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渋谷5団のホームページボーイスカウトは、年齢に応じた隊に分けられ、進歩制度を土台に活動が組み立てられています。9月9日(土)に今年度の上進式、そして誓いの式が行われましたが、ボーイ隊からシニア隊へ上進した鴻直人君にこの進歩制度(進級)と上進について書いてもらいました。
鴻直人
まず進級について、進級していくのに大切なことは2つ。
1つ目は、スカウト手帳を開いてできそうなところを探し練習してできるようになったら積極的にリーダーに見てもらうこと。
2つ目は、復習をすること。集会で結索や手旗をやりサインをもらったのにそれをできなくなってしまったらサインをもらった意味がない。
この他にもできるだけ多く隊の集会に参加して頑張ることも大切である。
こういう基本的なことをやっていけば、級をあげることだってできる。2級以上になれば、ジャンボリーにも行くことができる。ジャンボリーでは、いろいろな経験、体験ができるので是非参加してほしい。僕も菊章を取るのに苦労したことが多かったが、だれでもとれるのでみんなチャレンジしてほしい。
次に上進について、ボーイ隊では、決まった内容を日曜日に集まって活動していたが、シニア隊では、自分たちでプログラムをたてたりして集まる日も決まっていないのでまた違った世界が味わえると思う。しかし、そのためには責任感を持たなければならないが頑張ってこれからも活動していきたい。
地方自治体が主催する青少年の海外体験プログラムが増えてきています。今年も、ローバー隊の鈴木敦君とシニア隊の近藤直義君が、それぞれ参加しました。その思い出を、シニア隊の近藤君に書いてもらいました。
近藤直義
僕は、この八月に越谷市主催のオーストラリアへのホームステイに参加しました。僕のホームステイした町はキャンベルタウンという町で越谷市とは姉妹都市関係にあります。
初めは、ぎこちない英語で家族の方々との意志の疎通も難しくとても苦労しました。しかし家族の方々やキャンベルタウン都市提携委員の方々から暖かい持て成しを受け僕は二、三日程度で馴染む事が出来ました。易しい会話から始まり最終的には議論を交わす事まで出来る程、聴き取る力が付きました。他の国の人々の考え方を理解する上でも特に貴重な体験を重ねる日々が続きました。
その様な有意義な日々が続くある日、僕は幸いにも当地のボーイスカウトの集会に参加する機会を得ました。それは僕がスカウトを九年間続けていてキャンベルタウンのスカウトに会ってみたいという願望を知った家族の心配りからでした。
八月九日夜−−僕は母の車で集会場へ期待と不安を抱えながら向かいました。最初に僕を迎えてくれたのは隊長のデニス。それから小さな子供達四〜五人。デニスは分かり易い英語で僕にオーストラリアのボーイスカウトの概略を説明してくれました。日本同様、誓いとおきてが有り女王に敬意を捧げる・・・・等々、僕には興味深いものばかりでした。そして午後八時、隊長と一人のリーダーそれと小学生から中学生までの十数人のスカウト達が集合。開会セレモニーが始まった次の瞬間−−旗の揚げ方が全く違う!彼らは主に室内でセレモニーを行う為、旗をポールに揚げるという事はしないのです。最年長のスカウトが旗を持ち、何やら唱え、壁に差す。それから敬礼(室内の敬礼もOK!)隊長のお話が有り解散後、室内サッカー(あまりに危険な為、真似されるといけないので説明は却下)。存分に汗を流した後、夜も更けたグランド(四方見渡す限り野、野、野・・・)に。
そこでは、ロープ結びの講習の後、ロープ渡りなるものをしました。これは、木から角材に向けてロープを張り、角材を中継点として、その後方の木へ結び付け、強く張られたロープの上を角材から前方の木に向けて進むという極めて辛い訓練でした。僕も挑戦しましたが四分の三地点で力尽きました。
集会中、僕の周りには、常に三、四人のスカウトが入れ代わり居て、色々と質問をしてきてくれました。本当に彼らは僕の事を遠くから来た特別な人とではなく、昔から居た友達の様な感じで接してくれました。しかも帰りがけには数多くの記念品を頂きました。
僕は、このキャンベルタウンのスカウト達と出会いただ言葉で意思の疎通を図るだけでなく、心の交流も実践してきました。彼らの持つ自国を誇りに思う心、素直な優しさ、学ぶ事の多い九十五年夏でした。
集会も終わり、僕は最後にスカウトの一人にこう聞きました−−
"Why are you so kind for me?"
彼は薄く笑いながら一言言いました
"Why? Because we are Scouts!
We are brothers!"
と−−。
曽田洋一(在バルセロナ)
地中海の真夏の太陽が照りつける「カタルニア」の首都バルセロナ。オリンピックの年の1月に来たので早3年半過ぎました。ということは社会に出てから半分は海外と言うことになるので5団の多くの方々にとって私は幻の存在かもしれません。かってボーイ隊、シニア隊の隊長をさせていただいたことがある45才男性です。
何故いまバルセロナにいるのかといえば渋谷5団に入団したからといっても過言ではないのです。今から約30年前、シニア隊のとき(当時の隊活動といえばボーイ隊のお手伝いでした)第12回世界ジャンボリーが米国西海岸でありその時初めて耳にした“美人”が語る言葉に引かれ大学でスペイン語を専攻、その間米国でのキャンプ・スタッフ派遣の帰途メキシコ・中米訪問と重ねるうちに世界が広がり、ブラジルに続き2回目の勤務という訳です。すべて渋谷5団のお蔭と当時のリーダーの方々(残念ながら亡くなられた方も含め)には本当に感謝しております。
海外にいる間に日本全体そして渋谷5団では本当に様々な出来事が起きていますが、この狭い地球の中で日本そして日本人の自己中心的な生き方が日本の将来を危ういものとしている気がしてなりません。
「ちかい」「おきて」等を通じベーデン・パウエルが願ったのは自己中心から脱却し、とにかく人の為に生きていくことにより全世界に平和と理想の社会を打ち立てていくことと思います。渋谷5団の一人一人が、家族と共に人の為に生きていく核となって地域社会、日本、世界の為に貢献し、先ずは我々の祖国日本の将来を救ってほしいものです。一人の子供の教育は「学校教育」「家庭教育」「社会教育」の3つが三位一体とならなくてはならないとボーイ隊の隊長をしている頃父母会でよく言っていましたが、今の日本を外から見ているとばらばらどころかそれぞれから大きな問題が吹き出しているようです。教育問題に限らずあらゆることで「日本よ、日本人よ、自己中心的な生き方を改め一日も早く方向転換しろ」と警告しているのが震災を始めとする自然災害、急激な円高、日米経済摩擦、サリン事件等々ではないでしょうか。
スペインではないスペイン?、「バルセロナ」に是非一度お立ち寄り下さい。渋谷5団からはまだ井上富雄君が来ただけです。日本人の口に合うカタルニア風海産物料理、ガウディーの建築、澄み切った青空と地中海、ピカソ、ミロ、ダリの絵画等々観光には本当によい所です(シニア以上のスカウトには観光案内はしません。PLAN/DO/SEE/CHECK で自らチャレンジです。ただし1回に限り食事にご招待します。)
世界に羽ばたけ渋谷5団。
弥栄! 弥栄! 弥栄!!
連絡先:
C/RASET 34,1-2 BARCELONA, SPAIN
TEL.34-3-200-9181
桜井健郎(在デトロイト)
ボーイスカウトの歌には、「クイカイマニマニ」だの「アカラカリュー?バナナ」だの意味不明の歌詞が多く、皆さんももどかしい思いをされているのではないでしょうか。小生、そんなところに、インディアンの子供を集めた、かの「ジョンブランのおじさん」らしき人物を発見しましたので、ご報告致します。その人物とは、ジョンブラウン(John Brown)、南北戦争前に実在した奴隷開放活動家です。敬謙なクリスチャンで、(当時としてはかなりめずらしいことですが)黒人ともインディアンとも分け隔てなく付き合いました。彼は奴隷制度のような罪悪が平和的手段で無くならないなら、武力によってでも無くすべきだと信じていました。そして1859年、必要な武器を確保するために息子らと10数人で連邦政府の武器庫を襲撃し、奴隷達に叛乱を呼び掛けました。もちろんこの企ては失敗に終わり、かれらは処刑されました。
現在、ジョンブラウンは奴隷開放の先駆者としてアメリカ人なら誰でも知っている人物ですが、武力を用いたこと、及び思想の過激さ(彼は原始教会のような共産制を目指していました)故に、必ずしも高い評価を受けているとは言えません。しかし、民衆の間ではヒーローとして多くの逸話が流布しているようです。
以上が小生が伝記をななめ読みした内容ですが、残念ながらジョンブラウンが、かの「ジョンブランのおじさん」であるという確証(インディアンの子供を集めたという話)は掴めていません。また、知り合いの会計士ブライアン(イーグルスカウト)はあの歌の存在を知りませんでした。はたして「ジョンブランのおじさん」とはジョンブラウンその人なのでしょうか?
桜井健郎(在デトロイト)
アメリカに来て気付いたことに「アメリカは寄付で成り立っている社会である」ということが挙げられます。公立の学校、病院、放送局、研究機関等、日本では当然税金で賄われると思われるものが、当地ではその運営費の大部分が個人による寄付に頼っていることがあり、驚かされることしばしばです。これに伴い、募金活動も盛んですが、単に寄付要請をするだけでなく、様々な形の募金活動があり、皆様の参考になると思いますので、以下に実例をご紹介します。
(1)心臓病協会による階段登り
参加者は事前に知り合いに約束を取り付けておき、登った階数(又は回数)に応じて心臓病協会に寄付してもらう(我がボス(62才)は32階建ビルを10回も登り下りし、小生$200寄付することになったことがあります)。似た活動に、マラソン、徒歩で大陸横断、長時間ゴルフ(何ラウンドまわれるか)、タイガーススタジアムでホームラン競争というのもあります。
(2)洗車
主に夏に、教会の裏庭等で中高生が車を手洗いしてくれることに対して寄付をするもの(道端で看板をもって宣伝する短パン姿の女の子に引き寄せられる人も多いようです)。集まったお金は、教会の修理や、難民に粉ミルクを送る事に使われます。
(3)販売
オフィスにM&M'sのチョコレートが置いてあり、食べた人は一定のお金を払う。収益は小学校の図書館の図書購入に充てられる。似た例に、グリーティングカードの販売もあります。
いずれの例でも、活動する人はボランティアで、誰かの為になる事を励ましに、登ったり、洗ったりしているようです。100Kmハイクに参加する皆さんも、誰かの為に歩いてみるのはいかがでしょうか?(募金を呼び掛けた手前、簡単にリタイアできなくなりますし一石二鳥です)
山田啓造・由美子(在チューリッヒ)
Grüezi(皆様、今日は)!
「ビカボシロ」春期号をお送りいただき、懐かしく拝見しました。当地チューリッヒに来てほぼ一年ですが。春期号でバギーが言っているように、海外にいると何やら故郷が懐かしくなるもので、日本からの便りはいつも「舐めるように」読んでいます。
私達の住むチューリッヒは、アルプスの清涼な水を湛えるチューリッヒ湖の湖岸に位置し、背後は自然豊かな山々に囲まれた人口百万人ほどの小さな都市です。スイス一の商業都市とはいえ(因みに首都はベルンで、チューリッヒではありません)高層ビルはほとんど無く、町の中心部の主要交通機関は路面電車で車の量も少ないなど、都市というよりは、静かできれいな町という雰囲気です。人々は礼儀正しく生活のペースもゆったりとしており、夫婦そろってのんびり屋の我々にとっては相性の良い、住み良いところです。由美子は昨年末よりドイツ語を習い始め、今では何とか肉屋の注文くらいは出来るようです。但し、チューリッヒで話されるドイツ語は極めてなまりが強い上に独特の表現も多いので、「日本語ならずドイツ語まで関西弁になってしまう!」と恐れています。因みに冒頭ご挨拶のGrüeziもチューリッヒドイツ語で、これをドイツで言っても通じません。私は相変わらずの銀行屋生活ですが出張の機会が多く、中東諸国を始めなかなか訪れる機会のない所へ行くこともあって、結構楽しんでやっています。
平和な国とのイメージが強いスイスですが、「スイスの歴史は戦争の歴史」と言われるほどの歴史観を背景に、国民皆兵制度、民間防衛組織の確立等、我々には知られていない面も多くあります。こちらの人々の住む家には地下室がありますが、これは有事の際の避難壕として設置が義務付けられているものです。避難の際の必需品等も、当局による細かい指導が行われているようです。もっとも、かくも平和な今日、「有事に備えて・・」等と肩肘はる人はほとんど無く、私達も含め大半の人は格好のワイン置き場として利用しているのが実情ですが・・。とかく我々は欧米等といってヨーロッパ諸国のみならずアメリカまでも一括りにしてしまいがちですが、国、地域、言語等によって生活習慣や価値観も様々であり、私達も「郷に入らば・・」を身を持って経験することもしばしばです。
地図で見るとお分かりのように、スイスは5ヶ国と国境を接し、位置的にもヨーロッパ諸国の中心部にあるという大変「便利な」国です。当地のみならずお近くへお引っ越しの際には、是非ともお声かけ下さい。
それでは、adieu!(チューリッヒドイツ語で、さようなら)
萩原拓(在カンサス)
渋谷5団の皆様、お元気でいらっしゃいますか。東京も記録なみの猛暑が続いたようですが、こちらカンザスシティでも連日38度くらいの真夏日が2ヵ月ほど続きました。7月にはあまりの暑さで鉄橋がゆるんで一時通行止めとなった高速道路もありました。このような猛暑の最中、7月中旬に梶井カブ隊隊長夫妻がお仕事の都合もあって何と拙宅に5日程いらしてくださいました。私どものように日本語や日本の文化から隔離されている状態にあって彼等の滞在は非常にうれしいものでした。梶井さんご夫婦が帰国されてからしばらく私たちは激しいホームシックに悩まされたほどです。
梶井さん、来て下さって本当にありがとうございました。5団の皆さんも渡米の折にはぜひ私どもにご一報ください。
さて、今回はアメリカの交通事情を少しご紹介したいと思います。皆さんが普段テレビなどで見るアメリカの町はニューヨークやロスアンゼルスのような東京と同じバスや電車が発達しているところでしょうが、実際のほとんどのアメリカの町にはそのような公共の交通手段がほとんどありません。つまり、住民のほとんどが自家用車に頼らざるを得ない状態になっています。バスもあることにはありますがあまり多くなく、電車などはまず一般的な中規模の町にはありません。自転車などは交通手段として使うよりも、ジョギングと同程度のエクササイズのためだけに主に使われています。
ですから、車なくして近所に買い物すら行けません。そのため町には高速道路が縦横に走り、歩行者も少なく、車だけがあふれかえっています。免許も州によって違いますが、大体
20ドル弱で高校生ぐらいから取得できます。試験も日本に比べたら非常に簡単です。結局、アメリカでは車は庶民になくてはならない重要な「足」なんですね。現在はだいぶ飛行機利用者が増えてきましたが、それでも多くの人達は車を使って片道1000キロ程度の行程を楽々こなします。ガソリンも私共の地域では現在
1ガロン(約4リットル)1ドル前後と安価なため、ちょっとばかり時間がかかったり、苦労しても、車での旅行が断然安いのです。しかし町中はともかく、アメリカのほとんどの面積を占める田舎を走る高速道路は、運転していてたいへん単調で退屈です。町を離れてしばらくは遥か広がる地平線の見える大地に心を奪われますが、3時間や4時間ほとんど曲がることのない直線道路を(決して誇張ではありません)運転しているとうんざりしてきます。このようにアメリカというところは非常に広大で、狭い島国で生まれ育った我々日本人には非常に魅力のある国ですが、一方で、どこへ行くにも自分で車を運転して行かなければならない不便さもあるわけです。
次回も(もし編集長のお許しがあれば)普段日本にいては気付かないようなちょっとしたアメリカの変な(?)ところをご紹介したいと思います。それでは。
P.S. もしかしたら年末にちょっとの間里帰りできるかもしれません。
Taku Hagiwara
vaggy@falcon.cc.ukans.edu
Department of Special Education
University of Kansas Medical Center
登録状況:1995.4〜1996.3
リーダー スカウト−−−−−−−−−−−− 計
4月登録 4月登録 8月登録 計
ビーバー 21 22 9 31 52
カブ 31 36 2 38 69
ボーイ 12 40 1 41 53
シニア 12 17 17 29
ローバー 7 15 2 17 24
団委員 13 13
計 96 130 14 144 240
渋谷5団は、昭和32年10月11日、当時池尻にあった聖ドミニコ・カトリック教会で東京138団として12名のスカウトから始まりました。ちなみに、冨崎団委員長は、その発足のメンバーの一人です。
その小さな団が、38年目に入って、スカウト144名、リーダー83名の大所帯にまで大きくなりました。でも、この人数は、あくまでも現在登録されている数で、ここまで大きくなってくるには、今は団の活動から離れているた〜くさんの先輩の活躍があった事も忘れてはいけないと思います。
「団友会」というのは、こんな先輩達「渋谷5団OB/OG」の会の名前です。会則も何も有りませんが、この団でリーダーをされた方、シニア以上まで活動をされた方を一様の目安に考えています。
2年後には40周年がやってきます。渋谷5団では、この40周年へ向け、昨年までボーイ隊隊長として頑張ってくださった鴻久忠氏を今年度から「40周年団ボリー担当団委員」に任命し、準備に入る事になりました。同時に、この「団友会」の名簿の整理を進め、今後とも渋谷5団との糸をつないでいってくださる会員との定期連絡会を持ちたいと考えています。
団友会の名簿に現在登録されている方は、現役のリーダーも含め237名居られますが、なにしろ40年近い年月を経た間のメンバーですから、名前のぬけている方、名前は入っていても現住所等の分からない方がたくさん居られます。もし、今、渋谷5団には居ない先輩の情報をお持ちの方がいらしたらご連絡下さい。連絡先は、以下のとおりです。
根井雅一:〒120;足立区東和3−13−7−305 TEL;03-3605-5960
鴻久忠:〒179;練馬区光が丘1−6−1−305 TEL;03-3977-1314
柏木直哉:〒155;世田谷区代沢2−13−10 TEL;03-3414-8632
2年後の40周年。まだ先のようですが、すぐにやってきます。この40周年を意味のある楽しいものにする為にも、この「団友会」を大切にしたいと考えていますので、ご協力お願いします。
ビーバーのページのカットはビバーが自分で描いたものです。原画はカラーだったのですが、それがうまく出ないのが残念です。その他のカットは今回も山本邦子様にお願いしました。この場をお借りして御礼申し上げます。
前号でお知らせした「古俣君」を記念する団旗は、デザインに沢山の応募を頂きました。最終的には団委員会でデザインを決め、団委員の熊野さんと佐野さんのお力で完成にこぎつけ、9月9日の上進式の会場で、古俣哲司君のご家族から団委員長への贈呈式が行われ、披露されました。今後、団行事で、団の統合の象徴として大切に扱われていくことになっています。
次号は来春、春のキャンプを終えた頃を予定しています。原稿をお待ちしています。
カット:猪郷谷 遊(山本邦子)・・・(準備中)
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