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日記を物語る 98年7月   INDEX‖ ホームに戻る

7月1日(水曜日)               

仕事がキャンセルになったので、大急ぎで帰宅して辞書の項目執筆。今回は有職故実中心の項目なので、京都書院アーツコレクションの『日本の伝統色』『かさねの色目』(ともに1996)

 

のお世話になっている。しかし、全依頼項目を締め切りまでには渡せそうもない。とは言っても、これはホームページ作成のために遅れているのでは決してありません。項目の用例採集に手間取っているためですので、あしからず。

 

7月2日(木曜日)

終日、自宅で原稿執筆。 朝日新聞の朝刊、夕刊に注目記事一つずつ。朝刊の学芸欄に、「『電子本』がひらくテキスト操る快楽−『画面で読む』ノウハウ着々」。印刷された「活字本」「紙の本」に対して「電子本」が登場しつつあるという。僕もすでに一冊、『asahi.comで見るForever Nagano`98 CD-ROM「長野冬季五輪全記録」』 (朝日新聞社1998)を持っていた。でもこのCDにはさすがにSOUNDはないのだが、文芸春秋社のNumberのシリーズにはこれもあるらしい。要は、ビデオ的な要素もパソコンの上で展開可能ということになるのだそうだ。そうそう、この新聞記事には、僕のハイパー・師匠(と勝手に呼んでいる)「文芸評論家の榎本正樹さん(36)」のコメントが載っているではないか。曰く「インターネットを介して、作者に対し発言する方法を学習した新しい読者層が生まれている」のだという。明日は、師匠と暑気払いの約束をしているので、とてもハイパーな酒の肴が用意されたようである。

 ついで、夕刊に、なんと藤原行成著の儀式書、『新撰年中行事』が、京都御所の東山御文庫(ひがしやまごぶんこ)で伝えられていたことが明らかになったのだという。宮内庁書陵部の西本昌弘氏の調査は、所功・京都産業大学教授の博捜にかかる儀式書の諸本に散見されるこのテキストの逸文(いつもん)と、この伝本(後西天皇宸翰<しんかん> )の本文の本文批判(テクスト・クリティーク)が細部までほぼ完全に一致したのだという。文献的に多くの事柄が中世までしか遡れないという限界のあった有職故実や源氏学、ひいては、平安文化史に新たな視座が提供されるだろう。はやくテキストが提供されることを期待したい。そして、こちらは僕の文化学の師匠・増尾伸一郎さんにこのテクストの思想史的な意義についてお聞きしたいものである。 

7月3日(金曜日)

一時限目、跡見で物語史。 『源氏物語』胡蝶巻の神仙表現、『紫式部日記』、『源氏物語』夢浮橋巻へと「物語終焉の論理」をたどる最終回。質問多数。有楽町線。半蔵門線で移動、青短で文学史。とにかく暑い。『竹取物語』の成立背景。15分早く切り上げる。古典演習、水沼さんの輪読発表。満足。夕方、渋谷で、陣野さん、榎本さんとあやしげな暑気払い。話の内容は多岐にわたるが、教育的配慮に基づきすべて省略に従う。明日は、新大阪で、久保田孝夫(大阪成蹊女子短期大学助教授)さんの音頭取りにより、三谷邦明委員長・関根賢司(樟蔭短期大学教授)高橋亨(名古屋大学教授)・吉海直人(同志社女子大学助教授)・安藤徹(日本学術振興会特別研究員)さんらと日本文学協会大会の前夜祭である。乞うご期待!

7月4日(土曜日)

所沢の松井公民館の「古典に親しむ会」で『源氏物語』蓬生巻を読む。継子いじめの話や散逸物語のことなど。武蔵野線の秋津−西国分寺と乗り継いで、東京から一路、新大阪へ。上記メンバーに加えて、白百合の室城・佐藤両氏が北海道壱番館でお出迎え。関西の短大・女子大の経営難(学生募集)はかなり深刻であるようだ。大学のキャンパス案内の中吊り広告がやたら目に付いた。御堂筋線から京阪樟葉の久保田邸へ。二時まで飲む。楽しく歓談。奥さん夜遅くていつもすみません。

7月5日(日曜日)

久保田さんの案内で近畿大学へ。途中冷房にやられ、どうやってたどりついたのかは記憶をたどり返しても思い出せないくらいであった。脂汗が浮かんで困った記憶のみである。徐々に回復に向かった。大学は、とにかく立派な建物である。教員にも、島田雅彦・柄谷行人・後藤明正など一流の文化人が並んでいる、すごい学校である。発表も古代部門はバランスが上手にとれていたし、水準も高かったように思われる。個人的には稲生知子さん・中島泰貴君(ともに名古屋大院生)の発表がおもしろかったし、平野美樹さんが『源氏物語』を始めたことも特筆すべきことかと思う。懇親会では大東の檜垣先生が声をかけて下さった。宗雪さんが元気がなかったのが気になる。三田村さんは上田女子短期大学の講演から、東京周りで直行したとのことである。三谷委員長の挨拶も協会設立以後50年の歴史をふまえた格調高いものであった。帰りは、齋藤英喜さん・津田宏幸さんら、古代文学会メンバーに加え、松井健児さんも同じ車両であった。古代文学会と物語研究会の合同大会が話題となる。

7月7日(火曜日)

跡見で国文学概説の最終回。この大学の規定を越えて二年半もお世話になった、跡見の学生さんともテストを残すのみである。「日本文化の雑種性」を『源氏物語』研究の伝流にからめつつ、池田亀鑑の『古典の批判的処置に関する研究』(1941)、『校異源氏物語』(1947)『源氏物語大成』(1953-1956)へと至る、近代文献学の成立と限界について祖述する。近代文献学はドイツ文献学に学び、現代テクスト理論も又、西欧理論の移入と展開であることなど。そこに日本文化の雑種性(加藤周一)を重ね合わせたのである。プリントは朝日新聞・昭和14年1月8日付の萩谷先生の歌合(うたあわせ)発見の記事(池田亀鑑も萩谷先生もとにかく若い。萩谷先生は詰め襟である)と、僕が持つ、池田亀鑑の昭和13年10月8日付の、九州在住のお弟子さんにあてた献本と時候のあいつさのはがき。なかに「近く谷崎氏の源氏がでます。それにつきまして、我々は源氏につきましてしっかりした態度をもってゐたいものと存じます」とみえる。心意気が伝わって来るではないか。戦争中の文人達は当局の検閲のなかで、太宰治は古典文学をもとに人間賛歌を描き、谷崎は『源氏物語』の現代語訳に賭けたのである。そういえば、以前、戦争中に川端康成が親しんだ『源氏物語湖月抄(こげつしょう)』の版本を神奈川近代文学館で見た記憶がある。

 午後、田中雅浩君(武蔵大学院生)と待ち合わせ、物研夏の大会の打ち合わせ。大学で例会通知発送の手配。夜、『うつほ』の会。大井田君(東大院生)の発表は手堅い。でもどうして源涼(みなもと・すずし)の息子は、こんなに産養(うぶやしない)をしてもらったのに、後で女の子になってしまったんだろう。『うつほ物語』作者はいい加減な男であるらしい。帰りがけに室伏先生と阿佐ヶ谷で軽く食事をして帰る。

7月10日(金曜日)

朝は驚くほどの土砂降り。出がけは晴れ間も見える。青短で前期最後の日本文学史。『竹取物語』の成立背景。この物語に見られる時間意識のズレをどう読むか、物語の時代設定と中央集権国家と前期摂関体制のことなど。四時限目、古典演習。水沼さんの自由発表は「物の怪」。ネタ本はもちろん藤本勝義(青山学院女子短期大学教授)さんの本(『源氏物語の「物の怪」−平安朝文学と記録の狭間』青山学院女子短期大学学芸懇話会1991→笠間書院1994)である。よくまとめた、濃い内容であった。質問で、『あさきゆめみし−源氏物語』と本編の物の怪=六条御息所の解釈の違いを質問される。「夕顔巻の解釈がポイントですよ」と答えておいた。

 榎本さん、陣野さんと講師室でひととき、ハイパーメディアと現代文学のことなど。榎本さんの『文学するコンピータ』(彩流社・1998.4)に横溢する理論的な叙述が、平易な日常会話の中で語られるとまた違った魅力が生成されることは言うまでもない。また、この本の中にはもちろん、村上春樹の『アンダーグラウンド』や、吉本ばななの『キッチン』批評、さらにはマルチメディアの先駆者としての宮沢賢治論、そして僕らの学生時代に一世を風靡した田中康夫の『なんとなくクリスタル』(1980)も論及があり、渋谷四丁目のミッション系の大学の無記名性を起点として 、メディア論が展開されてもいる。もうお気づきの方も多いと思うが、本ホームページのモチベーションも、本書ならびに彼のホームページから多大なる影響を受けている。ぜひ御一読・御一見願いたい。

7月11日(土曜日)

久しぶりにウィークエンドが午後からオフ。カウンターも、榎本さんや越野さんのアドバイスでようやく稼働し始めた。8日の15時頃オンラインにしてから、 70時間経過しているが、大東のブラウザールームで確認すると、ヒットカウントは146であった。1時間に約2件、一日50件 のアクセスがあったことになる。 ごらんのみなさんありがとうございます。

 帰宅して、辞書を書き始め、疲れると読書。故大曽根章介先生の著作集『日本漢文学論集』(汲古書院1998.6)やら、石原千秋氏の『反転する漱石』(青土社・1997.11)など読みかけの本などを手にしては、思わず読みふけってしまう。朝日新聞の夕刊に幻冬舎社長、見城徹氏の「ビジネス戦記『顰蹙は金を出してでも買え』」毎土曜日四回連載の最終回。先週の角川退社−新会社設立の際の、難しい局面を率直かつ冷静に記していたところは食い入るように読んでしまった。特に「人間の負の部分を見た」記述。僕もこの書店の船出直後に出版された、黒木瞳の『わたしが泣くとき』を思わず信州の本屋で買ってしまった記憶がある。今は文庫本になったようだが、もとは1994年7月3日初版で、僕のは同月14日に二刷のものであった。彼女は自作の詩を『月刊カドカワ』に連載しており、それが縁になったようだが、奥の付記に348枚(400字詰め)書き下ろしとある。しかも学者の文章よりはるかに“文学的”ですらあるのがいい。石原慎太郎の『弟』も田舎で帰省中に一気に読んだ。幼い兄弟の口絵が印象に残っている。僕からすれば、今のところ両書とも「文学」のカテゴリーにはないが、「好きな本」ではある。国文学関係を出版する既存の出版社が軒並み権威化してどの本の監修者も同じ人が並んでいて陳腐になってしまっている現状からすれば、既成の価値観を無視し、破壊するかのようなエネルギーのある出版社がむしろ必要かとも思う。

 そういえば、かつて大手出版社の編集長(当時)から、CD-ROMでならおまえの本を出すことも可能だ、という趣旨のことを言われたことがある(書籍と違って、CD-ROMは少部数製作が容易だからである)。今は、例えば『新編国歌大観』(角川書店.1996)や、『広辞苑第四版』(岩波書店1993)など大規模出版物に限定されてはいるが、いずれは専門書にも登場するかも知れない。中村三春氏の『フィクションの機構』(ひつじ書房1994)は書籍と電子テキストをユニットさせた先駆的書物である。僕ならば、前著『<琴>のゆくへ』を電子テキスト(論文本文)のみならず、ところどころに、<琴>の曲を解説するくだりでは、そのメロディーが流れ、三仙人の解説のくだりには正倉院の「金銀平文琴(きんぎんひょうもんのきん」の画像が映し出されると言うような本(デジタルブック)としてリニューアルするのはどうだろう。そんな夢物語もまた、見城氏のような才覚と冒険心のある「良質の」出版人の出現からすれば、もはや夢ではないのかもしれない。

7月14日(火曜日)

前日、一週間の予定で、大東の学園総合情報センターからデジタルカメラを借りてきた。いずれ、自作のフォトが掲載されることになるだろう。1時限目、跡見の国文学概説のテスト。遅刻者も少なく、答案も多くは充実した内容で、大過なく神野藤さんにリレーできそうである。答案を確認していたら、あとがきを書いてくれた人があった。「先生の授業は大学で受けたすべての授業の中で一番よかったです。前期で終わってしまうのが残念ですが、……ありがとうございました」涙…涙…。率直にうれしいものである。僕からもありがとうございました、と申し上げたいくらいである。

 夕方は、國學院のうつほの会の前期うちあげ。森野正弘君が課程博士を修得したのでそのお祝いをかねた。ここでも写真をたくさん撮った。いずれ公開したい。そういえば、飯田祐子(神戸女学院大学講師)さんが課程博士を取り『彼らの物語−日本近代文学とジェンダー』(名古屋大学出版会1998.6)を上梓した。早速、「序章 隠喩としてのジェンダー」を読んだ。近代文学における作品論/作家論からテクスト論への展開の過程の見取り図は見事なのだが、「3日本のフェミニズム批評」には研究史への大きな偏りがあるように思われる。端的に言えば、渡邊澄子氏(大東文化大学教授、<実は、いや当然>恩師である)らの仕事がほとんど無視されて、研究史に一括され、隠蔽されているかの如きであるからである(結局、渡邉氏の研究に関しては一回も引用はない)。これはかつての「日本文学」誌上(1985)での助川徳是氏(元名古屋大学教授)との軋轢からであろうか。このあたりに学位請求論文の“限界”があるように思われてならない。

 ところで、藤井貞和さんの「物語に語り手がいなければならない理由」「国語と国文学」(1998.8)は、冒頭から「1物語論の“学”の限界」である。物研の年間テーマを意識した、藤井さんらしい、渾身の、そして入魂のアプローチである。もはや伝説的な発表となった「女歌は切り返す歌か」(物語研究会例会1995.1)も取り込まれている。万謝。

 また、増尾伸一郎さんの物研年間テーマ発表(1998.5)も「日本文学」(1998.7)に「特集・偽書の中世」として公表された。

 また、熱く、そして暑い、物語の夏がやってくる。

7月17日(金曜日)

雨、交通渋滞と道路選択の判断ミスで跡見の物語史の試験ぎりぎりに到着、試験はすでに教務課の配慮で配布済みであった。ここでもデジカメが活躍、試験終了後、昨年の文学史、今年の物語史と熱心に受講してくれた学生さん達があれこれと話しかけてくれた。名残惜しいが、次の青短の試験が12:40開始ということで、一路、青山へ。こちらは座席指定である。卒業用件の必修課目ということで、机間巡視しながら答案をチェックするとするとみなソツのない感じがする。こちらも試験の感想を話しかけてくれる学生さん数名。

 さあ、夏休み。キャンパスの学生さん達の声も、今日はいっそう明るい。

 陣野さんに連れられ青山通りの一角で人通りを眺めながら四方山話。のんびりとする。歩いて國學院の裏にある、青山学院駐車場に向かったが、なぜか青山霊園にでてしまった。南青山を彷徨(さまよ)いつつ、根津美術館(萩谷先生の義理のお兄さま<根津嘉一郎・東武鉄道会長>の美術館である。)を抜けると首都高速がみつかり、なんとか到着。帰宅すると青短の図書館から購入希望図書の入架リストが届いていた。最近、献本していただいた本は、ほとんど青短の図書館に入ったことになる。ちょっと義理が果たせたかも知れない。帰りも渋滞で疲れていたので、水泳はあきらめて、ゆったりモードで、原稿執筆に専念。田中雅浩くんから、物研大会の参加者の件。青短の兼古さんからは、レポートの原稿遅延のファックスが入った。ホームページの感想が書き加えられていた。我がホームページの跡見青短のピンクモードはおしゃれ過ぎたのであろうか。

7月18日(土曜日)

横浜市立大学で物語研究会例会。斎藤正志(中国文化大学副教授)くんの発表は『法華経』の文末の訓読の辞は「き」か「り」かいずれが正しいのかといった内容。こちらはお願いした側なのでコメントはしなかった。津島知明さんは『枕草子』の日記的章段についての基本問題を、年間テーマ「物語学の限界」に添って提議。議論も活発で夏の大会シンポジュームに繋がる発展性が生まれたと思う。ただし、次代を担う若手の発言が、理論の為の理論に終始して、『枕草子』研究史を参看していないのは困ったことだ。二次会で「せめて研究史くらい勉強してこい!」と苦言を呈したのだった。二次会・三次会例のごとし。西武池袋線は「小手指」行きの終電であった。自転車で帰り、熟睡。

7月19日(日曜日)

茗荷谷で私的な勉強会。メンバーは、この世界ではかなりメジャー系の30-40代研究者(もちろん僕は例外)で構成されている。先日の僕の発言に対して、若手に対して冷たいと忠告されてしまう。反省。二次会の話題も大学経営の不安や、出版界の不振、ひいては「国文学」が斜陽になりつつこともあってか、あまり気勢のあがる内容とは必ずしも言えないが、それでも家庭的にはJuniorが誕生し、育ちざかりの方もいて、明るい話題にもことかかない。カラオケで解散。こういうときに俄然元気をとりもどし、歌いまくる人がいるのも、いいよね。

7月21日(火曜日)

7月8日にアクセスカウンターを設置して、夕方までに500を越えていた。ありがとうございます。『松浦宮物語』などの質問も届いたりして、ページを公開している者として、書くことの責任を感じている。夜、数名の方にリンクの依頼のメールを出した。テキストデータ関係の充実ぶりは日進月歩だからである。

 物研例会で教科書の解説書の品詞分解の依頼をした元教え子の某さんから断りの電話。困った!今週は締め切り地獄でほんとうにきつい。

7月24日(金曜日)

11時から国文学研究資料館の共同研究、「『うつほ物語』の注釈史の研究」に参加。清水浜臣の『うつほ物語考証』の注釈作業。昨年度に引き続いての継続的な仕事なので、討議は比較的円滑である。来春にはこのテクストの基礎データが提供できるだろう。4時からは角川本郷ビルで『古典講読 源氏物語・大鏡』の指導書の編集会議。心内文の敬語法の処理、指導展開例のことなど。夜帰宅して関係者に電話。忙しくて目が回りそうだ!。その上、七月分も書き終わっていないのに、八月分の辞書の執筆依頼が届いた。142項目である。毎日5項目ずつ書けば終わるはずだが、さすがに七月の202項目は、僕の調査・執筆能力の限界を完全に超えていた。今日も、朝五時半に起きて書いた。そして明日も。

7月26日(日曜日)

日本文学協会事務所で「『うつほ物語』の会」の俊蔭巻輪読。主人公・清原俊蔭が阿修羅に出会う場面。中村忠行氏はこうした描写に天台密教の影響を読んでいるが、仏典を介してもその仏画的映像が再現できないことがもどかしい。

7月27日(月曜日)

国文学研究資料館の共同研究、「『うつほ物語』の注釈史の研究」の二回目に参加。『うつほ物語考証』は、諸本により注釈に出入りがあって、両方見合わせなければならないし、浜臣が実際手にしていた本文もわからないところがある。そのため、江戸の書籍流通史にまで射程を拡げねばならない。宿題となった大久保本の翻刻チェックを引き受ける。

 メンバーの日程調整等、まとめ役の江戸英雄君の尽力に感謝したい。

7月29日(水曜日)

午前中、高田馬場での仕事に一時間ほどのあき時間ができたので、大急ぎで新宿・三越の「なら平城京展98」へ。最近、聖武天皇前後の時代的・思想史的・文化史状況と『竹取物語』的世界との間におおくの共通点を見出しているため、文字のみならず視覚的なイメージからこうしたカオスを頭に入れておきたかったのである。先日、「『うつほ物語』の会」の俊蔭巻輪読で話題となった阿修羅が鮮やかな当時の色で復元されていたし、聖武天皇の時代の貴人の書斎の復元では、和琴もあった。木簡の復元から解読へと至るビデオ、大仏建立へ至るまでのビデオなど、たくさんの収穫があった。午後、帰宅すると、梅雨は明けないというものの、まさに真夏の暑さで汗びっしょり。角川の津久井さんから、先日の会議録が届き、他の件で電話もあった。あっという間に電話多数。シャワーを浴び、冷房で書斎を冷やしてから、教科書の指導書執筆。桐壺巻の第二章(この巻は収録が二章)を一応脱稿。本日は、20枚。明日の体力を温存するため早めに就寝。

 

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