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日記を物語る 98年11月   INDEX‖ ホームに戻る

 

11月01日(日曜日)   

早朝に起床。辞書を執筆、最終チェック。これでのべ700項目近く書いた××堂の辞書とのおつきあいは満了。来月からはなじみの深い××書店の辞書を書くことになっている。白百合女子大学で行われる日本文学協会第53回大会に参加。さすがにどの発表も濃い。高橋修さんの「『舞姫』からダディーへ/『ダディー』から『舞姫』へ」は刺激的で、僕の脳内がすっきり洗浄されたような感じだ。総会で僕の名前が正確に読み上げられたのは、いささかびっくりした。三谷邦明委員長の大会挨拶も堀辰雄が「文学は人生と言う花束を束ねる輪ゴムのようなもの。なくても暮らせるが、なければ寂しいもの」などと述べている一節を引用しての格調の高いものであった。懇親会会場の白百合のレストランがおしゃれなのもよかった…。

11月03日(火曜日)   

存続が危ぶまれた大東の院生研究発表会に参加。新井英之君の『三十六人撰』における中務{なかつかさ}を論じた発表は高水準であった。小谷野純一先生の講演「『源氏物語』夕顔の世界」も永年の蘊蓄を傾けた内容で勉強になった。学内の書店で『源氏物語六條院の生活』(光琳社出版・\3286円)を購入、美しい写真集である。

11月04日(水曜日)   

早朝に起床。清水濱臣の『うつほ物語考証』の最終チェック。午後から国文学研究資料館での共同研究に参加。出版に向けてめどがたってきた。江戸英雄君の尽力には頭が下がるばかりだ…。

11月06日(金曜日)   

物語研究会11月例会通知を作成、発送の山田さんに依頼する。今月は投票用紙などやや発送に手間取る見込みだが、来週前半には会員諸氏の許に届くだろう。青山に出講、教職員食堂で土方洋一さんに声をかけていただき感激。「日本文学史」では風邪気味の学生さんが目立つ。「古典演習」ではレポート提出者続出。徐々に公開する予定である。夕方、陣野さんと夕食をとり、先週再放送が終わったばかりのテレビドラマ『青い鳥』の物語分析・インターネットによる情報収集の話など…。

11月07日(土曜日)   

所沢市松井公民館での「古典に親しむ会」で『源氏物語』「蓬生」巻を講読。例の「松に藤のさきかかりて、月影になよびたる」「橘にかはりてをかしければ」のあたり。来月は、「関屋」巻に入れるだろう。来月からだと思っていた××書店の辞書の原稿がすでに100項目届いているのだが、すこし休みたい。明日は一日机(パソコン)の前で過ごすことになるだろう。

11月09日(月曜日)   

今年度の角川源義賞(国文学部門)は島津忠夫氏の『和歌文学史の研究』(角川書店・1997)に決定し、招待状が届く。僕の推薦した著作はまたしても落選(当たり前か。ただし著作はベストであると今も思っているが)。でも授賞パーティー会場の東京會舘の料理は旨いので行きたくなってしまう。終日、「清水浜臣『うつほ物語考証』研究文献目録」を作成する。こういう仕事になると僕はついつい凝り性になり、あれもこれもと書庫中の資料を漁り尽くしてしまった。明日の放送大学の図書館で僕の家にない資料は補えるだろうから、だいたい完成させられるだろう。夜、メールを開くと、ハイパー師匠・榎本先生から「デジカメ写真」が届いていた。本ページに関して、いくつかアドバイスも戴いたので徐々に改善していきたい。この写真は10月23日、青山学院の「古典演習」での僕である。二枚とも、撮影者は一年生で二人の先生の授業を唯一人連続履修している最も幸福な?青短生・田端智子さん。彼女の傑作写真集、まあ、みてやってください(でも画像はチョー・ウルトラ重いです)。

11月10日(火曜日)   

放送大学へ車で出かけたのは失敗だった。環状八号・川越街道・国道17号すべて大渋滞で首都高速に乗る。そしたら、飯田橋まで降りられず、10時開始の講義に5分遅刻した。でも9:30頃はまだ高島平の大東の付近にいたのだから、奇跡という他はない。講義は「文化史の中の『源氏物語』−冷泉家の『源氏物語』」と言うことで、阿仏尼とその周辺について。『定家筆拾遺和歌集』『阿仏尼筆源氏物語』などを拡げながら、奥書{おくがき}・表書{おもてがき}の読み方など、例によって自宅の書跡の鑑定を頼まれる。放送大学の図書館は期待はずれ。大東の図書館へととって返す。いったん自宅へ戻りのんびりとして、夜、國學院へ。今日の発表者・松野彩さんは学習院の四年生だというが、大変な高レベルであった。大学院への進学が決まっているそうだ。室伏先生と食事を取り帰宅。23:58。

11月11日(水曜日)4000カウント達成御礼            

夜、23:05にアクセスしたら4003カウント。ちなみに2000カウントは09月12日、3000カウントは10月13日。一ヶ月に1000アクセスがあって、一日毎短くなっている。少し忙しくて新しい展開はやや滞っているがぼちぼお付き合いくださいますよう。

11月12日(木曜日)           

昨日は池袋の西武リブロ・芳林堂と回って検索しても見つからず、今日のジュンク堂でようやく探していた本を見つける。一冊の本にまだこれだけのエネルギーを注げるのか、と自分自身にすこし安心した。深夜というより早朝、クロネコメール便で河添房江氏から『性と文化の源氏物語−書く女の誕生』(筑摩書房)を戴く。これで『源氏物語表現史』(翰林書房)ともども、氏の現在までの研究史を飾る著述が、網羅的に再編成されたことになる。

 

11月13日(金曜日)           

午後、青山に出講。今日もどの道も混んでいた。「文学史」やはり風邪気味の学生さんが目立つ。「古典演習」は佳境に入った感じである。

 

11月14日(土曜日)           

お茶の水にある東京古典会の「古典籍下見展観」にでかける。前評判では、『うつほ物語』に桃山時代の書写にかかる「俊蔭・藤原君」巻が出品されていると言うことであったが、保存状態がよいためか、僕には江戸時代にしか見えなかった。本文も版本系の流布本だった。『竹取物語』『伊勢物語』の伝本を中心に奥書を確かめながら眺める。帰宅しようとして、土曜日の西武池袋線が大泉学園にたどり着くのにずいぶん時間がかかることに気付かされた。

 

11月15日(日曜日)           

午前中久々に洗車。来月の私的な勉強会に向けてテクストを選ぶ。教科書の定番{みなさまおなじみの教材の業界用語}からという指定だったので、太宰治の『走れメロス』『清貧譚』『津軽』{僕はこの作品のタケとの再会の場面を高校二年の時読んだ記憶がある(『国語U』明治書院・1978)}の中から『清貧譚』(『精選 新国語U』明治書院・1994所収)を選び、幹事さんに葉書を投函する。午後、日本文学協会の「『うつほ物語』を読む会」に参加。「俊蔭」巻をじっくり読む。終了後、室城さんに誘われ、藤井貞和・津島佑子邸を訪問。お二人に暖かく迎えていただく……。いきなり誘われたので、僕はサンダル履き。訪問途中、室城さんが電話していたら、お巡りさんに職務質問されてしまった〈僕って怪しいですか?〉。帰宅するとハイパー師匠・榎本さんから、僕のページの重い理由の「謎はすべて解けた!!」というメール。納得。この問題、順次解決して行く予定。ちなみに本日記のメインページの写真は「Photoshop」でリサイズしていただいたので、かなり見やすくなったと思う。榎本さんありがとうごさいました。感謝します。

 

11月16日(月曜日)           

午前中、辞書を少々。昨日、藤井さんからいただいた、〈新編電子詩集『日本の詩はどこにあるか・続』ボイジャー・1997.12〉』を読むため、エキスパンドブック・ソフトをボイジャーからダウンロードする。藤井さんの詩集はめくると紙の擦れる音がする、素敵な私家集{アンソロジー}となっている。午後、大東の人文研で、研究所の蔵書の「文献目録」の基礎作業。成増でかるく泳いで帰宅。今週号11.23日号の「AERA」は「35歳『迷いの扉』を開く」。先月のNHKの土曜ドラマ「35歳・夢の途中」や山一の再就職問題が編集部のモチベーションになったらしい。僕も35歳11ヶ月を数えている。「35歳・夢の途中」は淡い恋に終わった平凡なサラリーマンと末期ガンでホスピスにいる同級生が、二十年ぶりに中学校の同級会で再会する物語。上田武志(35・三上博史)「二人でさ、どっか……逃げようか」真由美(35・有森也美)「逃げたら……どうなるの?別の……すばらしい人生が待っている?」武志・沈黙。「そんなものないよ。上田君。……ないの、別の人生なんて。やっと、そう思えるようになったんだ、私」。さて、明日は、文部省で二冊目の教科書の検定結果申し渡しの日。角川書店・飛鳥企画の高野さんからも「時間厳守」の召集ファックスが届けられた。忙しい一日になることだろう。

 

11月17日(火曜日)           

10:30、虎ノ門の文部省。針本正行先生と僕、角川書店・飛鳥企画から高橋さん・高野さん{小島孝之先生は風邪で欠席}で検定結果を聴く。程なく教科書検定調査官・田中大士氏があらわれ、〈指摘事項一覧〉なるコピーが人数分配られる。去年は一部をみんなでのぞき込むようにみたのだった。「お見えになった方全員にお配りすることになりました。行政サービスの一貫だそうです」との説明。指摘事項は23項目。昨年はたしか27項目だったから、少ない。お説ごもっとも、という指摘もあったが、「あのねー」というような指摘もあった。でも来年の三月に最終検定が出るまではこの程度でお許し願おう。この後の修正検討会は後日を期し、高野さんに調査官の発言メモを手渡す。夕方、余力があったので國學院の「『うつほ物語』を読む会」に出席した。

 

11月19日(木曜日)           

18:30、国立劇場小劇場で日本雅楽会の「第37回・雅楽公演」を聴く。演目は「久米舞{くめまい}」、管絃で「平調越天楽{ひょうじょう・えてんらく}」、舞楽の「迦陵頻{かりょうびん}」「延喜楽」「長慶子」など。神野藤さんのご配慮によるもので、毎年こうした催しで勉強させていただいている。植田恭代さん、倉田実さんをはじめ、室伏先生、小林茂美先生、後藤祥子先生などもお見えだった。舞の仕草のひとつひとつに観念的な思念が凝縮されているわけで、「雅」も「みやび」であるとともに、軽佻浮薄な社会の風俗を「ただす」意味の方が強いことを知る人は少ないかもしれない。

 

11月20日(金曜日)           

午後、青山学院に出講、「文学史」では「『源氏物語』第二部の世界」。卒業論文の締め切りが迫っているためか、やや注意力が拡散しがちである。「古典演習」は発表二本。少し余裕があるので、12月04日は、情報処理教室でパソコンを使いながら講義することにした。情報処理担当の宮田先生に、履修者全員のユーザー登録をお願いする。

 

11月21日(土曜日)           

日本大学文理学部で物語研究会11月例会。神田龍身さん、河添房江さんの最新の研究報告、それに小森潔さんの御本の合評会で原岡文子・津島知明さんが登場とあれば、出席者も今季最高の48名を数えた。三田村さんも三谷邦明さんとともに『源氏物語絵巻の謎を読み解く』(角川書店・1997.12.14発売)を出版するそうで、まさに物語研究会は「咲く花の匂うがごとく今」が全盛である。

 

11月22日(日曜日)           

早暁、4:35に家を出る。真っ暗、新聞配達のバイクのエンジン音だけが聞こえる。6:00ちょうどの「のぞみ」で一路京都へ。8:11着。久保田孝夫さんと合流し、萩谷朴先生とその門下生の親睦団体・赤堤会の「土佐日記の世界をたずねて」に同行する。「特急くろしお」で日根野、さらに南海電鉄で長滝着。『枕草子』に「杜は−略−蟻通し明神。貫之が馬のわづらひけるに『この明神の、病ませたまふ』」とて、歌詠みたてまつりけむ、いとをかし」と『貫之集』の説話が引用されている、「蟻通明神{ありとおしみょうじん}」へ。先生の解説を聴く。さらに船守神社へ。『土佐日記』二月一日の条に「黒崎の松原を経てゆく。ところの名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のごとくに、貝色は蘇芳{すほう}に、五色に今一色ぞたらぬ。このあひだに、今日は箱の浦といふところに綱栲{つなで}曳きてゆく」とある、黒崎の松原には紀貫之五代の祖・紀船守の120年祭を期して貫之が創建したこの神社があるのだった。このメンバーは跡見の守衛さんをしていた先輩{切手龍太郎さん・小暮康弘さん・渡辺一実さん}が多く、話題にもこと欠かない。みなさん同じ年の女子学生に「オジさん」と呼ばれていたそうだ。久保田さんにもたっぷりと萩谷イズムを堪能していただけたと思う。

 

11月23日(月曜日)           

萩谷先生を京都近鉄百貨店までお見送りし、僕一人単独で、中京区三条高倉の京都文化博物館へ。この中にある「平安博物館」の紀要「朱雀」(7号.1994) を購入すること(藤本孝一「尊経閣文庫蔵『土左日記』{国宝}の書誌的考察」が目当て)が目的だったのだが、落ち着いた雰囲気の館内も四年ぶりに見て回る。駅にとってかえし奈良線で宇治へ。「源氏物語ミュージアム」。こちらはずいぶん賑やかだ。正編の部屋では紫の上の一人語りの解説があり、宇治の部屋では薫の姉妹の垣間見の場面を立体的に人形を使って復原して、『源氏物語』の世界が艶やかに再現されていた。イメージ映画「浮舟」の衣裳も美しい。この図書館に僕の『光源氏物語の思想史的変貌』を見つけ感激する。他にも『源氏研究』のバックナンバーはもちろん、藤井貞和さんの『源氏物語の始原と現在』、三谷邦明さんの『源氏物語躾糸』小嶋菜温子さんの『源氏物語批評』、河添さんの『源氏物語表現史』、吉井美弥子さん編の『みやび異説』などが開架になっていた。国宝の宇治上神社を回り、宇治の地を歩いてみたが、アベック連れが多く、僕の浮舟はやっぱりゐなかった…。

 

11月24日(火曜日)           

10:00より放送大学第二学習センター、「中古の日本文学」の三回目。テーマは「絵画史の中の『源氏物語』」。「法隆寺金堂壁画」「正倉院・鳥毛立女屏風{とりげりつじょのびょうぶ}」などの唐絵{からえ}から「隆能『源氏物語絵巻』」に至る大和絵への生成まで。『源氏物語』を絵師たちはどう読んだのか、といった問題まで。帰宅すると「朝日新聞」夕刊の文化欄に河添さんの『性と文化の源氏物語』と兵藤裕己さんの『平家物語−<語り>のテクスト』が取り上げられていた。厳しい出版状況の中、眩しい光明がさした感じがする。

 

11月25日(水曜日)4500カウント達成           

帰宅すると、吉田幸一先生自らの編になる「古典文庫」が届いていた。なんと『伊勢物語−伝藤原藤房筆本』(1998.11.20/No.624)。鎌倉中期の古写本で、125段本の別本であるという。しかも、一条兼良{いちじょう・かねら}の補筆になるという代物だ。ちなみに藤原藤房は万里小路家の出身で、後醍醐天皇の倒幕計画に参加して流され、後に中納言に復して、権力の中枢を担ったが、建武元年(1334)40歳で官を辞して出家した人物。また、一条兼良{いちじょう・かねら}は若干23歳にして右大臣に昇り、摂政・関白を歴任したのみならず、官を辞して以後、古典の考証に務め、『花鳥余情{かちょうよせい}』『伊勢物語愚見抄{ぐけんしょう}』を著して、文明13年(1481)80歳で薨じた巨匠である。特に兼良は、僕の研究課題である、飛鳥井家相伝の『源氏』学にも関わりがあるキーパーソンなので、一晩中、読み耽ってしまった。

 

11月27日(金曜日)           

青山学院のメインストリートはもうクリスマス{正確にはADVENT<待降節・たいこうせつ>}だ。17:00から「青山学院クリスマスツリー点火祭」。幼稚園児から大学生まで擁した聖歌隊の讃美歌が流れる中、聖書が朗読され、手に手に持ったろうそくの小さな炎が人々を照らし出す。学院の園児・生徒・学生・院生の代表が徐々にツリーに点火して美しいイルミネーションが灯った。宗教主任の神父先生が「みなさんのろうそくを挙げてみてください」と指示すると一斉にろうそくが渋谷の夜空に掲げられる。その数、数千。まさに言葉もみつからないほどの美しい光景だった。でもこれが宗教の宗教たる所以なのだが。さて、その後、表参道へ榎本さん・陣野さんと繰り出す。いやあ、楽しかった…。帰宅すると、吉海直人さんから『住吉物語』(和泉書院 1998.11.25)が届いていた。45歳にして氏の言う研究の四本柱(源氏・住吉・乳母・百人一首)の著作を揃えたのだから、凄い。次は全註釈なのだろうか。

 

11月28日(土曜日)           

白百合で「『浜松中納言物語』註釈の会」に参加。18:00より神田パンセで日本文学協会1999年度第一回委員会。議長に小泉浩一郎先生{東海大学}で三谷委員長・塩崎文雄編集長{和光大学}を再選する。豊島秀範さん{群馬女子短期大学}、久保朝孝さん{愛知淑徳大学}、久保田孝夫さん{大阪成蹊女子短期大学}、東原伸明さん{県立高知女子大学}とみなさん遠くからおみえになっていたので、委員長ともどもまたまた夜の神田界隈に繰り出す。西武池袋線の終電一つ前で帰宅できたのだった。本日僕は36歳。いよいよツブシの効かない歳になってしまった。

 

11月30日(月曜日)           

大東で『元輔集』の註釈作業。今月は清原元輔と藤原国章晩年の交流を示す和歌についてのものが中心。昭和52(1977)年の大学院演習からの継続作業である。

 


 

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