竹取物語のページへ  『竹取物語』への招待 1998.10.31

『竹取物語』を読む前に

 『源氏物語』絵合巻に「物語の出来はじめの祖(おや)」と称揚された、初期物語の代表的秀作であり、日本人なら誰にでもそのあらすじが知られている、我が国古典文学を代表する作品である。作者、成立に関わる確かな記録は残されておらず、『大和物語』にこの物語にちなんだ和歌が詠まれて以降、『うつほ物語』の女主人公<あて宮>の造型に強い影響を与えたほか、『源氏物語』にもおびただしい<かぐや姫>的な女性たちが登場するなど、後の物語文学への影響ははかりしれないものがあると言えよう。作者は男性であろうと言うことの他は一切不明という他はないが、古くは<源順(みなもとのしたごう)>、近代にいたって和歌の作風から<僧正遍照(そうじょうへんじょう)>、その関連から漢文体『竹取物語』を前提として<空海>、さらには紀氏周辺、あるいは斎部氏周辺の人物などが取り沙汰されてきた。したがって、成立年代も特定はできないが、およそ『白氏文集(はくしもんじゅう)』伝来の承和(じょうわ)(八四七)以後、和歌の歌風から貞観(じょうがん)年間(八五九−八七六)、さらには『古今集』撰進前後の延喜(えんぎ)五年(九〇五)あたりまで、諸説入り乱れているというのが現状である。

 この物語にはさまざまな要素が盛り込まれているが、<竹取の翁>が竹の中から幼子を発見し、富を得るという致富譚(ちふたん)や、<かぐや姫>が三月で成人するという急成長譚、求婚難題物と求婚者たちの名前に密接な関連を持たせながら、それら求婚譚の顛末(てんまつ)を語りつつその最後に巧みな「落ち」が用意されて語源譚となっている構造など、古物語の体裁を装いながら、実は古代小説の始発に位置する作品として完成度の高い内容を誇っている。

 求婚者の名前と難題物、さらには語源譚を一覧にしてみるとその構成の巧みさは際だつ。

@ <石作皇子(いしつくりのみこ)>−仏の御石の鉢−「はち(鉢・恥)を捨つ」A <車持皇子(くらもちのみこ)>−蓬莱の玉の枝−「玉(魂)さか(離)る」B <右大臣阿部の御主人(うだいじんあべのみうし)>−火鼠の皮衣−「あへ(あべ)なし」B <大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)>−龍の頸の玉−「あな食べがた(難)」C<中納言石(磯)上の麻呂(ちゅうなごんいそのかみのまろ)>−燕の子安貝−「かひ(甲斐・貝)あり」

 くわえて、<かぐや姫>の昇天後、兵士たちに焼かせた「不死の薬」と「文」から、物語を締めくくる語源譚は、駿河の国にある「天に近き」山を『富士の山』と呼ぶようになったと言う、地名起源伝説を記している。このように、物語は求婚譚において求婚者を官位の順に並べながら、しかも彼らの人間性は登場するに従い誠実さを示し出すと言う構成がなされている。つまり、物語の展開のうちに、天上の人<かぐや姫>に人間的情愛を徐々に呼び覚まさせて行く方法がとられたのである。クライマックスは、天上と地上を対比させつつ貴族社会の人間を批判し、「あはれ」と言う人間愛を主題とするドラマに仕立てられている。「物語の出来はじめの祖」と呼ばれたゆえんである。

あらすじ

 今は昔の話、<竹取の翁>と呼ばれた男が野山で竹のなかにいる幼子をみつけてきた。妻とふたりで大切に育てると、この娘はわずか三ヶ月でうつくしい女性に成長する。噂を聞きつけた五人の貴公子が求婚するが、姫はそれぞれの貴公子達に当時極めて貴重な宝の品とされていた難題物の提出を求めたものの、ことごとく失敗に終わることでこれらの求婚の一切を切り抜けることができた。ついで、この姫への求婚話を聞きつけた時の<帝>にも求愛されるが、これも拒み抜き、心を慰め合う関係を続けていた。<帝>との文のやりとりも三年の年月を数えた春、<かぐや姫>は月の都へ帰還する時期を知る。中秋の名月の美しい八月十五夜、<帝>の命で都中の士(つわもの)たちに護衛されていたものの、なすすべなく彼女は昇天して行く。悲しむ<帝>と<翁>には形見に不死の薬と天の羽衣、文が残されたが、<帝>は士たちを遣わして富士山ですべて焼かせてしまった。

 

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