タイトルのない夏 Trinity 両谷承
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『スラム・ティルト』の前に立ってミキを待っていたカズの前に停まったのは、紺色に塗られたポンティアック・グランダムだった。ミキの云っていた「おとうさんの車」と云う言葉とは、あまりにイメージが違いすぎる。
「お待たせ」
左側にある運転席から、ミキが顔を出した。派手だがそれほど上品とはいいがたいグランダムと綺麗なのだがゴージャスな雰囲気は持っていないミキとの取り合わせはやっぱりちぐはぐで、それがなぜだかカズには粋に見えた。
「おとうさんの車って、それ?」
「そう。この車、わたしはあんまり好きじゃないんだけど」必要もないのに、どこか言い訳じみた口調。「他にないんだから、しょうがないじゃない」
「ミキちゃん、かっこいいよ」
「なに云ってんのよ。そんな場合じゃないでしょ」
ミキが顔を引っ込めた。カズは車道に回って、助手席に乗り込んだ。カズがシートベルトをするのも待たずに、ミキはバックミラーだけで後方を確認してグランダムを発車させる。
「シンジくんたち、もう第三京浜の入り口についてるのかしら」
「シンちゃんは着いてんじゃないのかな。キョウは――きっとあんまり、ぼくたちとかわんないよ。キョウんちはここから歩いて三十分近くかかるし」
交差点を右折して、井の頭通りへ。丸井の前をすぎて車が空いた辺りで、ミキはアクセルを踏み込む。ペーパー・ドライバーを自分で名乗った割には、ミキの運転はスムースだ。助手席に乗ってる分には、キョウの運転よりよほど乗り心地がいい。
「ねえ、ミキちゃん」
「なあに」
「FM、かけていい?」
「なに云ってんの」ミキは前方を見据えたままだ。「そんな場合じゃないでしょ」
「だってさあ。こんなに晴れてるんだよ。気分、よくない?」
「そんな、他人事みたいに」
「他人事じゃない。ミキちゃんには、違うの?」
「違うわよ」
少しも躊躇わずに、ミキは云い切った。まるで試すような言い方が自分で少し恥ずかしかったが、カズは止まらない。
「ミキちゃんって、自分で本当に当事者だと思ってるんだ」
ミキは答えない。
「あのふたりにとって、ミキちゃんってなんなんだろうね」
「トロイのヘレン、なんじゃないの。カズくん、さっき云ってたじゃない」
「まあ、立場はそうなんだろうけどさ。例えば、あんな男たちが自分を争って勝負するのって、どんな気分なのかな」
「あの人達がほんとにわたしを争ってるんだったら、また違った気分なのかもしれないけどね」
「違うって云うの」
「違うに決まってるじゃない」
信号でグランダムを停めて、ミキはやるせなさそうな眼差しをカズに向けた。
「カズくん。わたしのこと、好き?」
「好きだよ」
少し悔しいけれど、嘘を吐いても意味がない。
「シンジくんやキョウくんも、そうかな」
「もちろん」
ミキがなにを云いたいのか掴みかねたまま、カズは答える。ミキは視線をウィンドウの向こうに戻して、アクセルを踏み込んだ。
「ミキちゃん、どうかしたの」
「おんなじことを、シンジくんにも聞いてみたの」
「おんなじ答えだったでしょ」
「うん。でもあなたたち、ほんとはどうでもいいんじゃないのかな、って、ときどき思う」
「それって」
どういう意味なの、と問いただそうとしたがやめにした。少なくともキョウは違うし、シンジはどうなのか分からないけれど、カズにとってはミキはあのふたりほど大事な存在ではない。だからといってこの一か月の間、ミキのことがどうでもよかったことなんてない。いい意味でも、そうではなくても。
「――そんなこと、ないよ」
「そう? だって、どう考えても冗談みたいよ。映画じゃないんだから。――そうよね、本当はあのふたりにわたしなんか関係ないのかもね。本当に、他人事なのかも」
カズはそんなことを云うつもりで、その言葉を口にしたわけじゃなかった。どう言葉にしようか考えあぐねていると、ミキは続ける。
「それにしても、つまらないよ。『アメリカングラフィティ』でも、『ワンダラーズ』でもないんだから」
「『アニマルハウス』なんじゃないかな」
云わなくてもいい軽口がでてしまう。
「なんでもいいよ。わたしたち、誰かの夏をもう一回なぞりなおしてるの? わたしはここにいる。冷たい心の謎の女、なんかじゃない」
「配役があっただけ、まだましなんじゃないの」
「なにが云いたいのよ」
「だれも、ミキちゃんのことをそんな風に思っちゃいないよ。どうすればいいのか、わかんないだけさ」
「だからって――もしどっちかが怪我でもしたら、わたしはどうすればいいの」
「やりたいように、すればいいんじゃないのかな」
「そんな云いかたって」
「だって、何かが出来るって訳じゃないよ。キョウがミキちゃんのことを好きになったとき、ミキちゃんに何かが出来た?」
ミキは前を向いたまま、首を振る。
「シンちゃんだって、ミキちゃんになんにも出来なかったでしょ。おんなじだよ。
誰かに何かをしてあげる、なんて考え方、ぼくはあんまり好きじゃないな。何かをするのって、自分がそうしたいからじゃない。だったら、自分がしたいようにしかできないよ」
「誰かのことを考えるのって、みんな自分のためだって云うの」
「ちょっと、違うなあ。――蒸し返すみたいだけどさ。ここんとこ、ミキちゃんよくキョウと一緒にいたじゃない。楽しかったの」
「楽しかったよ」少し、苛立っているような言い方。「そうじゃなかったら、どうして」
「でも、どうしても一緒にいたかったなんてことはないでしょ。それでも、悪くないかなって思ってた。そうだよね」
「カズくん。わたしのことなんでも知ってるの」
ミキらしくない、皮肉な冷たい云い回し。カズはひるまない。
「キョウは、嬉しかったと思うよ。ぼくが聞いてるだけでも、キョウは思いつくことを全部したんだろうと思うし、ミキちゃんは精一杯それに答えてあげたんだよね。キョウは、分かってるよ」
「分かってる、って」
「どんなに一生懸命やっても、それで誰かに何かをして貰える権利が手に入るわけじゃないってこと」
「当たり前じゃないの」
ミキの声は固かったが、カズの言葉は通じているはずだ。
「そう。でもこれって、切なくない?」
「仕方ないじゃない。他のひとたちは、自分じゃないんだから」
「うん。でもミキちゃん、ほんとにそう思うの。――それってのは、ほんとはどういうことなのかな」
ミキは少し、黙り込んだ。グランダムは高井戸の交差点から、環状八号線へ。右折し終わってから、ミキは口を開いた。
「カズくんてさ。なんでも、知ってるみたいだね」
「そんなこと、ないよ。ぼくだっておんなじなんだから」聞こえないように、溜息を吐く。「他人事なんだけど、他人事じゃないんだ。だからぼくもミキちゃんも、今ここでこうしてるんじゃない」
「混んだ道で」
自嘲するように云う。ここで、くじけちゃいけない。
「そう。楽しくもないドライブを、ね。だったらきっと、キョウがあんな馬鹿なことを云い出したわけも、シンちゃんが受けたわけもなんとなく分からないかな」
「分かる、とは云いたくない。きっと、そんな簡単なことじゃない」
「そうかもね。でも、だれがどう云おうとこれはぼくたちみんなの話だ。どこかの誰かの出来事でも、映画のまねでもない。ぼくは、この事に自分で関わって行くんだ。そう決めた。ミキちゃんだって、そうでしょ」
言葉を切って、キョウはミキを見つめた。ミキが頷くのを自分の目で確認する。
「そうよ。だからこれは、わたしたち自身の話」
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