序文 Introduction

つい最近まで、クリンゴン帝国と惑星連邦は約80年間平和な状態にあり、四半世紀の間同盟関係にあった。その間に両社会とも相手のことを知るようになったが、それ以前の70年近い反目の時代には双方とも想像出来なかったことである。連邦側はかの帝国の歴史、政治、経済、そしてそれほど詳しくはないが言語や比較的初期の伝説、伝統について、その知識を増やした。このことは文化を思わぬ豊かさへと導き、同時に経済関係の盛んな発展を招いた。しかし、クリンゴンのカーデシア侵攻に対して連邦が反対したために、クリンゴンは帝国と連邦間の平和協定であるキトマー調停を破棄し、その結果以上の全てのことが終りになってしまうかも知れない。

平和の時代以前はほとんどの連邦市民がクリンゴン人のことを以下のように考えていた。つまり好戦的で、敵意があり、残忍で、原始的で、無礼で、心が狭く、恐ろしくて、攻撃的で、無慈悲で、強引で、気性が激しく、獰猛で、総じてはっきり言うと嫌な連中であると。ジェームズ・T・カーク船長がかつて述べたように「奴らはけだもの」なわけである。クリンゴン人との交流が増えたことによって以上の性格描写が完全に否定されたわけではないが、上のような言葉だけでは不十分であることは確かになった。クリンゴン人は、よく知られている通り、有能であり、忠誠心があり、狡猾さがあり、強さがあり、自尊心があり、そしてなによりも名誉心を持っている。いくらか前進はしたものの、クリンゴン人の本当の性質、つまり彼らの根本的な性格的特徴や真の価値観や道徳観をしっかりと理解するには至っていない。カーデシア連邦の政局に対するクリンゴン帝国の反応は連邦にとって全く予期せぬことであったが、このことはまさに真の理解が足りなかったことを痛感させる。

クリンゴン人をもっとよく理解するためには、クリンゴン精神の内部に入り込んでいくことが必要である、つまりクリンゴン人が何を信じ、どのように考え、ある状況に対してどのような反応を示すのかを調べるべきであると、連邦内でも主張されてきた。連邦の社会学者たちは、このような知識の欠如は同盟をより強固なものにする際に障害となり、更には行き違いを引き起こし、不和と不信を招くであろうと主張してきた。彼らの予測は正しかった。

連邦科学調査評議会は、帝国との間に再び平和を確立すること−−−あるいは少なくともクリンゴン人が次に何をしでかすかを予測出来るようになることを目標として、クリンゴンの生活その他に関する信念・信条を収集・分類する研究プロジェクトを発足した。これは、しばらく前から利用可能となっており連邦の様々な任務に関連して使われてきたクリンゴン文化データベースへの増補となることを考えられている。このデータベースは広範なものではあるが、クリンゴン文化へのクリンゴン人自身の視点に欠けている。これに関して現在の状況にあっては、クリンゴン人に質問をすることは難しいので、クリンゴン人が話すのにまかせる、つまりその立場を正当化したり、その行為を弁明したりする際に発せられた言葉に耳を傾けるという手段がとられた。クリンゴン人自身の言葉を分析することによって彼らの倫理観や道徳観が明らかになるはずである。本書はこのプロジェクトの最初の報告として、直接間接を問わずクリンゴンの価値観を示すような発言を集成したものである。

英語の「 virtue (徳、徳行)」とはある社会において特に価値の置かれた性質、あるいは道徳上の手本となるような行ないのことである。宇宙艦隊の中でも、かの帝国と多くの交渉を持った人たちは、ジャン=リュック・ピカード艦長の言葉にあるように「クリンゴン人は優秀で信念に忠実で厳格な倫理によって統制されている」ということを言っている。事実、クリンゴン語の「 ghob 」は英語の「 ethics (倫理)」や「 virtue (道徳)」などと訳され、この概念がクリンゴン人の間で未知のものでも考えられないものでもないことが、言語の上でも証明される。「 do battle, wage war (戦いを始める、戦争をする)」に当たるクリンゴン語が同じく「 ghob 」であるという点には、多分何かしら意味があるのだろう。

ある社会の道徳の内、おそらくは多くのものが法的規則に反映されてはいるにしても、道徳自体は法律ではない。道徳に違反しても法的な処罰を受けるわけではない。道徳は、それが道徳であると信じられている間でも、それに従わなくてはならないということはない。道徳とは、たとえ実際には為されなくとも、その社会において為すべきことを示しているものであると人々が認めることが重要なのである。道徳を無視すると、たとえ何か直接影響はないとしても、罪の意識にかられるものである。

ある社会の価値観は大抵、諺や格言、つまり色々な状況に当てははめることの出来る根本的な真理についての常套句の中に封じ込められている。この手の表現はその社会の人々にはよく知られたものである。大抵は短いもので、頻繁に(かなり頻繁にと言ってもよいくらい)言及される。心に留める価値ありと一般に認められた忠告を与えるものである。多くの諺の意味するところはとても直接的である。例えば、その場にない物やいない人のことは忘れられがちであることを言った連邦の古い諺「 Out of sight, out of mind (視界の外は関心の外)」などである。また、その意味が比喩的なこともある。例えば「 Too many cocks spoil the broth (コックが多いとスープがまずくなる)」は普通スープ作りとは何の関係もない。この種の文句は、論点をより一般的なものにするために、その文化に馴染みのある品物や行動(この場合は料理)に言及するものである。諺の興味深い特徴として、ある点では互いに矛盾し合うことがある。「 Out of sight, out of mind 」の他に「 Absence makes the heart grow fonder (不在は関心を招く)」とも言われる(その場にない物やいない人のことはかえって強く感じられる、但し不在があまり頻繁でなければの話)。

その他、社会の価値観を示す文句の中には常用という程でもないものもあり、必ずしも広く一般に知れわたっているわけではない。これらは多分一部の人々にしか知られていない文芸作品からのものであろう。あるいは、ある特定の職業に関係していたり、一部の地域でしか聞かれないものなのかも知れない。そうだとしても、これらもやはり社会全体に共有されている何らかの道徳的考えを体現してはいる。

1つよくありがちな問題として、これらの様々な文句をどこから集めるかということがある。単に誰かに諺を列挙してもらうだけでは実用性に欠ける。つまり、その場面で自然に飛び出たものを、その場の状況に則して耳にした方がはるかによく理解出来るのである。幸運なことにクリンゴン語の発話例に関しては、まさにこの種の事を調べるためにはあつらえ向きの膨大なデータバンクが存在する。長年、宇宙艦隊は航星日誌や個人記録を保管してきた。調査評議会は当研究のためにこの記録へのアクセス許可を取り付けている。この記録には、様々な任務中に出会ったクリンゴン人たちの発言が沢山含まれており、中には宇宙艦隊士官になった初めてのクリンゴン人であるウォーフ少佐の発言も大量にある。更に評議会は現在進行中の言語学的研究の一環として、数多くのクリンゴン語の文章を収集してきており、その多くが目下の研究に役立つこととなった。

本書では、宇宙艦隊の記録中から得られた諺(あるいは諺への言及)には、宇宙艦隊が各任務に付けた通称名を添えることで、その旨注記されている。この通称名についての解説は本書巻末にある。この注記のない諺は言語学的研究から得られたものである。文章は全て連邦標準語とクリンゴン語の両方で提示されている。クリンゴン語は今日の連邦で最もよく使われているローマ字転写法で表記されている。多くの諺が当初は連邦標準語で記録されてはいても、クリンゴン語による決まった言い方があるものである。それが何であるかを限定するために各々についてクリンゴン人に意見を求めてきたが、いつも簡単にとはいかなかった。その上、諺の中には連邦内でもお馴染みのものもあり、定訳を持つようになったものもある。しかし、普段よく聞かれるにもかかわらず(そして本書でもそれを使っているのだが)、これらの訳が原文の特徴を最もよく反映しているとは限らない。例えば、「 Dujeychugh jagh nIv yItuHQo' 」は「 There is nothing shameful in falling before a superior enemy (より強い敵の前にたおれても何も恥じることはない)」と平叙文で訳されている。しかし直訳すると、「 If a superior enemy defeats you, don't be ashamed (もしより強い敵がお前をたおしたら、恥じるな)」というまさに命令になっている。実際、クリンゴン語の諺の多くは命令文であり、それだけで強い強制力がある。多くの諺について用法や文化背景や訳に関する注釈を添えてあるが、注釈なしのまま残されているものもある。

本書は当然ながら共同研究による努力の成果である。研究員全員が大変な時間をかけて、艦隊の任務記録の検分、関連する調査、翻訳などを行なった。本書によって与えられる恩恵は全て彼らの苦労によるものである。誤謬、誤訳は全て筆者によるものである。

談話中から採集された伝説、信条、道徳などのまさに集大成である本書が、クリン ゴンらしさとその誇りへの理解に貢献し、両政府の和平を導く助けとなることが望ま れる。Qapla’.


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第1版 1998年4月15日
東京都板橋区
コウブチ・シンイチロウ