日常茶飯

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#65 
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緑波

 冬には違いないが、それらしくないのだ。 例年なら上着の下にセーターを着るのだけど、日中はそれでは暑い。 テレビのニュースは、野菜がとれすぎて価格が暴落したとかで農家が、野菜を捨てる映像を流していた。 新聞には、百貨店で冬物衣料が売れないと云う記事があった。 暖冬である。大型書店に一寸入ってみると、ちくま文庫に復刊が幾つか出ていて、 そのひとつに、『ロッパの悲食記』と云うのがある。

 ロッパとは古川緑波のことであり、戦前、喜劇界の黄金時代を築いたと云うのは話に聞いているが、 映像で見たことはない。 当時、ロッパとエノケンの時代と云われたらしいが、 エノケン(榎本健一)の方は、黒澤明の『虎の尾を踏む男達』をビデオで見たことがある。

 内田百閒はロッパと初対面したときの印象を「舞台稽古」(ちくま文庫、『うつつにぞ見る』所収)に書いている。 百閒の随筆を芝居にしてロッパが百閒を演じることになり、その舞台稽古を百閒が訪ねたときのこと。 <ロッパ一座と号する芝居の広告や紹介を読むと、随分下らない事をやっているとしか思われなかった。 …(中略)…ヨッパライの上は五ッパライであって、そのも一つ上が六ッパライであるからロッパと云うのであろうと 私独りで解釈していたが、同君の雅号の由来はそんな事ではないと云う事を後に人から教わった>

 で、いざ対面すると、<緑波先生がフロックコートを著て著席したが、 他の役者に対して威風四辺を払うの概があるので驚いた。…(中略)… するとどこかの写真班が、私と緑波君と並べて写真を取りたいと云って来た。 モデルとその本人とを一緒に写して見ようと云うつもりであったらしいが、 私はそんなふざけた趣向は御免蒙(こうむ)りたいと思ったので、構わず廊下へ出てしまったら、 そこに軍人が起っていて、何を思ったか私に敬礼したから私も答礼した>

 さて、古川緑波の『ロッパの悲食記』である。 巻頭の「昭和十九年の日記抄」は食い物ばかりの日記。 その時分は戦争中で翌年には敗戦と云う時代に、尋常ではない食べようで、 <今日のメニューは、すばらしかった。 ポタージュ、ビーフシチュウ、カリフラワーのクリーム煮、ビフテキ、カツレツ、そして、 ライスカレー、これだけ皆食った>と、よく食べる。 こんな話の連続だから餓えていたのではない事は分かる。
'06年11月30日

唐茄子屋

 ときに古風な言葉だとか古語を聞くと、すたれた言葉と云うよりは寧(むし)ろその言葉の響きに新鮮さを感じることがある。 噺(はなし)家が演じる古典落語は古い言葉遣いだと死後だらけで意味は伝わないから、時代に合わせて言葉は変わる。
それでも、これだけはと、使う言葉は昔の儘(まま)かたくなに守っていてい。 それで通じるのである。 昭和から平成にかけての名人だった、古今亭志ん朝は、「古くさい噺に一カ所だけ風穴を開ければいいんだよ」、と云ったそうだ。

 人情噺の『唐茄子屋政談』。 道楽の挙げ句、親をしくじった若旦那が、伯父さんのもとに居候して、唐茄子を売って歩くことになる。 この後、人助けにより勘当がとけると云う話。 これを古今亭志ん朝は、<若旦那、勘当が許(ゆ)れます…、情けは人のためならず、『唐茄子屋政談』の一席でございました> と終わる。 「勘当が許る」とは古語で「許される」の意味であるが、これを噺家は決まって「許る」と云う。

 志ん朝の口演CD集のなかで『唐茄子屋政談』は、最初の録音である。 聴かせるのは、勘当された若旦那の徳三郎が吉原田圃(たんぼ)で売り声を稽古しながら追想に浸る場面。 小唄の『のび上がり』をうたって、客席に拍手が湧く。 ソニーの『志ん朝復活 ろ 色は匂へと散りぬるを』で、このとき志ん朝、三十八歳だった。
'06年11月27日

早朝の椿事

 日曜の朝に普段より早く目が覚めた。 早すぎるから又寝しようと思ったけれど、もう起きている。 この時間を何に使おうかと考え、それからパソコンの電源を入れた。

 PDFファイルを開いているときに、 なんとなくアドビ リーダでアップデートの有無をチェックしたのが運の尽きだった。 この前のアップデートから随分と経っていると思うけど、 あのときはセキュリティ・ホールが見つかったからだった。 で、長らくご無沙汰したようで幾つも更新ファイルが現れた。 アドビ アクロバットの方も更新が出ている。 ダウンロードが始まり、これはそんなに時間はかからない。 それからインストールと云う段になって、アクロバットのパッケージのCD-ROMを要求するから、それで思いだした。

 以前も要求したので煩わしかったのである。 正規ユーザーであるのを確認するのかどうだか知らないけれど、だからアップデータに近づかなかったのだった。 それを今更ながらCD-ROMを要求するのだから困った。 あるけれど、探さなければならい。うろうろしたら、クローゼットの中にあったので、これでやれやれと思っていたら途中で、 続けるには再起動してくださいと宣(のたま)う。 それが三度も続くから嫌になる。

 ソフトのアップデートはセキュリティ・ホールの修正についてはやっている。 まあ、これは社交礼儀と云う程のものである。 機能が良くなったと云うのではないからなんにも嬉しくはない。 無意味にうっかりアップデートを実行したのがいけなかったのである。 たかがソフトのくせに分際(ぶんざい)を知れと云いたいが、 早起きを損して仕舞った。
'06年11月26日

金木犀のある家

 いつも電車に乗っているその間に読み継いでいたのは、久世光彦の『むかし卓袱台があったころ』(ちくま文庫)であるが、 何かの切っ掛けで中断していた。 それが先日また再開してそろそろ終わりに近づいている。 読んでいて、ふと思ったことがある。

 赤ん坊は、産婦人科の病院で産まれるのが当たり前である。 ところが、むかしは自分の家で産婆(さんば)さんに取り上げられるものだった。と、云うのは話としては知っているが、 じゃぁ、産婆さんがいた、むかしとはいつ頃だったのだろうと思ってみた。 小津安二郎の映画、『お早よう』は昭和三十年代を描いたもので、押し売りを追い返す産婆さんが出て来る。 けっこうな婆さんである。 産婆と云う看板が出ているが、開店休業といった風で、 この頃すでに病院で産まれる時代に変わったのだろう。

 何故、こんな事を書くかと云うと、電車で読む久世さんである。 「私の産まれた家 - 花のある家」と云う一文に、 久世さんは父は職業軍人だったと書いている。 荒々しいところのない静かな人で、戦後すぐに病死したときも、 譫言(うわごと)で陛下に申し訳ないと繰り返し口走っていたと云う。 狭い庭の花を丹念に愛(め)でていた。 <国や陛下のことを思っていたように私には思われる>、と。 その家には金木犀(きんもくせい)の木があった。 そして昭和十年、久世さんはその家で産まれた。 <自分が産まれたときのことを想像するのは面白い>と、このひと妙なことを考える。

 <目をつむると、六十年前の家族たちの顔が見えるようである。 私は末っ子だったから、その後の母のお産に居合わせたことはもちろんないが、そんな日はきっと家中が不安に包まれ、 そのくせ何か生き生きしたものが辺りに漲(みなぎ)り、私の産声(うぶごえ)をきっかけに耐えられないくらいの緊張が、 安心と喜びに変わって、その瞬間、この家の家族が一人増えるのである。 これに勝る連帯の気持ちはあるだろうか。 出産に際しての衛生とか安全とか、いろんな問題はあるだろうが、あのころの家族たちの緊密な繋(つな)がりは、 こんなところにもあったような気がする>

 『卓袱台』の巻頭の随筆は、「願わくば畳の上で」と云うタイトルである。 これだけで察しがつくように、<だから私は、畳の上で死にたい>と締め括る。 そんな久世さんが亡くなったのは今年三月の早朝で、 <太巻き寿司を頬ばったまま、台所の床に倒れてそのまま逝ってしまった>、と云う。 病院で生まれて、病院で死ぬのが普通の時代にあって、 自分の家で産まれて自宅で逝く、とは羨むべきことかも知れない。
'06年11月23日

呑みたいものは

 毎年11月の第3木曜日がその日で、ボジョレー・ヌーボを発売するのを解禁とマスコミは云う。 ボジョレーとは地名のことで、地方と云うほどは広くはない場所だそうだ。 だったらフランスの11月16日をもって解禁するればよさそうなのに、 日付変更線に近い日本は一足早く発売して喜ぶのは、 商魂逞しい胡散臭いので呑んでやらないのである。

 尤も、10年ほど前に一度は流行の尻馬に乗って呑んだことがある。 速成醗酵の新酒のワインは、僅かに発泡性があったが味は忘れた。 その時分、今年は良い出来だと云っていたが、爾来(じらい)毎年、出来が悪いと云った試しはないので、 これは広告だと分別がついたのである。 うろ覚えだけど、以前はヌーボの生産量の4割を日本人が呑んでいたと云う記事があったので変だなと思った。 先日、日経新聞に2割以上が日本人のお腹の中に入ると書いていたから減ったのかと思ったら、 コンビニだって売っている。 そんなことはどうでもいいとして、シャンパンは呑んでみたい。

 シャンパンは高い。勿論、泡のでるワインは何度も呑んだけれど、シャンパーニュ地方の産でなければ発砲ワインと一蹴されるのである。 安物になると、ワインに炭酸を詰めるのだそうだ。 本物は、葡萄を搾ってまず白ワインをつくる。 発酵したワインをブレンドして、酵母と蔗糖(しょとう)と一緒に瓶詰めにする。 この二次発酵で炭酸ガスが産まれる。

 内田百閒はシャンパンを好んだ。 豚の肥料である、おからを肴にシャンパンを呑むと云う随筆がある。 <豚の上前をはねてお膳の御馳走にする>と云うのだが、おからのほうは手が込んでいる。 レモンを搾ったりと、忙しい。 そのシャンパンは国産で、百閒先生、これを「おからでシャムパン」と書くのである。 本物を呑んでみたい。
'06年11月20日

お遍路

 先週、NHKの土曜ドラマ「ウォーカーズ」を偶然みていたら、 引き込まれて最後までみた。 4回シリーズのこのドラマを来週もみようと思ったけれど、薄情なもので忘れていた。 それで今日10分遅れてみたのだ。 四国八十八箇所を巡礼するお遍路。

 空海の修行の霊場を巡拝するのは知っているが、興味はない。 散歩は好きだけど。 ところが、ドラマではお遍路の様子を映像で描くのであるが、昔ながらと思われる風景を登場人物たちが歩いていく。 これに感心する。 映像でみる限り、昔の儘(まま)のようである。 マンションなんかは建っていない。 それは素晴らしいのである。 全国に最もマンションを建てている企業は、四国にある企業で、 そんなことはどうでもいいとして、 ドラマは昔からのお遍路を、現在の悩める人たちがお遍路をする。

 NHKのドラマは上中下とあるが、これはまずまず可。 次を愉しみにしている。
'06年11月18日

小鍋だて

 小鍋立ては広辞苑によると、<小鍋を火鉢にかけ、手軽に料理をつくり、つつき合うこと>とある。
 池波正太郎に「小鍋だて」と云う一文があって、底の浅い小鍋へ出汁(だし)を張り、 例えば浅蜊(あさり)のむき身と白菜を煮ては、小皿へ取り、柚子(ゆず)をかけて食べる。 これのよいことは、小鍋ゆえ、火の通りもはやく、つぎ足す出汁もたちまち熱くなるから。 ただし、具材は二種類か、三種類に限る。 あんまり、ごたごた入れるものではないと云う。 つまり、これは寄せ鍋とは正反対のものであるらしい。

 <小鍋だてのよいところは、何でも簡単に、手ぎわよく、おいしく食べられることだ。 そのかわり、食べるほうは一人か二人。三人となると、もはや気忙(きぜわ)しい。
 鶏肉の細切(こまぎ)れと焼豆腐とタマネギを、マギーの固形スープを溶かした小鍋の中で煮て、 白コショウを振って食べるのもよい。
 刺身にした後の鯛(たい)や白身の魚を強火で軽く焼き、豆腐やミツバと煮るのもよい。
 貝柱(ハシラ)でやるときは、ちりれんげで掬(すく)ったハシラを、ちりれんげごと小鍋の中へ入れて煮る。 こうすれば引きあげるときもばらばらにならない。
 これへ柚子をしぼって、酒をのむのは、こたえられない。
 むろん、牡蠣(かき)もよい。>

 『鬼平犯科帳』にしても『剣客商売』でも、あるいは『仕掛人・藤枝梅安』にしても、 鍋をつつく場面は決まって小鍋立てふうである。 寄せ鍋ではない。 土鍋に出汁を張って大根を切り入れると云うように。
 以前、寝酒の肴にと真似してみて不味かった覚えがある。 大根と油揚げを煮たのだけれど出汁が違っていたらしい。 『剣客商売14暗殺者』にこうある。
 <土鍋をかけて昆布(こぶ)を敷き、湯をそそぎ、煮え立ってくると昆布を引きあげ、猪の脂身の細切りを>中に入れる。 <飴色(あめいろ)の土鍋も見事だったが、大根もみずみずしく、いかにも旨そうだ。 大根のみで、他には何もない。 大根を煮ながら食べようというのである>

 ああ、なるほど。
'06年11月16日

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