Last Up Date 1999.07.02

日記を物語る 99年06月   INDEX‖ ホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」

06月30日(水曜日)

土砂降りの雨。僕は車で出講。大学のロータリーにはタクシーで登校する学生さん多数。さすがお洒落な女子大だ、とこの登校風景にしばし我を忘れて立ちつくしました。それにしても校門の「学内関係者以外の立ち入りを禁ずる」旨の立看板は無粋です{学生さんの話によると、異形の闖入記者が講義に出没したとのこと。何やってるんでしょうね}。


06月01日(火曜日)

今日から六月。窓の外の光景をみていると、人間の生死や運命を分けるものは何なのかとしみじみ思ってしまいます。午後、消防署に「罹{り}災証明申請書」を提出しました。車で五分。でもあの日の消防車は二十分くらいかかったような気がします。夕方、焼けた電話線を掛けかける作業の中、國學院へ『うつほ物語』の会に向かいました。

06月02日(水曜日)

清泉女子大学。日本古典文学基礎演習『源氏物語』はいよいよグループ発表になりました。テーマはそれぞれA組が「出家」「車争ひ」、B組が一チームで「車」。この発表は『源氏物語大成』の索引で「車」の全用例を検討した労作で、初回から高水準の発表が続きました。放課後、長谷川政春先生と雑談。夕方、青学会館で短大の教員懇親会。栗坪学長を始め、藤本さん、小林さんにお気遣いいただき、楽しい一夜になりました。

06月03日(木曜日)

東京成徳大学。一時限目の「国語科教育法」の模擬授業はますます充実してきました。文学史・漢字テストの得点も高水準になってきました。帰宅すると、道ばたでご近所のみなさんが今後の対応を協議中。土曜日に集会場で罹{り}災者集会をする事になりました。

06月04日(金曜日)

物語研究会の例会通知の発送を依頼するため車で出たら大渋滞、首都高速を飯田橋まで利用、無事、青山には時間前に到着しました。文学史は紀貫之の「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の虚構性について話したところ、これを女歌とするのは鈴木日出男先生の解釈で、「家のあるじ」も歌の詠者も男どおしと学校で習っていた人もいたようで、辞書を片手に質問まででました。昨年の文学史{近代}はあの金井景子先生だったそうで、かなり鍛えられています。それにしても今年のクラスは手強いぞ。古典演習は、『源氏物語』の「衣装」。いつものネタに加えて、「玉鬘」巻の衣配りの衣装まで解説。今週は徐々に気力も復活し始めています。

06月05日(土曜日)

所沢市松井公民館で古典に親しむ会−『源氏物語』絵合巻。新しく入会した方もあり活気付いてきました。夜、八時から罹災者集会。いろいろと難しいことばかり。あの瓦礫の山の完全撤去までにはあとしばらくかかるのだそうです。二年前に書いた「権威としての〈本文〉−物語本文史の中の『伊勢物語』」『〈平安文学〉というイデオロギー 叢書 想像する平安文学 01』{勉誠出版・1999・05.10}がようやく届きました。発行がかなり遅れたため、みなさんあとがきに脱稿後の研究動向との整合性を図る腐心が認められます。執筆者のみなさん原稿の締切は守りましょう。

06月06日(日曜日)

本日、我がホームページ「物語学の森」オープンより一周年。よく続いたものです。試行錯誤が続きますが、新たな展開も考えています。今日は、終日、今週土曜日の古代文学会との合同準備会のための原稿執筆。角川文庫で『源氏物語』の「柏木」「横笛」「早蕨」「宿木」を読み返したりもしました。

06月07日(月曜日)

おととい、梅雨入りして今日午前中は雨。外では全焼した家の解体が始まりました。僕は前日に引き続き原稿書き。夕方はご近所のみなさんと道ばたで雑談した後に水泳。ようやく平凡な日常が戻ってきました。

06月08日(火曜日)

左、伝久我通光筆『梁塵秘抄』。先日{05月22日}、新聞各紙で後白河院真筆と紹介された、上野学園日本音楽資料室蔵の古筆切{こひつぎれ}は、小松茂美先生が字母「な」を天理図書館蔵の後白河院の真筆消息や同時代諸家筆跡との比較鑑定を行った結果、院の真筆とは認められないものであったようですね{読売新聞、小松茂美「『梁塵秘抄』断簡筆者の謎、上下」06月02、03日連載}。小松氏によれば、どうもこの断簡、諸家の寄合書{よりあいがき}によってなった巻物のようですが、今度はなんと久保木哲夫先生が、三井文庫蔵の古筆手鑑{こひつてかがみ}「高松帖{松の正字は「容」+「木」}」の一葉が、紙の特徴や筆跡、下絵の意匠などから、上野学園の古筆断簡のツレ{おなじ原本から切り取られた断簡}であると紹介されていました{「朝日新聞」06月08日、朝刊}。それにしても凄い発見が続いたものです。

06月09日(水曜日)

清泉女子大学。『うつほ物語』の演習は、「今うつほ」と呼ばれる若小君物語に入りました。『源氏物語』の基礎演習はA組が「物の怪」「祭」、B組が「いのり」「薫り」の口頭発表。四組とも履修二回目{ごめんね}ということで、内容も高水準で僕自身も勉強になる凄い発表の連続でした{清泉の学生さんたちの勉強意欲は凄いぞ!!清泉に来て良かったなあ}。来週からは一年生の発表になります。

06月10日(木曜日)

東京成徳大学。『源氏物語』は例の『梁塵秘抄』の断簡と「紅葉賀」巻の源典侍の挿話など。『竹取物語』はようやくテクストを読み始めるところまで来ました。

06月11日(金曜日)

明日の古代文学会の勉強会のための草稿を一応脱稿として、青山に出講。文学史は「『伊勢物語』の三段階成立論」。切ない恋の歌を解説しているのに、なぜか笑いをとっていました。古典演習は、『国宝源氏物語絵巻』を読む。絵巻の場合、話すことはいくらでもありますね。

06月12日(土曜日)

久しぶりに神田の古書店街を周り、共立女子短期大学での合同シンポジウムの準備会へ。今回は物語研究会の側から僕と助川さんのレポートでした。僕のレポートは、以後、講義で使い回しさせていただきます。久しぶりに琴の物語を総復習できました。「学びて時に之を習ふまた楽しからずや」

06月13日(日曜日) 12000カウント

終日、締め切りが気になる『枕草子事典』のための準備。『諸説一覧枕草子』{塩田良平編、明治書院、1970}『枕草子必携』{秋山虔編、学灯社、1975}『枕草子講座/第四巻』{有精堂、1975}などを枕に散読。特に『必携』の故・中村義雄先生の「服飾・儀式」、萩谷先生の「枕草子語彙事典」は今でも有効な基礎文献ですね。中村先生の担当分には「歌語」も付され、「斧の柄」「葛城の神」「芹摘みし」なども簡便にして要を得たまとめになっています。それにしても僕が修士課程の時に病気退職された中村先生の存在の大きさを改めて実感しました。

06月14日(月曜日)

今日も空梅雨。意を決して自転車で吉祥寺へ。所要時間45分。東急の「『太宰治の20世紀』展」。構成は斬新なのですが、資料は複製や写真が多いのは残念。ただし、太宰さんが旧制弘前高校二年生の時の記念写真{昭和3年・1928}は注目すべき資料{僕ら古典学者にとっては}で、国語の担当だった弥富破摩雄は三巻本第二類本『枕草子』の伝本所有者{これは田中重太郎をへて、現・相愛短期大学蔵}として知る人ぞ知る人物。昭和天皇の傳育官として、幼年時代の天皇{迪宮裕仁}と相撲をとる写真{大正2年・1913}でご存じの方もあるかもしれません。

06月15日(火曜日)

火事で全焼した家の解体作業が、出火元の家を取り巻くように、ようやく僕の家の近隣にまで進んできました。類焼した家もまるで要塞のようにシートに覆われています。そんな中、諸般の折衝に当たっておられた佐々木さんが軽い脳梗塞で倒れられると言うハプニング。井戸端会議で僕が代理に指名されてしまい、さっそく関係方面に電話。これには正直参りました。

06月16日(水曜日)

清泉女子大学。この学校の僕の講義室は三箇所とも冷房が設置されておらず、工事が始まるこの秋までつらい日々が続きます。お昼休みのラファエラ食堂で、中世文学の栃木孝惟先生のお話を伺うのが楽しい一時となっています。

06月17日(木曜日)

東京成徳大学。研究室まで利用させていただいている、増尾伸一郎さんから、井上辰雄編『古代東国と常陸風土記』{雄山閣出版.1999.06}を頂戴しました。恩師の古稀記念論文集だそうです。増尾さん御自身も、「神仙の幽り居める境−常世国としての常陸と藤原宇合」を御執筆になっています。比較宗教論の山下克明先生の「物のけ」談義ともども木曜日の知的雰囲気は最高の刺激になります。

06月18日(金曜日)

久しぶりに雨の青山学院。文学史は「『伊勢物語』三段階成立論」の最終回。先頃発売された「権威としての〈本文〉−物語本文史の中の『伊勢物語』」を丹念に読み進めました。ただし、教育実習や就職活動で休んでいた学生さんには前回からの流れが見えなかったかもしれません。出席率などを見ていると、今年の就職戦線は至上最悪の厳しさのようですね。

 夜、例の火事のことで窓口となっている市役所の斡旋により、僕が出火元の御遺族と直接交渉することになり、電話を待ちましたが、かかってきませんでした。あれから三週間……。全焼七軒、類焼六軒の御家族の心労を考えると、御遺族とは言いながら、失火元の家族として、まったく現場に足を向けようとしないというのは、社会通念上、考えられないこと。もうそろそろ、重い腰を上げていただく義務があると思います。

06月19日(土曜日)

本日はまさしく雨の桜桃忌。僕は清泉女子大学で物語研究会。ロングランになりましたが、懸案事項も一応解決、めでたし、めてたし。

06月20日(日曜日)

日本文学協会事務所で『うつほ物語』の会。俊蔭巻の若小君物語と「任氏伝{じんしでん}」についての典拠の関係を丹念に読むことができました。

06月21日(月曜日)

『枕草子事典』の原稿下準備。清少納言の『うつほ物語』贔屓、と言うより藤原仲忠贔屓を中心に書くことになりそうです。僕の担当章段「心にくきもの」「賀茂へまいる道に」は、ちゃんと守備範囲を考えてくれていたのですね。感謝。

06月22日(火曜日)

曇天で雨の夏至の日です。思い立って、明日の講義に燻らすために「お香」を買ってきました。銀座・香十の迦羅静玄{きゃらせいげん}は沈香{じんこう}も入っているようで、ちょっと高めです。國學院へ『うつほ物語』を読む会。「気{け}取る」と言う言葉がキーワード。解釈の難しい本文をマッタリと読むこと、たいへん勉強になりましたm(!!)m。

06月23日(水曜日)

清泉女子大学。講義中、お香を焚きしめてみましたが、女性にはこの手の香も好き嫌いがあるようですね。ただし発表には関連があったので印象が強かったものと思います。帰宅すると三角洋一さんから『岩波ジュニア新書 日本古典へのすすめ』{岩波書店.1999.06}を頂戴していました。三角さんが『徒然草』、鈴木日出男先生が、『源氏物語』、兵藤さんが『平家物語』と言う豪華ラインナップの高校生向けのテキストです。

06月24日(木曜日)

曇天に雨。そろそろ期末テストの問題を作らなくてはいけません。今年は演習が多く、テストは二つだけの予定です。それにしても本日出講先の東京成徳大学の学生は恵まれています。なぜなら、微に入り細に入り、先生方の細やかな配慮がなされた学校だからです。なんといっても少人数なのがいいですね。帰宅すると萩谷朴先生から、留守番電話に近火見舞いのお電話を頂いており、ひたすら恐縮の一夜でした。

06月25日(金曜日)

青山学院。文学史は「『竹取物語』の世界」。小さ子譚・致富譚・急成長譚・求婚難題譚・語源譚・地名起源譚などの物語要素を確認した後、市川昆監督、沢口靖子主演の『竹取物語』でこれらの要素を念頭に鑑賞し、さらに冒頭部を原文で読解しました。三船敏郎の竹取翁に若尾文子の妻の媼{めのをうな}がいい味わいを醸し出しています。なにしろ市川作品は画面の美しいのがいいですね。でも沢口靖子は大根なので大幅にカットして、来週は求婚難題譚の部分を見る予定です。前回までの「『伊勢物語』の生成」のレポートを回収しましたが、みな力作揃いでした。古典演習はAVルームでビデオ。加持祈祷に襲の色目、源氏絵までじっくりと堪能しました。

 放課後は榎本先生と青学会館。途中、僕たちを見つけてスペシャルゲストまで立ち寄って下さり、あれこれと四方山話{よもやまばなし}。なんとおしゃれな金曜日なのでしょう。

06月26日(土曜日)

白百合女子大学で『浜松中納言物語』注釈の会。それにしても読みにくい文章です。あと一回で巻一が終わりと言うところまで来ました。

06月27日(日曜日)

まさに梅雨空。午前中はイレギュラーながら高田馬場で仕事。そして北大塚で散髪。さらに成増で水泳。家に帰って若干原稿書き。でもノリが悪く進みません。『徒然草』の指導書もあるし、そろそろエンジン全開に持っていかないと。夜、火事の出火元の御遺族から電話。おくやみを申し上げた後、話を簡潔にまとめて話しましたが、結局、膠着状態。やはり長期戦になりそうです。

06月28日(月曜日)

僕の家の周辺の解体がいよいよ佳境に入りました。出火元の家の解体は、通常三日かかっていたのになんと一日でほぼ完了。解体業者さんに、この家は二階建てだったと話したら驚かれたほど炭化が進んでおり、ゴミは少なかったようです。夕方、ご近所のみなさんと道ばたでまたまた雑談。きれいになった出火元の居間兼寝室付近に「沈香」の香木を燻らせて、おじいちゃんの御冥福を祈りました。

 大東で『元輔集』の注釈十首。「山城国高市郡高取郷」や「山城国高市郡壺坂寺」あたりの記事が連続。大型の地図を広げての注釈作業に、また新しい知見を加えることが出来ました。萩谷先生もだいぶ体調もよくなられたようで安心しました。

06月29日(火曜日)

連日の雨で西日本では被害が広がっているようですね。原稿の筆が進まぬまま、國學院へ『うつほ物語』の会に向かいました。発表は充実したもので、時間をたっぷりかけて本文をじっくり読むことは、やはり大切なことだと思います。


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