海軍予備学生

 

予備学生制度

帝國海軍創設以来、有事の際に海軍将校を補う為に予備将校の養成制度を設け、予備将校は

明治37年6月以降の官階に定められ、兵科将校の予備員とするものであった。

満州事変の勃発後、国際情勢の急変に伴い戦時要員の充足と航空戦力の増強が必要となり、

昭和8年12月に航空予備員に関する方針が決定された。これが帝國海軍における予備学生制

度の嚆矢をなすものである。

航空予備学生は海軍大臣の定める次の二項目のいずれかに該当し、航空関係の海軍予備員に

なることを志願し、所定の試験に合格した者から採用する。

1.大学令による大学の学部を卒業した者で、年齢26才未満の者

2.大学令による大学の予科、高等学校高等科、専門学校、これと

同等以上の学校卒業者で、年齢24才未満の者

航空予備学生は採用の日から海軍兵籍に編入され、身分は海軍生徒に準じ、自己の願いによって

学生を辞することは出来なかった。

 

航空予備学生教育を捕捉する民間機関の設立

昭和 9年 6月 日本学生航空連盟に海洋部を設立 …在学中の航空予備学生候補者の航空教育を実施

昭和11年 7月 海洋部が(財)学生海洋飛行団として独立

           関東支部(東京・羽田)、関西支部(滋賀・大津)を設置

昭和12年 9月 海軍予備航空団と改称

昭和13年 4月 札幌支部を設置

 

海軍予備学生制度の改訂

昭和13年 4月 航空予備学生を飛行科と整備科の二種に区分

昭和13年12月 飛行科航空予備学生は霞ヶ浦航空隊で約三ヶ月の軍事教育を受けた後、操縦、偵察、等の

           専修に従い、当該の練習航空隊で約九ヶ月の術科教育を受ける事となった

昭和16年10月 予備学生制度の大改正

           ・航空予備学生の名称を廃止して海軍予備学生と総称

           ・兵科飛行科、整備科、機関科の四種に区分

           ・予備学生の身分取扱を少尉候補生に準じる

           ・飛行科予備学生の入隊先を土浦航空隊に変更し、教育期間を一年六ヶ月に延長

           ・兵科予備学生、機関科予備学生の入隊先を館山砲術学校とする

昭和16年12月 ハワイ真珠湾攻撃

昭和17年 7月 予備学生の全教育期間が約一年に短縮

昭和18年 5月 学歴による採用年齢制限を廃止し、一律28才未満に統一

昭和18年10月 予備学生の全教育期間が十一ヶ月に短縮

昭和18年10月 専門学校以上の学校の文科系学生に対する徴兵猶予が停止(予備生徒

昭和18年12月 明治神宮外苑の陸上競技場で「出陣学徒壮行会」が行われ、学徒兵の入営開始

昭和19年 8月 川棚魚雷訓練所において回天搭乗員と甲標的艇長適任者を募集選抜

昭和19年 8月 兵科予備学生の第一期基礎教育を実施する場所に横須賀砲術学校、対潜学校、

           航海学校を追加し、教育期間を五ヶ月に短縮

昭和19年10月 神風特別攻撃隊大和隊にて予備学生出身者が初めて搭乗、散華

昭和19年11月 回天特別攻撃隊菊水隊にて予備学生出身者が初めて搭乗、散華

昭和20年 4月 兵科予備学生の第一期基礎教育を実施する場所に潜水学校を追加

昭和20年 8月 大東亜戦争終戦

 

 

予備学生

更新日:2002/12/08