Last Up Date 1999.09.03

日記を物語る 99年08月INDEXホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」             

08月31日(月曜日)

オオボケで十二日からのデータを上書きして消してしまいました。復旧させるか、記憶をたどるか、しばらくお待ちあれ{何人かの愛読者にキャッシュデータのバックアップを依頼しましたがすべて失敗。記憶が確かなうちにと、09月03日、ふたたび書き起こしました。オリジナルよりもすこし文飾を施しました。わかりますか?}。


08月01日(日曜日)

猛暑。特に仕事をするわけでもなく、届いたばかりの『大曽根章介日本漢文学論集』の第三巻を読んで過ごしました。

08月02日(月曜日)

やはり猛暑。午前中は、我が愛車をオーバーホール、ちょっとばかりエンジンの調子などを調整してもらいました。和歌文学会の大会通知が届きましたので、思い切って退会することにしました。ここ数年、「和歌文学研究」は読まずに本棚パターン{執筆者のみなさん申し訳ない}が続いており、関心のない学会に何時までも名を留めることは失礼にあたるかとも思いました。午後、「大東文化大学紀要」に連載してきた、飛鳥井雅有の『春の深山路』の本文校訂作業。いよいよ僕の担当分は、弘安三年{1280}11月25日から12月1日までの最終記事と奥書。これらに施注と現代語訳することで完結することになります。夕方は水泳。特に今日のプールは最高に気持ちよかったなあ。

08月03日(火曜日)

昼間は高田馬場で仕事。夕方以降は、前日に続いて、飛鳥井雅有の『春の深山路』に現代語訳をつける作業に専念しました。明日の午前中にこの仕事はまとめるつもりです。

08月04日(水曜日)

『春の深山路』は予定通り完成して投函。次は国文学研究資料館の共同研究の分担作業に取りかかりましょう。深夜、もの凄い土砂降り。大地には恵みの雨でしたね。

08月05日(木曜日)

自分自身の今までの仕事を「教育研究業績」として再編集していたら一日終わってしまいました。昨年、東京成徳大学の教務課で作成していただき、文部省に提出した書類を増補整理したのです。数えていませんでしたが、著書は単著、共編著{教科書関係を含みます}で延べ09冊になっていました。まあ、頑張ったことにしておきましょう。

08月06日(金曜日)

広島原爆の日。青山学院の図書館で借りている本の返却期限が迫っているので、仕事のついでに渋谷に向かいました。大学は一斉休暇中で学生も閑散としており、所々工事中。キャンパスのポプラ並木あたりのもの凄い蝉時雨が今も残響しています。

08月07日(土曜日)

所沢市松井公民館で古典に親しむ会。今月から『源氏物語』「松風」巻に入りました。

夕方、徐々に進めている、先々月の火事の罹災者のみなさんと火元の遺族との交渉で焼け出されて転居したみなさんに電話をかけて初めて御意向を伺いました。火事の直後流れていた風聞と、御遺族の経済状態の落差があまりにも大きく、巨額の賠償金を請求された場合、状況によっては財産権の放棄{つまり、弁済責任の放棄ということ}もあり得ると話すと、みなさんが「お見舞い金」の支払いによる示談の方向で委任して下さいましたが、おひとり、興奮して僕をまるで犯人扱いのような物言いをした方もありました。御自分ひとりで交渉すると仰っていますが、相手の住所も分からず、分かったとしても火もとの御遺族は、バブルで借財を負っており、その財産状況についても奥さんに話してあります。弁護士を雇ってもおそらく赤字でしょう。いったい、どうするおつもりなんでしょうね。やれやれ。

08月08日(日曜日)

日本文学協会事務所で「『うつほ物語』を読む会」明日、資料館で共同研究があり、その宿題が終わっていないためか、出席者が珍しく多くありませんでした。僕も少し作業が残っています。

08月09日(月曜日)

国文学研究資料館で共同研究。いくつかの構想が具体化してきました。共同研究も三年目、宿題の提出率も高かったし、これはとてもよいことです。

ところで、最近、宇田多ヒカルの掲示板を、毎日訪問しています。現在、ニューヨーク在住の彼女は、なんと、中上健次が大好きなんだそうで、とんでもなく繊細な感性{中上文学の形容がいいんだよね}であの“濃い”小説やエッセイなんぞを読んでいるらしい。これに川端や芥川も好きだと書いてあるんですよね{無断引用はダメなので本人のページを直接ご覧下さい}。進学希望の彼女{これも掲示板参照}は、ぜひ国文学科に進んで瀕死の状態の文化系大学を救って欲しいですね。

08月10日(火曜日)

少し涼しくなりましたね。溜まった仕事をひとつひとつ片づけなければいけませんが、今日は水泳に行っただけでお休み。

08月11日(水曜日)

少し涼しいところへ移動しようと思い、角川書店の岸川さんと連絡を取りました。未だに原稿を一枚も出していない方もあるようで、温情で人を起用するお人好しは卒業しなくてはならないようですね。

08月12日(木曜日)

渋滞情報を聞きながら、午後、家を立ち、実家のある信州に向かいました。途中、南牧付近でラジオから日航機墜落事故から十四年目の夏のニュース。昨年もほぼ同時期{昨年は十一日}にここを走っていました。月日の流れは速いものですね。

08月13日(金曜日) 15000カウント 

信州も凄い土砂降り。おかげで、僕の自宅の留守番電話が稼動しなくなりました{あまりの雨量にサッシの隙間から雨漏りして漏電したことが後日判明しました}。困ったなあ。

08月14日(土曜日)

のんびりと原稿書き。そして、うたたね。これがいいんですよ。

08月15日(日曜日)

前日にほぼ同じ、昨日はあった、プロレス中継{G1クライマックスの決勝戦}が今日はオンエアされず。「だから、田舎は嫌だ〜〜!!」そんなボクを父はただ笑っていました。

08月16日(月曜日)

弟の新居にお招きに預かりました。弟達は昨年の長野オリンピックにボランティア参加したため、NAOCから提供されたボランティアのみなさんのために編集された記録映画を見せてくれました。

 お盆のクライマックスは近くにある上原家墓地への墓参り。これで信州の短い夏も終わります。遠くで花火も上がっていました。

08月17日(火曜日)

所用のため、少年時代を過ごした、岩村田{いわむらだ}・小諸と回りました。長野新幹線佐久平駅の開通で二つの街は中心からはずれた形となり、その寂れ方は急速に進んでいるなあ、という印象がありました。

08月18日(水曜日)

近所のいとこの家に遊びに行きました。改築なった家の空間性に圧倒されました。「俺んちは狭すぎる」ことを実感しました。

08月19日(木曜日)

母に追い出されるように、帰京。先週の土砂崩れで崩落した松井田−富岡間の上信越自動車道を対面通行で通過。二時間。途中、新座市役所で例の火災の義援募金の打ち切りの手続きをしてきました。こちらもそろそろケリをつけなければ。

08月20日(金曜日)

火災で大泉学園に引っ越した、遠藤さんの家に遊びに行きました。おばあちゃんが手料理でもてなしてくれ、56歳の遠藤さんも、まだ小学一年生の雄一君のため、「この子が成人するまでがんばりますよ」と話してくれました。よく遊んであげた雄一君は、照れて、甘えていました。

08月21日(土曜日)

我らが街のリーダーだった、向かいの伊藤さんの一周忌。近所のみなさんで伊藤さんを偲びました。夕方からは、かつて高校の同僚だった、藤野貴弘さんの結婚式。彼のシンセサイザーで花嫁を迎え入れる斬新なパーティーでした。懐かしい卒業生にも逢えたしね。

08月22日(日曜日)

五月の火災の際の罹災者集会を近所の集会所で。火元の遺族との補償交渉もほぼ方向性が見えてきました。

明日からは物語研究会大会のため、伊豆に立ちます。

08月23日(月曜日)

物語研究会大会初日。伊豆半島は飛ばしても飛ばしても稲取温泉につかず、結局、大顰蹙のド遅刻。でも全部シンポが聞けてよかった。夜はペンションの中庭でバーベーキュー。深酒のボクは指定された部屋でないところで寝こみ、早朝移動したため、はやくも二泊一日目を終えました。

08月24日(火曜日)

物語研究会大会二日目。シンポの総括討論に自由が二本。お昼に出かけたドライブも道に迷ったけれども、おいしい店に出会えて満足しました。

08月25日(水曜日)

物語研究会大会最終日。あっという間の三日間でした。機関誌についてもじっくり意見を聞けたしね。みなさん、来年また逢いましょう。

08月26日(木曜日)

大会の余韻に浸っていると『日本文学研究論文集成 源氏物語02』が届いていました。本来、ボクの論文は『源氏物語01』に掲載依頼がきたのに、なぜか、今回の本に採録されていました。この間、編者からは丁寧な説明があったのに、発行元からは最後まで何の断りもありません。まあ、この出版社にボクの原稿を預けることはもうありませんが。

08月27日(金曜日)

せっせせっせと原稿書き。わっせ、わっせ。夕方は成増で水泳。そして帰りは土砂降り。留守電が不通になった理由がわかりました。

08月28日(土曜日)

来月の物語研究会例会のテーマ発表を強引に押し付けられたため、データベースの入力と整理。なぜか、生活のための依頼原稿よりも仕事が進みました。でもこの発表も依頼原稿のものなんです。

08月29日(日曜日)

怠惰な日々がただ、過ぎて行きました。

08月30日(月曜日)

テレビでは一斉に槙原敬之、覚醒剤で逮捕の報道。昨日のFM東京の「クローストーユー」が差し替えられていた理由がわかりました。ファンの掲示板も混乱しているようですね{翌日にはほとんど閉鎖されました}。


INDEX ホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」