"La Jollaからのボトルメール" 第四回
"Bottle-Mail from La Jolla" #4

(フライ フライ フライ)

平岩"Ted"徹夫6


 昨年11月ごろ書いたものだが、ようやく完成。でも文章はめちゃくちゃになっている。乱文御勘弁。


 やはりとても暑いところだった。10月半ばだというのに、とても暑かった。日ざしは夏の日本よりもきついものだった。きっと"その日"もとても暑かったに違いない。ここはモハベという名の砂漠だから。


 小池繁雄という画家をご存知だろうか。飛行機が好きならわかるのではないかと思う。富士重工が毎年発行するカレンダーで有名な画家である。飛行機を描く画家である。どんな画風かって? こればっかりは画集もしくはプラモデルのパッケージイラストをみてもらうのがてっとりばやい。近くのおもちゃやか、模型屋にいけばSigeoK oikeとサインされている、透明で繊細な絵をみることができるだろう。画集は現在までに3冊発行されている。例によって手元に資料がないのでうろ覚えなのだが、最初の画集は80年台なかば、ハセガワという飛行機を主に作る模型メーカーが発行した。以後の2冊はともにSony出版から発行されている。今私の手元にあるのは最も最近発行された"フライングカラーズ"である。このほかにポスター集も出ている。

 この透明な画風に引かれて、わたしが彼の絵を(といってもカレンダーと画集だが)を集めはじめたのは、大学に入ってある程度お金が使えるようになってからだから、かれこれ14年程になるだろう。光が見えるようなこれらの作品は、私にとって大切な宝物なのだ。


 10月のなかばに、日本ではほとんど知られていない記念日がある。人類史上初めて、公式に有人の超音速飛行に成功した日である。口の悪い人は、"初めて"超音速飛行して帰りつけたひとが現れた日というけれど、まあ同じことだ。いまから10年以上昔に(もうそんなになるんだよ、山浦)、"The Right Stuff"という映画が公開された。巻頭に、この超音速飛行にまつわる話がでてくる。主人公の名をチャック・イエーガーといった(他に7人の宇宙飛行士(アメリカではastronaut、ロシアではcosmonautという、念のため)が出てくるが、これらはあくまでも添えものなので映画を見る場合に誤解しないように)。

 彼は超音速飛行(冒険といったほうが正確)する前日に肋骨を骨折していたのだが、当時27才(例によって例のごとく、手許に資料がないので細かいことは言わないように)で若かったためだろう、空をぶっ飛んで帰りつけたという。まあ、この顛末に関しては、イエーガー自身が自伝で語っているし、最近のビデオの中で"ここらへんで落馬して骨折した"と説明していたから間違いあるまい。ちなみに自伝は日本語版もあるので興味のある方はどうぞ。たしか講談社から発行されていたはずだ。こちらではペーパーバックもでている。

 97年は、この超音速飛行した50周年目にあたる、たいへんめでたい年であった。記念切手は発行されるしで結構なお祭りになった。空軍として見れば陸軍から独立して50年目の年でもあるからだ(ご承知の方も多いと思うが、第二次大戦中海軍の航空機以外は陸軍航空隊所属だった。メンフィスベルのB17GもBox car, B29などなども陸軍所属だった)。イエーガーもそろそろドクターストップがかかる(しかし75過ぎて超音速戦闘機に乗れるなんて....)ので、最後の超音速飛行をしよう(超音速では、もう飛行しないということなんじゃないか....)ということで、50年前と同じ時刻に同じ場所で超音速飛行を行う記念式典まで行われた。切手は二種類あって、ダイアモンド編隊のThnderBirdsと、衝撃波とともに描かれたXS-1である。なんだかやりすぎの感もあるけれども、お祭りだいすきの国民性からして、この程度でおさまったと考えるべきなのかもしれない。

 当日、飛行はF15Eストライクイーグルで行われた。Gulf warで有名になったやつである。アメリカ空軍もワイルドヴィーゼルに使える機体がなくなってしまった(F4Gなんて元を正せば50年代の飛行機だったりするから)から作ったんだけど、高価なんで飾りになってる機体である。こいつは二人乗りである。イエーガーは当年とって77だから空軍としても心配なんで、サポート役の若いパイロットが同じ機体に搭乗した(当然後ろの席だった)。しかしまあ、F1以上に厳しい乗り物に、77才で乗り込むわけだからとんでもない話である。50年前の当日、随伴飛行したパイロットも同様にF15Eでチェイスしたそうだ。このひとも...若くはないわな。97年の11月には元大統領のブッシュが、パラシュート降下して記録(最高年齢??なんだそうな)を作ったとか。これらにどーも刺激されたみたいで、先の映画の主人公のひとり、現職の上院議員グレンがスペースシャトルでもー1回宇宙にいくことになった。最近水槽での訓練風景がニュースで流れたが、よたよたで....まわりに力のある健全なひとがいるからいいけど...。練習風景すらとても心配である。4Gの加速度がかかるから、脱水器みたいなものに放り込まれてもういちど加速度になれる訓練も始めたらしい。NASAの発表によると、この訓練中救急車が近くで待ち構えていたそうで。じじいたちは老いてますます盛んというわけか。ちなみにNewsweekには無重力状態下で入れ歯がはずれちゃったため、まともに会話できなくなっているグレンを描いた漫画が掲載されていたりする。


 さて、10月にわたしはこのエドヮーズ空軍基地(といってもただのだだっぴろい砂漠と考えていただいても結構)の公開日に片道4時間かけて出かけたのであった。基地の西の端のゲートから20分くらい車で走りつづける(信号がないから20kmくらいか...(千葉県境から東京都に入ったとすると、新宿あたりに滑走路があるわけだ))と、ようやく滑走路がみえてくる。とんでもないひろさである。全体に砂地なのでアスファルトの滑走路以外のところでも容易に着陸できるという。

 当日の目玉は、やっぱりチャックイエーガーの超音速飛行の御披露である。観客の真上で超音速飛行?! 東京都とほぼ同じ広さ基地だからできる話だが、まあとんでもないはなしではある。衝撃波の影響があるから、コンコルドは海上にでてから超音速飛行に移ることになっているのだ。わたしが"航空宇宙なんとか"に就職した直後、となりにある"宇宙開発なんとか団"で爆発事故があった。配管の破損(液体水素があんまりにも冷たいからぱかっと配管が溶接部分からさけちゃったのだった)水素が大量に洩れだし、所内の上空200mくらいのところで爆発したのである。当然の事ながら強いshock(wave)を作ったので、近くの民家のガラスは割れるは、15H以上の先まで衝撃はとどいたという。近くにいたわたしは、お腹をバットでひっぱたかれたような衝撃を感じた。窓ガラスが波打って振動しているのを覚えている(elliptic PDEの解そのものだなと感じていたりする)。まあこのように衝撃波というのは津波と同じようにメーワクきわまりないものなので、ちょっとわくわくした(たぶん賛同してもらえると思うのだが、地震、雷、火事、爆発などの災害程面白いものはない....と思うんだが)。実際は高度10000以上で超音速飛行するから、衝撃波はドンという音だけで、それも"えっ、衝撃は?"(すいませんつまんないすね)といった程度であったので、わたしはとーぜん不満だった。


 さて、このエドワーズはいまも空軍の大多数の新型機の初飛行の場所に選ばれている。ここには自衛隊で言うところの実験航空団、つまり試験飛行するためのテストパイロットのメッカなのだ(JASDFでいうと各務原ね)。これは50年以上かわっていない。この敷地内にはNASADryden(アメリカ航空宇宙局の航空機関連の研究所)があり、ここも新型機の飛行試験やテストを行う。YF22もそうだしB2もここで初飛行している(そりゃそうだよね、滑走路以外でも自由に不時着できる基地はここしかないでしょ、きっと)。スペースシャトルの初飛行(STS-1のことね)時、万が一のことを考えてここの砂漠に着陸している。今回の公開日には、X38の空力試験機がNASAのB52にぶら下げられて展示されていた(蛇足だがこのB52は、その昔X15、X15Aをぶら下げていた機体そのものだ。最近ではペガサスの試験もこいつをつかっておこなっている)。

 話しは突然代わるが、最近とんでもない勢いでXシリーズが増えている。欠番も多いし秘密も多い。このX38も97年になってから存在が明らかになった(というより明らかにされたという方が正しい)。この機体は小形スペースシャトルで、宇宙ステーションからの緊急帰還用ライフボートになるものである。宇宙ステーションってのはつまりISSね。こいつもフリーダム、アルファなんて名前の遍歴の後どうするかと見ていたら頭文字をとってISSなんてとってもつまんない名前になってしまった。で、またX38のことなんだが、こいつは元はX24などのリフティングボディであるから、随分昔から開発されていたものがコンピュータの発達で実用化できたと考えてもよいだろう。だいたい最近の航空機は、静的安定性が負になるように作られているから、コンピュータが壊れたら落っこちるしかないしろものだ。このX38に続いて、98年度にはventurestar、次期STSの縮小型フライトモデル、X33が初飛行することになっている(これなんておにぎりせんべい形状+ちっちゃな翼ー形状していたりする)。まだ大気圏外にはでれないしろものなので、大気圏内の飛行を模擬することになる。やはりこれの初打ち上げもここ、エドワーズで行われるそうだ。着陸はネバダかユタ州のあたりになるはず。このSTS、設計はあのskunk worksである。外部燃料タンクをもたずに、現行シャトルと同等のpayloadをもたせることができるという話しには、われわれ(つまり日本のSTS開発関係者のことね)にとっては疑問点が多い。単純に考えて見て欲しい。いらない燃料タンクやそれに関連する重いものを軌道上まで運んでおいて、持ち帰らなければならないのだ。その分無駄が多い。ということはpayloadは少なくなる。しかし、venturestarのスペックはそうではないと述べている。設計がskunkworksならば、なにか解決法があるのだろうと考えてしまう。いずれにせよ、Nor thAmericanRockwellよりははるかに優れた仕事をするに違いない。

注:NorthAmericanRockwellはApollo1で宇宙飛行士を3人焼死させているし、Challengerで7人吹き飛ばしていたりする会社(実際には別々の会社であったときだけれども)。過去には優れた仕事をしている会社(Northamericanは歴史上最もすぐれている(乗りやすさなどを総合評価すると現在でもF15などよりも評価が高くなるそうだ)戦闘機P51を作った。


 ここの空は真っ青というより水色に近い。とても空気が薄い感じがする。紫外線が多いためなのか湿度が高くて水色になっている感じではない。日本でも東北で見られる霞がかった空の色に近く、ぎらっと太陽が輝く東京以南の空の色ではない。これはやはりキースフェリスが描く空の色と同じなのだ。雲はとうぜんない。最近はカリフォルニアといえども雨が多い(Blade runnerの世界に近づきつつある....)。しかし湿気があるのは海岸に近いところで、海岸から10キロも入れば日本とは全く植生が異なる。沙漠というのが正しいだろう。木も雑草も、およそ植物といえるものがまばらになってしまう。エドワーズはLAから山一つ越えた内陸にあるので、雲はすくないのだ。だから、上空1万メートル以上で、超音速で飛行するF15Eも、SR71も、機体は見えないけれどかすかなコントレールはしっかりみえる。

 小池繁夫が描く空は、毎回大きく異なる。旅客機が就航していた路線の空気や、戦いが行われた場所の色がきちっと描かれる。海外の航空機画家ははっきりいうと描く空にバラエティーが少ない。WW1とかWW2などの好きな時間の機体を書いて金になるからだろう。アメリカやヨーロッパでは航空機の絵のための月刊誌もあるのだ。バックグラウンドが異なる。小池繁夫の場合(他の日本の画家もだろうが)、模型のパッケージ、雑誌の表紙などの仕事が中心なのだ。だから要求される絵も航空機が作られた国だけでなく、戦争が行われたすべての場所と、航空機が飛んだであろうすべての場所を描くことを要求されるのだ。だが彼が、うまく空を描けるのは必要だからだけではないのは当然だ。彼は飛行機で飛んだとき、空を窓から見続けていると聞く。興味がなければあそこまで描けないだろう、そう思う。


 The Right Stuffでもそう語られていた。空は魔物であると。エドワーズの空は広かった。ここは過去魔物が世界で最もたくさん現われた場所だ。きっと今もそうだろう。見えないだけなのだ。小池繁夫はこの空を、いつか描くだろう。

 次回はThe Wrong Stuff=Armageddonだっ。

Tetsuo "Ted" Hiraiwa


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