Last Up Date 2005.10.01          

日記を物語る 2005年09月INDEXホームに戻る 

            


09月29日(木曜日)

快晴。今月末締め切りの月刊誌の原稿をほぼ擱筆。注釈の校正二本。今週末から来週半ばまで、一冊丸ごとの念校五回するために日程調整。来週の地方遠征の要請の電話も、丁重にお断りする。また『人物で読む源氏物語』勉誠出版のHPの二期の目次と一期分の補訂もあわせてアップロードしていただけたとのこと。中旬には関係者に、下旬には書店に並べられる見込みとなりました。ありがとうございました。また御高架の程、よろしくお願いいたします。

すでに肌寒くなってきた秋の夜は、活字を片手に、テレビの画面は自然と世界の中心で、愛を叫ぶ。主人公と僕の少年時代の愛称が同じ故、「サクちゃん」だの「サク」だのと連呼されると、なぜかまともに画面が目視できず。彼らは1969年生まれの設定で、僕より七歳年下らしい。そういえば、地方でも発売されたばかりのウォークマンみんな持っていましたね。アイテムは僕らの時代より全体にコンパクト化していて、自然と、゛あの時代゛を思い起こさせる巧みな物語内容。今は、パソコンに携帯は中学生でも当たり前。テーンのアイテムだけは、随分、高度経済成長したものです。

09月30日(金曜日) Special Thanks 209,000 Hits

晴。終日デスクワーク、つまり原稿書きと校正。月末故、出版社三社の編集部と電話で打ち合わせ。来年春出版の、前著以後書いた論文を集めた本の構成と書名を考えています。近いところでは、土日『人物で読む源氏物語』勉誠出版二期・三冊分の念校に専念。忙しい。忙しい。誤植等、心残りのある人は僕に直接連絡されたし。疲れたら撫琴。今度の中古文学会では、「女楽」の「胡笳の調べ」の後、女三宮が「いと心とどめて弾」いたとされる「五六の溌剌(はら)」を「琴譜」どおりに弾いてみます(約10秒)。彼女のように「いとよく澄まして弾」けるかどうか。実は、現在、これこそ僕の最大の関心事。


09月01日(木曜日)

晴。座談会「作中人物論の回顧と展望」に施註。夜までに100に届きました。回顧と言うこともあり、研究者の生年を書き込みましたが、泰斗の中には物故している先生もあり、WebCatの著者情報などを検索。ただし、これだとほとんど没年が分からないため、東京女子大学、関西大学に直接消息を尋ねたりする。なお、メールで問い合わせた後者は「お問い合わせいただいた件ですが、清水好子名誉教授は昨年(平成16年)12月10日に逝去しています。以上、ご返答申し上げます」と迅速な返信を頂戴できました。ただし、この内容には少なからずショックを受けました。おそらく知らない方も多いと思うのでご報告です。ただ、名誉教授一覧まで掲げながら「個人情報」を理由に教えてくれなかった京都仏教系の大学もありました。こちらは著者の著作集を刊行した出版社の編集部に問い合わせてブランクをクリア。現在、校正9本が机上にあります。疲れたら撫琴。よい音色です。

09月02日(金曜日)

晴。座談会の原稿は入稿。これで間に合います。施註は117。これだけでも勉強になると思います。何より僕がたいへん勉強になりました。

09月03日(土曜日)

晴。遠方から上京の某氏を囲み、このシーズン恒例のコリアスンデ家で本格的な韓国料理を。メンバーは『人物で読む源氏物語』勉誠出版の中核部隊のみなさん。初めての人も何人かいましたが、お皿はあっと言う間に空となる。あとはマッコリで出来上がり。今度の中古文学会での発表者二名。うちひとりは十一年ぶりの僕なのですが、「ハレー彗星の周期位で発表しようか」と軽口を叩いたら、絶対生きていない周期だとわかって抱腹絶倒。ただし真面目な議論もカナリ熱かったです。また来年もやりましょう。

09月04日(日曜日)

曇りのち雨。終日自宅で校正。午後から天候が急速に悪化して、夜中は豪雨に。僕の家は高台にあるので安心ですが、近隣の朝霞や和光市では浸水の家もあったとか。

09月05日(月曜日)

雨。三巻目に入れる予定の座談会「歴史文献としての『源氏物語』」の校正打ち合わせと言うことで、黒板伸夫先生とお昼をご一緒する。その際、思いがけず、最初の御著書『摂関時代史論集』(吉川弘文館、1980年)を頂戴する。先生と古典の関係はたっぷりお話しいただきましたが、著作をあわせて読まれるとより鮮明に平安時代史の輪郭が描けるように思います。今週が二期五巻の校正は山場です。

09月06日(火曜日)

台風による雨。二期五巻の校正と某社の叢書原稿。後者も最終段階に。書き終えたら編者の先生に詫び状を書かねばなりませぬ。

09月07日(水曜日) Special Thanks 207,000 Hits

曇りのち晴。終日自宅で原稿と校正。原稿はほぼ書けたけれど、担当者と相談すると枚数超過につき数枚分圧縮することに。

09月08日(木曜日)

晴。集配さんに予約して六時まで校正三本。無事終えて夜はのんびりテレビを見る。いくつかの筆名を持つ知り合いのさんの本を1円+送料(340)円で購入、つらつら読む。この出版社と編集部の出版人としての見識を疑う内容に呆れかえる。

09月09日(金曜日)

晴。懸案の原稿も脱稿。今月は他に月刊誌の締め切り一つ。注釈できるだけたくさん。

09月10日(土曜日)

晴。ドライブがてら桶川にあるさいたま文学館へ。埼玉ゆかりの文人が見渡せる構成になっていました。それにしても道路工事の多い一日。帰宅に思いの外、時間がかかってしまいました。いつも立ち寄る大型店には某保守政党候補と応援演説の有名人参議院議員氏。家に閉じこもりがちで、候補さんを初めて見かけたのは投票前日。

09月11日(日曜日)

曇りのち雨。朝早い僕は一の一番に近所の集会所にある投票所へ。ここは、崖の上にあり崩落の危険性を警告する掲示板の置かれているところ。豪雨の時はこの道を避けることにしています。こんなことを考えていると、先週に同じく、夕方から天候が急速に悪化してきて、暗雲の漂い激しく雨が落ちてきました。

かくして、総選挙の結果には唖然としました。折しも「義経」は選挙による時間変更もあってか、中締め総集編的な内容だったけれど、そもそも、僕の観念にある「判官贔屓」なら、違う結果になっていたように思われるからです。日本人の精神構造を考え直さなければならないように思いました。それにしても、北の新党の代表のお嬢さんは、後継者にすればいいくらい演説が上手。やばすぎる?!

09月12日(月曜日)

晴。少しのんびり。夏休みももう終わり。今年のこの二ヶ月は忙しかった。

09月13日(火曜日)

快晴。茨城の鹿島で進路講話。交通不便につき、東京駅から高速バスで移動。車中では校正がそれなりに捗りました。なかなかモダンな作りの高校で、鹿島湾を背負うように立っているため、潮の香がする学校でした。資料として配布されていた短期大学の「ガイドブック」が薄くなっているのに驚く。中を開くと 平成18年度募集停止も目立ちます。時代は確実に動いていると言うことでしょう。帰りも担当さんにバス停まで送っていただく。今日は銚子の高校で打ち合わせをして鹿島で泊まるとのこと。夜は池袋で若い諸君と、後期開始のための鋭気を養う。元気が出ました。

09月14日(水曜日)

快晴。残暑。校正を練馬の集配センターに持ち込み、その後、神田の本屋をぶらぶらしてから、浅草から渋谷へ移動して仕事。帰宅すると小町谷照彦先生編集『源氏物語解釈と鑑賞の基礎知識(宿木・後半)』(至文堂.2005.10.10)をいただきました。小町谷、藤本先生、太田善之さん、吉野誠さん、ありがとうございます。

09月15日(木曜日)

晴。千葉市内の高校で進路講話。県下有数の進学校と言うことで、出講大学も多彩。保護者の方も熱心にメモを取っておられました。

09月16日(金曜日)

快晴。のんびりと校正作業。来週から学校。この連休で気合いを入れ直しましょう。

09月17日(土曜日)

晴。池袋から学習院大学まで歩くと十分なのですね。ここで物語研究会。テーマ発表、機関誌の合評会もキャスティングに成功。充実の時間はあっという間に時間の壁に阻まれる、と思いきや、会則改正問題を強引に議題に挙げるために時間を制限したと後から聞かされて唖然とする。こういう場合、ここで出番、と言う水戸黄門(?!ー老若男女を問わず)の登場を待ちたいところ。

09月18日(日曜日)

晴。母校で『元輔集』の注釈。こちらは大学院の演習の延長で、二十年以上継続されている勉強会ゆえ、暴走キャラの出現も、本末転倒そのものの運営に関わる話し合いも、右か左か踏み絵を迫ることなど一切なく(爆)、みっちり約五時間。休憩時には教材に使われるという古筆コレクションを見せていただく。「いつになったら完成するんでしょう」と仰る先生のおひとりに「今世紀中には間違いなく完成しますよ」と僕が軽口を叩く。現在、注釈原稿の点検で約3/5の進行状態です。

09月19日(月曜日) Special Thanks 208,000 Hits

晴。夏休みも今日で終わり。大きな原稿をまとめる。本文で378頁。索引とあとがきで単行本としてはちょうどいい枚数のようです。

09月20日(火曜日)

曇り後雨。明治大学の「日本語文献精読」後期第一回。試験を返して、レポートを受け取り、漱石の文学に入る。またがんばろう!。

09月21日(水曜日)

曇り後雨。明治大学の「日本語文献精読」二クラス目。このクラスは全員後期にコマを進められたようです。ここで校正を受け取って簡単な打ち合わせの後、移動して青山学院女子短期大学。二つの演習とも、前期発表の質問に答えつつ、小さな発表をしていただきました。さっそく、『人物で読む源氏物語』勉誠出版を引用してくださった方もありました。ありがとう。夜は慶応大学で「小右記」の会。また始まりました。

09月22日(木曜日)

曇り後雨。原稿少々。

09月23日(金曜日)

晴のち曇り。上野静養軒で赤堤会。先生の米寿のお祝い。戦前からの教師生活ゆえ、二松学舎は元理事長先生も最初の門下生としてご挨拶。戦後の校舎再建は当時三十代前半で助教授の先生が、銀行と掛け合って先年取り壊された建物が造られたというお話。これらの話は先生も書き残されていますが、ぜひ類蒐集成して多くの皆さんに読んでいただきたいと願っています。

09月24日(土曜日)

雨。原稿書き。及び『人物で読む源氏物語』勉誠出版の校正作業。近々、社から新パンフレット送付を以て正式な報告に代えますが、監修者が二期から交替します。ただし、編集は一貫して僕がしているので、方針も内容も、大きな変更点はありません。わずかな変更点は、現代語訳の校閲を、僕の畏友で、「話声」と「語り」が専門の気鋭に交替していただいて、よりアカデミックになります。新監修者は斯界の権威でありつつ、人望厚い方であり、三期以降に新企画もお持ちのようです。堅調を維持するシリーズの売れ行きにも、秋以降、おそらく拍車がかかるものと期待しています。たとえて言えば、シニアデレクター(SD)に源氏文献学の第一人者をお迎えしたと言うところ。乞うご期待。

09月25日(日曜日)

曇りのち晴。彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールで「源氏語り五十四帖関連企画 源氏物語を奏でる〜女楽を中心に〜」を聴く。僕は会場中央のフェリスのみなさんと並びの席を用意していただきました。ありがとうございます。伏見先生の「昭君引」は本邦初公開の曲で、「王昭君」の琴曲の異本はかなり多くある中、『梧岡琴譜』(1546年)所載の「昭君引」の打譜によるものだったそうです。これは『神奇秘譜』の「龍飛操=舊名昭君怨」に近い曲で、悲劇の王昭君のイメージというより、異国での平和で幸福な日々がほの見える曲。漢帝の三千人の妾の一人として一生を終えるより、匈奴の王の妻として愛された方が幸福だと考え、自ら志願したとされる説により、曲のテーマも「望郷」だったそう。調絃は胡笳と同じ黄鍾調で、女楽に奏でられるのにはふさわしいものでした。加えて、「春庭子」は冒頭を伏見先生の「琴」、その後、「箏」「和琴」「琵琶」の合奏となる。今、当時の復原を考えるとこのようなスタイルであったのかも知れないと思われるものでした。充実の一日。重ねて萬謝です。

09月19日(月曜日)

晴。明治大学の「日本語文献精読」に「論文演習」。後者は毎年恒例の「夏休みの日記」。それぞれの夏を聴くのは楽しいもの。

09月27日(火曜日)

曇。明治大学の「日本語文献精読」は敬語と「一夜」。留学生が三人いるので、とりわけ説明は丁寧に。

09月28日(水曜日)

晴。明治大学の「日本語文献精読」は敬語と「一夜」。講義終了後、学習塾の塾教師をしているため、生徒の保護者との連絡まで義務づけられており、しばしば言葉遣いに困っているという、電話のマナーについての質問を受ける。僕の履修者さんたちはこの手の仕事をしている人がとても多い気がする(偉いぞ!)。「よろしければ、お電話番号頂戴できますでしょうか?」。これは適例、不適例、どちらでしょう?。秋の気配の表参道を抜けて青山学院女子短期大学へ。二つの演習とも前期発表の質問に答える小さな発表の二回目。よく調べてあって感心。来週は僕の口頭発表を聴いていただきます。


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