日常茶飯

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#33 
目次

メインテナンス

 家にある Windows 98 マシンは 95 からだからもう10年ぐらい経っている。 先月のいつだったか忘れたが、使っているうちに動作が不安定になりやがてダウンした。 その日そんなことが何度か続いた。 こう云う事が起きるのはお陀仏になる前触れであって、 そろそろ寿命かなと思って暫く手をつけずにいた。

 買い換えの忌々しさ或いは楽しさを棚に上げれば、 パソコンが壊れてうれしいのは、部屋の中に場所を占めて塞がっていた物が居なくなることである。 その開放感は想像するだけでも楽しい。 一方で憂鬱なのが処分する手間である。 これはメーカーに回収して貰わなければならない。 手続きを調べてみると6段階のやり取りをする。 5段目は梱包で、これは自分でやらないといけないそうだ。 最後の6段目は意外だったが郵便局が回収するのだと云う。 一回だけの面倒事だけど余り気が進まない。 となると、もう少し長持ちさせたい。

 取り敢えずディスクの整理をしよう。 書類など文書ファイルをすべて削除してパソコン内の個人情報もすべて消すことにした。 壊れたときにはハードディスクを金槌で叩いて破壊するつもりだが、予めデータを消去することにした。 保存してあるメールもすべて消去して、ついでにパスワードも記憶しない。 原則このパソコンではネットに繋ぐことを止めるのである。 そうなるとウィルス対策ソフトも要らないなぁ。 既にサポートが切れた古いソフトである。 サーポート切れと云えば、このOSのサポートだってとっくに切れている。 マイクロソフトは セキュリティ・ホールが見つかってもパッチ(修正ファイル)を提供してくれない。

 ウィルス対策ソフトをアンインストールして再起動した。 するとどうだろう。 動作が軽快になっている。 軽い軽い。 まるで蘇ったようである。 じゃあ、あの時の不安定な振る舞いは何だったのだろう。 アハハ。これなら当分使えるね。
'05年07月31日

狐火と雷鳥(承前)

 メールソフトThunderbird 1.0.6日本語版が公開された。 先日Mozillaから乗り換えたときのバージョンは1.0.2だった。 このソフトのデフォルトでの設定は、なぜかHTMLメールを使うようになっている。 セキュリティ上よくないのでテキストメールを使うように変更した。

 ブラウザのFirefoxもそうだけど、面白いのが拡張機能である。 たくさんあり過ぎてどんな機能があるのか余り知らないのだけど幾つか試してみた。

 Firefoxの拡張機能のなかに、 ブラウザとWebサーバーでやり取りしているHTTPヘッダーを表示する(ログを取る)と云うのを見つけた。 つまり、サイトにアクセスするときのリクエストとレスポンスの通信記録を見ることが出来るのだ。 普段は通信されている内容なんて余り意識しないけれど、 どんな情報を送っているのか知ることが出来る。 サイトを見定めるのにいいかも知れない。

 Thunderbirdの目玉のひとつはスパム(迷惑メール)対策の機能だそうだが感心しない。 スパムはメールサーバで追い出すのが道理であって、 メールサーバに届いたスパムをメールソフトで読み込んでふるい分けても意味はない。 これはプロバイダーの責任とユーザーの知恵の問題である。 私が利用するASAHIネットはスパムをブロックしてくれる。 すり抜けて来たときは、フィルタに条件を加えることが出来る。 その甲斐あってか知らないが、実際には色々と来ているようだけれど(莫迦なスパムがある)、 最近は一つも来ていない。
'05年07月29日

戀文

 新潮文庫の新刊で『向田邦子の恋文』が本屋に並んでいた。 著者は妹の向田和子さんで、 向田邦子の追想を綴った本はこれが最後になるだろう(たぶん)。 恋文の相手と云うのは例のカメラマン氏なんだ(これもたぶん)。

 3年前に『向田邦子の青春』(文春文庫)を読んだときのこと。 半ば写真集みたいなこの本に収められている数多くのプライベート写真は、 素人の手によるものでないことは誰が見ても分かるだろうが、 何かそれ以上のものを感じた。 うら若き日の向田邦子は目映いばかりに輝いている。 そして、この『青春』と前後して単行本『恋文』が刊行されてタイトルを見た途端に、 ああそう云うことだったのかとのみこめた。 と、ここまで書いて言い訳しておこう。 『恋文』はきょう買ったが、まだ読み出してもいない。 でも間違ってないと思うよ(たぶん)。

 実は、向田邦子は恋人のことを自身の随筆に書いている。 これは山口瞳がどこか(去年読んだが忘れた)に書いていたのだが、 『父の詫び状』のなかで実に巧妙に告白しているのだそうだ。 関心のある人は探してみてくださいな。

 何年前だったか向田邦子のお母さんはご健在だと仄聞した。 それにしても新潮社のホームページ、文庫の新刊情報は先月の儘である。 夏ばてかい。
'05年07月28日

狐火と雷鳥

 ブラウザとメールソフトを Mozilla から Firefox & Thunderbird に乗り換えた。 確かに Mozilla よりも軽い。 それでブラウザ Firefox のツールバーのカスタマイズをやってみた。 メニューの[表示]→[ツールバー]→[カスタマイズ]でカスタマイズ用のウィンドウが開く。 そこにある印刷やタブなどのアイコンをツールバーへドラッグ&ドロップすると、 ツールバーにアイコンが移る。 すると逆のことも出来るんじゃないかな。 ツールバーの右端にあるGoogle検索は目障りだから、 これをカスタマイズ用のウィンドウへドラッグ&ドロップしてみると、 出来るんだなぁこれが。 これでツールバーがすっきりした。

 下のステータスバーの右端に「Adblock」と云うのがある。 拡張機能の一つで、どうやら広告をブロックするものらしい。 Mozilla のポップアップウィンドウをブロックする機能よりも出来がよい。 表示した Webページの中の広告なども非表示に出来るようだ。 クッキーを許可しないようにしたサイトを表示すると、 白く抜けたところがありその部分に「Adblock」と書かれている。 検索サイトの Yahoo! JAPAN のクッキーは許可しないようにしているが、 これまで一番上にあった Yahoo! JAPAN と大きく書かれた画像がいまは表示されない。

 メールソフト Thunderbird には受け取るメールのヘッダだけを取得することも出来る。 これは簡単なウィルスメールやスパム対策になる。 変なメールでなければ本文を取得すればいい。 メールはヘッダを見れば分かるもんだからね。
'05年07月27日

志ん朝と三木助

 今月上旬に現れたちくま文庫の新刊のなかに、江國滋の『落語手帖』がある。 文庫だからその前には単行本が出てるわけで、 それが刊行されたのは何と1961年である。 しかも『落語手帖』は江國滋が20代のときの処女作で40年以上も前となると、 復刻版と云う方が相応しい。 序文はフランス文学者の辰野隆(ゆたか)が書いている。 内田百閒のお仲間だから相当に古い人。

 この『落語手帖』のなかで三木助が死んだときの逸話が出てくる。 勿論、三木助とは先代の方の三代目桂三木助のこと。 59歳で逝いた三木助のあとには三人の子どもが残された。 上の二人が女の子で、末っ子は男の子である。 名を盛夫と云う。柳家小さんと同姓同名だ。 生まれる前から三木助が「男だったら盛夫とつけるんだ、 小さんのような噺家になるようにな」と愉しみにしていたと云う。 で、三木助の葬式のあと、古今亭志ん生が三木助夫人にこんなことを云ったそうだ。

「おまえンとこには男の子がいたなア」
「ええ、盛夫っていうのがいます」
「必ず噺家にしなよ。いや、当人が何ていうか知らねえが、 おやじの血をひいて、いい噺家になるぜ。 おれンとこの朝太だって、見ねえな。 ああ、心配(しんぺえ)することはないよ、 おれと文楽が面倒みてやるから。 是非噺家にするこった。 ときに、いくつだい、盛夫は?」
「満二歳です」
「二歳ツ、ええ? ふたっつなのかい! そいつアダメだ、とても、 おれの生きているうちには間に合わねえや」

 これを読んだときは、人情噺のようでちゃんとオチまでついていて、 ほほえましいと思った。 と同時に感慨深い。 満二歳の盛夫、つまり四代目桂三木助は既にこの世の人ではない。平成13年歿、享年43。 また志ん生の息子の朝太、つまり古今亭志ん朝も同じ年の秋に63歳で亡くなっているのである。
'05年07月25日

砂書帖 ・ 龍の果実

 ▼ 13日に Windows のセキュリティ・アップデートを行って以来、 システム・プログラムが米マイクロソフト社に何かを送信するようになった。 毎朝パソコンの電源を入れネットに接続していると、暫く経つと送信を試みるらしい。 ウィルス対策ソフトが忽ちそれを捕まえて「許可しますか」と訊いてくるので許可しない。 するとまた送信しようとする。 これを4回繰り返した後は諦めるようである。

 まるで家猫が戸口の前で外に出たいとニャアニャア云って爪で引っ掻いている様である。 毎日こうだから先日許可した。 すると何かを4回送信したようだ。 それで満足したのかどうだか知らないけれど、その後はぴたりと止んだ。

 ▼ ドラゴンフルーツのジュースをはじめて飲んだ。 サボテンの果実だと云う。 中南米原産の珍しい果物で、沖縄で栽培したものだそうだ。 ドラゴンフルーツはピタヤとも云うらしい。

 外見は何だか毒々している。 だ円形の果実の表面を三角状の赤い皮が鱗のように覆っていて、それを龍に見立てたのだそうだ。 輪切りにした中の果肉は紅色である。 ゴマみたいな種がつまっていてスイカに似ていなくもない。

 さてどんな味かと飲んでみると旨い。 甘くて一寸酸味がある。 酸っぱいと云うほどではないし甘いけれどさっぱりとしている。
'05年07月24日

エースを出せ!

 本屋でページを繰っておもわず買ってしまったのが、日垣隆さんの『エースを出せ!』(文春文庫)。 衝動買いというやつで副題に、脱「言論の不自由」宣言とある。 書き出しを一寸だけ引くとこんな調子である。

 <最近の「天声人語」は、一度読み出したら病みつきになる。 我が家にも中高生がいるから比較しやすいのだが、 昨春から天声人語クンが綴る中学生以下の作文力には、目を見張るものがある。 工夫も知恵もない書き出しと、その書き出し以上に「まさか」のエンディングに毎日接し、 私はこういうものを一つでも書くようになったら筆を折ろう、 といつも自分を励まし元気になる。>

 微笑を禁じ得ない。 こう云う文章はすきだね。 それでおもわず買ったのだ。

 日垣さんの本を読むのはこれで3冊目である。 最初は10年前で、そのとき日垣さんを知った。 それから2冊目は今年の春に出たちくま新書の『売文生活』である。 つまり私は良い読者ではないのだけれど、 それは本のテーマと私の関心とが重なるときは読んでいるだけのことである。 『売文生活』は殆ど知られていない作家の原稿料事情を描いたもので実に面白かった。 よく調べているし、よく勉強する人で文章は面白い。 さらに驚くほど正直な人である。
'05年07月23日

Mozilla と Firefox

 セキュリティ問題を修正したブラウザ Mozilla 1.7.10英語版が公開された。 米Mozilla Foundation はこのブラウザの開発を止めて Firefox に専念する。 そして Mozilla の方は別の団体が開発を引き継ぐらしい。

 これまでは Mozilla を好んで使ってきたが、Firefox に乗り換えようといま試している。 と、きのう書いたが、あれはハイボールを飲みながら酔っぱらって書いたものである。 内田百閒の随筆を引っ張り出したことは丸で記憶にないが、すぐに引っ込めたのはよかったね。 まあこう云うことは度々あるから慣れっこで、それでいて書いたものを削除したり書き換えたことはない。 尤も今後もそうだとは請け負えない。

 試してみた Firefox の感想を一寸述べてみたい。 後発のブラウザだから、IE に Netscape や Mozillaのブックマークなどの設定を引き継ぐ機能はある。 Mozilla と比べると全般的に洗練されている。 特にタブ・ブラウジングの機能はこちらが上質である。

 Mozilla はブラウザとメールなどの総合ソフトだが、 Firefox は唯のブラウザでメール・ソフト Thunderbird と一緒に使う、もしくは使って貰うつもりらしい。 分離することで軽量になったように見える。 そこで一寸だけ使っただけなのだが Mozilla にあって Firefox にないものを見つけた。 暗号化されたサイトに接続するときに ID とパスワードを記憶する機能は困ってしまう。 Firefox は複数の ID を持つ場合があることを考えていない。 矢っ張りブラウザとメールは統合した方がいい。 Thunderbird を入れて試したわけではないので間違っているかも知れないが、 ブラウザだけなら考えて欲しいのだ。 しっかりしてくれ。
'05年07月22日

狐火

 景行天皇が海路火の国に熊襲(くまそ)を征伐した時、暗夜に多くの火が海上に現れ、 無事に船を岸につけたが、何人(なんびと)の火とも知られなかったと云う。

 九州の八代(やつしろ)海に、旧暦7月末頃の夜に見える無数の火影。 沖に浮ぶイカ釣船の漁火が水面付近にただよう冷気によって屈折し、さまざまな形に変化してみえる現象。 これは「不知火」(しらぬい)の広辞苑による説明。

 ブラウザFirefox 1.0.6日本語版がリリースされた。 深刻なセキュリティ・ホールを修正したもので、英語版と同時に現れるのははじめてだ。 Firefoxを日本語で言えば狐火と云うことになるのかと思っているうちに、連想を鬼火や不知火へと巡らせた。 唯それだけのことである。 『百鬼園随筆』に「老狐会」と云うのがあるが、 この連想を綴っていると長くなってしまうからここではやらない。

 そろそろMozillaからFirefoxに移行しようと思い、きのうよりFirefoxを使っている。 Mozillaの方がクッキーの管理がやりやすいと思っていたが、なあんだFirefoxでも出来るんだ。 クッキーを毎回確認するように設定すればいいのだ。
'05年07月21日

怪しや

 二葉亭四迷。本名、長谷川辰之助は現代日本語の文章の元祖である。 「浮雲」はわが国はじめての言文一致の小説で、 二葉亭はこれを書き上げるのに、まるで天地創造の産みの苦しみをしたと云う。 「浮雲」の最初の小見出しは、「アアラ怪しの人の挙動(ふるまひ)」とある。 枕はこれぐらいにしてと。

 先月からルーターを使ってネットに接続するようになった。 パソコンにケーブルを接続すると直ぐにネットに繋がるし、 外部からの不正なアクセスを遮断してくれる。 以前はウィルス対策ソフトのファイアウォール機能に頼っていたが、 そのログを見るといつも沢山の記録があった。 それもルーターを使うようになって皆無である。 だったらウィルス対策ソフトのファイアウォール機能はお払い箱になるかと云うとそうでもなさそうだ。

 ウィルス対策ソフトのセキュリティのレベルはデフォルトでは「中」だが「高」にすると、 何れかのソフトが外部へ送信しようとすれば、忽ちダイアログが現れて 「外部に接続するプログラム/ファイルが見つかりました」と云って許可するかどうかを訊ねて来る。 ふだん使うブラウザやメールソフトは除外リストに加えているが、 メディア・プレイヤーを起動すると外部に接続しようとするから気に食わなければ遮断する。

 そんなわけでセキュリティ対策は大丈夫と思っていたら先週から怪しくなった。 時々システム・プログラムが外部に何かを送信しようとする。 スパイウェアが潜んでいるのかと怪しんだがその形跡はない。 尤も心当たりがないこともない。 先週 Windows Update を行って以来である。 試しに Cygwin のコマンド whois で送信先のアドレスを調べると、 矢っ張り米国マイクロソフト社だった。
'05年07月20日

神々は細部に宿る

 土曜の夜にフジテレビでやっていた「トゥー・ブラザーズ」をはじめから見ていて、 とうとう終(しま)いまで見た。 トラの子どもの兄弟の物語で、昔のディズニーのアニメみたいなものの実写版ぐらいに思っていたけれど、 おとなも楽しめる映画だった。 映画の舞台はカンボジアのアンコール遺跡で、植民地だった1920年代だと云う。 それで監督は誰だろうと気になったが、矢っ張りそうかジャン=ジャック・アノーである。

 この人の旧作に「愛人/ラマン」がある。 フランスの女流作家マルグリッド・デュラスの自伝的小説を映画化したもので、 彼女が少女期に過ごしたフランスの植民地時代のベトナム、サイゴンを描いている。 時は1920年代の後半。 この映画を見たとき、ジャン=ジャック・アノーと云う監督は実に聡明な人だと思った。 西洋人にありがちのひとりよがりなアジアにつての偏見がない。

 映画はデュラスの小説を忠実に映像化することに細心を払っている。 そのため先ずベトナムの文化と教養を学び、その時代の風景や風俗を可能な限り仔細に描いている。 ロケ地となった場所には19世紀のコロニアル様式の建築物が多く残っていたと云う。 デュラスが通った高校も残っているそうだ。 そう云う建物にペンキを塗って当時を再現し、無くなったものは新たに建てて再現する。 ここで一寸、注釈が要りそうだ。 コロニアル様式と書いたけれど別にそう云う建築様式があるわけではない。 植民地様式とでも云えば分かるでしょう。 19世紀のフランス風の建物と云うことです。

 ベトナムはその後永らく戦争がつづいた国である。 第2次世界大戦に、その後の冷戦時代は代理戦争の場となった。 混乱の時代に失われたものに衣装がある。 民族衣装、コロニアル調の衣装と当時の軍服も新たに作る。 映画の中で黒塗りのリムジンが重要な役割で登場する。 これは稀少なものなので専門家に世界中を回って探して貰ったと云う。 もうひとつ世界中を回って探したのが古い汽船で、 これも1920年代から30年代を忠実に再現するためなのだ。 この映画以前に、当時のインドシナを撮した映像は殆ど残っていない。 だから、この映画が今後の指針になる、とアノーは云っている。

 書いていて思い出した。 この映画と好対照なのがコッポラの「地獄の黙示録」である。 こちらは時代が下ってベトナム戦争を描いた超大作。 この映画は途中までは面白いのだけど、 段々と無茶苦茶になって支離滅裂になるので分からない。 坂本多加雄『スクリーンの中の戦争』(文春新書)に、 あれは白人の妄想としてアジアを描いた映画なんだとあって、 そうかと合点が行った。
'05年07月18日

花火屋の大将

 丸谷才一さんの『花火屋の大将』(文春文庫)を読み終えた。 この表題。 同名のタイトルのエッセイがあるのかと云うと、ない。 花火屋の大将とはどうやら丸谷さんのことらしいんだね。 序文はこう。

 < 役者を褒めるときは、
 「ナリタヤ!」
  とか、
 「オトハヤ!」
  とか短く切る。一度、大阪の小屋のこけら落としの初日、
 「カンクロチヤ~ン!」
  と延ばす嬌声を聞いたことがあるが、あれは例外。
  そして花火を喜ぶときは、
 「カギヤ~」
  とか、
 「タマヤ~」
  とか、長く引く。もしもこの本のどこかで、一ぺんでいい、
 「マルヤ~」
  と心中ひくくつぶやいてもらへたら嬉しい。>

 さて、きょうはこの欄のページを新調する日。 それで気づいたのだけど、一つ前のページつまり7月1日から15日までのページのリンクに誤りがあった。 見当違いのページをリンクしていた。 まあ、気づいた人は余りいないと思うけど。
'05年07月16日

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