変な話 使っている目の前でノートパソコンが壊れた経験があるから、データのバックアップは欠かせないと思っている。 そうはいっても忙しいし面倒だ。 気がついたら半年も放っていた。 週末にやろう。 いま使っているノートパソコンは、もう6年半になる。 ウィンドウズ2000搭載のVAIOの505シリーズで、 これでも、むかしは輝いていたのである。 で、久しぶりにソニーのサイトをみると、珍しくドライバーのアップデートを公開している。 <有線ネットワーク接続時のセキュリティを強化した>と云うので、ファイルをダウンロードした。 云われる通りに、ファイルを実行してみると完了はしたものの、 <必要ありません(現在、更新が必要なデバイスはありません)>と云っている。 それはそうだろう。 ドライバの更新なら色々と手続きがあるもので、普通は以前のものを削除して、それからインストールするものだった。 或いは、ドライバのファイルを上書きするだけで済むと云うこともあるかも知れない。 つまり、ドライバはメモリに読み込んでいるファイルである。 ファイルを新たに上書きすれば、次に起動したときには新しいドライバがメモリに読み込まれる。 いずれにしても、再起動しないと出来ない筈なのに。 それを再起動せずに更新できると云うのはおかしい。 おいおい大丈夫か。 |
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他山の石 岩波新書に『四字熟語ひとくち話』と云うのがあって、 『岩波四字熟語辞典』の編集者たちによるものである。 これは編集者がおもしろがって書いたンじゃないかと云う感じで、 1ページにひとつの四字熟語を立項し、 解説と云うよりは<一口話>の調子で、 意味のほうは『四字熟語辞典』の方をみてくれと云いたいのかも知れない。 ぱらぱら眺めていて、こんなのが見つかった。 <他山之石>の書き出しである。 <拝啓 常々『広辞苑』をご愛用下さり、まことに有り難く存じます。 このたびご質問いただきました「他山の石」の用法につき、ご返事申し上げます。 近年、この言葉を「お手本とすべきすぐれた行い」のように使う向きがあるが、 誤りではないか、とのご意見は、私ども編集部にしばしば寄せられます。 確かに、『詩経』「小雅」に見える「他山の石、以て玉を攻(おさ)むべし」の 句に由来し、「粗悪な石であっても、玉を磨くくらいの役には立つ」というのが、 本来の意味でありますこと、お説の通りでございます。 ただ、ことばは時代とともに移り変わるものでもありまして、あらたな用法を一概に誤りと断ずることも、 …。言葉の乱れとは…。正しい日本語が…。> 何とも頼りない回答で、仕舞いには呂律(ろれつ)が回らない。 断っておきますけれど、<…>のところは原文の儘(まま)です。 で、『広辞苑』(第五版)をみると、<本来の意味>しか認めていない(けっこう素っ気ないが)。 だから、<本来の意味>を曲げて、お叱りの手紙を貰(もら)ったわけではないのだ。 ついでに個性的な、『新明解国語辞典』(第五版)では<俗に、模範の意に解するのは誤り>、 と釘を刺している。 尤も、 一部の人たちに<新解さん>と持て囃(はや)されているこの辞書は、改訂されるたびにコロコロ内容が変わる(らしい)。 なぜ、編集部の回答が曖昧なのか。 <他山の石>は『広辞苑』編集部がもっとも触れたくない成句だからである。 新村出による初版序文の中に、こんな一節がある。 <フランスの大辞典リットレないしラルース等の名著…を他山の石として>、と新村出は書いちゃったのだ。 その通り、<初版の序文は書き直せないのである> |
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システム障害 午(ひる)のテレビのニュースで、全日空のコンピュータ・システムに障害が起きて、全国で欠航が相次いだと云っていたが、 相変わらず通り一遍のことしか云わない。 一度システム障害が起きたなら、今度もまた起きるだろう。 そのときに空港で鉢合わせになると迷惑するが、そのときのために知りたいこともある。 云わないから困る。 以前、乗る予定の便が欠航になったことがある。 空港について知ったのは後の祭りだったが、そのときの航空会社の措置はこうだった。 最寄りの空港へ自社の便で行き、それからJRの特急で目的地に着くように手配をするというもの。 九州への便だったので特急だったが、目的地が大阪(伊丹)なら神戸空港などへの座席を用意して、 新幹線で大阪へと云うことになるのだろう。 そのときは翌日の便に変えたので、JRの方は指定席なのかは知らない(たぶん取るだろう、むこうが悪いのだ)。 で、全日空のシステム障害をきいて気になったのは、かわりに日本航空の便を用意したのか。 たぶんするだろうネ。 どれくらいの人が乗り換えたのかである。 なのに空港で待たされている人の話を撮している。 困っているふうに言ってるが、それよりカメラに困ったろう。 旧態依然で、テレビは絵があれば報道した気になるのは迷惑する。 |
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老俳優の引退 このところ莫迦に暑い。 7月なみの暑さだそうだが、おいおいとぼやきたくなる。 この夏は全国的に暑くなると気象庁は云ってるそうだが。 ラニーニャ現象の発生で高気圧が活発化するのだと。 去年は冷夏だった。 それで今年は大型電気店がエアコンが売れるゾと皮算用していると、株屋の新聞(日経)は書いている。 去年から汗を拭くのにハンドタオルから手拭(てぬぐ)いに変えた。 京都の職人が染めた日本手拭いである。 確か、ロフト(荒物屋)だったか無印良品で買ったと思う。 両端が切りっぱなしになっていて、これがなかなか合理的である。 洗って干すと、日が照っているときは乾くのに10分と掛からない。 夕方テレビのニュースで、ポール・ニューマンが引退を表明したと云う。 82歳。 「明日に向って撃て!」(1969年)や「スティング」(73年)はビデオでみた。 80年代の映画で、犯人を追いかけて息切れする警官を演じた「アパッチ砦ブロンクス」。 90年代、コーエン兄弟の「未来は今」。 覚えているのそれぐらいかなぁ。 「タワーリング・インフェルノ」は駄作だし。 あ、それと、「ハスラー」、「動く標的」はテレビの深夜放送でみた。 ヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」はビデオだったと思う。 「評決」もみた。 まあ、そんな付き合いだけど、ポール・ニューマンを好ましく思うのは彼の社会活動にある。 読売新聞のWeb版に、 <自分の名前を冠したブランドのドレッシングなどを販売して、売り上げを子供たちのために寄付するなどの活動> と云う記事が載っている。 これは、かなり知られていることだと思う。 その他に癌(がん)や白血病の子どもたちを米国全土から受け入れる施設を運営しているのが、 ニューマンである。 病気の治療と共にキャンプファイアや工作をする事が出来る、施設「壁の穴ちびっこキャンプ」。 これを、廣淵升彦さんの『スヌーピーたちのアメリカ』で知った。 スヌーピーつまり<ピーナッツ>の作者であるチャールズ・M・シュルツが、まだ生きていた90年に、 「チャーリー・ブラウン なぜなんだい?」と云うアニメーションと絵本がつくられた。 ジャニスと云う少女が白血病(血液の癌)にかかり入院する。 ライナス(毛布をくわえる坊や)は、この理不尽さにチャーリー・ブラウンに「なぜなんだい?」と云うのである。 絵本は岩崎書店から邦訳が出ているそうで、聖路加病院の小児科医長、細谷亮太博士の翻訳だと云う。 その序文をポール・ニューマンが書いていて、主宰する子どもキャンプについて述べたあと、こう書いている。 <子供ががんになったら-、それはだれにとっても大問題です。 その子供自身はもちろん、その子の友だちやきょうだいにとっても、やっかいなことです。 どうして、病気の弟や妹ばかりだいじにされるのか、どうして化学療法中のクラスメートが宿題をやってこなくてもいいのか、 ときどきわからなくなってしまいます。 頭ではわかってあげることができても、気持ちのうえですっきりしないかもしれません> |
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時計 いつも手許に時計がないと気がすまないのは性分である。 しかし腕時計は邪魔になる。 第一、夏のころは汗をかく。 そのせいか知らないが、ベルトがよく壊れた。 スイス製の高級品だって同じらしい。 よく壊れると聞いた。 高級品であることと丈夫であることは別のことだと云っていたが、どうだか請け負えない。 そんな訳で懐中時計を使っている。 尤も、時計なんか要らないンじゃないか、と思ったこともある。 家の中を見わたせば時計だらけである。 たいがいの家電製品は時計を備えている。 テレビや電話にも付いているし、風呂の湯沸かしだって時刻を刻んでいるじゃない。 だったら、外を歩いても時計に不自由はしないだろう。 そう思ったのは、時計を持ち歩いているから気づかないのである。 試してみると、案外ないもので、 時計台なんて今では流行らないし、駅にはあるにはあるが決まった場所にしか掛かっていない。 意外に見つからない。 さて、その懐中時計である。 さほど上等ではないが、時刻は正確である。 およそ2年で1秒の狂い。 腕時計を使っていたときは、これ程ではなかったよなぁ。 只、御多分に漏れず欠点がある。 電池仕掛けの時計だから、電池が切れるとお仕舞いなのだ。 3年程度はもつのだけど、あらかじめ教えてはくれないからなぁ。 先日は、ふとみると止まっていた。 やれやれ。 時間がわからないと調子が悪い。 何はともあれ時計屋を探しに足を運んだ。 |
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邦画と洋画 昨夜はたまたま、「博士の愛した数式」をみた。 はじめからおわりまでみるのは珍しいことである。 数学博士の寺尾聰は交通事故に遭って80分しか記憶が続かない。 何時(いつ)から80分なのか。 時間は流れ続けるから、それを片っ端から忘れると云う病状が実際にあるのか知らないが。 そんな博士のうちに家政婦の深津絵里が現れる。 博士の義姉である未亡人の朝丘ルリ子にやとわれたのである。 家政婦には10歳の息子がいて、その子を博士はルートと呼ぶ。 やがて寺尾聰と深津絵里とルートの3人の間に和やかな時が流れるようになる…。 去年だったか、映画の興行収入で邦画が洋画を抜いた。 日本では映画産業が滅びて久しいのにである。 むかしは松竹・東宝・大映・新東宝・東映・日活があった。 いまも残っていても、むかしのDVDを販売するだけ。 邦画は何とか制作委員会と云うふうにつくられている。 例えば、「博士の愛した数式」制作委員会と云うように。 これは、テレビ局(加えて系列もとの新聞社)や広告会社に、むかしの映画会社によるもの。 つまりはテレビの延長で邦画はつくられている。 それで洋画より売れるようになったのは、洋画が衰退しただけのことじゃないか。 何も喜ぶことではない。 ハリウッド映画が面白くないのは随分前からで、シリーズ物が多くなった。 リメイク作品はオリジナルより落ちるのが当たり前である。 つまりネタ切れで、脚本にカネをかけない。 だから邦画のリメイクをハリウッドがやっても、つまらないに決まっているから喜んでも仕方ない。 CGに頼りだした頃から益々ひどくなった。 小林信彦さんは『花と爆弾』(文春文庫)で、 <「タワーリング・インフェルノ」、または「スター・ウォーズ」以後のCGの発達を考えてもいいのだが、 今や、ヒットする映画にコンセプト、面白いストーリーはいらないのである。 見た目さえ派手なら、いいらしい。 「パール・ハーバー」なんて、ヒットしたのは日本だけらしく、笑いものである>、と書いている。 しかし大新聞の論調がおかしいと云って読者が離れることはないのである。 新聞の部数は販売網で決まるそうだ。 それと同じで、映画も配給で決まるから、ハリウッドは生き残るだろう。 だったら見るに堪える映画を出すしかない。 何とかなるかもネ。 |
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電話回線で繋いでいた頃 雑誌の調査で去年度、プロバイダーランキング総合一位はASAHIネットだそうだ。 そんな実感はないけれど、これまでに大きな障害を起こしたことはないし、 ユーザーの個人情報を流出させたこともない。 つまりは安心できるプロバイダーであり、不満はない。 派手なサービスを売り物にしない、シンプルなのが気に入っている。 そのASAHIネットを利用して十数年になる。 当時は、まだパソコン通信のころでウィンドウズ95が現れる前。 MS-DOSのまっくろな画面の上にお面をかぶせたようなウィンドウズ3.1の時代である。 モデムは外付け。 通信速度は遅かったし、やれることも限られていた。 フォーラムの書き込みぐらいかな。 でも、けっこう楽しかった。 その後、インターネットが商業利用に解放された。 パソコン通信の各社はプロバイダー、つまりネットの接続屋に転身した。 このときもウィンドウズ95が現れる前なんだよね。 いま思うと、パソコン通信からインターネットへと、ごく短い移行期は本当に楽しい頃だった。 無邪気でお人好しで居られたのである。 ウイルスはあったが、一部の人に限られた。 スパム(迷惑メール)もないし、フィッシング(詐欺)もなかった。 もともとASAHIネットは<氏名・居住地域公開>が原則だった。 それが不都合になったのは当然である。 それでも、あのころは楽しかった。 知る人でないとわからないのだ。 いまのネットがどんなに無責任で卑屈で窮屈なのかを同情するのである。 |
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