターログ日本版7号」 C−3PO役 アンソニー・ダニエルズへのインタビューより
スターログ誌: 『ジェダイの復讐』(’83)のイウォーク語は、実在のチベット語をアレンジしたものですが、あなたの担当部分はアドリブだったんですか?
ダニエルズ氏: サウンドデザイナーのベン・バートと綿密に打ち合わせをしました。日本語のテープを並べ替えて、面白い響きを採用していったんです。
各種資料からも分かる通り、イウォーク語の「起源」を考えるうえで、日本語はその一部に過ぎないようです。しかしこのインタビューでは、アンソニー・ダニエルズはずばり日本語と言っています。これはやはり日本の雑誌でのインタビューであることが大きな要因となっているのでしょう。