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古典文学演習G   「柏木はなぜ死んだのか」

担当 山中朋美

末摘花と近江君の果たす役割

 『源氏物語』の中で笑いを誘う末摘花と近江君のエピソード。調べてみると、二人には通ずるものと対照的なものがある事が分かった。笑いだけでなく重要な役割を果たす二人についてまとめてみようと思う。

 既に、末摘花と近江君についての考察は幾つか行われている。「かくて『源氏物語』に見える笑うべき人々の登場も、作者はただ漫然と読者への奉仕として書き上げたのだとは、客観的には言えないのである。・・・・・即ち末摘花がその容姿、生活意識において、近江君がその言動において、それぞれ笑いをもたらすような異常さ、ないし性格性を持ち得たのは、それらが現実世界の矛盾から生まれたものだったからであり、そうした矛盾が古代貴族社会の解体の一コマであったという大きな歴史的条件に支えられていたからだと言い得るだろう。」(野村1969)笑いの問題や民俗学的な問題について論じてある。

 しかしここでは二人の描かれ方から探っていく。

共通点〔女君についての語りの先行〕

*末摘花の場合

大輔命婦が源氏に末摘花の事を語る場面では、語り手は、末摘花に疑念を向ける余裕を与えまいとするかのように源氏が末摘花に関心をよせる過程を一息で語っている。源氏も的確な状況判断を下しうる余裕を失い、末摘花にのめりこむ。

*近江君の場合

蛍巻末で夢語りがなされ、常夏巻頭で噂がなされる。

  先行する語りと後続する実物との落差によって笑いが生じる

対照的な点1〔語りに対する二人の関わり方〕

*末摘花の場合

大輔命婦という呼び名も出自もはっきりした人物>?特定の語りによってしか語られない存在

噂をするのは、大輔命婦と源氏だけ。奥深く隠された存在

*近江君の場合

最初に語ったのは「まねぶ人」という無名の人物?

誰もが噂をしている「このごろめづらしき世語になむ人々もしはべるなる」。あからさまに露呈された存在。

  −末摘花の欠点が知られる事はないが、近江君の欠点は世人にまで知れわたる。

一方で噂になる近江君自身も噂に敏感である。古代なる末摘花が世人の語りから孤立した存在であるのに対し、近江君は世人の語りに接近した存在だったのである。

対照的な点2〔育てられた環境〕

*末摘花の場合

父性的・・・母については殆ど語られていない。

*近江君の場合

母性的・・・父は近江君の成長に全く関わっていない。母や乳母に慣れ親しんできた。

*言動の比較

末摘花は、口が重く、言葉ならざる語が発せられる。近江君は、同じ言葉を素早く繰り返して言ったりと口を覆い隠すこともなく、あけっぴろげで軽い。

末摘花の身振りは隠されており、重く遅い。また、ひきこもった生活をしている。近江君の動きは速い。また気に入られようと、よく働き上昇を目指している。

対照的な点3〔呼び名〕

 常陸/近江 すなわち 遠い陸/近い海  (硬さ/軟さ)

対照的な点4〔末摘花と近江君の位置〕

 末摘花は巻の中心に位置している。夕顔への追憶で始まり紫君への熱中で終わる末摘花巻に末摘花が登場するのは、その中間である。蓬生巻で光源氏が末摘花を訪れるのは、花散里訪問の途中である。また初音巻で光源氏が二条東院の末摘花を訪れるのは、空蝉訪問の途中である。光源氏が末摘花を尋ねるのは何かのついででしかない。末摘花はいわば中継点に身を置いているのである。 

 それに対して、近江君は巻の終わりに位置している。常夏巻は近江君と弘徽殿方の歌の贈答で終わり、野分巻は内大臣が近江君への不満を口にするところで終わる。行幸巻は柏木や内大臣が近江君を愚弄するところで終わり、真木柱巻は近江君と夕霧の歌の贈答で終わる。近江君はいわば中断点に身を置いているのである。

 コミックな中継ぎと押さえ、中継点の女と中断点の女。若菜巻において、末摘花の病気が朧月夜訪問の口実となり。近江君の言葉が明石物語に終止符を打っているのは、いかにも相応しいと言うべきだろう。

 まとめ

末摘花と近江君は一見関係性が無い様に見えるが、面白いほど、ペアとして作られたような対照的な事柄が頻出する。『源氏物語』において、二人は笑いを担当するだけでなく、物語を締めくくったり、次の話題へ行くための中継ぎをしたりする役割があったことは新たな発見だった。

 

【参考文献】

野村精一「源氏物語の創造」桜楓社、1969

葛綿正一「源氏物語のテマティスム−語りと主題」笠間書院、1998

【質疑応答・まとめ】

 Q、「粗略」とは?

 A、おろそか。ぞんざい。なげやり。「―な扱い」「ごみ処理をーにする。

 Q、「功徳」とは?

 A、仏教用語。@よい果報をもたらすもととなる善行。A善行の結果として与えられる神仏のめぐみ。ごりやく。ここでは@である。

 Q、「不参をかこつ」とは?

 A、「不参」は、行事や式典などに参列・出勤または出席しないこと。「託つ」は、他のせいにする、口実とするという意味。

 Q、女三宮の異常な感じのうごきとは?

 A、物の怪にとり付かれていたので、自然と行動も不気味になる。

 Q、お産で死ぬ事は何故罪が重いのか?

 A、仏教的な考えである。源氏物語には、異常な死を罪が深いとする思想が見られる。物語の異常死には自殺と出産の場合とがある。関係の正不正にかかわりなく、出産で死ぬのは罪が深いとせられており、それには本人の悪い行いの罪だという意味はない。現世で作った業の罪報とは考えられないから、この罪は宿世の罪とすべきであろう。これは女だけが負い持つ罪業で、女には酷な思想であるが、これに限らず、女は男に比べて、おしなべて宿世が拙いとする思想がある。

 Q、紫の上の例とは?

 A、六条院で女楽が行われた翌日、紫の上は病の床につき、危険な状態になったが、徐々に回復してきたことをいう。

 Q、世の中のはかないありさまとは?

 A、当時の人々の考え。仏教的な思想。

  【自由発表まとめ】

全く関係のないように見える二人の対照点を並べ、関係をもたせる試みをした。『源氏物語』において二人の果たす、「物語の中継ぎと物語の締めくくり」という役割を発見できたのは面白かった。

 Q、近江君は具体的にどういう人物であったのか?

 A、内大臣の娘。内大臣が夕顔の形見を思い出して、「娘の名乗りをする人があったら注意するように」と言った矢先、柏木が連れてきたのが近江君だった。

近江君は、愛嬌があって、髪も美しく、無邪気な顔をしているが、額がせまいのと、声が軽々しいのが欠点。

 

   【感想】

源氏物語の女々しさがあまり好きではなく、むしろ現代的な枕草子の方が好きだったが、当時の文化や宗教、思想を知るにはこれほど面白い資料はないと思った。近江君や末摘花など物語の笑われ役に徹する人にも、作者は深い愛情を注いでいる。無名草子にも末摘花の事が批評されているが、女としての幸せをどのように考えるのか、今も昔も真剣に考えていることがうかがえる。

  参考文献

関みさを『源氏物語女性考』(昭9、八木書店)

重松信弘『源氏物語の仏教思想』(昭42、平楽寺書店)

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