Last Up Date 1999.11.01

日記を物語る 99年10月INDEXホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」             

10月30日(土曜日)

横浜市立大学の第54回日本文学協会大会・第一日目の国語教育部門に参加。今年から「国語科教育法」を担当していることもあり、石原千秋さんの「国語の掟」はぜひ聞いておきたかったものでした。彼の思考はどうしてこんなに鋭利で、分析的なのか?まったくあっけに取られたまま初日が終わった。それにしても金沢八景は遠いです。

10月31日(日曜日)

日本文学協会大会・総会。金子明雄さんの「文学研究を文化研究する」は、なぜ国文科出身の作家・評論家より英文科出身者のほうか多いのかと言う、近代文学研究というシステムの構造に関する謎を解き明かすもの。彼は、僕の質問にも丁寧に答えてくださった。高橋亨さんの「日本文学研究の国際化」では、最近の欧米の日本学では、「基礎学{ディシップリン}としての国文学の専門家が求められている」とのこと。なるほどね。総会は委員選考をめぐってひと悶着があったものの、なんとか無事終了。三次会までお付き合いしてしまったので、帰宅は12時。ではまた失礼。


10月01日(金曜日)

今日から十月。曇天。いつもよりはやく青山に到着。文学史は『うつほ物語』。演習は「柏木」関係の論文を読む。放課後、榎本先生と青山で軽くビールを飲みながら、よまやま話

10月02日(土曜日)

所沢の松井公民館で「古典に親しむ会」『源氏物語』「松風」巻。帰宅すると岩田書院のダイレクトメールが届いていました。今、毎週木曜日御一緒の山下克明先生の『平安時代の宗教文化と陰陽道』を出版した本屋さんで、おひとりでコツコツと毎月三冊ずつ丁寧に版を重ねている出版社だとは知っていました。「新刊ニュースの裏だより」は楽しいコラムです。

10月03日(日曜日)

やらねばならぬことは山ほどありますが、気が進みません。そんな折、この夏書いた『徒然草』に関する指導書のゲラが届きました。夕方は、ダイエー優勝の恩恵による、入館料無料の水泳。これは時間ギリギリまで頑張りました。

10月04日(月曜日)

朝夕はかなり冷え込んできましたね。怠惰な一日をまたまた過ごしました。

10月05日(火曜日)

これだけ冷えると我が郷里の信州は炬燵が必要だろうと思っていら、もうMウェーブでは初すべりが始まったようです。夜は國學院で『うつほ物語』の会。沼尻くんのレジュメは辞書項目まですべてパソコンにデータ入力されたもので、考証も行き届いたものでした。

10月06日(水曜日)

清泉に今期初出講。山のようなレポートを返却しながら、一言ずつ感想を伝えるように心がけました。学生さんたちの秋の装いのあでやかさに圧倒される。僕はあんまりスーツも持っていなくて申し訳ありません。

10月07日(木曜日)

東京成徳大学。後期のみの「中古文学」は「『伊勢物語』の世界」。前期の履修者がほとんどでやりやすそうです。

10月08日(金曜日)

青山の教職員食堂で高田祐彦先生に声をかけていただく。ちょうど短大では青山学院大学の日本文学科への編入の推薦者(一名)の書類選考通過者五名が発表されていました。もちろん、僕はどの学生さんにも肩入れできるわけがありません。この後、三月にも一般試験として、他の短大生と一緒のチャンスも用意されていて、まだまだ青山に残れる可能性はありますが、何せ推薦枠が狭すぎます{来年度からは増員されるそうですが}。

 昨年の卒業生に図書館の前で逢ったので、青山通り沿いのカフェでお茶。帰宅すると小町谷照彦先生から、もう来年度の放送大学のお話。来年は再び茗荷谷の第二学習センターで「中古の日本文学」を担当することになりました。小町谷先生のこの講座は四年目となり、完成年度になります。

永井和子先生から学習院女子短期大学国語国文学会発行の『源氏菫草』{笠間書院1999.03}を頂戴しました。短期大学の演習で変体仮名を読み解き、解題まで書く事は、指導者の練達のリードがなくては成立しない仕事であることを実感しました。

10月09日(土曜日)

帰宅すると清泉女子大学の来年度の講義科目が確定した旨の通知がありました。夏休みがあけてまだ一回しか講義していませんが、僕などは身体がひとつしかありませんから、日程の調整で今から頭の痛いところです。

 また、角川書店の原稿料振込の通知から、この夏の僕の執筆原稿枚数は、のべ百七十五枚であったことが判明しました。他社の仕事を含めると三百枚前後であったことになります。よく頑張ったなあ、と言っておきましょう。

10月10日(日曜日)

瀬戸内寂聴の現代語訳よりも若者には影響力があり、一説に累計千五百万部のミリオンセラーを誇る『源氏物語』の漫画が映画化されます。今日、その映画の助監督さんから電話があり、物語本文には書かれざる背景について、何点か考証を依頼されました。具体的な内容はまだ伏せますが、ある場面で当然発声されるべき掛け声や呪文、もしくは経文の文句についてです。確かに、古注釈にも現行の注釈書にも書かれてないけれども、映像化するには不可欠な効果音の役割を果たすものです。幸い、僕の恩師に文献考証派の先生が二人もいたため、両先生の書物でなんとか回答できそうな気配です。助監督さんは連休明けから岩手県でロケハンだそうで、ファックスはそちらにとのことでした。詳細はいずれ。映画は来年早々にも公開の予定だそうです。

10月11日(月曜日)

終日辞書の原稿書きで過ごしました。昨日の宿題のひとつは、絵コンテ風に書きました。

10月12日(火曜日)

一昨日の宿題のひとつで、女性が出家する際の作法書『出家作法−曼殊院蔵』{京都大学国語国文資料叢書21、臨川書店、1980}を入手しました。夕方、國學院で『うつほ物語』の会。気がつけば「蔵開」下巻がもうすぐ読み終ります。

10月13日(水曜日)

気温がかなり上昇していたにもかかわらず、冬物のスーツで出かけたため、かなり体力を消耗、臨戦体制の原稿書きはあまり進まず。また言い訳の電話をしなくてはいけないのかなあ。

10月14日(木曜日)

東京成徳大学。宿題の『出家作法』について、増尾伸一郎、山下克明先生にそれぞれの立場からご教示いただく。これでほぼ完璧に作法についての経文が読み解けました。国語科教育法では本日から放映される「金八先生」レポートを課しましたが、あまりにも重い内容にどっぷり暗くなりました。

01日のデジカメ写真を榎本先生に頂きました。ごらんください。

10月15日(金曜日)

青山の日本文学史で、出家作法の話をしたらさっそく講義終了後質問の嵐。やはり関心が高いんですね。「手習」巻の浮舟の出家の際にはそのディテールが丁寧に描き込まれています。いくつか論文を探索に青山集密書庫でコピー。僕の関係していた大学ではことごとく欠本だった、藤井貞和さんの「バリケードの中の源氏物語−学問論への接近の試み」{「展望」1969.07}もみつけました。今から三十年前の、秋山虔助教授も登場する古典的なエッセーです。帰宅すると、中川正美先生から『源氏物語文体攷−形容詞語彙から』{和泉書院・1999.10}を頂戴していました。萬謝。

10月16日(土曜日) 19000カウント

9:28東京発の新幹線で奈良女子大の中古文学会に出席しました。この季節にしてはやや暑い日でした。懇親会で吉森佳奈子さんと発表後の質問を約束してしまったのが、以後ずっとプレッシャーになってしまいました。二次会では、三角洋一先生に出家受戒に関して教えていただく。これはたいへん貴重なご教示で僕にとって計り知れない蓄積になりました。夜は最終電車で樟葉の久保田孝夫さんのお宅へ。奥様には御迷惑をかけっぱなしで恐縮でした。

10月17日(日曜日)

久保田さんのBMWで奈良女子大へ、約一時間。そして吉森佳奈子さんの「『河海抄』と「毛詩」」発表。ななんと質問者が手をあげない。やっぱりオレか〜〜。ド緊張。二次会は、いつものみなさんと。三田村さんに指定を取っていただく栄誉に浴して、三谷さんと三人で新幹線に乗りました。かくして楽しい奈良の旅は終わったのでした。

10月18日(月曜日)

疲労の蓄積により、終日なまけた生活。ところで、昨日の中古文学会総会で、あの関西平安文学会が中古文学会関西支部としての承認を申し入れしたとのニュースにはびっくりしました。来年秋は甲南女子大で全国大学国語国文学会と合同大会だというし、なんだか、学会の再編がにわかに現実味をおびてきたような。

10月19日(火曜日)

気温降下につき暖房に切りかえるほど底冷えがします。すこし微熱があるのかもしれません。東京六大学の一角を占める名門の、法学部の国語教室の先生から電話を頂戴しました。この学校では、太宰治と三島由紀夫の掌編を講読する予定にしています。

10月20日(水曜日)

清泉女子大学。古典文学基礎演習で面白いレポートふたつ。ひとつは、賢木巻で光源氏が藤壺に迫ったとき、彼女は髪を源氏に手繰り寄せられたことで出家を決意したのではないか、というもの。もうひとつは、紫の上の死は、当時の化粧品の含有物が健康には著しく害のあったものであったことから、化粧品そのものによってその死期が早まったのではないかという説、つまり出家すると化粧をしないので、むしろ永生きできたのではないか、というもの。みなさん如何でしょうか。

先日の僕の宿題であった、大和和紀『あさきゆめみし−源氏物語』{今まで伏せていてごめんなさい}の映画化の記事を見つけました。まだ全容が僕にも掴めないのですが、NHKエンタープライズ21 映像製作特別プロジェクトの今後の動向に期待してください。

10月21日(木曜日)

東京成徳大学。国語科教育法は二順目の模擬授業。あらかじめ授業予定案の提出を義務付けているため、いざとなれば台本どおりに進行すれば良いのですが、用意していた以外の解答がなされた時の動揺を顔に出してしまう“先生”にはたまりかねてアドバイスをしてしまいました。こんなんじゃ、学級崩壊のクラスは空中分解してしまいますからね。例の「金八レポート」では、陰湿ないじめを繰り返す生徒に嫌悪感や恐怖感を感じたようですね。これも次週以降の金八先生に期待しましょう。

10月22日(金曜日)

青山学院。キャンパスもすっかり秋の装い。今日は、文学史の「清少納言と紫式部」も古典演習の「柏木」も、かなり気合を入れて予習したはずですが、「心あまりて詞たらず」、情報量が多すぎて学生さんはかえって戸惑ったのかもしれません。今週末は完全オフですからゆっくり今後の計画を練り直しましょう。

10月23日(土曜日)

昨日の青山の二年生の『うつほ物語』のレポートを添削しました。俊蔭漂流譚と秘琴伝承譚、あて宮求婚譚の説明が足りなかったらしくやや混乱が見られますが、おおむね優良なものばかりでした。

10月25日(月曜日)

月一回の元輔集の注釈のため、大東に向かいました。萩谷先生に、この間の中古文学会の角田文衛先生のお話を尋ねられる。角田先生と紫式部伝で通ずるところのある萩谷先生は、御自身架蔵の『紫式部日記絵巻断簡』を古代学協会に寄贈なさったのでした。帰宅途中に水泳に寄る。体調も復活しつつあるようです。

10月26日(火曜日)

最近原稿書いていないなあ、と思いながら山積みの本を読む。これもまたよし。

10月27日(水曜日)

清泉女子大学。まったく気がつかなかったのですが、古典文学基礎演習に飛び入りで社会人の科目聴講生がいらっしゃったのでした。あとから挨拶に見えて、高校卒業以来始めての授業だとおっしゃりながら、演習に関する違和感{先生が喋らず、学生が講義をリードする発表主体という意味で}を率直に語られ、試験はあるのか{僕の回答:彼女たちはこの発表がテストです。要するに、独創性、調査能力、アピール度などの総合評価ですよ}など、いくつか質問をいただきました。ちょっと{かなり}驚きました。確かに、高校の授業では、先生の独演会がいわゆる授業の基本型ですからね。そう言えば、講義後の出席カードに記すことに成っている感想・質問には、「緊張した。自分の担当して調べたことや、今日話したことは一生忘れません」などと書いてあったりします。後期から、そうした質問で回答できない場合は翌週答えてもらうことにしました。このほうが学習効果が高まりますからね。

 講義が終わると土砂降りの雨の中ようやく帰宅しました。すると朝日新聞夕刊の文化欄に神野藤昭夫さんの『散逸した物語世界と物語史』に対して「角川源義賞」が贈られることが決定したとのうれしいニュース。この間の学会で最終選考に残っているとの話は聞いていたけれども、僕も推薦した著作が受賞したのは始めてで、すごくうれしいことです。

10月28日(木曜日)

東京成徳大学。四年生から文化祭前日は午後休講とのがせネタでテキストを持っていかなかった僕は、あわてて竹岡正夫『伊勢物語全評釈』を図書館で借りて講義。やはりこれは凄い本ですね。

本日、王ダイエーが初の日本一。王監督の娘で、ニュースキャスターの理恵さんは、石原千秋編『日本文学研究資料新集 夏目漱石U』{有精堂}に漱石論が転載されている元・研究者なのでした。少年時代、王選手のファンだった僕は、「お嫁さんに行っても“王が里”であることを忘れないように、娘たちの名前に“理”を付けた」というインタビューを覚えていました。もちろん、今の姓名に対する時代感覚と隔世の感があることは、記すまでもありませんが。彼女と言えば、朝日新聞の群馬支局時代の外国人就労者問題の記事を読んだことがあります。

10月29日(金曜日)

学園祭のためお休み。終日、校正ゲラに目を通し、読書に費やす。身体がきついこの時期の休養は助かりやス。角川賞の招待状も届きました。


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