Last Up Date 2004.02.01          

日記を物語る 2004年01月INDEXホームに戻る             


01月30日(金曜日)

快晴。青山学院女子短期大学で「古典講読」の定期試験。A、以下の用語を解説せよ。@三日夜の餅A橘の小島B氷を持つ女一宮C流転三界中 恩愛不能断D還俗勧奨・非勧奨説。B、宇治十帖の主題を各自設定して論ぜよ。C、宇治十帖の作中人物を一人挙げて論ぜよ。です。インフルエンザの影響もあって欠席者には交換を通して追試の申請の方法を連絡する。女子大と共学の学生の対応はかくも違うので御了承を。帰宅すると、答案に「今風に言うと、後宮や摂関家には家柄もよい大学院出身のスーパーレディがひしめいていた」のだそう。そんなこともあってか、夏の京都で、大家の間の繋ぎなのでしょうけれど、僕に紫式部と後宮の講演のお話が舞い込みました。

01月31日(土曜日)

快晴。久しぶりに余明に琴のレッスンをしていただき、こってり絞られる。集中力のなさを痛感しました。自宅に帰っても採点の傍ら練習です。


01月01日(木曜日) 賀正

あけましておめでとうございます。今年こそ、懸案の本の上梓を軌道に乗せたいと思います。その際はどうぞよろしく。

01月02日(金曜日)

あまり進みませんが、みなさんのレポートを読んでいます。漱石や三島のもよいが、『源氏物語入門』を選んだ人のレポートにすばらしいものが多かった。「思うに、現在の国文学の状況は、解釈共同体というべき学会や研究会、学閥により、研究の方法や解釈の仕方にしても、それぞれの共通理解が成り立っている。この書は、源氏物語において考えられうる様々な疑問・課題において、通説に左右されずに結論を導き出している。…その意味で、私はこれまで特に気にとめていなかった、重要な視点で新たな源氏物語に出会えたといえる」。なるほど。「通説に左右され」ないのは結構だが、建設的な意見は活かしていただきたいものですな(爆)。

01月03日(土曜日)

特に語るべきことなし。トドのごとし。

01月04日(日曜日)

家族揃って小諸の温泉へ。絶景の露天から上信越自動車道の車がおもちゃのように見え、浅間山からもかすかな噴煙が立ち上っていました。それにしても道路がよくなりました。でも交通量は相不変です。

01月05日(月曜日) Special Thanks 148,000 Hits

朝は−8℃。寒い寒い信州での年末年始を終えてまた新しい年が始まりました。

01月06日(火曜日)

「朝日新聞」「くらし」欄に、「急増VDT(画像表示端末)症候群」の記事。自身にも当て嵌まるところがあり、さっそく眼科に出向くと、しっかりこの症例の内の一つ「ドライアイ」と診断されました。既に先天性の白内障なので、体力の衰えとともに発症することは宣告されていましたが、今回はそれではなく、パソコン画面の凝視による涙の減少によってもたらされたことが諸原因と判明。とりあえず薬で治療することに。恩師も『松浦宮全注釈』と『平安朝歌合大成 増補改訂』とを同時進行中に、白内障が両目に進行し「時間との戦いだからな」と鬼気迫る雰囲気で机に向かわれていたことをふと思い出しました。

01月07日(水曜日)

快晴。忙しくしていて落ち着かず。ところが都内は道が空いており、渋谷まで一般道を使ったのに1時間10分。こんなこともあるのですね。

01月08日(木曜日)

明日のために『源氏物語』宇治十帖をあらあらと読む。ただ目薬は欠かせないのがつらいところ。

01月09日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」の「研究調査報告」は質問で大いに盛り上がる。青山学院女子短期大学は「演習」が「発表」の質問への回答とまとめの第二回。密度が濃くなって来ましたね。「講読」は「夢の浮橋」巻の二回目で宇治十帖を読了。さらに移動して三田の慶応で「小右記」を読む。事典・辞典の記述は鵜呑みにしてはならないことを再確認しました。今年は『長元四年』の出版を控えて結束を固めることも大切。

01月10日(土曜日)

所沢市松井公民館で古典に親しむ会、『源氏物語』「常夏」巻。内大臣と近江君の物語は人間臭くてまたいいですね。

01月11日(日曜日)

ひさしぶりに文芸誌『すばる』の2月号を購入してみました。三矢重松・折口信夫の特集が組まれていたためですが、連載の小説もとんと御無沙汰でした。その中で丸谷才一の一文が目に留まりました。「『新古今』歌人たちは『万葉集』と『源氏物語』をよく勉強して歌を詠んだ。でも、今の日本の『新古今』学者は、たいてい、『新古今』だけの専門家なのです。(折口に)かなうはずがない」。

01月12日(月曜日)

街で成人式の晴れ着姿を見かけました。こちらはレポートを読む。玉石混淆です。

01月13日(火曜日)

VDT(画像表示端末)症候群判明から一週間。目の傷による充血は治まりましたが長時間の車の移動がよくないようです。唇と同じように目も乾いているのですから。みなさんもご用心。いつも同時刻に通っていた蔵前通りの日没が日に日に長くなっていることに気付きました。もうすぐ春ですね。

01月14日(水曜日) Special Thanks 149.000 Hits

快晴。今週も水曜日は渋谷に出没。風が強く寒い一日でした。風邪に注意ですね。

01月15日(木曜日)

芥川賞は、80年代生まれの女性作家二人に決定。話題性はあるけれども、最終選考に残った時点から、主催の日本文学振興会の「振興」に重きがあるような気もしていました。ただ、メール世代の文章力には目を瞠るものがあるとの指摘もあるようで、今後に期待ですね。

01月16日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」の「研究調査報告」は「車社会」。エコドライブは燃費も格安だという話にひたすら納得。青山学院女子短期大学は「演習」が「発表」の質問への回答とまとめの第三回。名残惜しく語るべきこと多々あれど、これが彼女たちにとって最後の演習となりました。「講読」は『源氏物語』全体を通して宇治十帖を辿り直す。後は試験を残すのみとなりました。

01月17日(土曜日)

雪。家から一歩も出ずに、栗坪 良樹先生『ブックエンド1983〜2003―本と映画の同時代批評』(彩流社、2003.11)、黒田勝弘・畑好秀編『昭和天皇語録』(講談社学術文庫、2004.01)、森田悌『王朝政治』(講談社学術文庫、2004.01)を読む。栗坪先生の『ブックエンド』は学灯社の「国文学」連載をまとめられたもの。1983年と言えば、僕が学部の二年生。ようやく専門書なるものに触れ始めた頃。先生は42歳で御長男誕生の年に当たるという。1998年以降は青短のお世話になったこともあり、折に触れて話題となる本や作家・批評家の月旦をお聴きした記憶と重なります。文中に芥川の蔵書と読書量に触れて、「一日三冊平均」と書かれていたくだりに行き当たりました。栗坪先生も毎月三冊前後のブックレビューに週二本の映画を欠かさないと来ればこちらも少しは見習わなくては。。。

01月18日(日曜日)

快晴。風邪気味のこともあって今日も家から一歩も出ずにレポートを読み、明日の最終回に間に合わせました。

01月19日(月曜日)

雨から快晴となる。明治大学今期最終日。「国語」は、古典の確認テストと三島由紀夫の『文化防衛論』。さらに、在りし日の三島・川端の対談を見る。これほど論理的に整理された日本語を話す人は空前絶後なのかもしれない、と思いました。「論文演習」は「和泉の二年間で得たもの」。それぞれの感慨と自己内省に感動。演習終了後自然と拍手が湧き上がり、特に「国語」と続けて連続履修のみなさんが次々に挨拶してくれました。うれしいですね。お元気で。

01月20日(火曜日)

渋谷で『うつほ物語』の会の納会。12名の参加がありました。それぞれが最近の研究の歩みに関して報告する。また来年度も頑張りましょう。

01月21日(水曜日) Special Thanks 150.000 Hits

年頭から動いていた『源氏物語』の叢書に関してゴーサインの電話。企画から執筆者の人選までを春頃まで固めたいと思います。本日、15万カウント到達。特にこの時期のアクセスは、試験対策やレポートもあってか大繁盛。ありがとうございました。

01月22日(木曜日)

風邪がぶり返したようなので終日自宅。みなさんもお気をつけ下さい。

01月23日(金曜日)

快晴の東京から新幹線で新潟へ。雪で発着が若干乱れていました。トンネルを抜けた越後湯沢は豪雪でまったくの別世界。仕事は新潟市内の高校で小論文講座。前回、他の大学の先生が担当して苦情が出たとのことで、本部からのマニュアルも念入り。事前に提出された論文を批評しながら文章作法と今後の学習法を話す。道はアイスバーンながらタクシーの運転手さんの腕に驚く。寒い新潟をすぐに発って三田の慶応で『小右記』の定例会の方は今期最終回。『唐書』の引用で議論が白熱しました。

01月24日(土曜日)

曇天。清泉女子大学で物語研究会。少しずつ若い人が増えている傾向はとてもよいこと。『うつほ物語』に、機関誌の合評会。合評会なのだから、執筆者でお見えにならなかった方には、「優先順位が間違っているんじゃない?」と申し上げておきます。レポーターが論文を丹念に読んできてくださったのに、本人がいなくてはね。二次会例の如し。力が沸き立つ感じ。

01月25日(日曜日)

ひたすら静養。久しぶりの日曜日で終日自宅で過ごす。

01月26日(月曜日)

快晴。熊谷から厚木へと移動。帰宅したのは午前零時に限りなく近い時間。昨日のんびり休んでよかった。

01月27日(火曜日)

民主党の衆議院議員が、学歴を確認するための「自分探しの旅」を終え、けじめは離党と歳費返上とのニュース。日本では保証人のところにも成績が送付されるため、卒業したかどうか分からないことはあり得ませんが、米国の大学の場合には期末試験を受けた後、就職活動の関係で日本に帰国してしまう学生が大半のため、こうした事態もあるのだそうだ。この話で思うのは、研究者の経歴に「博士課程修了」と書かれる方々のこと。本来、「課程博士」も今はどこにもたくさんいるけれど、90年代前半に課程を終えている僕らの世代では稀。したがって「博士課程単位取得退学」が精確な最終学歴のはずですが、こういう記述になかなかお目にかかれないのはなぜなんでしょう?故・塚原鉄雄先生はこのことにとても厳密な方だったそうで、院生にも精確な表記を求めていたという話を聞いたことがあります。

01月28日(水曜日)

快晴。明治大学は「国語」の定期試験。試験監督補助に二名の院生が付いてくださいました。みんな真剣に取り組んでくれました。また、書類を出しに伺った法学部教務課の担当者から、来年度の時間割と教室の確認を求められる。プレゼン環境を重視した教室をお願いしていたのですが、すべて希望通りに。来年度は新学部の増設で教室の稼働率が異常な状態と言われる中での確保に頭が下がります。春までに関係のページを拡張しておきましょう。

01月29日(木曜日)

埼玉県川越市近郊の高校で小論文講座。地元の大学が僕の学生時代に名称変更したのに、旧名しか浮かんで来ず、お聴きになっていた先生にお教えいただく。最近は本当に小論文講座が多い。入試形態の様変わりがよく分かりますね。本日から回線を新しくして更に高速・大容量になったのはよいが、廊下まで配線だらけ。採点も溜まっているし、ここ一週間が勝負所です。


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