日常茶飯

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#11 
目次

ケータイのことば

 また言葉の話なのだが、ちょっと種類の違うもので、 これは色々とトラブルを引き起こしかねない問題を抱えている。 だいぶ前になるが、どこかで読んだ逸話から始める。 妻からのメールに、「連絡して!」とあったことが原因で喧嘩になった夫婦の話である。 夫は「連絡して」の後の「!」に激怒したのだそうだ。
 もうひとつは以前に日経の文化欄に載った、穂村弘という人の記事である。 これは怖い話で、二十歳年上の男性とつきあっていた女性の話である。 ふたりはとてもうまくいっていたのだが、ある時、彼からのメールを見て、彼女は「醒めてしまった」 のだという。 問題はメールの最後のにある一文「がんばってネ」。 これを見た瞬間、彼女は「あ、駄目、やっぱり中身はおじさんなんだ」と思ったという。 すぐにふたりは別れたそうだ。 返信メールで、別れを切り出された「おじさん」は、あまりにも唐突で驚いただろう。 どこが「駄目」なのかというと、最後の「ネ」で、彼女にとっては「がんばってね」でないといけないそうだ。 不思議である。 とにかく、夫婦はなぜか「!」で喧嘩になり、年の離れた恋愛は、「ね」だと平穏に続いた様だが、 なぜか「ネ」だったために破局した。
 よく分らないが、このふたつの逸話のメールとは携帯電話のメールではないかと思う。 電子メールはもともと、手紙の形式を受け継いでいる。 メッセージというように、手紙のように格式張ってはいないが、手紙の一種である。 パソコンで書かれたメールは普通なら手紙のような形式になる。
 ところが、携帯から送られて来るメールの中には、手紙というよりは、 喋った声を文字に変換したような印象を受けることがある (同じ人がパソコンと携帯で別の形式のメールを打つということでない)。 声は、怒ったり笑ったりと感情をともなうし、語気の強弱だってある。 「!」や「ネ」はそういう声(音)の感じを表す、楽譜にあるような音を表す記号ではないのだろうか。 メールの顔文字とは別物である。 顔文字は見れば大概分るもので、それはあくまで文字だからである。 だから、「!」や「ネ」が音の感じを意味する文字だとすると、厄介である。 この様なトラブルになったのも、記号の文法あるいは楽譜記号の規則について、互いの了解は無いのに 使ったからだろう。 そして、これからも使われるだろう。 親しくても文字で会話すると諍いになるのでは、ケータイはこわい。
'04年08月31日

嫌いなことば

 誰にでも、使いたくない嫌いな言葉はあるだろう。 高島俊男さんが「週刊文春」の「お言葉ですが…」という連載で、 「ふれあい」「ふれあう」はちかごろ最も気色わるい言葉だと書いている(文春文庫『キライなことば勢揃い』収録)。 この様な言葉は元来辞書に載ってはいなかったが、最近は載っていると云う。 『学研現代新国語辞典』には、「ふれあう」は、 「たがいにわかりあったような気持ちになる」と説明してある。 高島さんは、 「これは傑作だ。筆者の「嘘っぽいことばだ」という皮肉な判断がよくあらわれている」。 そこで、「ちかごろキライなことば勢揃い」をやりましょうか、と読者に呼びかけた。 すると沢山の手紙が寄せられた。
 高島さんは、読者が「キライなことば」としてあげた中から似かよったものを列挙する。 「いやし、いやす」「やさしい、やさしさ」「ふれあい」「まちづくり」「いのちとくらし」 「思い出をつくる」「参加、交流、感動」以上。 高島さんは云う、これらには「気色がわるい」という共通点がある。 そしてお寺の住職をしている人からの手紙を紹介して、次のように書いている。 「たしかに、「矜持」や「品格」の反対がわに「やさしさ」や「ふれあい」がある。 美徳、あるいは理想のありかがだんだんにそちらへうつったのであるらしい。 むかしは、一人で凛としているのがよかった。 いまはむらがって「みんな仲よくあたたかく」がよい。 凛としているやつなんかは目ざわりだから、シッシッあっちへ行け、ということになる」。 しかし、その美徳の移動に違和感をもつ人も大勢いる。 それは必ずしも年輩者ばかりではないことを読者の手紙でわかったと、高島さん書いている。
'04年08月30日

装幀

 本を買えばカバーを掛けてくれる。 私はこの紙のカバーのままで読んでいる。 本を読むのは、ほとんど電車やバスの中と、後は寝る前と限られている。 持ち歩くので、汚れるのを防ぐためカバーを着けたままにしている。
 こういう読み方は、著者にしてみると嫌だろう。 表紙も作品のうちだろうし、装幀(そうてい)には思い入れがあるだろう。 本にカバーを掛けて読むことを難じる作家を何人か知っているが、 それでも私はこうしている。
 向田邦子は昭和五十六年八月二十二日に不慮の事故で亡くなった。 五十一年の生涯で、脚本家としてのキャリアは二十年以上だが、 散文家としての活動はわずか数年に過ぎなかった。 初のエッセイ集『父の詫び状』のあとがきで、乳癌であることを告白している。 唯一の長篇小説(寧ろ中篇小説というべきか)『あ・うん』は、ドラマの脚本を小説にしたものである。 山口瞳は、これが傑作だと書いている。 同時に「脚本家と小説家は違う」とも述べている。 さらに、「向田邦子が死期を知っていたように思われてならないのである。(中略) 本来、小説家ならば、三年も四年もかけて、じっくりと書き込むべき性質のテーマと内容を持った作品である。そこのところを彼女はずばっと切り捨ててしまう。」 癌を患う向田邦子には、時間がなかったのではと述べている。
 話を戻す。 文庫本は読んだ後の整理に困る。 本棚は文庫と相性が合わない。 それで、棚のダボの空いているところに平積みにしている。 とうとう一杯になって、置き場に困ってしまった。 そこで、百円ショップにあるポリプロピレン製の文庫収納袋を幾つか買ってきて、収めることにした。 一つの袋に、二三十冊は入る。 カバーを掛ける理由はもう無いので全部外してみた。 見ればどれも、表紙に個性があって味わいがある。 その中には、『あ・うん』(文春文庫)もあった。 題字と装幀は、日本洋画壇の重鎮の故・中川一政画伯によるものである。 あとがきに、中川画伯による装幀を「夢が叶った」と嬉しさや感動が素直に綴られている。 寄り添う一対の狛(こま)犬の絵と題字を見ていると、表紙も作品なんだと思った。 やがて、申し訳ないことをしていたという気がした。
'04年08月28日

三屋清左衛門の生き方

 金曜時代劇の新シリーズ「慶次郎縁側日記」第一話を見た。 元、南町奉行所定町廻り同心のご隠居の物語。主演、高橋英樹。 せりふの言い回しが少し現代的すぎるが、隠居老人を描くというテーマは良い。
 藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』は用人を隠居した老人が、 現役を退き世間から離れ寂寥感の思いに浸る。 やがて隠居の立場であるからこそ出来ることがあり、藩が抱える難題を解決していく。 そして現在、役職にしがみつく老人が、いろんな所にいる。 老害である。 三屋清左衛門を見習えば、それだけで世の中は良くなるだろう。 だから、多数の死傷者を出した関電、美浜原発の社長はさっさと辞めるがよい。 「再発防止体制の整備にあたる責任がある」と云うのは、いつもの勝手な口実で、 迷惑である。
 アテネオリンピックのメダルラッシュは、「型」がしっかりしているからだと、いろんな人が云う。 云われて見るとそんな気もする。 それに加えて、体操ではシドニー惨敗の責任を取って役員全員が辞任し、 人事を刷新したことが過去のしがらみから解放され、新しい試みが出来たと云う。
 それ故、潔く退くだけで良くなるのである。 その上、三屋清左衛門のような働きをすれば、余り期待はしないが、存外の成果が得られるかもしれない。
'04年08月27日

オタクの市場規模

 先日、野村総研が変わったリポートを公開した。 「オタク層」の市場規模推計と実態に関する調査というもので、 主要5分野(アニメ、コミック、アイドル、ゲーム、組立PC)について行ったという。 組立PC以外の4分野の産業全体の市場規模は約2兆3,000億円、 このうちオタク消費者の割合は、11%を占めていて、 その影響力と消費規模は、もはや「ニッチ」とは言えないと結論付けている。 読んでいくうちに、微笑んでしまった。 以下、少し収録してみる。
 組立PCオタクとは、PC本来の使用目的を忘れ、組み立てる行為が目的化した人と定義。 圧倒的に男性中心。 「リッチ」と「ジャンク」のオタクに大別される。 「リッチ」は主に18歳~30代に分布。 秋葉原電気街のPCパーツショップで新製品を初期価格で購入する。 新製品へのリーチ力が求められるため、比較的都市部に多く在住。 インストールしベンチマークが取れたら、翌週には中古ショップで売り抜け、次のパーツを物色する。
 「ジャンク」は、主に15~18歳(少数)、40代(多数)に分布。 秋葉原電気街の裏通りで、在庫処分の激安パーツや中古パーツを収集。 こちらも都市部に在住。 ロースペック機に最低限の機能追加を繰り返すため、不要パーツの資産価値は小さく、 消費サイクルも長い。
 年齢層の分類と分布は、分かる。 特徴の捉え方がオタク的で可笑しい。 日曜日の新聞書評に、中野晴行著『マンガ産業論』(筑摩書房)が載っていた。 夏目房之介さんのブログにもコメントがあったので、書名だけは知っていた。 マンガ産業はなぜ急成長を遂げ、ここに来てなぜ売れなくなったか、 マンガ産業を分析したものだそうだ。 読者の年齢層を上へと引き上げて来たのが団塊の世代で、その世代が定年を迎えてマンガから離れていっているという。


野村総研のURL
http://www.nri.co.jp/
'04年08月26日

カエサルと信長

 暦のうえの処暑(八月二十三日)も過ぎ、暑さは和らいできた。 晴れたり曇ったり雨になったりの日が続いている。
 来週の三十日、新潮文庫の新刊に塩野七生さんの『ローマ人の物語』が出る。 『ユリウス・カエサル ルビコン以前』を三分冊で文庫化するようだ。 ようやく、文庫版第2シリーズの開始と相成った。
 紀元前百年生まれの英雄ユリウス・カエサルが、 歴史の表舞台に登場するのは確か四十歳を過ぎてからである。 この稀代の独創的な天才は、雄弁で数多くの言葉を残している。 さらに、『ガリア戦記』、『内乱記』の著作があるように名文章家でもあった。
 これと対照的に見えるのが日本の英雄、織田信長である。 信長は独創的な天才ではなかったと、司馬遼太郎が何処かで書いたのを読んだ記憶がある。 詳しいことは忘れたが、目利きの天才だったようだ。 信長は生まれつき伝統というものを憎んだらしく、 強烈な合理主義をもって不合理な旧習の物事を我流に変える人だったそうだ。 ただ、戦国武将にあってユニークなのは、敵国を攻め版図を拡げるにあたっては、 道を整備し橋を架けインフラ整備をしながら行軍したことは、ローマの英雄と通じる才が伺える。
 司馬遼太郎は『濃尾参州記』で、信長のえらさは、若いころの奇跡ともいうべき桶狭間の奇襲を、生涯みずから模倣しなかったことだと書いている。 古今の名将といわれる人たちは、自ら成功した型にはまってしまうのに、信長にかぎっては、ナポレオンがそうであったように、敵を超える兵力と火力が集まるまで兵を動かさなかった。 勝つべくして勝ったというから、名将といえよう。
 ただカエサルと大きく違うのは、信長はほとんど言葉を残していない。 彼の政治スローガンである「天下布武」にしても、それが何を目指すのか実のところ不明である。 本能寺の変で、最期に発した言葉「是非に及ばず」は、余りに簡潔すぎる。 このあたりは、先日の日本語論と関係しているようにも思える。
'04年08月25日

PDFファイル関連のフリーソフト

 以前から、PDFファイル編集ソフト Adobe Acrobat を買おうかと迷っていたが、 フリーソフトだけで済ましている。 PDFファイルの閲覧は Adobe Reader を、 他のファイルからPDFファイルに変換する場合は PrimoPDF を使えばよい。 これで足りている。 PrimoPDF は、activePDF, Inc が提供するフリーソフトで、 仮想プリンタとして動作するので印刷できるファイルならPDFファイルに変換できる。
 日頃よくやるのはWebページをPDFファイルに変換して保存することで、 ブラウザから印刷を実行し、プリンタを PrimoPDF に指定すれば変換される。 ブラウザで見たままに保存されるので便利である。 登録や申し込みの際に、シートに記入した内容を保存しておくことができるし、 また参考になるページや面白いページもすべてPDF変換している。
 ただ難点は、閲覧ソフトの Adobe Reader が重たいこと。 プラグインを読み込むのに時間がかかってなかなか起動しないのである。 そこでJoseph Cox氏によるフリーソフトAdobe Reader SpeedUpを使って不要なプラグインを外している。 これでストレスなく使える。
 たまたま「窓の社」を見たら、 PDF文書にパスワードを設定できるセキュリティソフトPDFLockというのが公開されていた。 コラボレーションシステムズという会社が提供するフリーソフトで、ホームページからダウンロードできる。


「窓の杜」にある Adobe Reader とAdobe Reader SpeedUp
http://www.forest.impress.co.jp/lib/offc/print/docviewer/

activePDF, Inc のPrimoPDF
(注)「窓の杜」にも置いてあるようだ。
http://www.primopdf.com/

コラボレーションシステムズのPDFLock
(注)Internet Explorer(IE)でないと正しく表示されない。
http://www.cs4u.co.jp/
'04年08月24日

ゴシップ的日本語論

 丸谷才一さんの本の表題になっている「ゴシップ的日本語論」は一年ほど前の講演だそうだが、 読んで面白かった。 太平洋戦争の敗因の一つが、昭和天皇の日本語能力の低さにあったという驚く内容である。 丸谷さんの話は、昭和史を研究する日米二人の歴史家が、 最近別々にほぼ同時に同じことを発見した事実の引用で始まる。 それは、昭和天皇が皇太子の時に受けた教育に重大な欠陥があったというものである。 皇太子にとってなによりも重要なことは、物事を論述する力であり、 言語能力、つまりは思考能力が大事になるのに、明治国家の重臣たち、特に西園寺公望はその様な教育方針を立てなかった。 その結果、昭和天皇は、何を語っても言葉が足りないし、使う用語は適切を欠き、語尾がはっきりしなくて、 論旨不明なことを述べる方になったと云う。 それによって、政策の意志決定のプロセスを混乱させてしまった。 さらに、明治憲法の言語的欠陥が不幸にした。 丸谷さんは、政治経済だけを論じるだけでは日本の国運を論じることはできないと述べ、 国の基本は言語なのだと云う。
 さらに、現代日本文明の弱点は言語において現れていると述べ、 この事を誰もがぼんやりと感じているから、日本語ブームが起きるのだと。 その弱点を端的に示すものとして、パソコンなど意味不明なマニュアルを挙げる。 作家がマニュアルを書いてみたら、サポートの電話が鳴らなくなったという実話を紹介して、 「だから、マニュアルの文章が良くなれば、社員の数を減らすことができる。企業としてものすごい有利なことなんです」。 また日本人には、 「いざとなれば口で説明すればいいんだ、といふ発想が根強くあるわけです。 文章で伝達しようといふ心構えが基本的にない」。 つまり遠くの人への伝達を原則としない、村落的人間の生き方が根底にあると云う。
 背景にあるのは、日本が短期間で近代国家になったその歪みが言語面に現れたと説く。 「ものを考える道具としての日本語といふものを大事にしなかった。 われわれは論説よりも短詩形文学において得意であつたし、今でもさうである。 さふいう日本人が突如として近代国家の一員となって、言語面で非常に困り続けました。 今でも困ってゐる」。 その困り続けている日本人の代表が昭和天皇であったわけで、 同情の念と、切ない気持ちになると述べている。
'04年08月23日

申年申月申日

 季節外れのことを云うようだが、今年の干支(えと)は申(さる)である。 申年に贈られた肌着を着けると、病が去るという言い伝えがある。 特に、申年申月申日に贈ると縁起がいいとされている。 贈る方も貰う方も病気をしないと云う。 今年(申年)の申年申月申日は、八月九日、八月二十一日、九月二日の三日だけである。
 そう、今日が申年申月申日である。 既に二つ目の縁起日は過ぎ去ろうとしているので、残りは九月二日である。 もっと早く書こうと思っていたのに、うっかりして今日ようやく思い出した。 縁起のいいことは担いでもいいのである。
 実は丸谷才一さんのことを書く予定だったのだが、 順序が入れ変わってしまった。 勧められて少し読んでみると、面白い。 なにより考え方が健康である。 その健康さは、文章が明晰であることで分る。 そして丸谷さんの主張は、明晰な文章を書くこと、文学とは実用なのであると。 健康な精神だと思った。
'04年08月21日

書店で本を探す

 かねてより面白いと勧められた、丸谷才一さんの『ゴシップ的日本語論』(文藝春秋)を買いに 久し振りに大型書店へ行った。 ただ問題が一つある。 この単行本が書店の中の何処にあるのか皆目見当が付かない。 専門書だとか、新書や文庫本なら直ぐ分るのだが、文芸の作家は厄介である。 以前は、名のある作家なら作家別の棚に置いてあったが、今では他のコーナーに場所を取られて、 そのスペース全体が狭くなり、方々に散らばっているからである。 果たして行って途方に暮れてしまった。 有名な人だから「丸谷才一」の名札の棚はあるが、目的の本はなし。 「評論」のコーナーだろうか、それとも「文学論」、あるいは「エッセー」かといろいろ回ってみたが見つからなかった。 端末機で検索しようかと思ったが、並んで待っているのであきらめた。 結局、三軒目で見つかった。 「話題の本」と銘打った、新聞雑誌の書評で取り上げられた本ばかりを置いたコーナーだった。 毎日新聞で絶賛と書かれた紙が貼ってある。
 本が売れないというけれど、読みたい本を読みたくない本が邪魔して隠してしまうからではないのか。 一日当り二百点の新刊が出るというから、書店は本の山である。 再販制のお陰で本は返品がきくので、売れなければ返品し、次の新刊が取次から送られてくる。 この繰り返しである。 見渡せば、実用書というのかハウツーものというのか、そういうものばかりである。 健康本を扱うシリーズに、「食事は一日三食」と「一日一食」という本を出すのはどういう料簡か。 以前、「金持ちとうさん」という翻訳本が売れたので、類似本が多数現れた。 中に、アメリカ人ペンネームで日本人が書いた本も幾つかあると聞いた。
'04年08月20日

小津安二郎のホームドラマ

 先日、小津安二郎の「麦秋」をビデオで見た。 十年くらい前のテレビ放送を録画したのだそうだ。 昭和二十六年の作品というから、五十三年前の映画である。 婚期を逸しかけている娘(原節子)の縁談をめぐり、 共に暮らす両親、兄夫婦(笠智衆と三宅邦子)とその子供からなる大家族の姿を、 時間が緩やかに流れるように描いている。 なかなかまとまらない縁談に、家族は心配し苛立ったりするが、 ふとした切っ掛けで、娘は兄妹のように親密にしていた近所の子持ちの男と結婚してしまう。 この結婚を機に、三世代同居の大家族がそれぞれの核家族に分かれていく。
 小津安二郎の映画は日本の家族、ホームドラマを描いている。 この純日本的でローカルなOZU映画の熱烈なファンが欧米にもいて、今でも名画座で上映されるそうだ。 日本人が名場面と思う同じ場面を見てフランス人もアメリカ人も涙を流すという。 日本的なテーマを丁寧に描くことで、かえって普遍性のあるテーマになるのかもしれない。 寧(むし)ろホームドラマという小さな物語こそが、日本人が本来得意とする芸術なのかもしれない。 確かに、日本にはホームドラマの伝統があった。 小津の後は、テレビドラマに移り脈々と続いたのだと思う。 その伝統は、向田邦子のホームドラマで終わってしまった。 向田亡き後、橋田壽賀子のドラマには風格がなく品性に欠くのでいけない。 映画「麦秋」は、残された老夫婦の次のような会話で終わる。

「みんな、離ればなれになったけど、しかしまぁ、あたしたちはいいほうだよ」
「いろんなことがありました」
「ウム、欲をいやぁきりがないが」
「ええ、でも本当にしあわせでした」
'04年08月19日

KNOPPIX3.4日本語版

 CD-ROMから起動するLinuxのKNOPPIX が3.4になって、 Windowsのファイルシステムにインストールできるようになったと聞いて、 7月のはじめにダウンロードしていたのを今頃になって思い出した。
 その頃は忙しくて、そういう時にマシンをいじると困ったことになる恐れもあるので、 ダウンロードして放って置いた。 ファイルサイズは約666Mバイト。 こういう時しかブロードバンド環境を活かす機会がないからダウンロードしたのであった。 また仕様の詳細がよく判らなかったので、まずは誰かを唆(そそのか)して試して貰(もら)って、 様子が分ってからインストールしようとも考えていた。 ところが、忙しいことが続いていつのまにか忘れていた。
 ひと月以上経った今、雑誌に特集記事が載っているようだ。 日経Linux、Software Design、UNIX USERなど。 忘れてた甲斐があったかもしれない。


KNOPPIX3.4日本語版のホームページ
http://unit.aist.go.jp/it/knoppix/
'04年08月18日

ビールとウイスキー

 以前は夏になれば、ビールをがぶがぶ飲んでいた時期もあったが、最近はめったに飲まない。 嫌いになったというわけではない。 飲めば喉ごしにキレがありやはり旨いと思う。 飲まないのは、よくは分らないけれども、いくつかの不都合な理由が重なり、 そうさせているように思われる。
 350ml の缶ビールはスーパーなどでは200円程度で売っている。 近所のスーパーのヱビスビールは228円也。 その内税金は、80~90円だというから、半分とまではいかないが半分近くが税金ということになる。 まずはこれが気に食わない。 飲むたびに税金を取られているような気がする。 割引してくれるのは嬉しいけれども、その分税金の嵩(かさ)が増すのは嫌である。 ビールは沢山飲むようなお酒だから、なおさら困る。
 ビールをよく飲んでいた頃は、近くの酒屋を冷蔵庫代わりに使っていた。 酒屋は割引してくれないが、スーパーは割引するから、次第にスーパーの方で纏(まと)めて買うようになった。 ところが、買い物カゴに纏(まと)めて入れてレジに持って行くと、 どういう訳か必ず決まって、 缶ビールを取り出してぞんざいに台にゴンと置き、 くるっと回してバーコードで読み取る。 こんなことされると缶の中が攪乱し、開けると泡が吹きこぼれて困るのである。 そう思ううちに、またカゴから取り出してゴンとやっている。 精算が終わり、袋に詰めてくれるのはいいが、袋の持ち手を引き上げた途端に中の缶ビールが一斉に転んでしまう。 それを手渡されても、万事休す。 このビールは今夜は飲めない。 泡が静まるまで、冷蔵庫に丸一日寝かせないといけない。
 ビールを飲まなくなったのは、この様な事が含まれている気がするが、 ビール自身には責任はないようにも思われる。 代って飲むのは、ウイスキーの水割りである。 常用しているのは、ブレンデッドウイスキーのブラックニッカである。 今はこれが一番口に合う。 一本730円也。 もっと旨い酒はいくらでもあるだろうが、 「旨い酒は旨いという点で常用に適さない」という百鬼園主人の名言がある。
 今年の夏から、少し趣向を変えてハイボールで飲んでいる。 最初の一杯目は美味しいが、その後は水割りと変わらない。 ただし、炭酸割りに代えて良いことがある。 ウイスキーの悪いことは、うっかり多く飲み過ぎてしまうことである。 飲む量を、炭酸水の量で計ると間違わない。 炭酸水は、ペットボトルの天然水よりも安いというのも良いのである。 この意味、余れば捨てるのである。
'04年08月17日

百鬼園戦後日記

 このところ、毎晩寝る前に『百鬼園戦後日記』を読んでいる。 昭和二十年五月の東京空襲で、内田百閒(ひゃっけん)は家を焼き出される。 その後、三畳一間の掘っ立て小屋にふたり住まいの生活が三年間つづく。 台所なし、風呂なし。 トイレは外にあるが屋根はなし。雨の日は傘をさしながら用を済まさなければならない。 日記は家を焼かれた三ヶ月後の八月二十二日から始まる。 それより前の日記は、『東京焼盡(しょうじん)』(中公文庫)に収められている。 『東京焼盡』なんて、百閒はタイトル名人である。
 この頃の様子を山口瞳の名文「内田百閒小論」から引く。 予め注釈すると、「後架」はトイレのこと。「落とし紙」はちり紙、トイレットペーパーのことである。 古い言葉だと、憚られる言葉も風流に聞こえて妙である。 「空襲で家を焼かれた百閒先生(俳号で呼ばれるほど親しくはないと言われそうだが、栄造さんと書くわけにもいかない)は、三畳一間のバラックに住む。 後架は屋外にある。 雨が降れば傘をさしてしゃがむことになる。 風が吹くと、落とし紙が舞い上がり、百閒先生が何事かを叫ぶ。 すると、火鉢を持った奥様が隣家のほうへ落とし紙を追いかけてゆく。 こういう箇所を読めば、文字の読める子供であれば、誰だって笑うだろう。」
 現実は難渋の極みで惨めな生活だったろうが、それを笑いにするのは文章の力である。 黒澤明の映画「まあだだよ」では、掘っ立て小屋での生活を秋から冬にかけてビバルディの曲と共に実に美しい映像で描いている。 手元の『百鬼園戦後日記』は、ちくま文庫の「内田百閒集成全24巻」の第23巻である。 来月に出る最終巻は『百鬼園写真帖』で、前から楽しみに待っている。
'04年08月16日

Copyright(c) 2004 Yamada, K