【舞台創造のため基本】舞台の焦点を作ること舞台空間の中心のことではない。芝居の中の重要な事件が発生する場所を舞台の焦点と言う。 上手のこともあれば、下手、花道のこともある。 観客の目がバラバラにならぬよう、舞台の重要な事件に観客の意識が集まるようにする。 焦点は絶えず移動するが、クライマックスや重要な会話などは、なるべく観客にもっとも印象的な場所、 あるいはそれまで全然使用していなかった場所、小高くなっている所で行なわれるようにしたい。 印象的なイメージを構成するには、舞台の高低(階段・バルコニー・木の上・屋根の上)、 からだの位置(座る・立つ・跪くなど)、群集の視線を集めやすくする。 群集からひとり離しておく、幾何学的に配置するなど、様々なやり方がある。 舞台のバランスを取ること 絵画と同じように、舞台の片方だけに小道具や人物や大きな張出物が、 集まり過ぎるというようなことは避けなければならない。 しかし、構成的な芝居でないかぎり、あまりキチンと整理・配置(上下シンメトリーなど)されていると、 冷い感じになり機械人形のようなお芝居になってしまうおそれもある。 俳優が何処に立つかで、舞台上のバランスが崩れ、劇的な焦点が際立つこともある。 事例として、『オイディプス王』市川染五郎主演 蜷川幸雄演出 朝倉摂装置 1976年5月 をあげる。観客を驚かす装置ではあるが、良い舞台とは言えない。俳優が際立たない場合がある。 |
舞台開演前 舞台開演直前 客席から観客のようにして若者たちが舞台に上がって行く 上演中 壁画のように |
この舞台は意識的にパワーシンメトリーになっている。 上手に居ても下手に居ても階段の上に居ても、中央サークルの存在と バランスがとれている。 この舞台はギリシャ野外劇場を想像させるような空間で、劇世界を十分表現している。 ただ、劇的な場面は、全て中央サークルで演じられ、観客は壁画を眺めているようだ。 オイディプス王の歌舞伎的な朗詠術の言葉は、この劇世界観とマッチして迫力が有り、 階段上のコロスの集団にも負けていない。 他の出演者が新劇風の言葉で、薄っぺらに感じるのは、この舞台装置の影響もある。 私は演出として、とても使い辛い空間だと思う。観客がすぐに飽きる。 コントラストを作ること 自然はいつも矛盾したものを持っている。 あらゆる場合にその対称として反対のものを呈示するものだ。 そしてそれが余計に、そのものの特質を示す。 夜の暗さには昼間の明るさがあり、谷に山ありといったぐあいだ。 同様に絶対的にいい人間というものは存在しない。 人間には必ずいい面と悪い面とがあり、そのどちらかが多かったり少なかったりすることで、 いい人間とか悪い人間とかいうことになる。 舞台の上の動きも、強い場面と弱い場面、早いテンポにゆっくりなテンポ、 朗かな空気のところへ沈うつな知らせというように、コントラストを見つけて配置するよう心掛けよう。 (もっともすぐれた戯曲には、こういうコントラストが自然に無数に配置されている。) 場の制約と活用 芝居を上演する場は、常に環境に制約される。野外・屋内、円形・方形、プロセミアムの中・露天。 芝居の場は原則、役者と客が在れば成立するから、何処で上演しても良いのだけれど、 場の多様化によって、演出の仕事はより複雑になった。 ギリシャの円形劇場のように、露天で擂り鉢の底のような舞台の場合・・・ 古式の能舞台のように、三方を観客に囲まれる方形舞台・・・ 近代の文化会館形式のプロセミアム劇場・・・ 復元された地球座のようなバルコニー劇場・・・ いずれの場合にも演出は、どのようにして役者をその場に登場させるかを第一に考えなければならない。 役者が演じる場にどのように訪れるか、それが役者の表現そのものと関わっていることを忘れてはならない。 逆にまた、役者の登場が観客にどのように感じられるかが大切なのだ。 |
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