Last Up Date 20001.01.22

日記を物語る 99年07月INDEX‖ ホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」             

{青山の講師室にて。撮影・榎本先生}

07月30日(金曜日)

遅れに遅れた指導書をメールでファイル送信。無事着信も確認されプリントアウトもできた旨、担当の岸川さんから電話を頂きました m(?_?)m。夕方、大東文化会館で対照言語学研究会。鈴木泰先生に『うつほ物語』のほんとうによみやすい注釈書が欲しいね、と声をかけていただきました。

07月31日(土曜日)

古代文学会との合同シンポジーム準備会。新川登亀男さんの『道教をめぐる攻防』(大修館書店・1999)をめぐっての討論に著者も登場し緊張。この方面不案内の僕には勉強になりまくりました。もちろん、二次会、三次会例のごとし。家に帰ると翌八月になっており、少年時代から畏れていた、ノストラダムスの大予言はやっぱりはずれていたのでした。


07月01日(木曜日)

東京成徳大学。まだ教育実習校の決まらない学生さん数名。いざとならば僕の人脈を駆使してもいいけれども。ぼちぼちやっていきしょう。この暢気さもまあ、いいですかね。

07月02日(金曜日)

青山学院。文学史で先週の続きの映画『竹取物語』を見せたら、みんなが結構真剣に見入っており、途中でカットできず、予定がこなせませんでした。とにかく今年は就職難であるらしく、短大では最も求人が多いはずのこの学校の学生さんも欠席が目立ちます。

 帰宅すると、ようやく全焼七軒の解体撤去作業が完了、ひろびろとした更地が広がっています。お住まいだった方達でこの地に留まる家は二軒のみ、みなさん別の土地に転居なさって、新しい暮らしを始められたようです。僕の家の周辺は、寂しく、部屋の明かりも灯らない、暗い路地になってしまいました。

 それにしても原稿の締め切りが重なっているのに筆が進みません。僕はしばらく不機嫌ですから、アプローチはなるべく避けて下さい m(!_!)m。

07月03日(土曜日) 13000カウント

またまたまた雨。所沢の松井公民館で古典に親しむ会。今回で『源氏物語』「絵合」巻を読了。来月からは「松風」巻に入ります。夜、電話多数。原稿も少し進みました。

07月04日(日曜日)

早朝、家を立ち、名古屋へ。新幹線の中で神田龍身さんから頂戴した『偽装の言説−平安朝のエクリチュール』(森話社.\2400)を読みながら、日本文学協会研究発表大会出席のため、愛知淑徳大学へと向かいました。キャンパスは洗練されて美しく、淑徳の院生で、古代研の有力メンバーのみなさんがサポートしてくれていました。古代後期が多かったけれども、バラエティーに富んだ内容でした。帰りの新幹線は、三谷、三田村夫妻と御一緒に。帰宅は翌日の12:50でした。お疲れさま。

07月05日(月曜日)

疲労が蓄積していますが、体力を振り絞り、物語研究会例会通知の発送作業。夕方には、水泳。だから原稿は書けませんでした。反省。

07月06日(火曜日)

國學院大學で『うつほ』の会。「蔵開」下巻の「子の日」「百日{ももか}」がキーワードの場面。充実感のある研究会でした。

07月07日(水曜日)

七夕。『うつほ物語』には七夕の日に賀茂川で髪を洗う女達がたくさん登場する日です。折しもそれぞれの演習で七夕を紹介する発表が相次ぎました。清泉もいよいよ来週が最後。なんだか、すっかり夏休みモードです。

07月08日(木曜日)

東京成徳大学。あと一回で講義はおしまい。期末テストをするのは「上代文学」だけですが、他の講義はレポート。みなさん、頑張って。

07月09日(金曜日)          

青山学院の前期最終回。{講師室にて。隣は井野葉子先生。撮影・榎本正樹先生}『竹取物語』まで終わりました。後期は『うつほ物語』から始めます。

07月10日(土曜日)

快晴。長野県の上田駅前にある東急インで僕の弟の結婚式。ほんとうによかった{1966年頃の我が兄弟です }。ただし、父がクライマックスの挨拶で、僕が書いた「挨拶文」の原稿を持って行くのを忘れ、僕がスポットライトの許へこっそりと運んだことは、我が家で永遠に語り継がれるハプニングとなったけれども。

07月11日(日曜日)

一夜開け、母と、式で映し出されていた弟と花嫁さんの生い立ちのビデオを見る。昨日の出来事が、まるで夢のようです。

07月12日(月曜日)

立川の叔母を乗せて帰京。溜まった仕事多数。気力が湧いてこず辞書を数項目。抜本的な思考の転換が必要な気がします。

07月13日(火曜日)

國學院の『うつほ物語』を読む会の打ち上げを渋谷で。いろいろな大学出身の研究者の話を聞くのは楽しいですね。

07月14日(水曜日)

集中豪雨に晴れ間も見える困った天気。清泉女子大学の前期最終講義。レポート提出と前期のまとめと後期の講義に関する発表のアドバイスなど。天候の変わり目で体調不良にもなりがちです。夏休みまで後もう少し。みんな頑張りましょう。お世話になった、学務課のみなさん、栃木孝惟先生、日本文学科研究室の水谷さんに御挨拶をして帰宅。まだ雨は小降りで降り続いています。

榎本先生から、先週金曜日の、講師室での写真二パターンで頂戴しましたのでご覧下さい。ちょっと偉そうにしていますが。

07月15日(木曜日)

東京成徳大学。本日前期最終講義。ちょっと急ぎ足でしたが『竹取物語』は全編読み終わりました。どんなテストを作ろうかなあ。

07月16日(金曜日)

青山学院。日本文学史の定期テスト。欠席四名。必修でこの欠席者は異例です。原因を調べ、教務課の担当者と協議し、追試を作り瞬く間に時間がたちました。井野先生が神田の古本屋に行かれるということでちょっとお付き合い。欲しい本もたくさんありましたが、今月は出費もかさむので我慢。古本屋に行くと研究への意欲が湧くのは不思議です。そして僕は東京成徳のテスト一つ残すのみとなり、ほぼ夏休みに入りました。

07月17日(土曜日)

神田パンセで日本文学協会第三回委員会。今年の大会テーマは「文学の忘れもの」だそうです。三谷・三田村さんや塩崎編集長と二次会。東原伸明さん、久保田孝夫さんとは新宿の通称「しょんべん横町」で三次会。ちと飲み過ぎて帰った記憶がないけれども、僕は西武線を乗り過ごしもせず、自転車でちゃんと帰っていたのでした。

07月18日(日曜日)

都内某所で私的な勉強会。よく語り、よく聞き、そしてよく飲む。これが活力になります。

07月19日(月曜日)

大東で元輔集の注釈十首。テスト期間中とは言いながら、すっかり夏休みの雰囲気で人通りも閑散としていました。

07月20日(火曜日)

海の日。海を知らずに育った僕は、終日原稿執筆。あまりに平凡な一日で何も書くことがありません。少しネタでも考えましょうか。

07月21日(水曜日) 14000カウント

終日原稿執筆。九日締め切りの辞書をようやく投函。戻ると一枚送り忘れてもう一度ポストへ。次ぎに先月末日締め切りの仕事に取りかかる、そんな一日でした。m(!_!)m。

07月22日(木曜日)

江藤淳さんが「自ら処決して形骸を断ずる」遺書を遺して自裁。どうしても、漱石の『こゝろ』に出てくる先生の遺書を思い浮かべてしまいますね。昨年、僕は偶然実家にあった『週刊朝日』で江藤夫妻の「夫婦の階段」を読んでおり、その後の夫人の訃報も知っていたので、気の毒だなあとは思っていましたが。大正大学に遺された院生たちもまた気の毒ですよね。

07月23日(金曜日)

午前中は原稿執筆。午後、白百合女子大で『浜松中納言物語』の注釈の会。巻一を読み終えました。(以下、削除)

07月24日(土曜日)

昨日梅雨明けして快晴。横浜市立大学で物語研究会例会。今井俊哉さんの「鏡」の論や、小林正明さんの『村上春樹・塔と海の彼方に』の三田村さんの批評は真のプロフェッショナルの批評のなんたるかを語っていたような気がします。二次会。三次会…帰宅する意欲を失った僕は、逗子にある松岡智之邸に押し掛けていたのでした。松岡くん、ありがとう。

07月25日(日曜日)

松岡さん一家に手厚くもてなしていただき恐縮。逗子のひなびた喫茶店で一息してから約二時間半かかって帰宅。真昼の我が家の二階は異様に暑くなっていました。

07月26日(月曜日)

国文学研究資料館で『うつほ物語』に関する共同研究の本年度一回目を実施しました。僕の担当は、漢籍引用一覧を作ることと『源氏釈』『奧入』『原中最秘抄』の『うつほ物語』関連文献を収集することなどです。

またメールで、東京国際フォーラムで行われる女人舞楽の御案内を頂戴しました。『源氏物語』のページに案内を掲示しておきましょう。

07月27日(火曜日)

連日の炎暑にバテ気味ですが、『徒然草』の注釈を少々。ノルマはあと一段。明日で片づくでしょう。夕方、水泳。めずらしく少し混んでいましたが、最高に気持ちがいいですね。

07月28日(水曜日)

産養{うぶやしない}はなぜ白装束なのかを研究をしている某氏に呼び出され質問を受ける。しかも、答えは『日本紀略』にあることはもう調査済みで僕は用無しであることが判明、結局、お茶代は僕の奢り m(・_;)m。まあ、いいけど。

『物語研究会会報』30号のゲラが僕の家にも届きました。なかなか読ませる論文ばかりです。刊行が待ち遠しいなあ。

07月29日(木曜日)

東京成徳大学で期末テストを行うため、無謀にも車で出かけました。大東に立ち寄り、9時15分過ぎ高島平発。環状七号線を西に下り、首都高速は千住大橋から、千鳥橋からは道が東関東自動車道へと変わり、千葉北・八千代インターまでで約二時間が経過。国道16号を北上し正午ちょうどに到着。学生食堂もすでに閑散としており、履修生で二年生の佐藤純くんがいたので、よもやま話をしながら昼食をとりました。学校の雰囲気がなぜか、自分の学生時代(東松山校舎の頃)に似ているため、思わず昔話をしています。この学校は試験が90分で、監督も僕だけ。試験本部も特にないのは新設の大学だからでしょうか、ここでも総合事務室のみなさんに御挨拶をして、こんどは船橋−京葉道路−首都高速を使って帰りました。首都高速が花火大会のあおりをうけてか、大渋滞、高田馬場でのもう一仕事まで、中途半端に時間が余ったので、北池袋で下りて、約二十年近く前に下宿していたあたりに車を止め、思い立って銭湯へと向かいました。昔毎日通った銭湯は今もありましたが、番台は消え、フロントに。入浴料も385円{昭和60年頃は185円}。一時的にすっきりしてもう一仕事、今日はさすがに疲れました。


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