Last Up Date 1999.04.30

日記を物語る 99年04月   INDEX‖ ホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」

04月28日(水曜日)10000カウント達成御礼

朝、08:21分にアクセスしたら、10011カウント。遂に奇跡の10000カウントを09ヶ月で達成できました。ありがとうございました。

本日清泉出講日。僕も西武線・埼京線のちょうどよい乗車時間も確実に抑えられるようになりました。一時限目の『うつほ物語』の演習は少人数でよかった。諏訪緑の『うつほ草紙』( 小学館.1995)を読むことを勧めてみました。古典演習は座席指定にして、発表順序を決定しました。座席の位置で便宜的に決めたため、チームワークが心配ですが、最初に四年生に発表してもらうため、模範になってくれるでしょう。その前に僕もプレゼンテーションをすることにしました。講義終了後、談話コーナーですこしばかりの雑談。「では、ごきげんよう」

04月29日(木曜日−みどりの日)

共立女子短期大学で古代文学会・物語研究会合同研究会準備会。なんと次回は僕が研究発表をやることになりました^^。しかも、津田さんから、テーマ設定にむけてこんな感じでやってくれという要請もあり、思いついたタイトルは「〈琴の譜〉を語ること、書くこと−物語言説を浮遊する音」。興味のある方はどうぞ参加なさってご助言下さいますように。

04月30日(金曜日)

連休の真ん中の金曜日。青山へ向かいましたがどの道も大渋滞、ラジオの交通情報は、平日の78l強、交通量が多いことを伝えていました。どの道を選んでも渋滞。渋滞…。すごいストレスのうちに時間までには到着。文学史は天平文化と遊宴の話。演習はパソコンルームで僕のホームページを見ながらレクチャー。帰りもまたまた大渋滞。研究会の予定はキャンセルして、トロトロと帰宅しました。


04月01日(木曜日)

4月1日、エープリル・フール。新学期も始まりました。でもまだ実質は春休み中だけど。

 本日の「朝日新聞」朝刊第一面に日立製作所が「国宝源氏物語絵巻」をデジタル技術で復元した、鮮やかな「柏木」の映像が掲載されていました。これだけの技術革新が可能なら、国文学の文献学的方法の、抜本的な革新も時間の問題ということですね。

04月02日(金曜日)

朝日新聞関係の記事が続きます。日曜日の読書欄の下に、叢書『想像する平安文学』(全10巻・勉誠出版)の広告が出ていましたね。僕は第1巻「〈平安文学〉というイデオロギー」に「〈権威〉としての本文−物語本文史の中の『伊勢物語』」を寄稿しており、先日校了としましたので、今月中に発売されます。さらに、もう一点、第9巻「音楽と歌謡の想像力」に、本日ようやく「恍惚の光源氏−『胡蝶の舞』の陶酔と覚醒」なる論文を脱稿、さっそくメールで一太郎8文書とテキスト文書二種を送信しましたm(_)m。電話でテキストデータの着信を確認した後、割り付けなどの打ち合わせをしていただきました。そしたら最後に、なんと編集者の方から、まだ本講座で執筆中の知人が居たら声をかけて欲しい旨の依頼を受けてしまいました。

 さて、僕の論文は次のような付記を記しました。これで執筆意図がご理解いただけるものと思います。「本稿は、拙著『光源氏物語の思想史的変貌−〈琴〉のゆくへ』(有精堂・1994年)以降の、「〈爛柯〉の物語史−『斧の柄朽つ』る物語の主題生成」『講座 平安文学論究/第十二輯/特集・うつほ物語』(風間書房・1997年)などの研究成果を吸収しつつ、主に物語第二部偏重の傾向があった拙著を補うことを意識して、玉鬘十帖の楽について考えたものである」

04月03日(土曜日)

毎月第一土曜日は所沢市松井公民館の古典に親しむ会。「絵合」巻。先々月歌集を出された柴田さんのお得意の歌ことば「顕ちくる」について、質問なさった方があったので、予習をかねて『新編国歌大観』で検索してみると、29例あるものの、すべて「春」や「秋」や「霧」が「たちくる」ものばかりで、「目の前に記憶が蘇る」例は現代の使用例であることがわかりました。さて、俳諧研究の草分け的存在{主著に『芭蕉俳諧書簡集』『守武千句注』『小西来山全句集』など}で、僕の母校の博士課程新設・充実のために尽力なさった、故・飯田正一先生(元・関西大学教授)は、窪田空穂門下の「槻の木」創刊からの同人でいらっしゃいました。その先生が、単身赴任中に大阪に居る奥様の危篤の知らせが入った時の記憶を次の歌に詠み残しておられます。「教壇に妻の危篤を知りし日の不意に顕ちくるけふの講義に」(『歌集 童子像』和泉書院、1987)。先生は僕が大学院生の時にも、「萩谷先生とのお約束だから」と集中講義で出講され、平成元{1989}年夏まで講義を続けて下さいました。その講義の出席者のひとりが僕なのです。

04月04日(日曜日)

抜群に天気がよかったので花見がてら池袋から北大塚まで歩き、行きつけの店で散髪。僕は学生時代の初期、このあたりに住んでいたことがあり、町並みも余り変わらず懐かしいところです。そこから歩いて南大塚の日本文学協会事務所で「『枕草子』を読む会」に参加しました。

04月05日(月曜日)

午後、喧噪の都会を離れ、実家のある信州に帰省しました。高速道路は約二時間で通過。群馬では桜が咲いていましたが、碓氷峠のトンネルの外はまだ冬景色。風景全体に緑が少なく、枯葉色が目立ちます。こちらの桜の開花はなんと二十日だそうです。佐久インターからは十分。新幹線からは五分の所に我が家はあります。ちなみに佐久平駅建設のために僕の家の水田はお引っ越しをさせられたのでした。今、家の田圃がどこにあるのか、長男である僕は知りません。今回は米櫃が尽きたのと春休みの最後に気分転換でここに来ました。

04月06日(火曜日)

親戚の上原貴典君と遊びました。街を歩いてみて、何より物価が違うことに気付きました。例えば、駐車場代。小諸市営駐車場が、03時間で300円。佐久の中込商店街がなんと一回で200円。東京なら20分200円。パーキングメーターですら一時間300円ですから。ただしガソリンは高くて、レギュラーで1リットル91円。僕の住む地域は日本で一番ガソリンが安いと言われていて、相場は、83円くらいです。長野新幹線の開業で二つの街とも寂れつつあるなあ、と言うのが実感です。

04月07日(水曜日)

母の会合を迎えに行くと統一地方選のため、地元選出の羽田孜元首相が応援遊説中。長野県の政治風土は、なぜか造酒屋の主人が政治をやっていることが多い。この県会議員さんもやはりそうなんです{県会議長まで務めたこの候補者は結局落選。当選者は、僕んちの遠い親戚の現職と29歳の前市議会議員(トップ当選)でした。04.12}。03:16に家を出て、5:15には所沢インターを通過。さあ、新学期が始まります。

04月08日(木曜日)

今年は「国語科教育法」を担当することになっているので、新聞紙上の学級崩壊の記事を集めています。昔は、結構、体罰などで生徒を威圧していたから、なかったのかなあ。確かに生徒は先生を選んで騒ぐことはあるようですね。もちろん、僕の講義中のおしゃべりは、結構大声で怒鳴りつけたりしています{だから体育会系出身だと思われているんでしょうね}。

04月09日(金曜日)

春の陽光に桜の舞い散る午後、岡部隆志さんから『言葉の重力−短歌の言葉論』(洋々社、月光叢書・別冊1、\2400.1999.03.30)を戴きました。岡部さんとは、最近、古代文学会との合同研究会準備会で明解な分析を聞かせていただいています。また、本書収録の「『泣血哀慟歌』を読む−人麻呂と坂口弘」を日本文学協会大会で拝聴したこともあって、「死者を歌うことば」に、「文学性」ではなく「言葉のはたらき」を読むことを論じるあたりから読み始めたところです。日が暮れてから無人のプールで水泳。インストラクターさんはプール周辺の掃除など。僕はおぼれそうな泳ぎ方ではないと言うことでしょうか?夜桜は本日が見納めだったのでしょうね、明日は雨の予報です。

04月10日(土曜日)

午前中は高田馬場で「小論文」講義の初日。午後は早稲田大学総合学術センター内の図書館へ。「館蔵資料でたどる日本文学史」が本日まで、と思ったら好評につき、23日まで延長になっていました。目的は、室町時代の歌人・伝、三条西実枝{さねき}筆の蒔絵箱入の『源氏物語』54帖。この本、徳川家康の所蔵本として水戸家に所蔵された、いわゆる「駿河御譲本」の三条西公条筆本と同系統だった可能性もあるものです。菊花文様の高蒔絵に八つの小箪笥。その引き出しの表に「巻名」が書かれていました。本文は青表紙本系統。いわゆる「嫁入り本」の典型的な本です。「桐壺」巻の本文冒頭の前頁右下に昭和 26年 05月19日購入の書き入れがありました。こういう書物探索の調査の場合、実は本文の価値より、こちらの方が大事なんですよね。

04月11日(日曜日)

終日雨。本日統一地方選挙でした。埼玉都民の僕にも都知事選挙は関心がありました。結果は、石原慎太郎が当選。NHKの選挙特別番組を見ていたら、インタビューに答える当選者は、横柄で、とてもじゃないけれどもこんなオヤジの下で仕事はしたくないくらいのマイナスイメージ。このオヤジを僕は今から十年近く前の昭和の終わり頃{正確には昭和 62 年09月09日。松本徹.編『年表・作家読本・三島由紀夫』(河出書房新社.1990.4)で確認できました}、銀座のセゾン劇場で見かけたことがありました。舞台は、三島由紀夫の『朱雀家の滅亡』で、このヤなオヤジの息子が舞台デビューの日だったと思います。幕間、真っ先に席を立って外に出た僕は、どこかで見たことのあるオヤジが、人の反応を伺っているかのような眼と出会ってしまったのでした。後から考えてみると、明らかに大根役者の倅{せがれ・石原良純}の芝居にいたたまれなくなって外に出ていたのでしょう、しょぼくれた顔のこのオヤジが、ホールの廊下で幕が降りるのを待っていたところだったわけです。この時は、いいおとうさんだなあ、と思ったけれども。

余談。話題にした『朱雀家の滅亡』は、『三島由紀夫全集』編者の田中美代子先生と御一緒でした。当日、その舞台のパンフレットで三島夫人と対談していたはずの田中先生、様子がちょっとおかしいのでお聞きすると、夫人のクレームで初版のパンフレットがすべて回収になってしまったのとのことでした。後日、まだ学生だった弟と学割のジーンズシートで再度観劇して、今度はそのパンフレットも手に入れましたが、どこが問題だったのか、いまだに分かりません。それから三年後、新宿大久保のグローブ座で、娘の演出になる「エクプリス(月蝕)−葵の上・弱法師による」の公演{1990年01月17〜21日}の際、演劇関係者や著名文化人に頭を下げて回っている、その三島夫人を見かけました。その時は、この方もフツーのおかあさんだったのでした。

04月12日(月曜日)

辞書を書き、夕方水泳。平凡な一日です。明日から生活パターンが大幅に変更になります。特定の曜日に、ホームページの更新が出来ないこともあります。あしからず。

04月13日(火曜日)

「漱石研究」「源氏研究」で知られる国文学系専門出版社 翰林書房がホームページを立ち上げられました。社長の今井肇さんによれば、大学の後輩に応援を仰いだとのことですが、今後の新展開が楽しみなページです。

04月14日(水曜日)9500カウント

清泉女子大学に本日初登場。学務部長の長谷川政春さんに学長先生をご紹介いただいたのをはじめ、教室にも三度足を運んでご紹介下さったりと、何から何まで気を使っていただき恐縮しました。長谷川先生の研究室の位置で分かったのですが、聖堂の向かいにある学長室{この学校の学長はシスターだけが就任できます}の隣に先生のお部屋がありました。つまり長谷川先生は、教学側のトップの要職にある方だったのです。僕は、その聖堂の脇にある講師室を使うように勧めていただきました。荘厳な感じの落ち着いた部屋で、水曜日は僕ひとりで独占できるようです。春の日差しが差し込んでいる光景は、まるで宗教画の世界のような空間でした。

04月15日(木曜日)

東京成徳大学に本日初登場。前日、招聘者の増尾伸一郎さんから頂いた電話で、通勤経路を確認したものの、何しろ千葉県八千代市は僕にとって未開の地なのでした。早朝に起床。07:12 大泉学園、07:52 京成日暮里、08:44 ようやく、勝田台着。学バスをタクシーで追いかけていたら p(∞)q、僕の青春、もしくは「ふぞろいの林檎」時代であった、大東文化大学東松山校舎通学時代を思い起こしました。増尾さんの研究室の鍵を総合事務室の職員さんから受け取り、在室ランプを点灯、一路教室に向かいました。キャンパスは新設 06 年目ということで、何もかも清新な雰囲気でした。一時限目、「国語科教育法」。先生になるための理論と実践です。僕じしんが大学設置審議会の教職課程認可の申請に関わり、審査を受けた経緯もあるので、ぜひとも履修者の中から先生を育てたいものです。「『あっぱれさんま大先生』を目指そう」と軽いジャブ気味のギャグを発したつもりでしたが、反応は“カナリ寒かった”。休み時間に増尾さんから、庄司達也(近代文学)先生、大久保恵子(日本語学・教職課程)先生、平舘英子先生(上代文学)をご紹介いただきご挨拶しました。みなさんに暖かく迎えていただき感激しました。二限目は教務担当の庄司先生の配慮で『源氏物語』の4年生の特講で履修者は二名。来週からは増尾研究室が使えそうです。三時限目の『竹取物語』は三十数名の履修者がおり、特に僕にとっては初体験である若き男子学生が、一番前に陣取っていて反応もよかったので、これからが楽しみです。東京成徳大学のみなさん、一年間よろしくお願いします。

04月16日(金曜日)

青山学院女子短期大学。夕方、雨の予報だったので、掟破りの車で出かけました{もちろん、特別に許可していただいています}。12時ちょっと過ぎに学院のそばまで来て角を曲がろうとすると、某有名演歌歌手の夫人とお子さん二人が僕の車の目の前を横断中。青山学院幼稚園の帰りのお出迎えだったようで、お母様は車を止めた僕に黙礼しながら、地下鉄の表参道駅に向かって行きました。車での出迎えは禁止されているんでしょうか。必修の文学史はA組。昨年の「古典演習」の履修者もおり、初回から和やかに船出。二時限目の「古典演習」『源氏物語』柏木巻は、履修者が今のところ三人しかいないようですが、これなら、パソコンルームや図書館、あるいは打ち上げのお茶会に南青山へと身軽に動けて、むしろアットホームな雰囲気でいいかもしれません。

04月17日(土曜日)

物語研究会4月例会。たっぷり5時間。充実した研究発表二本に、石井正己さんの『絵と語りから物語を読む』の合評会。平家琵琶の論文に関連させて、増尾さん所有の貴重な盲僧(座頭)琵琶のビデオまで鑑賞できました。一本目の岩波映画は、確かに土砂降りの岩の上で演奏させるなど演出過剰が目立ちました。二本目、昨年秋に撮影された延岡の琵琶法師(座頭)さんの演奏はとても上手で、あの『語り物序説』{有精堂.1985}の兵藤裕己さんも興味を示していました。明日の朝、ゆっくりと復習することにします。

04月18日(日曜日)

終日、自宅で辞書を書き、講義内容の予習、計画立案。来週は放送大学も始まります。

04月19日(月曜日)

終日雨。仕舞い込んだストーブを取り出して辞書を書き、締め切りの日に投函。夕方、例によって水泳に行きました。

 帰宅すると、浜口俊裕先生の執筆にかかる神作光一編『中古文学研究』(双文社出版.1999.04.14.\2200)を御恵与いただきました。大学の講義演習用のテキストということで、平安朝文学史の流れを、論者の諸先生がそれぞれエポックとなった文学史の重要事項を重点的に解説しています。主要な本文や文献目録も付いていて至便な本だと思います。

04月20日(火曜日)

夕刻、國學院大學で「うつほ物語を読む会」。今回は会員の木村祐子氏が五月の中古文学会で発表されるため、そのプレ発表でした。もうこの会では、若手と言えない僕は、発表内容を確認の上、予習して出かけました。大学院で木村さんを指導された室伏先生も「いろいろ言ってもらって助かったよ」と仰ってくださいました。

04月21日(水曜日)

清泉女子大学。必修の「日本古典文学基礎演習」で、@大学に求めるものA私にとって「文学」とは。B最近読んだ本C演習の進め方への希望・教授者へのメッセージ の四点をアンケートしてみました。Aの「文学」に対する考え方への質問は、抽象度が高く、答えにくかったかもしれません。もちろん文筆業志望の学生さんもいて、目的意識も明確でした。読書量もかなり多く、彼女たちのベストセラーは乙武洋匡さんの『五体不満足』{講談社.1998}でした。田辺聖子の『新源氏物語』や瀬戸内寂聴の『源氏物語』もありました。

帰宅すると小松茂美さん編集の「水茎/27」(古筆学研究所.1999.03)が届きました。その一編に稲賀敬二先生の「『源氏物語大成』から半世紀−本文研究の未来像は」が掲載されていました。故・池田亀鑑博士最晩年のお弟子さんの回想と展望です。襟を正して拝読しました。

04月22日(木曜日)

東京成徳大学。増尾研究室の合鍵を作っていただきました。すっかり晴れわたった空のもと、「国語科教育法」は席順を決めて座っていただきました。指名音読は起立して。「日本国憲法」「教育基本法」「学習指導要領」の理念と問題点など。「上代文学」では「古事=フルコト」の成立と和文字の生成まで。とりわけ、男子学生がポジティブなのがいいですね。

帰宅するとこんどは『源氏研究』第四集を頂戴していました。万謝。さっそく目を通しました。また、ここ数年の神野藤さんの懸案のお仕事だった『物語文学研究叢書』も刊行されるようです。セット販売なのが残念ですが、どれも欲しい本ばかり。なんといっても戦前戦後の頃に酸性紙で作られた本は痛みがひどいものが多いですから。特に僕は、故・塚原鉄雄先生の『新修竹取物語別記』などに注目したいですね。

04月23日(金曜日)

雨の青山学院。講義前、俳優で歌手の高橋克典さんのお母様の高橋先生が、定年前に児童教育学科をご退職なさって声楽家に専念なさることを知りました。3時限目の「文学史」は「平安京の明暗」と題し、日本史のビデオを使って「道鏡と孝謙女帝」「桓武天皇の平安遷都」を見た上で、『類従国史』の「平安楽土」の踏歌を読みました。「演習」は本文の講読。来週はテキストのダウンロードをするため情報処理室を予約しました。

04月24日(土曜日)

放送大学千葉学習センターに初登場。土砂降りの雨の中、まず環状8号線−新目白通り−環状7号線−加平から首都高速へ。ここまでは順調だったのですが、始めての道だったとのと雨で表示が見えなかったのとで葛西インターを素通りしてしまいました。横浜・川崎の表示が見え始めた羽田あたりで引き返し、ようやく東関東道へ。ロスタイム40分。早めに家を出ておいて良かった。習志野インターから幕張にある放送大学本部・千葉学習センターには約五分で到着。近くの千葉マリンスタジアムのプロ野球も中止になったようです。事務官の教務担当の方から諸般の説明をしていただき、「国文学入門1」の初講義。履修者90名。まずは「@『源氏物語』の世界」として物語の概説。「桐壺」巻の冒頭など。帰りは、首都高速に浦安から乗って高島平まで50分で通過できました。まだ土砂降りで視界著しく不良により、超安全運転だったため、トラックのおアニイさんたちには大顰蹙だったかもしれません。明日も一時限目から同校で講義です。

04月25日(日曜日)

放送大学集中講義の二日目。朝 07:50に家を出て、環状八号線経由で、高島平から首都高速に乗り、09:05には大学に着きました。大講義室を使用しているので、ビデオモニター、ピンマイクの音量などをチェック。今回は「A文化史の中の『源氏物語』」で冷泉家の話と「B紫式部と『源氏物語』」をテーマに、お昼休みをはさんで延べ四時間半。受講生のみなさん、ご苦労様でした。帰りは湾岸道路−環状七号線を使って帰りました。やはり二時間半近くかかりました。

04月26日(月曜日)

ピカチュウ語「日記を物語る」への変換方法我がハイパー師匠・榎本先生に教えていただきました^^。みんなでピカチュウ!に、さあ、アクセスしてみましょう^^。

今日は大東で勉強会の日なのですが、ふだん借りている駐車場が使えないと言うことで、なんと自転車でゆきました。和光市白子−光が丘−赤塚経由で所要時間約40分。ということは車と余り変わらないのですね。萩谷先生、相変わらず頭はシャープで分析力にも学ぶことばかりですが、いかんせん体力がかなり落ちておられるご様子。心配です。

 鈴木日出男先生の東京大学定年退官を記念して出版された、『ことばがひらく古代文学史』(笠間書院.1999.03.31.\12800)を門下生で、僕の親しい友人達である佐藤信一・松岡智之・大井田晴彦のお三方から連名で頂戴しました。執筆者36名、本文620頁に及ぶ大著にして、みなさんそれぞれ恩師の学恩への感謝の念を込めて書かれた論文集です。じっくり勉強させていただきたいと思います。万謝。

04月27日(火曜日)

夕方、水泳をそれなりに。今月は原稿の締切をクリアしているので、来月末の二本を書く気も起こりません。本を読みながら。おやすみなさい。


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