「正統」について

ちょっと堅苦しくて面白くない内容ですが、このホームページの姿勢の説明です。

90年代以降、スター・ウォーズの設定世界はゲーム、コミック、オリジナル小説を通じて一挙に拡がりました。しかし、そのほとんどはゲーム会社や出版社が勝手につくりだしたものであり、ルーカス・フィルムから許可を得ているとはいえ、真のスター・ウォーズの世界観にはそぐわない陳腐で安っぽい設定ばかりであるというのが、私個人の正直な気持ちです。もちろん『スター・ウォーズ 新たなる希望』自体陳腐で安っぽい映画ではないかと言われてしまえばそれまでですが。

映画を越えた新しい設定の始まりは、一番最初までさかのぼればマーベル・コミックスや、サンリオから出ていた『侵略の惑星』などのオリジナル小説にまでさかのぼれますが、現在の設定の氾濫の起源はウェスト・エンド・ゲームズ社のロール・プレイング・ゲームに求めることができるのではないでしょうか。『ジェダイの復讐』以降、続編の話がぱったりと跡絶えてしまった当時、世界中のファンはまさに禁断症状にあったと思います。少なくとも私はそうでした。そこにウェスト・エンド・ゲームズがスター・ウォーズのRPGを発表し、しかもルーカス公認というのですから、これに飛びつかないわけはありません。私も当時なけなしのおこづかいをはたいて、ソース・ブックを買い込んだものでした。しかし中を見てびっくり。そこに繰り広げられていたものは、スター・ウォーズとは名ばかりの、なんともおそまつな世界でした。宇宙船やエイリアン、帝国軍や反乱軍の組織など、いろいろ情報は載ってはいたものの、それらはみな名前はスター・ウォーズでも中身は他のRPGとまったく変わらないものでした。オリジナルの宇宙船のデザインやストームトルーパーのバリエーションなど、まるでスター・ウォーズの真似をした二番煎じの低級映画のようでした。それでも情報に飢えていた当時は結構楽しみましたけど。

その後、90年代に入ってダーク・ホース・コミックスというところから、突然スター・ウォーズのコミックが昔の復刻版と同時に、新しいオリジナル・コミックまで登場しました。このダーク・ホースの登場は本当に大ニュースでした。当時、マーベルとDCという二大メジャーに独占されていたアメリカン・コミック界に、突然スター・ウォーズ、エイリアン、プレデターなど、一体どうやって版権をとったのだと思うような大作を引き連れて登場したのですから、まさにダーク・ホースの名前通りです。絵柄も細かくて丁寧でコミックとしては傑作ぞろいなのですが、物語展開はあまりスター・ウォーズ的ではありません。さらに、デサイファー社のカード・ゲームやティモシー・ザーンの小説がスター・ウォーズ世界のさらなる発展を促すことになります。以上の経緯をもっと細かくまとめると、興味深い資料が出来上がることでしょうが、ここではおおまかに外観するだけにとどめておいて、後はもっと詳しい人に譲ります。

ウェスト・エンド・ゲームズ、ダーク・ホース、デサイファー、ティモシー・ザーンの独自の設定は、それぞれみんなルーカスの許可を得ているようですが、これはあくまでもスター・ウォーズの商標を使っても良いというものであって、これらの設定が即ルーカス公認の正規の設定ということにはならないはずです。その一方、各設定は密に関連しあい、1つの世界を創り上げてもいます。また、世界中の多くのファンたちがこれらの設定をそのまま受け入れているのも事実です。個人的な印象では、70年代にスター・ウォーズを映画館でリアルタイムに経験した世代は新設定には関心を示さず、その後スター・ウォーズをビデオで経験した新世代のファンたちは、これらの新しい設定を素直に受け入れているようにも思えます。ちなみに私は前者です。ティモシー・ザーンの小説もルーカス公認の言葉につられて1冊目は買ったものの、スター・ウォーズの雰囲気が感じられず全然面白くないので数ページで読むのをやめてしまいました。新設定を容認する人から見れば、私の態度は素晴しきスター・ウォーズの世界を小さく狭いものにしていると言われてしまいそうです。年をとって頭が硬くなったのでしょうか。


カンティーナ(酒場)の場面は衝撃でした。スター・ウォーズにおいては、個性的な登場人物や生活感漂う宇宙船や色鮮やかなライトセーバーの対決など数多くの魅力にあふれており、どれが一番などということはなく、すべてがみな同じくらい重要な魅力であることは言うまでもありません。しかし、それでもなおカンティーナの場面こそがスター・ウォーズの世界観を体現した最も素晴しい場面であると言えるでしょう。(冒頭の文字が飛んでいく場面、スター・デストロイヤーの登場、二重の夕日を眺めるルーク、デス・スターのトレンチ戦、最後の表彰式など、どれも捨て難いですが、ここではとりあえずカンティーナの場面にしておいてください。)ルーカス自身はこの場面に不満足であるとのことですが、それはルーカスの思い描いていた映像がさらに物凄いものであったということでしょう。

それまでのSF映画であれだけ多くの異形の面々がひしめきあっていたものがあったでしょうか? まあ、あるにはありましたが。言ってみればルーカスはそれを堂々と復活させてさらに市民権まで持たせてしまったところが凄いのです。通常であれば1種類か多くても数種類の異星人が、驚異に満ちた注目すべき存在として、それこそ映画の主題となるのが常でした。それがスター・ウォーズでは、なんと通行人扱いでぞろぞろ出てきたのですから、当時の観客に与えた驚きは大変なものです。地球を侵略するでもなし、友好使節としてやってくるでもなし、調査のために銀河中を巡るでもなし、ただ酒場で飲んだくれているとは。

私はこれらの「名もなき連中」には大変惚れ込みました。そしてそれが私だけでないことは、その後のSF映画に似たような場面が次々と登場したことを見ても明らかです。カンティーナのエイリアンたちは名前も素性もわからないからこそ魅力的なのであって、彼ら1人1人に名前、種族名、生い立ちなど、それこそ帝国政府が国民の個人情報を管理しているかのような細かい設定など、そんなものはない方が良いのではないでしょうか?

もちろん、これらの設定はもはや世界中に広まっており、多くのファンがそれを受け入れてしまっている以上いまさら取り消すことなど出来ません。私の意見は少数意見であることも十分承知していますし、これを他人に強要するつもりもありません。 ルーカスの言葉に「スター・ウォーズは映画にすぎない」というものがあります。なんだかんだ言ってもスター・ウォーズはしょせんは娯楽作品にすぎません。正しい楽しみ方などありません。それぞれ各人が各人の好きなように楽しむのが、本当の楽しみ方でしょう。


このページでは「正典」について以下の姿勢に立っています。

■以下のものを「正典」とします。

■上記で映画とは以下のものを指します。 《特別篇》とオリジナルとで異なる部分については、可能な限り両方に言及するように努めます。 旧3部作の題名は公開時のものとは違いますが、その後のシリーズ展開を考慮してここにあるように呼ぶことをご了承ください。 ■以下のものを作品を理解するうえで重要な参考資料として「準正典」とします。基本的には「正典」と同じ扱いですが、「正典」との間に食い違いがある場合は、「正典」を優先します。 ■『イウォーク・アドベンチャー』『エンドア/魔空の妖精』

「準正典」としますが、あまり言及はされないと思います。

■『スター・ウォーズ ホリデー・スペシャル』

「準正典」としますが、どのみち観たことがないのでたいして言及することはできません。ビデオ発売が望まれます。

■ラジオ・ドラマ

これもまだ聴く機会に恵まれないので、あまり言及はしません。

■その他

上記以外のメディアに関しては、「正典外」とします。あえて否定することはしないが、とくに進んで言及することもしません。ちなみにルーカス・フィルムでは、映画、脚本、小説、ラジオ・ドラマのみを正統とするが、他のメディアも全て把握だけはしておくというのが基本姿勢のようです。基本的にはこれに従います。しかし中にはルーカスの息のかかったコミックなどもあるようで、実際のところどの設定が公式のものでどの設定が出版社やゲーム会社独自のものかを判断するのは難しくなってきているのが実情です。従って、あまりこだわらないようにするつもりではいます。

いろいろ堅苦しいことを書いたようですが、要するに映画以外のメディアにはあまり関心がないので、期待されても詳しいことはかけませんよという言い訳です。


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フォースのともにあらんことを
ベン・アンティリーズ
Ver.1 1999.12.12