海軍兵学校第七十三期 英霊譜( 艦船)
昭和19年12月 4日〜 .
. 昭和20年 3月 31日
昭和19年12月 4日
駆逐艦「岸波」、南支那海・ミンドロ島西方海域にて米潜Flusserの雷撃を受け沈没
南雲 進
敵潜の集中攻撃が開始され左右両舷に雷跡4本命中、
艦橋右舷側の海図台に掴まっていたが命中後行方不明
ご尊父は、南雲忠一海軍大将(昭和19年 7月 6日 サイパン島玉砕)
昭和19年12月19日
航空母艦「雲龍」、特攻兵器「桜花」を輸送中。上海東方海域にて米潜Redfishの雷撃を受け沈没
右舷前部に被雷し瞬時に格納庫の輸送物件(桜花)が誘爆、数分後に前部に大傾斜
日高 昇
艦より10m先の海に浮かんでいたが、艦の沈没後に行方不明
金子 泰治
藤岡 實
加賀谷 高之
古賀 良彦
駆逐艦「桐」乗組となり航空母艦「雲龍」に便乗して赴任中、戦死
昭和19年12月22日
水雷艇「千鳥」、御前崎南方にて米潜Tilefishの雷撃を受け沈没
中山 寛
昭和19年12月26日
駆逐艦「清霜」、ミンドロ島・サンホセ泊地に夜襲をかけ敵飛行場に艦砲射撃、敵機の爆撃を受け沈没
福山 義平
昭和19年12月30日
駆逐艦「呉竹」、バシー海峡にて米潜の雷撃を受け沈没
福田 公明
救助艇の接近に際し、兵の救助を海上から指導して自分は最後まで海上に残った
波も高まり疲労も加わっていたのか、救助艦横腹の動揺止め下に入ってしまい戦死
昭和20年 1月 8日
駆逐艦「檜」、1月5日にマニラ沖で空襲を受け航行不能、応急修理後マニラに帰港
1月7日にマニラを出港後、マニラ西方海域にて米駆逐艦4隻の攻撃を受け沈没
宮田 穣
昭和20年 1月12日
巡洋艦「香椎」、ヒ86船団の護衛任務中、仏印インドシナ東岸にて米空母艦載機の攻撃を受け沈没
三原 一郎
指揮した機銃群は沈没直前まで火を吹き奮闘
米津 中
指揮した機銃群は沈没直前まで火を吹き奮闘
末次 徳一郎
艦が後尾から沈み殆ど機銃座にいられない状態になるまで機銃を撃ち続けた
昭和20年 2月20日
駆逐艦「野風」、パラワン北西海域にて米潜Pargoの雷撃を受け沈没
岩月 順也
昭和20年 2月23日
海防艦「屋久」、仏印インドシナ東方海域にて米潜Hammerheadの雷撃を受け沈没
杉田 藤定
昭和20年 3月24日
水雷艇「友鶴」、東支那海にて米空母艦載機の攻撃を受け沈没
西本 明男
昭和20年 3月28日
伊号第八潜水艦、沖縄南東海域にて米駆逐艦ストッククトンとモリソンの爆雷攻撃を受け浮上したところを砲撃され沈没
栢森 豊
更新日:2007/03/21