---えどめぇるまがじん--- 

TOKIO江戸めぐりの旅・バックナンバー
その1
池袋〜巣鴨駅付近   
その2
巣鴨駅前〜白山上
その3
白山上〜団子坂下付近   
その4
団子坂下〜千束
  
  
 
      

路線バスジフ

TOKIO江戸めぐりの旅
 都バス 草63系 ― その4

<取材・文:福島 朋子>


 皆様、ご無沙汰です!! “武者修行”に出ていた朋chanです。なんの武者修行に出ていたかって? ズバリ「蕎麦打ち」(半ば冗談で、半ば本当)。別にわたくし、食べ物関係の人間ではなく、あくまでもライターなんですがね(←なにしてんだか)。
 まあ、この件については、いずれ詳しくご紹介しますので、まずは、ほっぽり出してあった、バスによる「江戸めぐり」の続きから! すでに皆様、お忘れのことと存じますが、前回の終わり、団子坂下から律儀に始めたいと思います。目指すは終点・浅草! 今回は、その一歩手前まで駒を進めてきました。
バス地図ミニ 今回のバスルート
クリックすると拡大図が見られます
江戸前で獲れた穴子ずし!!
 さて、さて。団子坂下で江戸の味といえば、江戸前の穴子ずしで有名な「乃池」さんを外せません。前回レポートした三崎坂の和紙の店「いせ辰」さんの斜め向かい。ちょこんとあるカウンターが中心のこぢんまりした粋なお店です。なんといっても、ここでは穴子を食べなければ始まりません。今じゃ「江戸前ずし」といったって、本当に江戸前(東京湾)で獲れたネタを出す店が少ない中、ここは正真正銘の江戸前穴子(東京湾の穴子)しか使わないという、こだわりの店なのです。さっそく持ち帰り用の穴子を注文すると、20分ほどして渡されたのが、穴子ずし8貫入りの折り詰め。受け取ると、お〜、まだまだ温かい。せっかくなので、近くの公園でこの折り詰めを広げ、ちょっとした旅気分を味わうことにしました。
 見てください。このふっくらとした「穴子」。ほおばると、口の中は存在感あふれる穴子でいっぱい。この贅沢さをなんと表現したらいいのでしょう。シャリの酢がかなり利いているのは、冷蔵庫なんかなかった江戸時代の保存の知恵のなごりでしょうか。
 江戸前ずしは本来、仕事の合間に屋台でちょこっと2、3貫つまむ、おやつのような存在だったそうです。一つひとつの大きさは、今の一般的なすしの優に2倍はあったそうですから(それが「おやつ」とは、やるなァ、江戸っ子!)、ここ、乃池さんの穴子ずしが大きいのは、やはりホンモノの江戸前の証といったところでしょう。
 
乃池 「乃池」
台東区谷中3-2-3
TEL03-3821-3922

穴子ずし 「穴子ずし」
8貫入りの折り詰め、2,500円。羽田沖で獲れるあなごを使用。あなごを煮詰める煮汁は、つぎ足しつぎ足し、なんと30年以上も使い続けているものだそうです。
昔は「虫聴き」の名所。今や……
 次に向かうは西日暮里駅。西日暮里駅に何があるのかというと、あの有名な「道灌山」なごりの公園があるのです。有名ですよね、道灌山? しかし、どんなところかと聞かれると、「え〜と、太田道灌ゆかりの地?」くらいしか思いつかないダメダメ記者のわたくし。そこで、いろいろ調べてみたら、この道灌山は現在の西日暮里4丁目に当時のなごりがわずかに残る、このあたりの台地一帯を指すようです。江戸時代には、眺めがよく、「虫聴き」の名所といわれた場所でした。名前の由来については、太田道灌の山城があったことから、その字を宛てたとする説もあるのですが、『新編武蔵風土記稿』によると、鎌倉時代の豪族、関 道閑の館があったことに由来するという説もあるのだとか。
 それにしても現代ではあまりなじみのない「虫聴き」とはいかなるものか? って、まあ、読んで字のごとしなわけですが(てへっ)、道灌山は、特に松虫が多く、澄んだ音色が聴けたといいます。その音色につられ、旧暦の7月末、夏の終わりから秋の初めにかけて、道灌山の中腹にむしろを敷き、虫かごに虫を入れて鳴かせることで、山中に潜むたくさんの虫たちに音色を催促したのだとか。秋の夜長、老若男女がここに集まり、虫の声を堪能していたわけです。虫の声を邪魔する電車の音も車の騒音もない中、ゆっくりと虫の声を月明かりのもとで聴く……。今の東京では味わえない、なんとも風流な楽しみですね。
 そんな歴史のある道灌山ですが、今は公園に緑が残るくらいで、当時の面影はほとんどありません。しかも、わたくし、帰りがけに見つけてしまいました。公園の出入り口にかけられた注意書きの看板を。そこには無情にも「レイプ多出! 注意」の文字が……。風流ですな〜、などと当時を偲んでみても、現実はこれですよ。くれぐれも、女性の方は夜一人で訪れることのなきように……。
 
西日暮里公園 「西日暮里公園」
かつて「道灌山」と呼ばれた地に残る高台の公園。昔の道灌山の様子がわかるパネルなどがあります。

虫聴き 「大日本名所絵図」
道灌山でさかんに行われた「虫聴き」を描いた作品。

オバケ

「大関横町」は関取横町!?
 さて、西日暮里駅からバスに乗り込み、次に目指すは荒川一丁目。ここに「大関横町」なる碑が建っているのを地図上で見つけたので、向かってみました。この「大関横町」とはいかなるもの? 私はてっきり、その昔、関取の大関たちがこの地に集い、千秋楽のあとにちゃんこをつつきながら大騒ぎをしたのではないか? と勝手に想像しておりました。あるいは、勝ち越した大関がそれを祝して横町を練り歩いたとか? よーするに、またしても事前情報を持たず、名前だけに惹かれ、立ち寄ったわけです。その道すがら、「しかし、なんでまた大関だけだったんだろう。関取ではなく、大関だけというのが何か怪しいなァ」などと、ワケのわからんことを考えていたら、やっぱり出ました、勘違いの悲哀(というか、無知のなせる業?)。ここ大関横町は、下野黒羽藩主の「大関信濃守」の下屋敷があった場所だったんですねえ。いや〜、関取の大関ではなく、「大関」さんという、人名だったんですね、あはは。
 石碑を読むと、大関公とはとても勤勉な人で、なんと生涯で千余巻の書を記したのだとか。ご本人は1845年(弘化2年)に亡くなっているのですが、その功績を称え、1924年(大正13年)に正四位が贈られ、この地を大関横町と呼ぶようになったそうです。いやはや、関取と勘違いするなんて、失礼しました、大関さん(これはこれで、関取に失礼?)。

 
大関横町由来之碑 「大関横町由来之碑」
これが、「大関信濃守」の功績を称えて建立された碑。決して、関取の大関にまつわるものではありません。
吉原-----変わらぬ、今昔!?
 荒川1丁目から、都電沿いにある「大関横町」の石碑を見て、三ノ輪駅よりに大通りに戻れば、「大関横町」のバス停に到着します。そこからまたバスに乗り込み、次の探索地としたのは、「千束」。そう、この界隈は、「吉原神社」や「見返り柳」があり、江戸の一大歓楽街「吉原」のなごりをたどることができるのです。
 と、その前に、千束のバス停から逆方向に戻ること1、2分。「浅草 鷲(おおとり)神社」にちょっと寄り道。ここには、江戸時代から縁起物として尊ばれた「かっこめ」というお守りがあります。このかっこめは熊手型のお守りで、福運や財を「掻きこむ」ということでその名がついたもの。開運、殖産、商売繁盛に御利益があるそうです。ここで、かっこめを入手したあと、いざ、吉原へ。って、そんなに気張ることもないんですが……。
 「千束」のバス停から、裏通りへ歩いていくと、5分も歩かぬところに「吉原神社」があります。ここは、吉原遊郭の四隅に祀られていた四稲荷社と、地主神である玄徳(よしとく)稲荷を合祀して明治5年に創建された神社。吉原遊郭の鎮守の杜であり、花魁(おいらん)の参拝も古書に残っているのだとか。境内の中ある灯籠(?)を見ると、献灯した人の氏名が記されていますが、花魁まで時代を遡れるかどうかは別にして、花柳界の方らしきあでやかな女性の名前も刻まれていました。ここは「現在も幸せを祈る女性への御利益はよくしられている」とありますが、女性への御利益って? あまりに深すぎて、よくわかりませぬ。吉原だけに、やはり艶っぽい色恋沙汰のお願いが多いのでしょうか。
 さて、吉原神社のあと、吉原大門なるものを目指して五十問通りをしばらく進むと、「見返り柳」がありました。この見返り柳というのは、遊び帰りの客が後ろ髪を引かれつつ、吉原の出入り口にあるこの柳のあたりで遊郭を振り返ったことから、その名がついたものといわれています。う〜ん、なんて色っぽいんでしょ。なんて思っていましたが、この柳、現在はガソリンスタンドの前にあるんです。しかも、電信柱の陰になっており、情緒ある風景は、残念ながら見られません。それでも、大門は今にその形を残しており(もちろん、当時のものではありませんが)、「ここから、吉原だっ!」という当時の男性たちの意気込みがなんとなく想像できる気がしました。
 いや〜、しかし、もっと驚いたのが「吉原神社」の前から、この「見返り柳」までに来る道中です。聞いてはいましたが、本当に一大ソープ街と現在はあいなっています。この道沿いには柳が植えられていて、わりと昔ながらの風情があるかなと、吉原神社付近では思っていたのです。しかし中心地へ進むごとに増えてくるのは、ソープ店の看板、そして恐ろしいほど、一直線の道にずらりと並んだ黒服のお兄さま方。はっきりいって異様な光景です。それほど大きくない店舗がひしめきあう中、本当に1メートル間隔で黒服兄さんたち(←やっぱりちょっと強面)が道の両側にずらりと並んでいるのですよ。わたくし、池袋界隈で育ちましたので、北口の怪しげな「風俗呼び込み通り」は日常的に目にしていましたが、ここは、まったくもって、その比ではありません。
 とぼとぼ歩いていると、兄さん方から、「おはようございます」とドスの効いた挨拶を投げかけられる始末。ジーパンにスニーカー姿のパッとしない女が歩いているわけですから、からかわれただけなんでしょうけど、けっこう緊張しました。
 ここねえ〜、男性にとっては歓楽街なのかもしれませんが、いや、でも、男の人だって、こんなとこを歩くのは怖いのではないでしょうか。この雰囲気からいって、吉原って気軽な気分で遊ぶ場所ではなさそうです。まあ、江戸の当時も、吉原で遊ぶのはそれなりの遊び人だったわけですから、それは今も昔も変わらないということなのかもしれません。と、なんとな〜く過去と現在の一致を感じたところで、この地から、無事、脱出してきた次第です。

 千束を出ると、この路線の終点・浅草は、もう目の前! 寄り道ばかりしていたので、今回は全然「江戸めぐり」になっておりませんが、次回の浅草で、きっちり、江戸ネタをご提供しますので、しばしお待ちくださいませ。
 それでは来る次号、「路線バスの旅、最終回」でお会いしましょう。ではでは。

 
鷲(おおとり)神社 「鷲(おおとり)神社」
東京都台東区千束3-18-7
TEL03-3876-1515
浅草「酉の市」でも有名な鷲神社。商売繁盛の神様として尊ばれています。

かっこめ(熊手御守) 「かっこめ(熊手御守)」
700円
福運や財を「掻きこむ」という開運、殖産、商売繁盛の御守り。熊手に稲穂と鷲神社のお札がついています。

吉原神社 吉原神社の境内にある灯籠(?)には、「吉原芸妓」の文字が刻まれていました。
見返り柳 「見返り柳」
台東区千束4-10-8
「きぬぎぬの うしろ髪ひく 柳かな」
「見返れば 意見か柳 顔をうち」
など、多くの川柳の題材にもなった名所だったのですが……。

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