演劇ラボ

【演出の仕事】

【戯曲との仕事】

戯曲との仕事は、書かれている文章から『具象化』と言われるモノとコトに組み立てる、模型を作るようなもの。
分かりにくい文章が多いから、骨の折れる仕事だ。
初めに戯曲に書かれた場面を想像し、登場人物が生きている人間だったらどんな人物か、イメージを把握しておく事。
また舞台の進行に従って、各場面からそれぞれ何を観客に伝えるかを決定し(作者の思惑と全く違うこともある)、
作者の企みを明らかにして、舞台化するための全要素を分析研究し、台本化すること。
自分たちにとって時間が掛かり過ぎる戯曲は(上演時間や稽古時間)、演出権限でレジーする。
レジスールを認めない作者もいるから、そのあたりは注意深く。

1・戯曲を選ぶ、台本の決定
既存戯曲を選ぶ、戯曲を劇作家に依頼する、または自分で創作する、
それともプロットを考えながら役者達と稽古を通じて作っていくなど、
舞台化するための素材となるものを決める。
役者が「これをやってみたい」というのもある。
ただ予算を無視して、提案してくることが多いからよく読んで見ること。
セットや衣装、場の大きさや出演者の多さなど、無理難題も持ち込まれる。
しかし演出の薄い経験より役者の目の方が多いから、いい作品にも出会える。

戯曲は「今、この作品を上演する」意義のある素材を選んでいく。
それは、自分達が楽しみたいという理由でも、古典の世界を知りたいという理由でもなんでもいい。
意義をもって選んで欲しい。この意義が無いと、演出のプランの根底となるしっかりとした土台が築けない。
私はそれを上演コンセプトと呼んでいる。
このコンセプトが、芝居を表現する演出上の問題も、宣伝チラシのデザインも、劇場の選択や衣装や、
果ては上演にかけるコストまでも左右する。
この作品の上演活動の方針を決める判定基準となるからだ。
演出といっても、このコンセプトを無視して演出アイデアの押し付けや演技プランへの干渉は許されない。
しかしこのコンセプトは、戯曲のテーマや舞台作品としてのテーマとは全く関係ない。
上演コンセプトは、上演組織として動く集団の、心の拠り所となるものだ。

上演コンセプトが立ち上がったら、台本を作ろう。
既存の戯曲を台本とする時は、戯曲のテーマが「今」に通用するか・自分たちの観客に合うか考えよう。
演じる役者達と戯曲がマッチするかどうかも考えよう。

既存の戯曲の選択には、注意することが多い。特に言葉の問題がある。
翻訳モノだけでなく、日本の作品でも、時代によって言葉が変化していることを考えよう。
観客として考えている人に理解される言葉で、その戯曲が上演できるものかどうか、十分考えよう。

さらに、戯曲の中の指定された「しぐさや習慣」が、戯曲の書かれた当時と同じ意味やメッセージを、
今も保っているかどうかも考えよう。
時の移り変わりは、「しぐさや習慣・表情」の意味さえも変えてしまうことがある。
時代劇や伝統伝承芸能としての上演を別にして、現代劇を上演する時には、
自分達に表現できる可能性のあるものを選択しよう。

戯曲のテーマが決まったら、上演に参加する人数や資金の状態に合わせ、戯曲をレジスールすることもある。
ここで初めて戯曲が台本(テキスト)となったといえる。

2・台詞のナンバリング
戯曲が決まったら、台詞に通しナンバーを打って、全員に台本を配付する。
通しNo.によって、台詞の時系列をはっきりさせ、ドラマの仕掛けや切っ掛けのタイミングを具体的に示し、
打合せや現場での間違いを少なくすることが出来る。
また、演出ノートや演技ノートなど、台詞をもとにした戯曲分析や登場人物の分析にも、
台詞No.があるとかなり楽ができる。
さらに台詞を土台とする研究の成果をスピーディーにでき、稽古場での注意も台詞No.で示して
より簡潔にすることが出来る。
演技ノートのポドテキスト(サブテキスト)の作成の時には、台詞No.があるととても助かる。
いちいち台詞を書き写さなくていい。
台詞No.で注意すべきことは、カットしたい台詞を台詞No.で指示し、カットした後もその台詞No.を欠番として、
その他の台詞のNo.を変えないこと。
だから、切っ掛けや仕掛けの為のQシートの台詞No.は、変更されることがない。

3・演出用の台本づくり「ミザンスツェーナ用白ページ」
登場人物の舞台上の動きをミザンスツェーナとよぶ。台詞ごとの動きでも、事件の時の行動軌跡でもいい、
舞台装置の平面図の略図を用意し、登場から退場まで、プランニングして行く。
演出が机の上で考えた最初のミザンスツェーナほどいい加減なものはない。
しかし、台本から読み取れる登場人物達の動きを仮想の舞台でなぞるためには、その記録が必要だ。
そのために、装置平面略図をコピーしたミザンスツェーナ用白ページは便利だ。
白ページは、台本を分解して、ページごとに白い紙を挟み込んでいく。
できればその紙の両面に装置平面略図がコピーされていれば、とても便利だ。
白ページの余白には、音響効果や照明プラン、衣装や小道具の思い付きなど、
様々な演出上のアイデアを書き留めて、演出ノートの現場帳を完成させていくと良い。

上手、下手の登退場をはじめとして、台本に指定のあるミザンスツェーナは意外と多い。
しかし、なぜそのミザンスツェーナが必要なのか、役者と立ち稽古で検討したら、
机の上で考えたミザンスツェーナより、役者の表現から生まれたミザンスツェーナを選ぶことができる。
演出が自分のプランや戯曲のおせっかい(感情表現や行動指示)を捨てるのに、ためらってはならない。
台詞No.を記入したミザンスツェーナの記録は、変化することを前提として、無駄に楽しめるプランだ。

『罠』ミザンスツェーナを考えたとき、なぜこの場所に娘が居続けられるのか、疑問に思った。
10時間近いドライブを終えて、お酒も(多分ビール)飲んで、化粧は舞台化粧のような厚化粧。
女性陣に聞くと、『真っ先に一張羅から部屋着に着替えて、化粧を落として寝たい。』と言う。
ブロードウェイからドレッサーぐらいは持って帰って来るだろう・・大事な商売道具だ。
部屋に場違いなドレッサーが有れば、娘が居続けられる理由が出来る。
ミザンスツェーナから、装置プランが変更された事例となった。

罠』作テネシー・ウイリアムズ の冒頭ミザンスツェーナ


4・登退場の位置決め。 登退場表(出入り帳)の作成
俳優の登退場ほど台本の指示のまま安易に実行され、演出の盲点になっているものはない。
なるようにしかならない場合が多いから、別段深刻に考える必要もないのだけれど。
(舞台装置や舞台の大きさなどの制約があって)
しかし作家の登退場案には、物理的に不可能な場合もあるので、注意して臨む方がいい。
また登退場の指定が下手とあっても、下手の舞台の前(客席に近い袖幕あたり)か、
下手奥かによって、芝居に大きく影響を与える時がある。
それも俳優の演技から考えなくてはならない。

登退場表(出入り帳)の作成は、舞台監督の仕事の範疇だが、
演出ノート・俳優付け帳としても作っておいた方が、稽古の段取りや俳優のスケジュール調整にも役立つ。
俳優にとっては、各登場人物の登場・退場は非常にむずかしいものだ。

登退場に共通することは、その人物が、
1.どこから来たか、またはどこへ行くか。
2.なんのために(何をするために)来たか、または、なんのために行くか。
3.どんな状態でどんな気持で来たか、または行くのか。
これだけのことを十分に具体的に理解していなくてはならない。

初心者の場合には登場のときに緊張が起こりやすく、観客の前に出ることだけに意識が集中しがちだが、
登場人物の置かれた状況をイメージして、役割について集中するように務めよう。
舞台へ登場する迄の登場人物の生活を、事前にイメージしておくと、緊張しにくい。
退場の場合も、せりふをいい終わったから自分の役目が済んだのではなく、
これから別の場所へ何かをしに行くことをはっきりさせ、扉を開け、あるいは舞台の端に消え去るまで、
ちゃんと登場人物の仕事を果たさなければならない。

5・シーン割り・ピース割り
演技はできるだけ区切らないで創造すべきとおもう。通し稽古がさらさらとできるなら、それにこしたことはない。
しかし稽古時間も少なく物忘れを避けられない私には、戯曲の理解と台本として創造していく上でも、
少しづつ作品化していくことが必要だ。そこで必要悪かも知れないがシーン割りをする。
戯曲を台本とする時、戯曲の構造上幾つかの場面に分けることができる。これをシーン割りという。
シーンはまた、小さなエピソード「ピース」に分けることができる。演技的にはピースとピース、
シーンとシーンの重なりまたがるところが大切なのだが、演出としてはピース・シーン割をして台本を整理する。
役者と抒情的に台詞を追い掛けて、なんとなく芝居が出来上がって、それで良い作品になることもあるのだろうけれど、
ほとんどの台本は、ピースごと・シーンごとに、重要な事実の提示と事件の発生がある。

重要な事実と事件の発生は、確実に観客に届けなければならない舞台作品からのメッセージだ。
最低限ピースごと・シーンごと台本に書かれている事実を表現し、事件を起こしていかなくてはならない。
その上でどのように表現していくのかが、いわゆる創造であり、役者と演出の「仕事の妙味」の所。
台本をピースとシーンに割るのは、事実と事件からドラマの流れを把握する一つの方法なのだ。
シーンは作品のテーマを展開する上でも重要な役割を担っている。
シーンやピース分析によって、登場人物のあらましや場所、時など、作者の設定と企みが分かってくる。
シーンの展開で戯曲の構造をつかみ、作家が戯曲で訴えたいテーマやメッセージが具体的に理解出来る。

6・シーン割り、ピース割り2
シーン割り・ピース割りをすると、その切っ掛けとなる言葉や事件が必ずある。それを場面の転回点と呼ぶ。
転回点はピースとピース、シーンとシーンに跨がる時もあり、幾つかの伏線を経て顕現することもある。
大切なのは、転回点の表現が、その後の芝居の方向を決定付けるということ。
転回点の表現には、様々な表現方法が考えられる。演出はその転回点の表現の多くの選択肢の中から、
自分が作り上げたい作品を完成させる表現を選びださなくてはならない。
また、役者がその表現を発見し選択するよう、誘導しなければならない。
転回点は因果律のツボだ。因果関係が明瞭になるポイントだから、転回点1を探し出した時、
転回点1の原因がその前のシーンにあり、転回点1を原因とする結果がその後のシーンにある。
転回点が芝居の中で独立して、つまり因果関係を全く持たずに存在することはめったにない。
演出は、その経絡を読み取り理解する必要がある。

7・事件と事実
戯曲分析で、演出の作業として忘れてはならないことに事件と事実の把握がある。
台本で、登場人物やドラマの「(現われた)モノ」を事実とし、「(出来)コト」を事件とする。
例えば、『罠』(テネシー・ウイリアムズ作早川書房)では、冒頭のト書きに

  グロリア・ラ・グリーンは自分の家庭を誇りにしていない。
  スポットライトが舞台の一部に時代離れのした居間の隅を照らしだすとき、
  その理由ものみこめようというものである。
  薄汚れた部屋着の中年の女が赤い綿ビロードのソファに端然と腰をおろしている。
  彼女の傍らにはガラスのペンダントのついた赤い球型の石油ランプを載せたテーブルがある。
  右手の壁に戸外に出るドアと窓があり、内側のドアは左手に通じる。
  金箔のフレームに嵌めこまれた楕円形の姿見と、グロリア・ラ・グリーンの
  大きな「グラマー写真」がある。(グロリア・ラ・グリーンは芸名である。本名はベシィ)
  幕が開くと、窓にはしめやかな九月の雨が流れている。
  女は、旧式の銀板写真の人物のように固くなってすわっている。
  ホールから娘の帰宅を物語る物音。
  ドア。かすかに開くと、母親は、その外にもう一人いる気配を察して、さらに身を固くする。

とある。このト書きをもとに事件と事実の確認をしてみよう。

●事実の確認
ト書きから読み取れる事実を抜き出して行く。
・グロォリア・ラ・グリーンはあまり自分の家庭を誇りにしてはいない。
・薄汚れた部屋着の中年の女が赤い綿ビロードのソファに座っている。
・傍らにガラスのペンダントのついた赤い球型の石油ランプを載せたテーブルがある。
・右手の壁に戸外に出るドアと窓があり、内側のドアは左手に通じる。
・金箔のフレームの楕円形の姿見と、グロリア・ラ・グリーンの大きな「グラマー写真」がある。
・窓には九月の雨が流れている。
・グロォリア・ラ・グリーンは芸名である。本名はベシィ。
・赤いソファに座っている女は母親である。

●事件の確認
ト書きから読み取れる今そこで起きていること・・事件を抜き出して行く。
・裕福ではない家庭を思わせる家具調度。
・女がソファに固くなってすわっている。
・ホールから娘の帰宅を『物語る物音』が聞こえる。
・ドアがかすかに開く。
・母親は、その外に『もう一人いる気配』を感じて、さらに身を固くする。(これは、作者のお節介だけど)
8・上演テーマ
演出は戯曲のテーマを研究し、上演テーマを決定する。
戯曲を一読後、直感的にこの作品のテーマは「○○だ」と確信するのはよくあることだが、
そのテーマの是非はさておき、一時棚上げしよう。
戯曲から直接受けた感動が、そのまま舞台へ上げられると思うほど能天気ではいけない。
戯曲はあくまで一つの作文でしかないから、そこから実際に人間が生きている状況を作り、
同時代の観客を巻き込むテーマ、観客が感動する基礎を見つける。
戯曲を演出することによって、観客に感動を産みだすテーマを見付けなければならない。

それは戯曲の中に書かれていない真実を見つけること、書かれていない行動を見つけること、
演出者を核とする“舞台創りに参加するすべてのメンバー”が、今生きている事そのものを問いつつ、
戯曲と向かい合うことに他なら無い。
テーマは一つの単純な言葉・キーワードにまとめる方が良い。

なぜ作者はこの本を書いたのか?そんな視点からもテーマを探り出せる。
正統派は、台本を構成している要素を分析しよう。
設定となる時代、季節、時間、場所、どんな人物が、なにを、なぜ、どのように、どうした。かという課題。
そして登場人物の何をしているか分からない動き(行為)、理解できない感情の部分を解明すると同時に、
戯曲に書かれていない事実や事件、戯曲が書かれるに至った背景、
作家の動機やその当時のニュースなどについても研究し解明しておこう。

戯曲のどんなささいな台詞やト書きにも疑問を持とう。
例えば、なぜこの登場人物はこの台詞をここで言うのか?という問いに、こういう感情が表現された、
こういう立場でこのような解決を計った、こういう動機が生まれた、などの解答が得られる。
すると、なぜそのような感情や行為や動機が生まれたのか?という問いを重ねよう。
それには、この登場人物の性格、生い立ち、生活環境、その時その場所での立場が解答となるかもしれない。
このようにして演出は徹底して登場人物の、「生きている人間像」を研究していく。
この積み重ねが、戯曲の中の環境と登場人物の姿形をあきらかにし、戯曲の理解を深めていく。
その結果、戯曲のテーマを明瞭にすることができる。

しかし、戯曲のテーマが陳腐化している時もあるので要注意。
上演テーマが、『戯曲の筋が面白い、会話が面白い、しかしテーマは陳腐だ。いまこの戯曲を土台として、
私達の「○○」をテーマとして上演したい』ということも考えられる。

さらに、最も大切な事がある。上演テーマは演出のすべて、つまり演出の個人的・社会的経験や知識、
人間観察のすべてを注いで考えだされる。
 上演テーマは、演出プランの骨子。演出は、スタッフや俳優に演出プランを説明し、
全員が台本と照らし合わせ、各個人の考えとも比較して理解するように求める。
そしてテーマが決定したら、それを理屈や説明では無く、役者の表現を通じて観客に感じてもらう努力をしよう。

9・道具帳
台本から、登場人物の髪型・衣装・小道具、出道具などを読み取って、それぞれ人物ごとに表にしていく。
『罠』(テネシー・ウイリアムズ作早川書房)では、冒頭のト書きなどより
娘・ブロンド。濃い舞台生活を象徴する化粧。白いサテンのイブニングドレス。ハイヒール。ハンドバッグ。
  ビルボード。うさぎの毛皮のケープ
母・薄汚れた部屋着、ブランケット、部屋履き。

注:#99で、母親が娘の肩にケープをかけてやる、とのト書きがある。
状況として膝掛けなど、ブランケットが相応しい。
注:#100で、場の雰囲気ががらりと変わる。切っ掛けとしてお酒などの小道具が欲しい。


10・事前設定の確認
台本の中で、作者が記述している設定条件を確認する。
『罠』の冒頭ト書きでは、次のように設定されている。

時:現代。九月。午前二時半。(注・・1944年より前の、結核が不治の病だった時代)
場:舞台は古びれた居間。赤い綿ビロードのソファ。
傍らにはガラスのペンダントのついた赤い球型の石油ランプを載せたテーブル。
右手の壁に戸外に出るドアと窓があり、内側のドアは左手に通じる。
金箔のフレームの楕円形の姿見と、グロォリア・ラ・グリーンの大きな「グラマー写真」がある。

●事前設定・舞台設定の確認
舞台設定から、舞台のイメージをつくります

『罠』舞台イメージパース

『罠』舞台写真
しかし、このまま舞台セットや道具に繋がる訳ではない。
予算や演出の意図や俳優の演技からの要望、装置デザイナーの工夫で、
この作品を表現する最適な舞台デザインが創られる。
『罠』では俳優の演技の必要性から、下手前にドレッサーが置かれた。

11・作品世界の資料収集。
その他舞台創造に関する、『罠』の資料を収集する。
●#65娘:私達、メリディアンまで車で行って「ビルボード」を買ったの。私の広告を出したのよ。
 #65をもとに、ブルーマウンテンからメリディアンまでを調べてみる。
●ミシシッピ州・ブルーマウンテンからメリディアンまでの位置地図。(凡そ250キロ、自動車で約5時間。)
●当時の一般家庭の家の、平面図とパースや写真

『罠』当時の一般家庭の間取り

●結核治療の当時の状況。
結核の最初の有効な治療薬は1944年にワクスマンらが放線菌の培養濾液から抽出したストレプトマイシン。
それまでの結核の治療は自然治癒が主で、大気、安静、栄養療法が中心となっていた。


・当時のファッション事情(Yuri Nakaharaさんのコレクション)


・当時のピンナップガール(ELLEgirl編集部)


・イブニングドレス


・兎皮のケープ
●当時のブロードウェイの作品。
『オクラホマ!』(Oklahoma!)は、1943年初演・1948年5月29日まで上演されたミュージカル。
オクラホマ州の農村を舞台に、カウボーイと農家の娘との恋の三角関係を明るく陽気に描いた作品。

『毒薬と老嬢』ストレートプレイ1941年1月10日初演・1944年6月17日まで。
ブルックリンの豪邸に暮らす老姉妹エビイとマーサは、老い先短い不幸な老人たちを安らかに眠らせるという、
秘かな仕事に精をだしていた。屋敷の下宿人たちに、毒入りのワインを飲ませ、死体を地下に隠していたのだ。
そこへ、彼女たちの甥のモーティマーが、新妻を連れてやってくるが……。
精神異常者たちの猟奇的な犯罪を、ユーモアとサスペンスを微妙に配して描いた作品

『ライフ・ウィズ・ファーザー』ストレートプレイ1939年11月8日初演・1947年7月12日まで。など。
厳格な父が洗礼を受けてないと知った母が彼を何とか洗礼させようとする騒動が軸。
伝統主義とモダニズムが一つの人格に同居するユニークな家長と、典型的良妻賢母なのだがどこかヌケていて、
しかし、悪知恵は働くその妻との掛け合い漫才ふうのやりとりと、それに振り回される家族を描く前半が面白い。


12・登場人物の舞台の幕が上がるまでの物語を想像して、人生を描いてみる。
出来る限り台本の記述を用いて。時代背景等を考えながら組み立ててみよう。

●グロォリア・ラ・グリーン、本名 ベシィ・グリーンの歴史
1912年頃誕生。ブルーマウンテンで、高校まで過ごす。卒業後ニューヨークへ行き、
働きながらブロードウェイに出演する事を目指す。
1935年頃端役で出演できるようになる。戦時中はポスター写真等に出演。
10ヶ月前、結核療養のためブルーマウンテンに戻る。
●母親
1890年頃誕生。ブルーマウンテンで、高校まで過ごす。
卒業後地元で働き、地元の同級生と結婚。
夫は第二次世界大戦で戦死。軍の年金で生活。

13・ポドテキスト
この段階で、演出はもう一つの台本を作る。
「ポドテキスト」と呼ぶ、登場人物の台詞を支える思いや感情、企み・目的を台詞に従って追った台本。
(これは舞台稽古までに何度も書き直しされる)

戯曲の台詞は書かれたままの意味と同時に、戯曲の前後の事件と事実やその時の役の感情によって複数の意味を持つ。
A:「今日は、いい天気だね」
B:「うん、そうだね」

この会話の裏の意味[ポド・テキスト]はこう考えられる。
A:『いやな奴に会っちゃったな、でも挨拶くらいしとかなきゃ』
B:『相かわらず、つまらないことしかいえない奴だな』

またこういうポド・テキストの場合もあり得る。
A:『どうだい、約束どおり野球にいこうか? 』
B:『あっそうだ、天気だったらおごる約束だっけ』

また、こういうこともあり得る。
A:『やっと晴れたね』
B:『まったくね』

一つの簡単な会話でも、状況の変化と各登場人物の性格とによって、いろいろな意味、内容がありえる。
このポドテキストは、登場人物の行為の動機となることも理解すべきだ。

A:「今日は、いい天気だね」
B:「うん、そうだね」
この台詞の、戯曲の前後の事件と事実から[ポド・テキスト]を『いやな奴に会っちゃったな、でも挨拶くらいしとかなきゃ』
『相かわらず、つまらないことしかいえない奴だな』と指定した時、
AはBをどのように見ているか、BはどのようにAをみているか?こう考えると、二人の出会った時の動きが想像できる。
ポドテキストが、演技の行為を推測させてくれる。

登場人物が何かする時、「座る、立つ、見る、触る」などささやかな何気ない行為であっても、
台詞と全く違うことをしていても、台詞のポドテキストから逸脱することはあり得ない。
情動は人間の根本的欲求の原泉であり、ポドテキストは情動の音声化に他ならない。
演出はこの台詞の裏側を流れている真の意味を、まちがいなく捉えなければならない。
これは結局演出の力量にも関係するが、全体に統一ある解釈を作り上げなければならない。

 演出のポドテキストと俳優のポドテキストに違いが有れば、そのポドテキストが導かれた理由(因縁・結果)を協議しよう。
「ポドテキスト」にはこれが正解・・・というモノが無い。
「だいたいこんな気持ちで、○○を目的に、××した。」というようなもの。意見が違って当たり前。
それを因果から・・台本の前後や台本の中の布石から、事件の推移を計り推理して行く。
その為、俳優や演出が台本の中に新しい発見をするたびに、「ポドテキスト」は大幅に変わる事がある。
舞台稽古で変わることさえ例外ではない。

14・スーパーテーマ
例えば近松の心中天網島[角川文庫昭和45年近松世話物集(一)]上之巻において、小春が侍客に対して、
「治兵衛に愛想づかしをしている」ように語る場面[P133]がある。
ここでの小春のスーパーテーマ(超課題・行動目的・方向)は、小春のおかれている前後の状況、
小春の持っている行動の方向から判断して、侍客に対し経緯(いきさつ)を説明しながら、
自己説得していることが理解できる。(今尾哲也先生の演出プランに基づく)
小春のスーパーテーマは、紙屋治兵衛との愛を完遂しようとすることにあるから、
この場面では、紙屋治兵衛と別れることで、紙屋治兵衛の幸せを全うさせること、
おかみさんとの女の約束を果たすこと、によって愛を自分の中で完遂できることとなる。
しかし芝居の進行によって状況が変わり、愛を完遂するため、今度は心中という選択が生まれてきたのだ。

15・ジャンルまたは表現形式・表現様式
演劇と一口に言っても、能狂言、歌舞伎、新劇、新派、新国劇、小劇場演劇、テント芝居、etcの
表現様式があり、演劇の形式には、悲劇・喜劇・メロドラマ・ファルスなどいろいろある。
この様式や形式の違いによって芝居の作り方が大きく変わってくる。
演出はその構想を練るときに、その作品の内容に最適な様式・形式を考え出さなければならない。
様式・形式と内容はつねに相互関係にあり、様式・形式によって、また内容も訴え方も変わってくるのだ。
新派と新国劇の違い、能と狂言の違い、新劇とストレートプレイの違いは常識として知っていて欲しい。
ストレートプレイは、言葉や文書で理解できるものではないから、是非様々な芝居を観劇して欲しい。

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