軍艦瑞鶴戦没者慰霊祭
(付:敷島隊五軍神慰霊祭)
於:橿原神宮 若桜友苑/奈良県橿原市
主催:橿原神宮奉賛会
平成13年10月25日
官幣大社 橿原神宮
若桜友苑への道
軍艦旗に飾られた瑞鶴の三角マスト 航空母艦瑞鶴之碑
修抜 諄詞奏上
神楽奉納
大正琴とネイビーラッパ隊による献楽「海ゆかば」、そして「ふるさと」
ご遺族代表による玉串奉奠 ご遺族、戦友による献花
ご神域逍遥
畝傍山 みればかしこし橿原の ひじりのみ世の大宮どころ
若桜友苑石標 生きてわれ 向う碑(いしぶみ) のこる花
昭和19年 7月 6日、サイパン島の失陥は大本営が呼号する絶対国防圏の最も重要な中部太平洋
の破綻であり、長距離爆撃機B−29の日本本土直撃の前進基地となることを意味した。
昭和19年7月26日、大本営は「米国主力の進攻に対し決戦を挑み要域を確保する」ことを目的として
捷一号作戦を策定。
「瑞鶴」を旗艦とする小澤艦隊は、栗田艦隊のレイテ湾突入部隊を支援するため、ルソン島の東方に
進出してハルゼー率いる米機動部隊主力を北方に牽制する「囮」として参戦、10月25日に敵機の猛
攻を受けて比島エンガノ岬沖にて沈没した。
この作戦には大西瀧治郎中将が直卒する第一航空艦隊も参加、栗田艦隊のレイテ湾突入を支援する
ため敵航空母艦を使用不能にすべく、ここに神風特別攻撃隊敷島隊が編成された。
瑞鶴沈没と同日の10月25日、関大尉率いる敷島隊の五機は体当りを敢行、米空母一隻を撃沈した。
付:敷島隊五軍神慰霊祭
資料提供:海軍倶楽部航空参謀殿
於:楢本神社/愛媛県西条市
主催:神風特攻敷島隊五軍神奉賛会
平成13年10月25日
五軍神慰霊碑
式典委員長による献辞 御遺族代表(大黒飛曹長令妹)による献花
地元コーラスグループによる献歌と海軍儀礼隊 直会
更新日:2002/02/10