陸軍 海上挺身戦隊

 

昭和19年2月、米軍はマリアナ諸島、ニューギニア西部に進出し、戦局は日本にとって憂慮すべき状況に

あった。すでに航空戦力の消耗は甚だしく、敵の進撃を阻止するには船団の撃破以外に手がなかった。

ここに同年7月、碇泊中の敵艦船に対し、250キロ爆雷を装着したベニヤ製モーターボートで肉薄攻撃を

加える、陸軍海上挺身戦隊(秘匿名称:連絡艇、レ艇)が編成され訓練が開始された。

この作戦は、敵艦船に「肉迫」攻撃を行った後帰還することを主任務とし、「肉弾」体当り戦法を目的とする

ものではなかった。

 

略史

昭和18年 9月29日  船舶部隊の拡大に伴い、船舶兵種を創設

昭和18年11月  日  船舶特別幹部候補生(特幹)制度を創設

昭和19年 4月  日  香川県豊浜町にて船舶幹部候補生教育を開始

昭和19年 4月  日  軽量攻撃艇の試作を野戦船舶本廠に、戦法を船舶練習部に担当

昭和19年 5月  日  第十技術研究所にて軽量攻撃艇の設計を開始

昭和19年 7月11日  千葉県岩井にて海軍マルヨン艇と、陸軍試作艇との比較試験実施

昭和19年 7月16日  船舶司令部にて海上特攻研究班を編成

昭和19年 8月 上旬  香川県小豆島の船舶特別幹部候補生(特幹)隊に根拠地を移動

昭和19年 8月28日  広島・宇品にて実爆実験

昭和19年 9月 1日  江田島・幸の浦にて第 1〜第10戦隊を編成

昭和19年10月 上旬  江田島・幸の浦にて第11〜第30戦隊を編成

 

隊長には陸軍士官学校(51〜54期)出身の少佐・大尉が、中隊長には陸士57期を主体とする中尉・少尉

が、それぞれ任に就いた。また群長(小隊長)には船舶幹部候補生、陸軍予備士官学校生などから採用さ

れた見習士官が配属され、戦闘の主力たる一般隊員としては船舶特別幹部候補生の少年兵が充当された。

16〜25才の若き精鋭たちはフィリピン・沖縄・台湾に展開を完了した。

 

第十ニ戦隊

昭和20年 1月 9日、ルソン島リンガエン湾に上陸を開始した敵進攻部隊に対して、高橋 功大尉(陸士54

期)以下40隻が出撃、2名のみ生還したが他は全員戦死した。敵艦船に与えた被害:16隻(撃沈6隻、大破

2隻、小破8隻)。

 

第十五戦隊(第二中隊)

昭和20年 1月31日、マニラ湾南のナスグブ沖に上陸を開始した敵進攻部隊に対して、上野義現中尉(陸士

56期)以下の一個中隊が出撃、全員戦死。

 

第ニ十九戦隊(第一中隊)

昭和20年 3月29日、沖縄・北谷西方の敵進攻部隊に対して、中川泰敏中尉(陸士56期)以下17隻が出撃、

16名が戦死した。敵艦船に与えた被害:3隻(撃沈1隻、大破2隻)。

 

第ニ十六戦隊

昭和20年 4月 7日、船舶工兵第二十六連隊の米軍砲兵陣地への斬り込みに呼応して、岸本具郎中尉(陸

士57期)以下20隻が出撃。敵艦船に与えた被害:3隻(大破1隻、小破3隻)。

同10日、野田耕平見習士官以下10隻が出撃、全員帰還したが戦果は不明。

同15日、沖縄・嘉手納西方海面の敵進攻部隊に対して、足立睦生大尉(陸士53期)以下22隻が出撃。敵艦

船に与えた被害:5隻(撃沈2隻、大破3隻)。

第ニ十六戦隊は、同26、27日にも嘉手納沖の敵艦船に攻撃を行っている。

 

第ニ十八戦隊

昭和20年 4月27〜28日、具志頭付近から中城湾の敵艦船に対して、小林浩三少尉(陸士57期)以下23

隻が出撃。敵艦船に与えた被害:撃沈2隻。

 

5月 3日、第三十二軍の総攻撃に際して、第二十七戦隊(第一中隊)、第二十八戦隊(主力)、第二十九戦隊

(一部)が大山付近に逆上陸を敢行した。また第二十七戦隊(第二・第三戦隊)の約二十隻は中城湾、勝連半

島付近の輸送船団を攻撃。戦隊長岡部茂巳少佐(陸士52期)以下23名が戦死した。敵艦船に与えた被害:

撃沈6隻。

 

5月27日、第二十七戦隊(第一中隊)が残存全艇で出撃したが、戦果は未確認。この攻撃で海上挺身作戦は

終了し、戦隊の残存将兵は陸上戦闘に参加、その殆どが戦死を遂げた。

 

 

さらに第三十一〜第四十戦隊、第五十一〜第五十二戦隊が編成され、本土決戦に備えて展開された。

第四十一〜第五十戦隊、第五十三戦隊は、仮編成されたが訓練中に終戦を迎えた。

 

戦果

短期間での部隊編成、陸軍として不慣れな海上攻撃、無防備な海上艇、という悪条件の下、敵艦船数十隻を

撃沈という戦果を挙げたが、当時は秘匿部隊として世に公表されないままであった。

 

戦没者

青春の全てをかけて鬼神をも哭かしむる攻撃を敢行、再び還らざる者

海上挺身戦隊    1,636名

海上挺身基地隊 18,290名

 

宇品港

広島県広島市南区

 

比治山陸軍墓地

広島県広島市南区

      

船舶砲兵部隊 慰霊碑

碑文

戦友船員のみたまよ 安らかに眠れ

かつて日本陸軍に船舶砲兵部隊あり 太平洋戦争下輸送船に乗り組み船員と一心同体となり南冥北斗

への激烈なる輸送作戦に挺身せしも 襲い来る敵潜敵機の猛攻に倒れ輸送船と共にわだつみ深く消え

たる者数万を算う 又作戦準備のため比島に在りたる一部はその後ルソン攻防戦に突入し草むす屍と

なりて散華せり

今茲に当時を偲び亡き戦友船員の忠誠に敬意を捧げ不滅の勲功を讃えると共に 墓標なき千尋の海に

名も知らぬ山河のほとりに眠るみたまの安らぎを祈り之を建立せり

 

  

陸軍船舶工兵部隊 慰霊碑

 

陸軍船舶電信兵 慰霊碑

 

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更新日:2002/10/02