■ 再審請求に関する救済お願い書 (3) もどるもどる

判決文における争点:(1)アスピリン云々について

右につきましては、当日25日の昼過ぎ、私の家で顔を合わせたIYとOという、波崎手午后神社の神官が、バイクの売買を巡って「お前え俺が預けたバイクを無断で売っちまってどうする心算だ」と喰ってかかったことから「俺はお前から買ったもので預かった覚えはない。買ったものを何処へ売ろうと文句を言われる筋合いはない」「ふざけるな俺はバイクを担保にして金を借りただけだ。売った覚えなんかねえ」「ふざけるななんて、それはこっちの言う台詞だ。第一質屋でも金貸しでもねえ俺が、何でそんな真似をしなけりゃあなんないんだ」等々、Oがうんざりしたような形で「俺は4時頃人と会う約束がしてあるから」と腰を上げるまで、延々数時間にも亘っての大口論が展開されていたという事実が伏線として存在していることを念頭に置いて頂かなくてはならないと存じます。このOさんという方は、神官のかたわら、不動産仲介業の免許を持って、副業というよりもむしろ本業のように、私などとも共同で手広くそれらを営んでいたのであります。

そうしたことから、いわゆる「ノン・バンク金融」の方にも顔が広かったこともあり、IYから一寸まとまった金が欲しい旨の相談を受けた私が「お前、いままで田圃や畑とられちまって殆ど残ってねえだろ。担保はあんのか」と申しましたところ「大丈夫だ。今度は家屋敷を抵当にして、ひと勝負かける心算だから」と申してききませんので、私がOさんに話を通しましたところ、Hさんから銚子の業者に、そしてそこから八日市場の業者へというルートで話が具体化して、当夜もそうしたことの予備交渉のような形での八日市場行きだった訳です。

そのような訳でしたので、Oさんとしても或る程度の関心は持っていた訳ですので、所用を済ましての帰り道、自宅より先に私の家に顔を出しましたことから、再びIYと顔を合わせ、又昼間の口論のむし返しが行われそうになったのですが、いくばくもなくして、Tさんが訪れて来ましたので、危うくそれ以上には発展せずに済んだという一幕もあったのです。

長々と引用致しましたが、そうした伏線が存在しておりましたことから、IYがその夜、私の家を辞去する際に、私がIYに対して「アスピリンを2、3錠飲めば癒ると言った」という証人を引っ張り出して参りました際、私はそれまでの数々の体験に照らしまして、本能的に或る種の不透明な作為の臭いを嗅ぎ取りましたので「私はそんな直接的な形でアスピリン云々などと言った覚えはありません」と否定したのです。

詳しく申し上げますと、IYがその際土間に下り立ちながら、独り言のような形で、昼間の興奮を甦らせたものか、「あん畜生のお陰で今夜あ眠れそうもねえや」など申しておりましたので「おい冗談じゃねえぞ、Y、おめえ明日また八日市場へ行くってのに、そんなんで居眠り運転でもして、事故でも起こしたらどうすんだ。兎に角今夜は鎮静剤でも飲んでぐっすり寝ておかなきゃ駄目だぞ」と叱りつけるように申しましたところ、「そんなこといったって俺れ家(げ)にそんな気の利いたものなんかあるわけねえべ」と申しますので「うんそうか、といっても、俺んちでも一寸切らしっちまってるしな。そうだ富山(とやま)の置き薬の風邪薬があんべ、アスピリンなら似たようなもんだから、そうしろ」と申し向けただけであり、あくまでも、最初に鎮静剤云々に始まり、それがなかったのならとして、風邪薬アスピリンと波及した段階的な発言でありましたので、決して「始めにアスピリン発言を否定しておきながら、後からこれを認めるという異状な態度は、アスピリン発言のすぐ後に、真正な薬品と偽って青酸化合物入りのカプセルを与えた事実が存在しているからである、と推断しても決して不合理ではない」などど断定されているような後暗い背景などは微塵も存在していないのであります。


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