抑留者引揚 佐世保

 

昭和20年10月14日、帰国第一船となった米軍LST舟艇で韓国済州島から陸軍軍人9,997名が揚陸

以後昭和25年4月までにおもに中国大陸や南方諸島から、引揚船1,216隻により軍人・軍属・一般邦人

合わせて1,396,468名の引揚者を受入れた。

 

佐世保引揚援護局

 

  

桟橋からの揚陸                        援護局への道

 

  

南風崎駅への道                       南風崎駅からの帰郷

 

年次引揚者人数

 

一般邦人

陸  軍

海  軍

合  計

昭和20年

35,326

131,875

5,702

172,903

昭和21年

522,206

400,810

9,097

932,113

昭和22年

190,638

74,976

9,143

274,757

昭和23年

9,756

839

217

10,812

昭和24年

867

4,908

16

5,791

昭和25年

86

92

合  計

758,879

613,411

24,178

1,396,468

 

浦頭引揚記念平和公園

長崎県佐世保市

浦頭引揚記念 平和の像

 

浦頭引揚記念 平和の像

 

引揚記念資料館 展示

 

旧検疫所消毒室の廃材を使用して再現された建築物

 

かえり船 田端義夫歌唱碑

 

引揚桟橋

長崎県佐世保市

引揚第一歩の地

碑文

太平洋戦争終結に伴い昭和二十年十月十四日から同二十五年四月までに一,三九六,四六八人

の方々がここ浦頭の地に引揚の第一歩を印されました。

 

引揚桟橋

 

引揚桟橋

 

本佛寺 戦没者釜墓地

長崎県佐世保市

釜墓地

説明板

太平洋戦争が終結し、海外からの最終引揚船「ぼごだ丸」が、昭和二十四年一月、フィリピンマニラ郊外の

日本人収容所から、御遺骨三〇七柱と御遺体四五一五柱を積んで浦頭港に着きました。

御遺体は、この地で荼毘に付されその外、引揚の途中で亡くなられた二千余柱の御遺骨と合せて六千余柱の

御遺骨が、遺族の元へ還れぬまま、この墓地に眠っておられます。

祖国日本を守る為に戦い、今日の平和の礎となられた英霊を慰め、心からその御冥福をお祈りする為、私共

は毎年七月に当墓地に於いて慰霊祭を開催すると共に、墓地並びに周辺の整備を行って

おります(後略)。

平成八年六月  社団法人佐世保釜墓地戦没者護持会 会長宮内雪夫

 

抑留者引揚

更新日:2015/03/28