日常茶飯

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#47 
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小言幸兵衛

 きょうで2月が逃げて、あしたは3月。 3月と云うと引っ越しのシーズン。 で、この時季になるてェと大手の引っ越し屋さんは料金3万円上乗せするそうでね。 引っ越しも大変ですな。 引っ越しの前には、家を探さなければならない。 こちらも大変でね。

 落語の『小言幸兵衛(こごと こうべえ)』は、小言ばかり云う家主の幸兵衛さんが登場する。 たまに入居希望者があらわれても、口のききようが気に食わないと云っては追い返して仕舞う。 古今亭志ん朝の口演から引くと。

「家賃? ほーう、家賃聞いてお前さん、どうしようってんだ?」
「借りようと思ってね」
「誰がァお前さんに貸すってったのォ?」
「あ、あすこ貸さねェの?」
「貸したいから『貸家』って札が貼(は)ってあんだよ」
「え、だから家賃はいくらだってンだい」
「家賃を聞いて、だから、どうしようてンだい」
「借りようと思ってさ」
「誰が、お前さんに貸すってったの?」
「あすこ貸さねェの?」
「貸したいから『貸家』てえ札が貼ってあるン」

 こんな調子だから、田中幸兵衛さんの「二間半間口の結構なお借家」には貸家札が貼られたままになっている。
 そこへやって来たのが、たいへん物腰の低い仕立屋の職人。 その丁寧な言いように、如才のなさに幸兵衛さんすっかり感激して仕舞う。 「あァたみたいな人だったらこっちから頼んでも借りていただきたい。 えー、で、ご商売はなんですな?」

 仕立屋には倅(せがれ)があって、それが男前で、腕がよくって、そのうえ二十歳(はたち)の独身と聞いて、 このあたりから雲行きが怪しくなる。 それほどの息子なら、いずれ近所の娘とまちがいを起こすこと必定。 とうとう賃貸契約は成立せず。

 もともと、『小言幸兵衛』は長い噺で、前半と後半を分けて、後半の方を『小言幸兵衛』として演じられ、 前半は『搗屋(つきや)幸兵衛』と云う演目の一席になっているようだ。 この米搗屋が幸兵衛さんのところに家を借りに来る噺もおもしろい。
'06年02月28日

ブロードバンドになって

 ダイヤルアップ接続から常時接続のブロードバンドに移ったのは2年近く前である。 どちらかと云えば遅い方で、だけど別に望んでそうしたわけではなかった。 その頃は遅い回線でも余り不自由すると云うことはなかった。 見るのはテキストだけのサイトばかりで、ソフトのアップデートはそう頻繁にはなかった。 ダウンロードには時間が掛かったけれど、そのときは雑誌を買って附録のCD-ROMを利用していた。 ウィルスの定義ファイルの更新も週一回程度だったので、ダイヤルアップ接続で間に合っていた。

 尤も移行したタイミングはよかった。 マイクロソフトは思い出したようにパッチ(修正プログラム)の提供をしていたのが、 毎月やるようになったし、 ウィルス対策ソフトの定義ファイルも毎日更新されるようになった。 他のソフト・ベンダーもブロードバンドを当然として更新プログラムを提供するようになった。 ブロードバンドも使い出すと便利なもので、ニュースや映画の予告編が見られる。 いつの間に慣れっこになって仕舞った。

 ところが先日、都合で何日かの間ダイヤルアップ接続に逆戻りした。 途端にトホホである。 丁度、マイクロソフトの月例パッチのときで、普段は何秒で済むのが20分近く掛かる。 普段見る法人のサイトは何処も重たくなった。 フレームやフラッシュ・プレーヤーが現れて、それが邪魔して、ちっとも文章が現れないので見るのをやめた。

 ダイヤルアップ接続が当たり前の頃、画像のサイズを少なくして、速く見せる工夫を凝らしていた。 通信の回線が細いから内容を重視した。 いまでは、前置きが長くなった。 丁度、プレゼンテーション・ソフトのパワーポイントと同じで、初めて見たときは面白がったが、 後は誰がやっても退屈する。 内容がなければ尚更であると云爾。
'06年02月26日

伝説のライブ

 正月の松がとれた頃だったと思うけれど、カルロス・クライバーの『ベートーベン交響曲7番』の新譜が出ていた。 1982年5月3日にベームの追悼演奏会で4番と共に演奏されたライブの正規盤である。 音に定評のORFEOからの輸入盤は、 左端の部分に赤地に白く「CARLOS KLEIBER」の文字が書かれている筈なのが真っ白になっていた。 手違いで底の紙が抜けていたらしい。 それで、その時は試聴だけした。

 オケはバイエルン国立管弦楽団。 流石(さすが)。 颯爽と駆け抜けるような演奏は素晴らしかった。 その後、レコード店に行くとジャケットの方も正規盤になっていたので家で聴いたのだけど、矢張り良かった。 終演後、拍手に床をドンドンも楽しい。

 このCD、最近出始めたスーパーオーディオCDと従来のCDとのハイブリッド・ディスクになっている。 スーパーオーディオCDは最新のCD規格。 従来のCDに比べて64倍のサンプリング周波数で、 原音に近い音を再生すると云う触れ込みである。

 家にあるプレーヤーは従来の規格で、それで聴いたクライバーの7番は良かったので、 スーパーオーディオCDプレーヤーで聴いても負けないくらい素晴らしいだろう。

交響曲7番
'06年02月25日

砂書帖 ・ テレビで、「ねぇ」

 ▼ 朝起きてテレビをみると、荒川静香が金メダル。 よかったね。 ショートプログラムでは3位だったけど、なかなかどうしてスケート上手だった。 普段は自国の選手しか映さない米国のテレビが、荒川の演技を報道したと云う。 びっくりしたんだろうね。

 ▼ どうしたの民主党。 送金メールの問題で、追っかける方が追われる方になっちゃって。 丸で古今亭志ん生の十八番、『火焔太鼓(かえんだいこ)』に出て来る道具屋の女房のせりふのようだ。 「お前さんは、ばかがこんがらがっちゃったね」。
'06年02月24日

スパム対策

 2カ月近く来なかったスパム(迷惑メール)が、また最近になって新しいのが来るようになった。 来るとは、プロバイダーのスパム受信拒否サービスのフィルタをすり抜けて来るのを云うのであって、 スパム自体は毎日のように来ている様である。

 どこのプロバイダーでも似た様なものだろうが、スパムを判定する条件が用意されていて、 そのフィルタの網に掛かって来ないのもあれば、すり抜けて来るのもある。 来れば自分で条件を追加する。 これで大概は二度と来なくなる。 来ればやり直す。

 スパムには決まってそのメールだけの特徴がある。 それをつかまえてブロックする条件を追加する。 フリーメールの幾つかはドメイン名ごと受信拒否しているし、 件名やヘッダー、それから本文にあるキーワードを条件にすることもある。 中には難しいものもあって、こうなると一寸したパズルである。 うまい条件を見つけてパズルが解けたときには、なんにも嬉しいことはないけれど、 それなりに感慨も一入(ひとしお)である。

 こう云うことをやって、かれこれ一年以上になる。 行き当たりばったりで条件を追加して来たから、その数も増えたし無駄もある。 件名に「未承諾広告」と云うことばが含まれていると受信拒否するようにしているが、 考えてみると単に「広告」でよい。
'06年02月22日

表紙絵

 「週刊新潮」が創刊50周年を記念した別冊、昭和31年「創刊号」完全復刻版をみた。 1956年2月6日の創刊。 谷内六郎による表紙絵の右下に30円とある。 谷内六郎の絵は、子どもの時分から馴染んでいたので、懐かしい思いがした。

 週刊新潮の創刊スタッフによる回想の記事が載っていて、 (当然ながら)みんなおじいさん、おばあさんばかりだけど、 表紙を担当した齋藤美和と云う人の話がある。

 表紙をどうするかは、紆余曲折あって、「谷内六郎という画家はどうだろう」と云うことになった。 しかし谷内は喘息(ぜんそく)持ちで病気がち。 発病すると2ヶ月ぐらい入院して仕舞う。 兎に角、当たって砕けろで谷内に話を持ちかけると、ひとつ返事で引き受けてくれた。 ところが、その日のうちに谷内本人から断りの電話があった。

<「待ってください」
 と言ってまたお宅に飛んで行きました。 谷内さんと押し問答していると、部屋の襖がひゅーっと開いて、
「母です」
 と谷内さんのお母さまが出ていらっしゃった。
「何か息子に絵を描かせたいそうで」
 と言いながら、戸棚を引き、行李(こうり)を取り出し、蓋(ふた)を開けたのです。
「六郎がこれまで入院している間に描いた絵がこれだけあります」
 そう言って行李一杯の絵を見せてくれました。 …中略… 幼少の頃から書きためていたものでした>

 谷内が表紙の話を断ったのは、いつ入院して仕舞うか判らないから、そんな責任の重いことは出来ない と云う理由だった。 その時はこのストックを使うことで話がまとまり、やりましょう、と云うことになった。
 谷内は描き出すと兎に角、速い。毎週、絵を貰いに行くと必ず2枚か3枚は出来上がっている。 <谷内さんはもちろん世に出たい、という気持ちはあったでしょうが、 好きで絵を書く方でした。 だから行李にどんどん絵がたまっていったのでしょう>
'06年02月20日

トリノ

 トリノ五輪の中継をテレビでやっている時間は寝ているから、競技の模様は翌日に録画の放送を見ている。 中継で見る方がおもしろいだろうとは思うけれど、夜は眠るものである。
 録画の放送が詰まらないのは編集をするからで、同じ所を繰り返し映し出す。 スピード・スケートでは一回しか転んでいないのに、何度も転んで見せるのはくどい。

 始まる前にマスコミは、誰も彼もが今にもメダルを取るようなことを云っておきながら、 始まってみるとNHKは如何にも残念がって見せるし、民放の誰だったか、どうしたの、と手の平を返すように云う。 馬鹿馬鹿しくて段々と見るのも詰まらなくなった。

 IBMのパソコン事業を買収したレノボのThink Padの大きな見開き広告が、先日の新聞に載っていた。 別の記事によると、レノボはトリノ五輪に六千台のパソコンにプリンターやサーバーを無償で提供したと云う。 何でも北京五輪に向けて、トリノで予行演習を積むのだとか。 それにしても、提供した六千台のパソコンはIBMの「Think」ブランドではなくて、 レノボが以前から中国で販売している機種だそうだ。
'06年02月18日

常用酒

 久しぶりに「余市」を飲んだ。 シングルモルト ウヰスキーなんて滅多に飲むものじゃないけれど、飲めば矢っ張りうまい。 勿体(もったい)ないからチビリチビリ飲もうとか、うまいからもっと沢山飲みたいとかは考えない。 普段通りに飲んでいてお仕舞いになれば、次からは、いつものウヰスキーに戻る。 常用するのはブレンド ウヰスキーの「ブラックニッカ」で、 髭おやぢローリー卿の絵のラベルである。 数年来これが口に合う。

 ときどきピュアモルト ウヰスキーの「竹鶴」を飲むこともある。 「余市」と「宮城峡」をブレンドしたものだそうで、飲めばいつものウヰスキーよりもうまいと思う。 シングルモルトの宮城峡は味わったことがないけれど、余市と竹鶴の味から想像するに、きっとうまいだろう。 で、竹鶴も飲んでいてお仕舞いになると、いつものウヰスキーに戻る。

 まれにみる豊かさと贅沢さを知り尽くした人、内田百閒(ひゃっけん)は、うまい酒は、 うまいと云う点で常用に向いていない、と云うような意味のことを書いている。

 <酒は月桂冠の罎詰(びんづめ)、麦酒(ビール)は恵比須麦酒である。 銀座辺りで飲ませる独逸(どいつ)麦酒をうまいと思つた事もなく、麒麟(きりん)麦酒には味があつて常用に適しない。 平生の口と味の変はるのがいけないのだから、特にうまい酒はうまいと云ふ点で私の嗜好に合はなくなる。 いつか灘の白鷹の生詰を飛行機で持つて来てくれたので飲んで見ると、罎詰の月桂冠より遥かに香りが高くてうまかつた。 利き酒としての話なら褒(ほ)め上げるに吝(やぶさ)かでないが、私の食膳には常用の味と違ふと云ふ点でその銘酒は失格した。 一二杯飲んだだけで、その儘下げ酒塩にしてしまつた >(「百鬼園日暦」より)

 百閒先生、せっかくのうまい酒なんだから、下げて仕舞わなくてもいいのにねぇ。
'06年02月17日

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