演劇ラボ

【演出の仕事】

【演出をするあなたへ贈る言葉】

【舞台芸術への考察】

今日の舞台芸術としての演劇における課題として、次の事を掲げます。

1)俳優の劇的展開に対する集中力の欠如がみられる事。
ある一定時間内に於いて[始まり分断される「舞台芸術」]において、一人の俳優が役を演じるとは、
特別な虚構の環境(状況)を想定して(あくまで「うそ」ですから、自分でこうだなと、仮に設定するわけです)、
あらかじめ台本によって決められた状況の変化を意識的に起こし(事件の励起と考えましょう)、様々な刺激に対して、
能動的にも受動的にも、自分自身を反応させ、その結果を表現し続ける行為の創造(演技の創造)という事です。
自分が勝手に考えた状況は、人が関わってくれることで、必ずいつも同じではなくなるわけです。
そのため、変化し続けているのです。
その状況に応じる俳優は、その時々、一瞬一瞬に沢山の進むべき道から、あるたった一筋の道を選んでいるんです。
しかし今日の舞台芸術は、即興劇を除いて、予定された状況にあらかじめ準備された演技を演じるものがほとんどです。
これを否定したり責めたりという事ではないのですが、これを極力さけていくところに、
より優れた舞台が生まれる可能性があると思います。
スタニスラーフスキイが、毎日舞台装置を変え、毎日観客席の位置を変えたがったのも、実はこの当たりに問題があるからです。
台詞が決められ、状況の変化が一定のプログラムに従って推移し、劇的展開が予定されている中で、
俳優は終始ある方向にむかって(演技の指向性といいましょう)、準備された演技を演じています。
だがそこにはいつも、予定も予測もされない状況が生まれる可能性があります。
その未知の状況に対してすばやく新しい演技(反応の結果の表現)を作りだすことが、俳優に要求されています。
そのため俳優は、舞台に関わる時間、舞台への集中力の持続が求められます。
それが、「新鮮な芝居を常に創造し続ける」という言葉で表されている実態です。
また戯曲に登場する人間はすべて坂道をころがり落ちる球のように、一定の指向性を持っています。
そのためどんなに状況が変化しようと、その指向性を保つことが俳優に要求されています。
これを超課題(スーパーテーマ)と呼びます。
つまり常に自分自身の演技と戯曲全体の流れ(劇的展開)に対して、責任をとる集中力が必要とされているのです。
俳優は、予定や予測されたものもされないものも、あたかもすべて未知の体験として、
新鮮な演技を創造し続けなければならないのです。

2)戯曲などのテーマと、舞台芸術としてのテーマが混乱している事。
戯曲などは、その表現手段(文字または音)によってのみ、表現され得るテーマを持ち、
ほとんどひとりの手によって創造されますから、一貫性を保っています。(時々には、支離滅裂な作品もありますが・・・)
しかし舞台芸術のテーマは、参加する人々のそれぞれの主観によって表現されたものを、総合して表現されるわけですから、
戯曲などのテーマと質的に異なると考えられます。
戯曲などのテーマは、その表現手段が文字ならば文字によって表現される限り、作者にとって不変性を備えていますが、
舞台芸術としてのテーマは、その時代の人々のその時々の価値観によって、また人間が媒体となって表現されるために、
「時を越えて不変」ではない。

3)は舞台芸術としての統一性が失われている事。
舞台芸術としての一貫したテーマが創られ、そして更に、それを具体的に展開する演技・照明・装置・衣装・小道具等の
各パートの表現があります。
今日の舞台の問題は、各パートがその一貫したテーマを表現するためにではなく、
ある状況を説明するための要素として扱われていると見えることです。
リアリズム演劇と称して装置・照明をリアルに表現することが、舞台に統一性をもたらすとは限らないし、
また極端な強調(デフォルメや象徴化)が舞台に一貫したメッセージを刻むとも限らないでしょう。
すべてのパートが舞台芸術としての一貫したテーマを、それぞれの立場から表現しようとし、かつ演出によって統合される時に、
舞台芸術としての統一性[アイデンティティ]が生まれるのではないでしょうか。
舞台状況を説明することにのみ各パートが努力するとしたら、それは一見して統一された舞台に見えますが、
しかし本質的に舞台芸術としての統一性があるとは考えられない。
全く異なる表現方法を持った各パートが、それぞれの特色を生かして一貫したテーマを表現する時、
本当の舞台芸術としてのテーマの具現化が可能となるのです。
たとえ各パートの異質性が前面に出るとしても、それをまとめるのが演出の仕事です。
テーマに対する安易な姿勢や表現手法が、今日の舞台芸術の精神的堕落を招いていると考えられます。

4)は表現様式が固陋化している事。
今日私達は様々な表現様式と出会っています。
それぞれの様式は全く異なったもののようにも考えられています。
しかし所詮人間の創造の範囲の事、努力によって様々な表現様式を使いこなせるようになれば、
もっと豊かな表現方法が得られるかも知れません。
表現様式の多様性を獲得できれば、舞台芸術としての表現力の幅をもっともっと広げられるでしょう。
唯、私としては、芝居は単純でありきたりでいいと思っています。観客に感動してもらえるよう努力したいだけです。

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