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古典文学演習G   「柏木はなぜ死んだのか」

担当 山中朋美

「柏木巻」 【7源氏、宮を見舞う】

   

  【担当箇所あらすじ】

女三宮の過ちを許せずにいる源氏は、出産後もなかなか女三宮の所へ行かずにいた。久し振りに女三宮を見舞った源氏に、女三宮は、お産の為弱った身体を起こし「出家をしたい」と申し出る。いつものおっとりとした様子と異なり、大人びている女三宮に源氏は、一度は止めるものの、心の中では「許しがたい気持ちを持ったまま接するよりも、出家者としてお世話するほうが良いだろう」と考える。しかしやはり女三宮の美しく頼りない姿を見ていると、尼にするにはあまりにも勿体無いと思い、そのような葛藤を源氏は繰り返すのだった。

 

柏木(尊経閣文庫本)   渋谷栄一校訂

夜なども、こなたには大殿籠もらず、昼つ方などぞさしのぞきたまふ。

 「世の中のはかなきを見るままに、行く末短う、もの心細くて、行なひがちになりにてはべれば、かかるほどのらうがはしき心地するにより、え参り来ぬを、いかが、御心地はさはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」

 とて、御几帳の側よりさしのぞきたまへり。御頭もたげたまひて、

 「なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを、かかる人は罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、また亡くなるとも、罪を失ふこともやとなむ思ひはべる」

 と、常の御けはひよりは、いとおとなびて聞こえたまふを、

 「いとうたて、ゆゆしき御ことなり。などてか、さまでは思す。かかることは、さのみこそ恐ろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ」

 と聞こえたまふ。御心のうちには、

 「まことにさも思し寄りてのたまはば、さやうにて見たてまつらむは、あはれなりなむかし。かつ見つつも、ことに触れて心置かれたまはむが心苦しう、我ながらも、え思ひ直すまじう、憂きことうち混じりぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むることもあらむが、いといとほしう、院などの聞こし召さむことも、わがおこたりにのみこそはならめ。御悩みにことづけて、さもやなしたてまつりてまし」

 など思し寄れど、また、いとあたらしう、あはれに、かばかり遠き御髪の生ひ先を、しかやつさむことも心苦しければ、

 「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ、さすがに頼みある世になむ」

 など聞こえたまひて、御湯参りたまふ。いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにてうち臥したまへる御さま、おほどき、うつくしげなれば、

 「いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな」

 と見たてまつりたまふ。

<注釈書>

1 新潮日本古典集成『源氏物語五』石田譲二他校注 新潮社 1980年

2 新日本古典文学大系22『源氏物語四』柳井滋他校注 岩波書店 1996年

3 新編日本文学全集23『源氏物語4』阿部秋生校注 小学館 1996年

4 影印校注古典 書14『柏木』岡野道夫校注 新典社 1980年 (テキスト)

【夜なども、こなたには大殿籠らず】

2,(源氏は)女三宮の居室お寝みにならず。

3,以下、源氏の女三宮への疎隔をいう。

4,お寝みにならない。出産により起居を別にしていたのであろうが、二人の疎遠な間をものべている。

【「世の中の】

2,源氏の言。

4,源氏のことば。

【はかなきを見るままに】

4,諸本「はかなきを」。「いと」をもつ本、保・国。

【行く末短う】

1,私ももう先が短く、いつ死ぬか分からぬという気持で。

4,源氏の年齢四十八でこういうのは、当時としてはあまり不自然でもなかった。

【行なひ】

4,仏道修行

【かかるほどのらうがはしき心地するにより、え参り来ぬを】

1,こうしたお産のすぐあとはもの騒がしい気がしますので、なかなか参れませんが。

2,仏道修行を妨げられる、という理屈で不参をかこつ。

3,勤行に精励する者にとっては、出産にまつわる諸事が乱りがわしい、とする。宮には酷薄な言葉である。

4,「らうかはし」は「乱れがはしき心也」(孟津抄)とする。「をこなひがち」の身にとって、出産にまつわる諸行事が煩雑に思えるという。女のほうからいうと冷酷なことば。「かかるほとの……御心ちは」までの文、国冬本は「かかるほとにはつねもまいらぬを御心ちは」となっている。これだとやや穏当である。

【御心地は】

4,諸本「御心ちは」。陽は「御」の字を補入。

【さしのぞきたまへり】

3,前の「昼つ方などぞさしのぞきたまふ」に照応。奥までは入らずに言う。源氏の隔心の表れ。

4,「のそく」は「……にのぞく」(自動詞四段)が「臨む」の意。「人々、渡殿より出でたる泉にのぞきゐて、酒飲む」(帚木)など、「……をのぞく」(他動詞四段)が「覗(のぞ)く」の意。

【御頭もたげたまひて】

2,頭を持ち上げる女三宮の動作。異常な感じを読者に与える。

4,他動詞下二。持ち上ぐの略。顔、みぐし、を目的語にとることが多い。

【なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを】

2,女三宮の言。

3,生きる勇気を取り戻そうとしたが、やはり生き長らえそうにない、の気持。

4,「なほ」は「生きとまるまじき」に係るか。諸本「いきたる」。底本「いきとまる」は、河・御に同じ。「を」は終助詞と接続助詞の二説がある。大系(山岸)・与謝野訳は前者。他は後者。

【かかる人は罪も重かなり】

1,こういう人は罪も重いと申します。お産で死ぬのは罪が重いと考えられていた。

2,出産で死ぬ人は罪も重いという民俗に基づく発言。

3,出産で死ぬ者の罪が重いとするのは、当時の考え方。

4,「かかる人」は出産で死ぬ人。

【尼になりて、もしそれにや生きとまると試み】

1,もしやその功徳で命を取り留めますかどうか、ためしてみたく思いますし。

2,出家によって生きながらえるという試み。

3,出家の功徳で延命を願う気持。

【また亡くなるとも、罪を失ふこともやとなむ思ひはべる】

3,出産で死ぬという罪が、死ぬ前に出家したことの功徳で救われる、とする。

4,底本の如く「事にもや」とする本文は、横・榊・三・河・別本の大半。陽「に」を補入。肖は「も」をミセケチ。一方、定家本・大島本は「こともや」とする。

【常の御けはひよりは、いとおとなびて聞こえたまふを】

1,いつもの幼稚なご様子にも似ず、ひどく大人ぶって申し上げなさるのを。『湖月抄』は、「是、実は霊のいはせまゐらするなるべし」という。

2,日ごろのご様子と比べてまったく大人びておっしゃるのに対して。女三宮の口にした死も出家も異常な不吉さがある。物の怪が言わせているかと読む読者も多いはず。

3,いつもの幼稚な様子と異なり、じつに大人びて、の意。正常ではなくなっている。物の怪の憑いているためと、後に分かる。

4,「女三はつねはかやうには、きと物のたまふ事はなきなるべし。是実は霊のいはせまゐらすなるべし」(湖月抄)の見解は一考を要する。

【「いとうたて、ゆゆしき御ことなり】

2,源氏の言。じつにいとわしい、忌むべきお話である。死や出家の話題であるから。

3,女三宮の、生きがたいとか、出家したいとかの発言について。

【などてか、さまでは思す】

2,どうしてそんなにまでお思いになる。たしなめる源氏。

【かかることは、さのみこそ恐ろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ】

2,かような(出産という)ことはたしかにこわいことと聞くけれど、だからといって生きながらえられないしわざであるならばともかくも。「そんなことはないのだから」という気持を言いさした文末。「おそろしかむなれど」の「む」は「る」あるいは「り」の音便で、「なり」は伝聞。青表紙他本多く「おそろしかなれと」。

3,「かかること」は、出産をさす。「さて……」からは、それだからといって、命がもたないというのなら、また話は別だが、の意。

4,「さて」は「さても」(それにしても)と同意としてよいものであろうか。「なからへるわさならはこそあらめ」は省略したいい方なのでさまざまな解を生じる。「どうせ生きられないことならば、尼になることを試みる必要がないのではないか」はどうか。

【御心のうちには、「まことにさも思し寄りてのたまはば】

1,本当にご本心から出家を望んでおっしゃるのなら。以下、女三宮の出家を許そうかとも思う源氏の心中。

2,源氏の心内。その言葉どおりちゃんと考えつかれておっしゃるのなら。出家を容認する気持が源氏の本心としてある。

3,「たてまつりてまし」まで、源氏の心内。源氏は、言葉でこそ出家を諌止しながらも、心中これを容認する。

4,源氏の心中。「さもおほしより」の「さ」の内容は、先の「……となん思侍」の内容をさす。湖月抄「尼にならんとおぼしめさばさもなし奉らんと也」。

【さやうにて見たてまつらむは、あはれなりなむかし】

2,出家者としてお世話をするというような措置はきっと感銘深いにちがいないよ、の意。「あはれ」は「しかたがない」というぐらいに現代語訳するといい場合がある。

3,女三宮を出家の人として、以後の世話をする、の意。

4,「さようにて」は、女三宮を尼として。諸本「なりなむかし」と「と」を脱す。陽は「ならんかし」。

【かつ見つつも、ことに触れて心置かれたまはむが心苦しう】

1,(このままでは)一方でお世話しながらも、(宮が)事あるごとに、疎ましく思われなさるのがお気の毒だし。「心置かれ」の「れ」は、受身。

2,一方で夫婦として世話をしながらも、何かにつけて自然と心の隔てをお置きになるようなのが。「れ」は自発。

3,このまま、一方で連れ添っていながらも、何かにつけて疎ましく思われなさるのが、おいたわしく、の意。

4,孟津抄「かくみつつも也」とあるが、「かく」とする本文はない。細流抄「女三宮の源に心をき給はんと也」ととる説と、湖月抄「源の方より物ごとに心おかれんと也」とする説と相反する二つの説があり、前者をとる。

【我ながらも、え思ひ直すまじう、憂きことうち混じりぬべきを】

1,(かといって)自分としてもどうしても宮への不快の念は改められそうになく、いやな仕打ちも折々はまじるだろうから。

2,自分としても気持を改められそうにないことで、きっとつらい仕打ちがふと入り交じるにちがいないから。底本「うき事の」の「事」朱で書き入れ、青表紙他本「の」を欠く。

3,自分でも女三宮への不快の気持を改められそうになく、いやな仕打ちも折々まじるだろう、とする。「うき事」とする本が多い。

4,自分(源氏)ながらおもいなおすことはできそうになく。強くこだわる源氏の心を表している。「うき事」は女三宮にとって「うき事」源氏の行為が自然表れてしまう。「ことの」は、諸本「こと」。阿―ナシ。大は「事の」の「事」を補入。保・国は底本に同じ。

【おろかに人の見咎むることもあらむが、いといとほしう】

2,(女三宮を)粗略にしていると他人が見て怪しむこともあろう、そのことがたいそう気の毒で。

【院などの聞こし召さむことも、わがおこたりにのみこそはならめ】

1,父君の朱雀院などがそうした噂をお耳になさった場合も、総てが自分の不行届ということになってしまおう。朱雀院は真相をお知りのはずもないから、という含み。

2,朱雀院のお耳に入るような場合にしても、私(源氏)の怠慢であると一方的に。

3,女三宮への薄情の噂が朱雀院に伝わる不都合さを思う。真相を知らぬ院には、源氏の裏切りと思われる。

4,諸本「院なとの」院は朱雀院。

【御悩みにことづけて、さもやなしたてまつりてまし】

2,ご病気を理由にしてそのようにでも(出家)させ申してしまおうか。

3,御悩みは、産後の病気のこと。女三宮の出家によって、このままでは収拾がつかなくなるであろう破綻を、隠蔽できる、の気持。

4,底本「さもやとおほしよれと」の箇所、諸本「さもやなしたてまつりてましなとおほしよれと」。国は「さもやなとおほせは」。底本でも省略形と考えると意は通ずるが、諸本に従いたい。国冬本が最も簡略な文体で古型をとどめているとも思えるが、参考とするにとどめる。「さ」の内容は、「女三宮を尼として」。

【いとあたらしう、あはれに、かばかり遠き御髪の生ひ先を、しかやつさむことも心苦しければ】

1,こんなにお若くて行く末長い宮のお髪を、尼姿に削ぎ捨てるのも痛々しいので。「生い先」は、人生の将来の意と、髪の延びて行く先の意を掛ける。「やつす」は、みすぼらしくする意。

2,もったいなくかわいそうで、それほどに行く末遠いおん髪の将来をそのようにして尼姿に変えるようなことも。髪の長さに女三宮の若く将来が長いことを兼ねて言う。

3,以下、女三宮の出家をと考えつつも、そこから反転して、改めて宮への愛憐執着が喚起される。髪が豊かで長いことに、若く生い先長い人生の意をこめる。断髪して僧衣に身をやつさねばならぬことへのいとおしさ。

4,あたらしうは、惜しいの意。諸本「御くしの」。肖「御としの」、保「御」。「御年の老さき」では、あまりにも散文的で平凡、表現としては、「御髪の老さき」が、視覚的・感覚的にまさる。保は「御」のみで脱文。

【「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。】

1,そんなことをおっしゃらずに気を強くお持ちなさい。大したことはないと思います。

2,源氏の言。それでもやはり自分はしっかりしていると思い込みなされ。わるい容態ではいらっしゃらぬようだ。

3,強く思しなれは、生きる勇気を、の意。前の直話から連続するが、その言葉を支える内心は複雑。けしうはおはせじは、心配なさることもあるまい、の意。

【限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ、】

1,もう駄目かと思われた人も、よくなった例が身近にありますから。大病から回復した紫の上のこと。

2,紫上の例。ここで紫上について言うのは危険ではないか。

3,重態を乗りきった紫の上の例。

4,定・横・吉のみ「たひらなるためし」。他はすべて底本と同じ。これを述べる源氏の脳裡には、紫上のこと(紫上蘇生の話は、つい前巻の若菜下で語られている)が強く意識されている。

【御湯参りたまふ】

2,底本「まいり給に」の「に」書き入れ、青表紙他本「に」を欠く。

4,源氏が女三宮に。せいいっぱいの親切な態度。

【いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにてうち臥したまへる御さま、おほどき、うつくしげなれば】

2,「おほどく」は、くつろぐ、屈託ない。

3,以下、語り手は、女三宮をあえかに病む佳人として捉え直し、これに対する源氏の憐憫・執着をも語っている。

4,弱々しいさま。危篤の状態。「はかなくなる」は、死ぬこと。諸本「御さま」と「の」を欠く。底本は、大と同じ。「さまの」保・国。「の」の有無にかかわらず、「御さま」は「おほどき…」の主語。「おほどき」は、自動詞四段、おっとりとした性状を持つの意。

【「いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな」】

4,源氏の心中。あやまちは、柏木の件。心よわくは、あくまでもこだわる気持を表現。こういいながらも、実際には許せない感情が心中にはある。諸本「ゆるしつへき」。底本と肖のみ「みゆるしつへき」。三は上記「み」をミセケチする。「御ありさま」は底本と大・宮・保。上記以外の諸本は「御さま」。

〔現代語訳〕

源氏の院は、夜なども女三宮の居室ではお寝みにならず、昼頃などにちょっとお顔をお見せになる。「世の中のはかない有り様を見るにつけて、わたしも先が短いことですし、なんとなく心細い気がして、仏道修行ばかりが多くなってきております。こうしたお産のすぐあとはもの騒がしい気がしますので、なかなか参れませんが、いかがですか、御気分は爽やかにおなりですか。気がかりに思われます。」と、御几帳の端から、おのぞきになる。女三宮はお頭をお上げになって、「やはり生き長らえそうにない気がいたしますので、こういう人は罪も重いと申しますから、尼になって、もしやその功徳で命を取り留めますかどうか、ためしてみたく思います。また死ぬにしましても、罪の消えることもあるのではないかと思いまして」といつもの幼稚な様子と異なり、じつに大人びてお申しあげなさるのを、「なにをめっそうもない、とんでもない事です。どうしてそんなにまでお思いになる。かのような(出産という)ことはたしかにこわいことと聞くけれど、だからといって生きながらえないしわざであるならばともかくも、そんなことはないのですから」と申し上げなさる。しかしお心の内では「本当にご本心から出家を望んでおっしゃるのなら、出家者としてお世話をするというような措置はきっと感銘深いにちがいないよ。このまま、一方で連れ添っていながらも、何かにつけて疎ましく思われなさるのが、おいたわしく、自分でも女三宮への不快の気持を改められそうになく、いやな仕打ちも折々まじるだろうから、女三宮を粗略にしていると他人が見て怪しむこともあろう。それがまことにつらいことだし、父君の朱雀院のお耳に入るような場合にしても、私(源氏)の怠慢であると一方的になってしまうだろう。ご病気を理由にしてそのようにでも(出家)させ申してしまおうか。」などとそんな気にもなられるけれど、それもまた、惜しくお可哀そうで、こんなにお若くて行く末長い宮のお髪を、尼姿に削ぎ捨てるのも痛々しいので、「そんなことをおっしゃらずに気を強くお持ちなさい。大したことはないと思います。もう駄目かと思われた人も、よくなった例が身近にありますから、無常とはいっても、さすがに頼み甲斐のある世の中ですよ。」などと申し上げなさって、御薬湯をおあげになる。本当に青み痩せて、言いようもなく頼りなげなご様子で臥していらっしゃるお姿は、おっとりとして可愛らしく見えるので、どんなにひどい過ちがあったにせよ、こちらも気弱くなり、許してあげたくなるようなご様子のお方だ、と源氏の院はお思いになる。

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