奈良法蓮町空襲

 

昭和20年6月1日、大阪空襲の帰りと思われるB29が奈良市法蓮町落とした

焼夷弾が米穀店を直撃。

国民学校2年生の少女が火炎に巻き込まれ、近所の人が病院に運んだが命尽きた。

少女は全身に火傷を負ったが意識はあり、病院で「死ぬのん怖い」と繰り返しなが

ら、最期まで「ゆけゆけ軍艦日本の」という唱歌を口ずさんでいたという。

 

米穀店横にあった地蔵には戦後、いつしか数十体の石仏が集められ、地元の人々も

大切に手入れをして悲劇を伝えてきた。

 

法蓮町

奈良県奈良市

石仏が集められた地蔵

 

石仏が集められた地蔵

 

都市空襲

更新日:2012/04/01