Last Up Date 1999.04.01

日記を物語る 99年03月   INDEX‖ ホームに戻る

03月30日(火曜日)

先日29日の朝日新聞夕刊の「科学」欄に、国宝の古文書、京都大学図書館蔵の鈴鹿本『今昔物語集』に残された「こより」を炭素にして「加速器質量計測計」の年代測定を行ったところ、平安後期の1118-1159年に書写された本であるという結論が出たとのことでした。これは凄い。成立したまさにその頃の本があったなんて。この方法が墨の年代測定まで応用できれば、何種類もの補入・書き込みのある、青表紙本系『源氏物語』伝本群の本文研究は、より精密なテクストが再建できるはずです。もうすこし技術の革新されるのを待ちましょう。


03月01日(月曜日)

昨日、初の脳死・心肝移植が行われたため、新聞の見出しはやはり最大級のものでしたね。1968年の和田心臓移植の青年はリンゴを噛んだ時のショックで亡くなったことをテレビで見た記憶がありますが、今回移植された方は意識もしっかりしていて少量の水も飲めるのだそうです。医療技術の進歩に目を見張りました。          

今日、文部省から2003年度以降の学習指導要領が発表になりました。国語に関して言えば、「国語表現TU」「国語総合」「現代文」「古典講読」の4種5科目に再編されます。社会に出て役立つ指導のためにスピーチや案内文を書く力が重視され、教材も「文学的文章」に偏らないように注意されています。大学の学科再編に連動して「日本語学系」が重視され、「国文学系」はますます先細りする気配が感じられます。う〜〜ん。僕も専攻のひとつのつもりの「文化情報学」を学的に体系化しておかないと。

思いがけず、檜垣孝先生(大東文化大学教授)から『俊成久安百首評釈』(武蔵野書院・1999.1)の御恵与に預かりました。大東の紀要に連載された注釈をまとめられたのですね。御子左家の当主としてしかその存在を知らない僕はまず十分に拝読して、夏の部に見られる「花散る里」「須磨の浦人」「常夏の花」などの歌語と『源氏物語』享受の実態などを考えてみたいと思います。檜垣先生は、僕の大学院時代の先師・故中村義雄先生{『絵巻物詞書の研究』(角川書店・1982)により角川源義賞受賞}が病気により退職された後、和歌史を担当する先生として着任なさいました。僕には日本文学協会の大会の折、中世部門の運営委員としてよく声をかけて下さいます。

03月02日(火曜日)

信州大学の渡辺秀夫さんからお葉書をいただきました。昨年秋から北京日本学中心の派遣教授をおつとめになり、今月一日から二ヶ月はポーランドのワルシャワ大学東洋学研究所へ出向かれるとのこと。帰国後には、また新著の構想でもお聞きしたいものです。          

物語研究会の新事務局を編成しています。泥を被ってくれる人がいないと組織は動きません。物語研究会は“有言実行”を旨とする“若き研究者の集団”です。志ある方の御協力・参加をお願いします。          

03月04日(木曜日)

前日深夜、現在ゲラ校正中の『古典文学事典』の仕事を僕に回して下さった先生から、高校の特任講師を探しているという電話を頂きました。さっそく思い当たる方を紹介しましたら、今朝八時までに内々定。ひとつ功徳を施しました。          

 05日が締め切りのため、終日、事典のゲラに加筆しながら校正作業をしました。加筆はのべ原稿用紙400字詰め5枚にもなってしまいました。一般読者にわかりやすく書こうと思いながら、どうしても難しい言い回しをしてしまうのが、僕の欠点なのはわかっているのですが……。大泉学園郵便局で投函した後、成増のプールで背泳ぎを中心に約一時間水泳。時間に余裕があれば、筋力トレーニングも再開したいけれども、締め切りが相次いでおり無理かもしれません。

03月05日(金曜日)

春一番が吹き荒れました。砂嵐で下校中の小学生が目を押さえながら歩いていました。UPの遅れている『竹取物語』の校訂本文は「御狩の御行」まで終わりました。この段の古本本文の傷みがひどく、かなり流布本で補いました。          

こんな夢を見ました。ある学会の二次会の風景です。僕はすこし飲み過ぎてうつらうつら、記憶が確かではありません。僕の隣には、昔話をするにはまだ若い、しかし、すでに学界をリードして久しい××○氏が、恩師から聞かされたという話を僕に語ってくれたのでした。それは、僕がまだ田舎でどろんこになって遊んでいた小学生の頃、日本が高度経済成長に向かい始め、戦後の新制大学がこぞって拡張期に入った頃の話であったようです。東京の最北端にある小さな大学で、絵巻物などを研究なさっていた実証的で篤実なある先生が病気で倒れられました。代講には先生の友人で、今でも定評が高くロングセラーをつづけている古典文学の文庫本の校訂者のおひとりが立たれたのだそうです。ところが、当時、この学校におなじテキストの全注釈を進めていた先生がおられ、注釈作業のたたき台として検証したこの文庫本が、実は極めて杜撰な翻刻と、不正確な人物考証を含む注釈であったため、この代講の先生に、教員控え室で、毎週、個人指導が行われたという話……。ただし、この文庫本の校訂者は後進を育てるのに巧みな方で、翻刻は故人の某先生、人物考証はやはり才媛の誉れ高き某院生{当時}に託していたという話は、さすがに全注釈の先生もつい最近までご存じなかったわけでした。……これは夢の中で聞いた話です。

夢から覚めて正夢を。僕が校訂している『竹取物語』の古本本文は、交渉しては見ましたが、その底本の所有者が閲覧を許してくださらないので、翻刻本文を校合するしかありません。実はこれが落とし穴をはらむものなのです。例えば、『源氏物語』作者が書いた『紫式部日記』の、寛弘五年{1008}、九月十一日の件について、お手持ちのテキストを開いてみて下さい。このテキストの最善本には「十一月のあか月北の御さうし二まはなちてひさしにうつらせ給ふ」とあるので、この通りの本文に漢字をあてたテキストがあるはずです。しかし、実際は「暁」だとそれ以前に中宮彰子が北庇に移っていなければならないのですが、そうした記録は見えないので、実際は「暁」と書かれていなければならないはずですから、本文は改められなければならないのです。これは黒川本という写本に問題があって、中には「暁」とある伝本もあり、古くても正しい本文のテキストも存在しました。むしろ広範に流布するテキストにこうした誤りが見られるようですね。つまり、この問題は、底本の本文を本文解釈に照らしてまで厳密に校訂せず、先行する活字本をたたき台にして本文校訂をしたために、誤りをも踏襲したという現象なのでした。僕の『竹取物語』もそうした問題をはらむことをお断りしておきます。

03月06日(土曜日)

所沢の松井公民館で古典に親しむ会。今月から「絵合」巻。冒頭部は、外戚政治の一断面、六条御息所の遺児・前斎宮の処遇を巡って、光源氏が有能な政治家として周到に人脈の再編を進める、その心理的葛藤が描き込まれていますね。帰宅してからまたまた水泳を一時間ほど。一時見る影もなかった背筋は、ずいぶん復活してきたものと思います。          

03月07日(日曜日)

古代文学会との合同勉強会に出席していたはずだったのに、終電間近くの時刻に、僕たちはなぜか高田馬場のジャズ喫茶「♯イントロ♪」にいたのでした♭♪♯。

さて、勉強会はいよいよテーマ設定へ向かい始めました。“古代的なるもの”へ参入することへの畏怖と憧憬が、僕じしんの中で沸き立って来るかのようです。          

03月08日(月曜日)

 所沢高校では今年もまた分裂卒業式。生徒さんの振り袖や袴姿のニュース映像を見るだけで、服装まで自由なこの学校の校風が理解できるように思います。ということは、「日の丸・君が代」の通達を遵守しようとする現校長を配した教育委員会のキャストミスこそ批判されるべきなのでしょう。まあ「君が代」は、主権在民の憲法の理念に照らして、政府の公式見解そのものが「日本国と日本国民統合の象徴である天皇をいただく日本の繁栄を願ったもの」だそうで、本歌となった『古今集』{賀歌・343、『和漢朗詠集』、祝}「わが君は千代に八千代に細れ石のいはほとなりて苔のむすまで」からの解釈生成史からすれば、歌詞そのものを変更しなくてはなりませんが。

03月09日(火曜日)

今年担当していた予備校の生徒さんのひとりは、小田急線沿線のS大学の文芸学部に合格していたことが判明しました。しかし、手続きだけして休学し、来年も予備校に通うのだそうです{僕なら喜んでキャンパスライフを楽しもうと思うけど}。人生色々。選択の座標軸、評価軸は多様であってもよいかと思います。

03月10日(水曜日)

 大宮で、漢文のビデオ教材のべ十本の撮影を本日完了。帰宅してテキストと解答を再編集してこれも郵送し終えました。やれやれ。

本日発売の「国文学−解釈と教材の研究」{学灯社・1999.4}の特集は「『源氏物語』の脱領域」。僕の悪癖は、論文の施注で自分が関係した論考が引用されているかどうかすぐ確認してしまうこと。今回もじぶんの名をみつけることが出来、安心。引用して下さった方ほんとうにありがとうございますp(^_^;)q。ところでこの雑誌の表紙の一番上のキャッチコピーは「日本語・日本文学・日本文化」と記されています。ちなみに、昨年僕が書かせていただいた「伊勢物語とうつほ物語」{1998.2}号では「日本語・日本文学への視点」となっていましたから、ここにも「文学」が「文化論」へ吸収されつつある、人文科学の世界における時代の要請が、じわりじわりと押し寄せているのを見つけたのでした。  

さて、先日古代との勉強会に際して、「“古代的なるもの”へ参入することへの畏怖と憧憬が、僕じしんの中で沸き立って来る」と記しました。ただし、僕はこの会に「宗教実践」や「覚醒」を求めているわけではありません。自分自身の“今”“ここ”を、他者の視点を通して相対化しようと考えているのです。そんな心境でいた今日、この会に反対して「住民運動」を起こさんとするお手紙を頂きました。“個”としての研究者が、組織とどう対峙するのか、みずからの存在を賭して闘いを挑む、その真摯な姿勢を、慎重、かつ重く受け止めたいと思っています。この宿題をこなすのには、もうすこし猶予をいただきたい。じ・か・んを下さい。          

03月11日(木曜日)

気分転換に梅林にでも行こうと計画していましたが、あまりにも天候が悪いので中止。一日中、机に向かって原稿を書き、散読してすごしました。なぜかすこし風邪を引いたようです。

03月12日(金曜日)8500カウント

体調不良。辞書を書き、ベッドでごろ寝しつつ散読。うたた寝。そしてまた机に向かう、というパターンを終日繰り返しました。

03月13日(土曜日)

前日に同じく午前中はごろ寝しつつ散読。うたた寝。午後机に向かい、辞書の語彙を約30項目書きました。本は都合三冊を交互に手にしていて、だいたい読み終えられそうです。そんな夕方、メール便で、小森潔さん編の『女と男のことばと文学』{叢書文化学の越境05、森話社、1999.3}を頂きました。収められている座談会で、僕の発言が枕になっており、襟を正して拝読しました。僕の発言はすでに1996年03月時点のもので、これを今日的に捉え返せば、“国文学”という制度の中にイデオロギー批評は必要不可欠ではあるものの、方法論先行型の理論では、どのテクスト{たとえば、『源氏物語』や「モーニング娘。」、さらには「だんご三兄弟」など}を分析しても、予定調和的な論理に帰結し得る{答えが計算して同じ所に持っていける}論理操作が可能のように思えて仕方ありません。つまり、“解釈の現代主義”は、古典文学批評にどこまで有効なのか?ということを言いたかったのでした。最近、僕が聞く機会のあった方法論先行型の口頭発表では、満足に古典本文や漢語表現も読めないものが連続しました。これでは分析も理論も何も始まらないだろう、と言う原初的次元に論点は尽きます。国文学研究が文化学に吸収されて行く現実の前に、“国文学研究者”は自分自身の立脚点をもう一度見つめ直す必要があると思います。

03月14日(日曜日)

午前中に今月分の辞書項目に目処をつけました。日本文学協会の『うつほ物語』俊蔭巻輪読の前に室城さんたちと物語研究会の会則を日本文学協会の会則などを参考に検討しました。僕はこの手の頭を使う仕事は苦手です m(!!)m。

03月15日(月曜日)

国文学研究資料館で共同研究「『うつほ物語』の注釈史の研究」の最終回。この研究は来年度も発展的に継続させます。打ち上げは飲み過ぎました(^^;)。

03月16日(火曜日)

先日辞書を締め切り通りに提出。今日から、いよいよ叢書の9巻目に立てられている『源氏物語』の論文に取りかかろうと思います。そしたら、本日郵便で、おなじ叢書の1巻目のゲラが届けられ、編集の方からの手紙に「一気呵成」に全巻刊行し終えたいとのこと。頑張ります。

03月17日(水曜日)

どマヌケな話。先日の資料館の打ち合げの帰り際、研究報告書の『『うつほ物語考証』の研究』9冊を西武池袋線の棚に置き忘れるという大失態。風邪気味の上に飲み過ぎたからでしょう。車で所沢駅東口にある窓口まで取りに行きました。記憶がないのですが、雨の日だったため、本が濡れないような配慮もきちんとしてあったのでした(^^;)。

03月18日(木曜日)

本日所沢の気温は 20.6℃。いよいよ梅から桜の季節に変わりつつあります。

 それにしても携帯電話は便利なものですね。青山学院の図書館で、本を返却したり、原豊二くんに頼まれている文献をコピーしたりした後{ちょっと恩着せがましいですね}、四谷で人と待ち合わせをしたのですが{同時刻、小渕総理大臣も聖イグナチオ教会にいた模様}、今までならただ待ち合わせ場所で待つ他はなかったものが、移動しながら話ができのですから。結局、待ち人は話しているうちに、僕がかけている電話ボックスの真後ろに立っていました(^^;)。僕も携帯買おうかなあ。

03月19日(金曜日)

なぜか大泉学園で、青山の卒業生の将来を言祝ぐ、青山だんご三兄弟の饗宴が実現。二次会を終えると、長男・◎本氏、なぞの失踪。あっちこっちに親しいひとがゐるのでは?僕¢と○野さんはタクシーでバイビー。これを書いている僕、かなりアルコールが残ってゐるみたいですね。

03月20日(土曜日)

雨の日大文理学部で物語研究会例会および総会。小嶋さんの発熱で発表が急遽延期になってしまったけれども、合評会・総会と充実した会になりました。事務局スタッフはさらに若返った感じです。大会係を担当してくれた日大の院生、菊池祥子さんが高校の専任教諭に内定したとのこと。この厳しい状況での採用は快挙です。そこで、みんなで乾杯したことは記すまでもありません。帰りは同じく日大の大学院に入学が内定している斎藤真路くんとまたまたタクシー(^^;)。

03月21日(日曜日)

今日も雨。日向一雅さんの大著『源氏物語の準拠と話型』{至文堂.1999.9.30}を拝受。これほどの大著が税込みで一万円とは至文堂の力の入れようがわかりました。日向さんにとっては三冊目の御著書ですが、名著の誉れ高き『源氏物語の王権と流離』{新典社}は絶版とのこと。日向王権論の神髄がこの書に充溢しています。万謝。

03月22日(月曜日)

思いかげず、あの“作中人物論”の森一郎先生から、「金蘭国文」{第3号・金蘭短期大学国文研究室.1999.3}を拝受しました。ほんとうに恐縮です。まったく面識のない大家の先生からいきなり雑誌を戴くなんて。先生の御論文は「源氏物語の表現と人物造型−地の文の表現機構」。じっくり読んで御礼をさしあげなければ。

やっと気合いが入り、論文執筆のため机に向かいました。あらかじめ文献を入力しておいたこともあって、半日で28枚。今週中に完成させられる見通しがついたので、プリントアウトして夜は論理展開の構想を練ることにします。久しぶりに水泳。ずいぶん体力も回復しつつあります。

03月23日(火曜日)

午前中急激に気温が上がって春めいた日よりになりました。白百合女子大学で『浜松中納言物語』註釈の会。もうすぐ巻一が終わります。

03月24日(水曜日)

我が家の地下にあるガス管がつまってしまい、複数のガス機器を使うと火力が弱まってしまうと言う突発事故。工事係の方達もはじめてのケースだと驚いていました。もちろん、即日、治していただきました。

03月25日(木曜日)

遅れに遅れた、『竹取物語』の校訂本文が完成しました。再度チェックして「『竹取物語』のページ」にアップロードしたいと思います。

03月26日(金曜日)

終日、原稿を書いたりチェックしたり。夕方、水泳。プールには誰もいませんでした。泳ぎ終えると体重は400c減。手もふやけました。

03月27日(土曜日)

桜の便りも届き始めたのに今日は終日雨。夕方、神田パンセで日本文学協会第二回委員会。なんと僕は議長に指名される。でも阿部好臣さんが委員選考委員長で、三谷邦明さんが委員長とくれば、みんな知り合いでだったのですが。ここでも大会テーマで議論が白熱。予定時間をオーバーして終了。水道橋で大人のみなさんと飲んで帰りました。二次会での僕は学割料金になりました。

 水道橋と言えば、4年ほど教えていた予備校が、最近生徒募集の広告が新聞には見えないので立ち寄って見ました。ビルは真っ暗で一階には「事務所移転」の張り紙。来年は通信制に切り替え、通学部は生徒募集はしないとのこと。やっぱりつぶれちゃったんですね。寂しいなあ。

03月28日(日曜日)

なぞの隠密行動で名古屋へ{と言っても日記で公開しているのですが}。行動内容は秘密です。夕刻、古代文学研究会のメンバーで行われている『無名草子』の研究会のみなさんの二次会に参加しました。鍋料理はおいしかった。9:15発の新幹線。11:57池袋発の西武線で名古屋日帰り{実際は二日にまたがっていますが}の旅は無事終了しました。

03月29日(月曜日)9000カウント達成御礼 

久しぶりに母校で『元輔集』。研究室のお引っ越しが行われ、外では桜が美しい一日でした。

INDEX‖ ホームに戻る