岩国護國神社

山口県岩国市

 

 

 

海軍飛行予科練 特乙二期会慰霊碑

建碑由来

太平洋戦争愈々苛烈を加う一九四三年六月、祖国の難に殉ぜんとの赤心に燃え、日本各地より難関を突破し

選ばれし若人我等六百十二名は此の地、岩国海軍航空隊に飛行予科練習生として入隊し連日の猛訓練に耐

え抜き、各自の適性に応じ各々機種別に別れ各航空隊で飛行練習生として飛行術を習得し実戦部隊に配属さ

れる。爾後第一線に在っては帝国海軍伝統の攻撃精神、犠牲的精神を遺憾なく発揮し、北太平洋上空より南

海の大空に勇戦敢闘克くその責に尽す。

戦局益々逼迫し遂に戦史に比なき壮烈鬼神をも哭かしむる必死必殺の特別攻撃に至っては、民族の安泰を願

い私情を去り、従容として悠久の大義に生くべく白雲を朱に染め水漬く屍と化する其の数、半数に達す。

嗚呼黙して散った彼等の胸中誰ぞ忖らん。

戦雲去りて半世紀を経た今日、我等茲に恒久の世界平和を祈念しつつ幽冥の卿等を偲びその鎮魂を希う生存

者相集い、我等が揺籃の館を望める此の丘に万感をこめ此の銘碑を建立す。

同期の友よ 安らかに眠られんことを

一九九一年六月一日建立  海軍乙種飛行予科練習生(特)二期会

 

海軍特飛2期会 記念植樹碑

 

歌碑

碑文

くにのため 若きは征きて 帰らねど 銃後の誓い いま何とせむ

 

拓魂碑

碑文

大東亜戦酣となり日本の生命線満州へ大和民族五百万の大移動が国策として企てられ 岩国市も亦 市を母体

とする分村計画を樹立し 昭和十七年満州国竜江省洮南県永平村へ七十九戸二百三十四名が入植 営々開拓

の鍬を振いしも 昭和二十年八月終戦に伴い筆舌に尽せぬ悲惨な顛末となり 七十有余名の犠牲者を出し 引

揚者も亦物心両面の痛手は図り知れぬものあり 茲に終戦二十五周年に当り拓魂碑を建てこの冷厳な事実を伝

え 拓友の御霊を永遠に慰めんとす 合掌

昭和四十五年三月 吉辰  

 

忠魂碑

 

軍馬之碑

 

 

 

靖國の祈り

更新日:2010/11/06