Last Up Date 2005.05.12          

日記を物語る 2005年04月INDEXホームに戻る 

            


04月28日(木曜日)

晴。完全オフとなりました。すこしばかりの原稿。

04月29日(金曜日)

晴。ストーブの掃除もし終えぬうちに冷房を入れるような暑い日となる。のんびり。

04月30日(土曜日)

晴。再び、佐久へと帰省。鍵をしてポストを確認したら、立石さん、小林正明先生より、立石和弘・安藤徹編『源氏文化の時空』(森話社、2005.04/\2400+税)を頂戴していました。さっそく鞄に入れて新緑の信州へと向かう。高速道路は比較的空いておりました。所要時間01時55分。もうすぐ三歳の元気な甥っ子と遊ぶ。おみあげは彼の大好きなミニカー。


04月01日(金曜日)

快晴。新学期の準備のため、シラバスを作るために専用サイトを開けてびっくり。先日、会議で確認したはずの担当科目名が変更になっていました。ただし、内容には変更なし。おそらくエープリルフールだからと言うことではないでしょう。

04月02日(土曜日)

快晴。所沢市松井公民館で「古典に親しむ会」『源氏物語』真木柱巻。髭黒北の方が、火取りの灰をぶちまけるあたり。人間観察の描写が細かく冷徹な筆致ですね。

04月03日(日曜日)

晴れ時々曇。今井源衛先生の『紫式部』(吉川弘文館/1985改訂版)を読み返す。伝記研究は近代文学の叢書の場合、年譜作成に当たるもの。その昔、保昌正夫先生は「年譜仕事は鋤き返しであり、漉き返し、でもあると思う。鋤鍬をいれない、手を荒らさない仕事はダメだ、とも思う」「年譜仕事始末記(初出「群像」1980.06)」『保昌正夫一巻本選集』(河出書房新社、2004)と書いておられた。紫式部論の場合、諸説一覧が必要なほど、説が乱立しているが、最近の紫式部論はどうかと言えば、歌集の構成論から書かれたものはともかくとして、人物論に限定するなら、広汎に流通する叢書の解説が、あたかも「通説」から「定説」となっているかのような印象がある。しかし、文献的事実が提示されない限り、紫式部の伝記研究の「定説」はあり得ないこと。今井先生は、40代の前半に紫式部周辺の文献を収集し、精読されて、40代の後半には金字塔的な伝記を綴られた。わたくしが手にする本は、その後の研究成果を加味し、19年の歳月を閲して補訂されたものではあるけれど、その骨格は揺らいでいない。そんなことを考えながら、この本を、この日都合二回読み返しました。

04月04日(月曜日)

雨のち晴。あれこれ追い込み。机に向かって原稿書き。泉谷しげるさんの「春夏秋冬」ではないけれど、「春を眺める余裕もな」い!。

04月05日(火曜日)

晴。春休みも今週で終わり。出来るだけまとまっと原稿は書き終えておきたい。自宅の裏にある妙音沢と黒目川添いの桜が咲き始めたらしく、散歩の人の数が増えたような気がします。

04月06日(水曜日)

晴。うららかな、と言うより、半袖でも良いような陽気となりました。それにしても目の乾きが気になります。

浅尾広良さん、安藤徹さんから、安藤徹責任編集『三条西公条自筆稿本 源氏物語細流抄龍谷大学善本叢書25』(思文閣.2005.03/\28.000+税)を頂戴しました。龍谷大学仏教文化研究所における三年間の共同研究による成果(精華)。大いに活用させていただきます。ありがとうございます。

04月07日(木曜日)

晴。すごいこともあるものです。今年の正月に掲載された新聞記事を見る機会を得てびっくり。どこぞで見覚えのある方が「紫式部の本名は藤原高子」との見出しで自費出版をしたとの記事。記憶をたどると、昨年の紫式部顕彰会の講演で、武生の小塩山の詠について質問してくださり、「これは京都の小塩山や」と断言して僕を絶句させてくれた方ではありませんか。しかも、記事には『権記』や『小右記』?から紫式部=藤原香子が、紀貫之の子時文の「後家」であった「記述を見つけた」ともありました。これはどう考えても講演会の資料を再利用したものだと思います。とすると、知的先有権の問題も発生するような…。ただ、さらに記事は続き、『栄華物語』の記事から、「紫式部が女、越後の弁」とあるのを、「弁のおもと=高子=紫式部」との結論に至るという驚愕の内容である模様。新聞記事なので詳細は不明ゆえ、なんとかこの本を入手してみたいと思っております。ただ、日本最大の発行部数を誇りとする新聞社であるならば、エビデンスを第三者から取るのは当たり前のような気もします。抱えている叢書の「紫式部伝」、気合いが入りました。そうした意味でこれにも感謝をしたいと思います!?。

04月08日(金曜日)

晴。『人物で読む源氏物語』一期五巻の注釈に入れた図版の確認作業。いよいよですね。傍らで次期、次々期配本の原稿のあれこれ。この夏を乗り切れれば、ゴールも見えてくるでしょう。

04月09日(土曜日)

快晴。抜きと決めてのんびり過ごす。先日来、二回に分けて頂戴していた、近代文学草創期から指導的立場にあった先生の蔵書を整理する。明治末年のお生まれで、学会の草創期から指導的立場でいらした方であったが、お孫さんも他分野の道に進まれたこともあって、比較的近所に住まう僕の所に落ち着いたのでした。頂戴した「文学・語学」を創刊号から1995年まで並べて拾い読み。63.64号(昭和47年/1972)は「全国大学・短大・高専国語国文学者名鑑」。自分に関係あるところを探してみると、母校は延べ16人のスタッフのうち、現役の恩師は一人(このリストで僕が在籍中<1982〜1993>習った先生は09人。懐かしい)だけ。その他、お世話になっている学校も、スタッフはほとんど入れ替わっていました。時は流れるものなのだなあ、と実感。雑誌は散逸しないよう、かならず号数を揃えて「立て」て保管するのが本を愛する者の心得の一つであるらしい。確かに場所がないことを理由に、寝かせて並べておくと、取り出しにくくて困りますよね。ただ、今は、論文データベースがあり、また巨大書店の場合は在庫まで確認できるので、捜し物の無駄足はほとんどなくなりました。でも、本屋をぶらぶら歩くこと、今だ趣味のひとつではありますが、それもとんとご無沙汰。

04月10日(日曜日)

晴。乾燥故か、砂塵で桜も霞んで見えるほどの風。「幻」巻の匂宮の「まろが桜は咲きにけり」あたりを含む注釈もすべて責了に。

04月11日(月曜日)

雨。明治大学初日につき、家を早めに起ち、新校舎・和泉メディア棟の教員控え室へ。教務のご配慮で、今年はすべてこの校舎の7階の教室を用意していただきました。一時限目は最新の機器の前でまさかの立ち往生も予想されたため、サポートセンターから担当者さんを二人も派遣していただく。「日本語文献精読」は今年からリニューアルの科目の上、今日が新学期初日と言うこともあって、教室全体が緊張状態。僕がOh-o! meijiで履修の要点・教科書などを説明してゆくことや、ボタン一つでカーテンを操作したり、OHPを立ち上げたりするのにいちいち感動してくれた模様。恒例の自己紹介も僕には楽しみの一つ。「論文演習」には昨年からのなじみのみなさんも顔を揃え、みんなニコニコでスタート。

04月12日(火曜日)

雨。明治大学二日目。今日も「日本語文献精読」の二クラス目。一年生もちょっと慣れてきた模様。教員室には「起ちて護らむ」が合い言葉の母校の関係者が揃う楽しいひととき。

04月13日(水曜日)

雨。明治大学三日目。今日も今日とて「日本語文献精読」の三クラス目。このクラスは三日目にして始めて自己紹介をした模様。この緊張感がいいですね。移動して青山学院女子短期大学もスタート。「古典演習A」は、昨年、一年生を持たなかったので、全員初対面。徐々に慣れてゆきましょう。専攻科の「国文学演習T」では、なんと履修者(10名)の半分が、昨年の「演習」関係者のみなさんで、ちょっとびっくり。でもなんだかうれしいですね。夜は慶応で「小右記」。忙しくも充実した一日が終わりました。

04月14日(木曜日) Special Thanks 194,000 Hits

晴。口絵から奥付まで一冊まるごとの最終確認。結構大変な作業ではあるけれど、一所懸命書いてくださったみなさんの心意気が伝わってくる本になると思います。この作業は今週と来週で終える予定なり。

04月15日(金曜日)

晴。午前中は注釈、午後は池袋でうち合わせ。来月から、週末は旅また旅の日々でしょう。

04月16日(土曜日)

曇り。物語研究会のため白百合女子大学へ。発表も従来になかった斬新な視点からのものであったし、合評会は、準拠の分野では学界でもエース格の先輩の一冊に関してのレポートだから、もちろんの充実感あり。深夜バスふたつ乗り継ぐ睡魔かな。。。

04月17日(日曜日)

晴。最終チェック三冊目。だいたい終えて、ジムに行き、横になったらまたまたの睡魔で、集配さんにも気付かず、近所の集配センターまであわてて持参する。最終便のトラックの運転手さんに待ってもらうと言う幸運に浴す。このトラックの練馬方面への出発を見届けてから帰宅して、安堵の杯でひそかに乾杯。美麗なカバーにご期待あれ。

04月18日(月曜日)

晴れ時々曇りと雨。明治大学二週目。「日本語文献精読」も予定通り教科書を読み始める。ところが「論文演習」では、参考に、と用意した「法科大学院適性試験」を、みなで一問解いたところ、これが落とし穴。みなの要望で一日一題これを演習に加えることに。頭の体操にはよいけれど、毎週日曜日の夜は予習をすることに(泣 (!!)。

04月19日(火曜日)

雨。明治大学。「日本語文献精読」。このクラスには三人の留学生がいます。和製漢字の成立について話すのにも気を遣っている自分が居ました。

04月20日(水曜日)

雨。明治大学。必修・上原の「日本語文献精読」にもかかわらず、40分遅れて始めて来た豪傑一名。もちろん名も聞かず出席もとらず(もちろん、後から聞きました)。移動して青山学院女子短期大学は「古典演習A」、「国文学演習T」はともに復習を兼ねて『源氏物語』の概説とミニアンケート形式のレポートを書いて頂きました。雨の中、神田神保町の勉誠出版で、最終校正を受け取る。活気のある現場でしたが、時間との戦いにそそくさと帰宅を急ぎました。

04月21日(木曜日)

晴。『更級日記』の作者の任国であり、日記の名称の発端となった姨捨伝説の里にある高校で、看護医療・福祉系進学希望者のための小論文講座。山里故、桜が満開。「匂ひ満ちたる」視覚を復習することが出来ました。

04月22日(金曜日)

晴。実家のある佐久から帰省しました。近隣市町村を吸収合併して新市になっていました。これに伴う市長選挙には現職と、兄弟揃って著名なジャーナリストの新人が一騎打ち。また市議会議員選挙も旧市からの立候補者乱立でこちらも激戦。例によって僕の親戚からも立候補者がおり、母方の、僕の従兄弟のご主人が選挙対策本部長とのことで、母まで駆り出されておりました。前回は村長選挙で惜敗して村議になっているから知名度はあるほうでしょう。日曜日には結果が出るようです。

04月23日(土曜日)

晴。注釈の傍ら、そろそろ締め切りの「ネット上のゲンジ」の構想を練るため、サイトを探索していたら、みんなのキャンパスなるサイトを発見。ただし、登録しないと先には進めないらしい。。。大学が個別にやっている授業評価を一覧できるのはよいけれど、ボロクソ書かれた先生はお気の毒という他ありませぬ。

04月24日(日曜日)

晴。母校で『元輔集』の注釈二首。満足。ついで二次会では昔話に花が咲く。気にとめていた選挙はめでたく当選の模様でなにより。こちら、母方は甲斐柳沢氏まで遡ることが出来るようだけれど、いつかは調べてみたいものです。帰宅して、メール便で編者のお三方から『源氏研究』第十号を頂戴する。この十冊は、源氏研究史に欠くことの出来ぬエポックであり、「学史」として確実に刻印されるべき「運動」であったと思われる。編者のみなさん、十年間ご苦労様でした。また、毎年の御恵与、ありがとうございました。

04月25日(月曜日)

雨のち曇り。明治大学。「日本語文献精読」は予定通り。「論文演習」は「法科大学院適性試験」と格闘する。稼働率の低かった右脳が活性化されるような気がします。

04月26日(火曜日)

雨。明治大学。「日本語文献精読」。テキストをひたすら読んで解説。

04月27日(水曜日) Special Thanks 195,000 Hits

雨。明治大学。「日本語文献精読」。今週は、月例小試験の週でした。成績不良者は五島美術館で『源氏物語絵巻』のレポートを書いていただくのが慣例。このクラスは終了後なぜか僕を取り囲み、「今ここで採点して」と言うので希望者にはサービス。すると該当者さん達は早くも待ち合わせて一緒に行く約束をしたりしていました。「仲良きことは美しき事なり」。移動して青山学院女子短期大学は「古典演習A」、「国文学演習T」は、ともに『源氏物語』中の作中人物の概説と諸説一覧を整理して、疑問点・関心を持ったところを書いて頂きました。帰宅して学会の通知を開いたら、この07日に既報の、有名人さんは京都で行われるこの学会の大会で発表するようです。私家版の本もご本人から入手したけれど、司会者さんの対応はかなりむつかしいことになるものと思われます。


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