1981年4月23日(木)
本日は解剖を10時までやる
4月24日(金)
今日の解剖は首の神経叢。なんだかよくわからんため夜の2時まで解剖する。
4月25日(土)
午後1時頃起きて、不安なので解剖に行く。15人位が解剖していた。
4月26日(日)
一日中家で悶悶としている。不安だ、解剖は嫌だ。何か劣等感にさいなまれる。
【註】本当に解剖は嫌だった。ホルマリンと死体の臭いが混じって一種独特の臭いがある上、今思うと何と素手で死体を解剖していたのだ。
で、毎日どの部位を解剖することと言われ、それをするのだが、なにせ始めてだし、解剖の本とは一致しないしで、なーんも解らんつーことになってしまうのだ。細かい神経なんて見つかった試しがないのだ。これはみんな同じだったようで、はさみとアロンアルファーが活躍していた(死体の切り貼りをしていたのだ。)
この頃、解剖定食というのがはやる。鳥のささみといり卵となんかもう一つだったと思う。ささみは筋肉、いり卵は脂肪そっくりだったのである。
4月27日(月)
帰宅夜9時。今日は背中の皮。
4月28日(火)
帰宅夜10時。今日は珍しく解剖がうまくいった。後頭部の皮。
今日はSF研のコンパであるが、忙しくて行けない。悔しい。
【註】この辺は、解剖が珍しいのと毎日遅いのが初めは辛かったので何を解剖して何時帰宅とゆーのを連日書いている。しかし、それも5月半ば位までで以後解剖のカの字も出てこなくなるし、辛い辛いとゆー言葉も出てこない。人間どんな環境でも1ヶ月あれば慣れるということが以後私の持論となる。
4月29日(水)
本日は解剖なし。SF研行くもコンパの後のためか誰もいない。寂しいのでとーるちゃんちに行ってマンガ読んでかえる。
【註】何やってんだか。
4月30日(木)
今日は背中の筋肉。11時にやめる。
よく考えると今日は俺の誕生日ではないか。しかし、忙しくて別に何の感慨もない。21才ではある。
【註】あの頃は若かった。
5月1日(金)
今日は鎖骨をはずす。ついに解剖のレポートがでた。俺は腕神経叢だ。帰宅10時
【註】この頃に解剖のスケッチというのがあって、腕か、首の神経叢(神経が複雑に集合離散している場所と思ってくれ)どちらか一方を紙に写し取るとゆーか、スケッチするのである。とても大変なのである。で、アロンアルファーが活躍したりするんだが、敵もそんなことは、実は先刻承知しているためすぐバレて、もっと大変な事になってしまうのであった。そういう風に俺達がいーかげんしてしまったからかどーかしらないが、次の学年から毎日スケッチという、ひと思いに殺してくれとゆーか、氷河期とゆーか、想像を絶する大変な状況になってしまったのであった。しかし、これは学生も大変だが、教官はもっと大変とゆー相打ち状態だったため数年でなくなったらしい。
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