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日記を物語る 98年10月   INDEX‖ ホームに戻る

10月01日(木曜日)   

今朝は雨である。季節の変わり目で風邪気味。それでも昨日のうちに「解釈と鑑賞」誌を脱稿。角川の課題ノートのコラムを三本。夜、某先生から来年度の非常勤が内定したので丸一日とられるだろうから日程調整をしておいて欲しいとの電話。『源氏物語』に加えて、『うつほ物語』を年間二コマずつ二年で読む講義という指定だ。野口元大先生の『校注古典叢書』五巻が学年末頃に完結するそうなので、これを使用することになるだろう。それにしても、出講先がだんだん遠くなって行く傾向にある。この先を思うとなんだか怖い。

10月02日(金曜日)   

風邪気味で不調。10:30に角川の高野さんと池袋で打ち合わせの予定があるので、朝06時から起きて 課題ノートのコラムを書こうとしたが進まず。今日は午後、青短の講義の後、伊勢に向かい、土日は椙山女学園大学の中古文学会に出席の予定。ホームページの更新は火曜日までお休みです。今、7 時29分。ではアップ・ロード。

10月06日(火曜日)   

やや体調不良のまま学会入りした上にやたらと暑く、しかも冬物のスーツで苦労した旅であった。でも収穫も多く、熱田神宮宝物館で正倉院楽器(模造)をじっくりと見ることができた。たとえば、金銀平文琴{きんぎんひょうもんのきん}・螺鈿紫檀五絃琵琶{らでんしたんごげんのびわ}など。三大楽書も一同に会しているのはめずらしい。また、米子の原さんと『三六人撰』の古筆について、高橋亨さんや阿部好臣さん、吉海直人さんなどと書写年代やらなにやら議論できたのも学会ならではだとおもう。発表の方は、“国文学”と言う制度のパラダイム・シフトが大きな転換期にあることを実感した。旧派と新派のせめぎ合いが如実だった感じだ。齊藤昭子さんの発表はその双方に目配りした内容だったような気がする。阿仏尼本とその周辺は僕の研究領域でもあるから、すこし考えてみたいと思った。昼食で伊藤鉄也さんが話しかけてくれ、池田亀鑑『校異源氏物語』の成立過程について話ができた。今回の学会の収穫の中でも、これが最大のものなのかもしれない。

10月07日(水曜日)   

昨日はまず三田村雅子さんから頼まれた徳川家康旧蔵の『源氏物語』伝本群、いわゆる「駿河御譲本{するがおゆずりぼん}」の行方を調べ直して三枚ほどにまとめて郵送。夕方、國學院大學で「うつほ物語の会」。いつも新鮮な発見がある。北海道から林さんが見えていたので、室伏先生も交えて専門の「浦島太郎」の話などを伺う。室伏先生は次の中古文学会でも重責を担われることになりそうで、今から気が重そうであった…。完了形…。すべて昨日のこと。

10月08日(木曜日)   

学会で留守にした週末のアクセスは四日間で98だったのに、この三日間は一日40を越えるアクセスがある。やはり中古文学会関係者のアクセスが多いと言うことなのだろうか。ありがとうございます。夜、某国立大学の某教授先生から電話。怖れていたはずの出講先の距離がまた伸びた。東京駅から特急で一時間もかかるところ。でも集中講義でも可能だと言うことなので心から喜んでお引き受けする。きっとその時になったら泊めてくれる人を探すことになるだろうけれども。本日記読者のみなさま、その節はよろしくおねがいします!?。

10月09日(金曜日)   

青短に出講。日本文学史は「『うつほ物語』の生成」の最終回。古典演習は輪読発表。ずいぶん発表のテクニックも向上してきたと思う。夕方、榎本先生のお誘いで二年生のみなさんと青学会館。ケーキバイキングはやはり食べ過ぎだった。

10月10日(土曜日)   

おととい話のあった某大学は、もう出講依頼状が届いた。来年の出講日の予定を16日までに決めないといけない。以前から論文の再録を承諾していて発行の遅延している某出版社の本の原稿料は、七冊の累計が赤字につき物納にして欲しい、と社長の手紙。「やっぱりね」当初、承諾のはがきに「原稿料物納おことわり」と書いた僕だが、惻隠の情を以て承諾する。締め切り関係は月末の二本(辞書・古典文学事典)だけのため、気持ちがのらず終日溜まった本の散読。思い立って以前非常勤先で国語を教え、夜学に通いながら理科の実験助手をしていた下平泰央さんに電話して放っておいたBSアンテナの取り付けを手伝ってもらう。でも夕方待ち合わせたのは失敗だった。暗いと何も見えなくて、設置のためのネジすらうまくとめられないのだから。昔話に花が咲いた。

10月11日(日曜日)   

午後、日本文学協会事務所で「『うつほ物語』を読む会」の俊蔭巻輪読。注釈本文を、数種類レジュメに貼り付けるだけで大変な作業である。諸注釈書の孫引き度も一覧できる。終了後、少しばかりのお茶で解散。

10月13日(火曜日)3000カウント達成御礼            

今朝、06:56にアクセスしたら3005カウント。データによれば、昨日の朝、07:45の時点では2951だった。ちなみに2000カウントは09月12日だったので一ヶ月に1000アクセスがあったことになる。3000人の厳しい目に耐えうる内容であったかどうか?自問自答。

放送大学は来週からなので、のんびりと散読。辞書を少々書く。午後、大東の人文研。三月のシンポジューム「東アジア文化と日本文化−東アジアにおける恋愛と死をめぐって」の報告書ができていた。引っ越したばかりで落ち着かない。学内の書店で「国語と国文学」を購入。『源氏物語』の特集で13論文が収録されている。田中隆昭(早稲田大学教授)先生の「仙境としての六条院」が気になっていたのである。昨年書いた拙文「<爛柯>の物語史−「斧の柄朽つ」る物語の主題生成」を引用してくださり、「爛柯の故事の平安朝文学全般への影響を徹底的に調べ…二つの系列の流れをあきらかにされたのはありがたい」と書いてくださった。ただし、僕の主題生成の論に関しては、小林正明・松井健児論文とともに拙文を引用しながら「少々性急にすぎるのではないか」との批判があった。こちらが重要なのだけれども、その点は、今、書きかけの「恍惚の光源氏」で補強し、反論したいとおもう。同書では松井健児さんも「碁を打つ女たち−『源氏物語』の性差と遊びわざ」で同じ拙文を引用してくださった。囲碁の物語から物語全体の動態を掌握しようとする力編である。夜、國學院で「うつほの会」蔵開・下。粗末な食べ物の列挙は勉強になった。

10月15日(木曜日)   

午後から夕方にかけて、池袋の西武リブロ・ジュンク堂・西口の新装なった八勝堂書店と回る。八勝堂の国文学部門はきわめて専門化していた。価格もそんなに高くはない。高野書店はさびしくなってしまったが、やはりこうした店があるのだから、池袋の書店めぐりはやめられない。

10月16日(金曜日)   

青山に出講。文学史は、「継子いじめ譚の系譜−住吉・落窪物語の世界」。じっくり時間をかけたいところだが、エッセンスだけでも伝えられれば。次の『源氏物語』が待っている。廊下で四大編入の相談を受ける。古典演習は「『源氏物語』の手紙」。こうしたテーマらは質問もスムーズに出るものだ。講義終了後、榎本先生と秘書室を通して学長室に栗坪良樹先生を尋ね、お話を伺う。近著『子供たちは生きのびられるか−岩波ブックレットNo.460』(1998.8)を戴く。文学と社会構造とコミュニケーションの関係、バブル崩壊後の大学経営など。エネルギッシュなバイタリティーに圧倒される。帰宅して少しばかり原稿執筆。電話多数。ほとんど来年度の件に関してのもの。ガッコウ世界はもう来年の話の季節だ。

10月17日(土曜日)   

午後、白百合女子大学で『浜松中納言物語』注釈の会。台風接近のため早々に帰宅。明日は同所で『枕草子』の会がある。

10月18日(日曜日)   

午後、今度は『枕草子』を読む会。台風一過、蒸し暑い。二次会・三次会例のごとし。

10月20日(火曜日)   

10時より茗荷谷にある放送大学第二学習センターへ出講。この場所は旧東京教育大学の跡地で、今は「教育の森」と言う。この森に公園、筑波大学の社会人大学院、学術情報センター、そして放送大学が入っているわけだ。来年度は大学本部(千葉市)で「国文学入門1」を講義することになっているので「中古の日本文学」は今季で語り納め。「『源氏物語』の世界」と称して三島由紀夫の『豊饒の海』のクライマックスの門跡と「夢の浮橋」巻の浮舟とを重ね合わせながら論じる。資料に三島・川端書簡集など。安藤武『三島由紀夫の生涯』(夏目書房・1998.9)の正田美智子と三島さんのお見合いの記事を紹介したらみんな驚いていた。午後も大学内の図書館で清水浜臣{しみず・はまおみの『宇津保物語考証』の大久保本の翻刻チェック。夕方、國學院大學で「『うつほ』の会」。レポーターは小山優子さん。異文統合・諸注統合など、跡見時代とは抜本的に学問の作業の質も異なるが、よく調査されていた。「浜の苫屋」と「海人の苫屋」がキーポイントだった。

10月21日(水曜日)   

藤井貞和さんからお手紙をいただいており、「返答せよ」との文面だったのでいささか長めの返信を書く。すこし思い立って物語研究会の創設メンバー数名の方に電話する。大人の研究者に話を聞いていただけるのも幸せなことだ。来年一月の物語研究会例会はにぎやかな会になることだろう。辞書を少々書き、送られてきたばかりの「古代文学研究第二次」七号を読みながら就寝。

10月23日(金曜日)   

青山に出講。日本文学史はいよいよ「『源氏物語』の世界」桐壺巻冒頭を読む。高校の教室では教えてくれない“大人の読み方”をしたつもりだ。古典演習は「桐壺巻と長恨歌」の自由発表。今年度の発表あと五人。目処がたった感じだ。夜、畏友某氏から電話。「非常勤で出講せよ」との仰せ。日暮里から特急で一時間ほどだそうだ。「上原さんちからは片道二時間くらいかなあ(やっぱりどんどん遠くなって行く…)」出講日を揃えてお昼は研究室で御一緒し、会議のない日は飲みに行こうね、とのこと。来年はいったい何コマ講義するのかなあ…。出講予定表を作って電話の脇に置いておかなければ…。

10月24日(土曜日)   

今週は神田・早稲田と古本屋回りを実行した。月末の辞書の締め切りが近くなると、大学に出て調べるより自宅に本が有った方が便利だからだ。岩波の『日本古典文学大系』を中心に欠本になっているものを探してみた。今日は五十嵐書店(西早稲田)の目の前のパーキングに車を止め、平野、三楽、文英堂、五十嵐支店、三幸などを回り、『山家集・金塊和歌集』(\400)を雑本の棚から掘り出す。最後の五十嵐には親爺さんがいたので(ラッキー)、『万葉集』の四巻目が欠本で辞書を書くのに苦労をしていることを話すと、わざわざ揃いのセットの一冊を頒けてくれた。そこで、お礼に『袋草紙』などの『新大系』も数冊購入した。やっぱりなじみの本屋さんがあるのはいいことですね!!。

10月26日(月曜日)   

午前中は辞書を執筆。午後は大東へ。人文科学研究所で教授会待ちの歴史学の先生方と雑談。14:30より萩谷朴先生と『元輔集』注釈の会。500首あまりの歌集だが、まだ百首くらいしか終わっていない。僕は現代語訳の担当だ。「上原君一人になってもこの本はだしてくれよ」と先生からハッパをかけられる。

10月27日(火曜日)   

午前・午後やはり辞書を執筆。夕方、國學院大學へ『うつほ物語』の会。この物語少なくとも本文系譜上、現存諸本の二世代上まで、尊敬語と謙譲語の「給ふ」が混用されているようだ。平安朝の敬語法の常識がこの物語の研究の進化によって覆るかもしれない。

10月28日(水曜日)   

帰宅すると至文堂から『解釈と鑑賞』誌新年号の校正刷が届いていた。原稿の段階では気がつかなくともゲラになると目に見える誤りを発見する。先月の物研発表、「絶望の言説−『竹取翁物語』の物語る世界と物語世界」の論文化である。「語彙の諸相」というテーマのもと、僕の論文は「基本語彙・シソーラス」の項に収録される予定である。特集テーマとの連関性が希薄な気もしているが、本年12月10日発売の折はぜひ御一読戴き、ご批判を仰ぎたいものである。

10月30日(金曜日)   

青山祭のため、終日某社の『古典文学鑑賞事典』の原稿執筆。『竹取』『うつほ』『落窪』などの作品を、梗概を含めて1600字にまとめなければならない。出版社も編者の先生も始めて御一緒するので、明日の締め切り厳守を実行する。大泉郵便局で投函し、そのまま大東会館での対照言語研究会に出席、鈴木泰(お茶の水女子大学教授)先生と『うつほ物語』の文法の話など。今、大学院の演習で取り上げておられるとのこと。御論文の公刊が待たれる。


 

 

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