Last Up Date 2004.01.02          

日記を物語る 2003年12月INDEXホームに戻る             


12月29日(月曜日)

快晴。いよいよ年の瀬ですね。『日本国語大辞典 第二版』(小学館)のオフィシャルサイト、「日国.NET」にようやく会員登録しました。先日の語誌なども、こちらから訂正申し入れが出来ると知ったからです。

12月30日(火曜日)

快晴。移動に首都高速を使いましたが、我が家から渋谷までドアツードアで50分。世間が仕事納めに入ったのは、こういうところで分かります。

12月31日(水曜日)

関越自動車道の、碓井・軽井沢〜佐久平間が、恐怖の対面通行から四車線へ移行し、精神的ストレスから解放され、時代の推移を痛感しました。トンネルの向こうは、雪が若干残る我がふるさと。のんびり羽根休めです。


12月01日(月曜日)

終日雨の明治大学。月曜日は今日を入れて今年度あと三回となりました。教員室で法学部教務の方が僕を待っていらっしゃり、来年一月末の期末試験の時間割の日程確保の御相談。さて、「国語」は古典の基礎知識に三島由紀夫『鏡子の家』 。昨日のNHKアーカイブスを観た人もいたようです。「論文演習」は研究報告。内容も「村山由佳作品について」と、作家と作品の紹介に始まり、「地方分権」「戦争責任」といった硬派な内容もあり、駄菓子の老舗「よっちゃん食品株式会社」の企業研究など盛りだくさん。ペーパーをパソコンや提示装置で映したり、パワーポイントでビジュアルな展開もあり、残り三回も楽しみになってきました(今日はブッチした困ったちゃんを除いて全員女性の発表だった。来週は男達の奮起に期待。でもなぁ。。。)。空き時間は視聴覚棟に籠もり、三方向をAV機器に囲まれた映像メディア変換コーナーで、DVD−Rに教材とすべき映像を変換する作業に没頭する。初めての試みと言うことで、専門の技術職員さんもマニュアル片手に悪戦苦闘。講義の最中に悩まされる、テープの巻き戻し時間の無駄を解消するためなのですが、章立て毎に区切りを入れるのには失敗、金曜日に再チャレンジと言うことになりました(もちろん、時間単位での画像選択は今日のマスターDVDでも可能ではあります。念のため)。

12月02日(火曜日)

増尾伸一郎さんから、大山誠一編『聖徳太子の真実』(平凡社.2003.11)を頂戴しました。増尾さんは「資料論・天皇号の成立と東アジア」をお書きになっています。大山先生は角川賞の選奨委員として受賞式で何度かお話を伺ったことがありますが、増尾さんとは愛知の短大勤務時代からの御交誼があるとのこと。じっくり勉強させていただきます。夜は、國學院で今年最後の『うつほ』の会。「国譲」中巻。正頼政権が絶頂を迎える当たり。お時間がある方は来年春からの輪読にぜひご参加下さいますよう。

12月03日(水曜日) Special Thanks 145,000 Hits

古新聞の回収日を一日間違えていたので引き取ろうとしたらもうありませんでした。素行のよろしくない業者が持ち帰ったようです。以前、桃園文庫の『徒然草』の一本の「奥書」に、池田亀鑑博士宅に入った泥棒の顛末が、怒りとユーモアを交えた文語文で綴られていたことを思い出しました。確か、御飯を食べた上に、書庫で用まで足したとか、そんな話。

増尾さんから頂戴した『聖徳太子の真実』(平凡社.2003.11)は、聖徳太子は後世の創造の産物であることを説いた労作。資料を徹底的に洗い直して、文献の信憑性を正す用意周到さにはただ学ぶことばかり。また、草創期の国史学界の思想形成過程が今日の日本人の聖徳太子像を支えているものであることがよく分かりました。高校生の頃、亀井勝一郎を愛読した僕ですから、まだ整理が付かず混乱しているところがあります。何故に太子が捏造されたのか、法隆寺が造られた理由は?。

12月04日(木曜日)

快晴。いくつか仕事をして帰ったら、卒論前で注釈書がすべて借りられており、作業が出来ないとのメールが届いていました。仕方ないので四種類のコピーを自宅までファックス。もう少し用意は事前にお願いしたい。

12月05日(金曜日)

曇天時々雨。明治大学の「論文演習」の「研究調査報告」は僕がプレゼン。とは言っても、昨年の日大特別講義のレジュメを再利用して「琴」を弾いてみたのです。視聴覚棟で再び、DVD−Rに挑戦。なんとか形にして担当の職員さん助手さんに後事を託す。街路樹の紅葉も盛りを過ぎた表参道は師走の装いでした。青山学院女子短期大学は「演習」が「幻」巻の「今年をばかくて忍び過ごしつれば」の段。自由発表は「出家」。参考文献の出典が書いてありませんでしたが、「これは阿部秋生先生の『光源氏論』が基だね」と言ったら皆驚く。卒論前だからでしょうか。「僕ぐらいのキャリアなら、みんなの卒論のネタもとぐらいすぐに分かるんだ。オリジナルの発想が大切」と話したけれど締め切りは火曜日。ちと遅かったかもしれません。「講読」は「手習」巻の「極楽の音楽」のくだりに合わせて「きんの琴」を弾く。僕の手許に視線が集中するのも、緊張感が生まれてよかったかもしれません。本日は「関山月」と「梅花三弄」、それに司馬相如と卓文君の逸話から生まれた「鳳求凰」(司馬相如・作)を。

12月06日(土曜日)

所沢の古典に親しむ会『源氏物語』常夏巻。光源氏が和琴に言寄せて玉鬘に実父・内大臣の話をするあたり。

鎌倉琴社主宰の伏見 靖先生のCD『琴韻清雅』を聴く。先のTFM出演の際の音源で、蕭条とした調べが今もパソコンから響いています。昨日のFM横浜では琴との出会いを語っておられました。「邦楽ジャーナル」の連載もお見逃しなく。

12月07日(日曜日)

快晴。日本文学協会事務所で『枕草子』の会。レジュメ29枚。そろそろ発表の順番ですが、この労力と情熱はまねできません。

12月08日(月曜日)

快晴。明治大学。「国語」は古典の基礎知識に三島由紀夫『奔馬〜豊饒の海』。「論文演習」は研究報告。「敬語」「日本の財政」「冤罪」「ジランダ・カード」「車社会」、文房具業界の雄「アスクル」の企業研究など盛りだくさん。パワーポイントの扱いも決まってきました。相互批評も生産的な内容が多くよい雰囲気です。

12月09日(火曜日)

快晴。師走の東京を車で駆け回る。仕事、仕事、仕事。でもいずれも時間厳守でこなしました。

12月10日(水曜日)

快晴。本日も仕事、仕事、仕事。家では小論文講座の添削が山積み。そんな中、コンタクトを破損した模様。慌てて店に駆け込んだら、保証期間に四日の猶予があるとのこと。欠片は見つけた時点で、即、捨ててしまったけれど、断片は未発見だったような気がしたので家に帰って掃除機の頭にテッシュを結んで探したら、小さなカケラが発見できました。おお神よ。きっと、青山の点火祭でまじめに讃美歌を歌い「アーメン」と唱えた効があったのでしょう。

12月11日(木曜日)

雨。都内の幹線道路はどこも異常な混み具合で精神的にかなり消耗しました。帰宅すると先日の日大の研究集会でお会いした院生の伊藤礼子さんから梶川信行・東茂美編『天平万葉論』(翰林書房、2003.04)を頂戴しました。伊藤さんは僕の母校の外国語学部日本語学科出身という誼もあって、口頭発表なさったのを学会のポスターでお見かけして、論文になったら、と思っていたところでした。論文は「『漢人』の上巳と『夷』の上巳と−天平期の宴席歌一斑」。僕はすでに博士課程と勘違いしていたけれど、現在修士論文執筆中とのこと。学部卒業後、別の大学院を選んで進んだ人には成功例も多い。期待しましょう。

12月12日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」の「研究調査報告」は「登記の公信力」。僕から滝のような質問に丁寧に答えてくださり、ひたすら勉強になりました。青山学院女子短期大学は「演習」が「発表」の質問への回答とまとめの第一回。レジュメ8枚、原稿用紙60枚の力作もあり、ビジュアルな展開で満足。「講読」は「手習」巻から「夢の浮橋」巻へ。浮舟の和歌を丁寧に辿り、白楽天の「陵園妾」の引用を解説して、薫の物語まで概観する。板書が忙しかったかも知れません。夕方は、ガウチャーメモリアルホールで「演習」履修者二名が主力メンバーのダンス部の公演「FILM PREMIERE the Quest For Dance」へ。イメージフィルムから飛び出してくるかのような洗練された演出に驚く。十字架の懸かる荘厳なホールとモダンなダンスに圧倒され、声援のかけ声は渋谷に咲いた宝塚の花のようでした。最後は部長さん(昨年来から今日のこの公演を誘ってくれていました)の挨拶に、舞台も観客も多くはもらい泣き。青春ですね。僕はみんなが涙を拭っているその余韻を後に六本木ヒルズを抜けて、三田の慶応へ。「小右記」の会メンバーと合流して長い一日を終えました。

12月13日(土曜日) Special Thanks 146,000 Hits

明治大学のリバテータワーで古代言語蔵開の会。相撲節と『うつほ物語』と言うことで参加者も倍増。議論も尽きず。一口に相撲節と言っても何度か転換点があるようです。

12月14日(日曜日)

快晴。まさに年末。諸般の電話で夜は喋り尽くして過ごしました。

12月15日(月曜日)

快晴。明治大学。「国語」は古典の基礎知識に三島由紀夫『春の雪〜豊饒の海』のさわりを。「論文演習」は研究報告の三日目。「ゴミ問題」「安土城」「憲法九条」「剣道」「梨園経営」「音楽業界の不況について」「黒人の歴史」。写真や広告、パワーポイントが効果的。テストを教務課に提出したら、来年度の専門ゼミの、第一次発表の準備中でした。その話をしたら、一同戦々恐々と言った様子。定員を超えたゼミは機械的に一年次の成績順に切っていると言われているからでしょう。

12月16日(火曜日)

快晴。進路講話の会社の設立35周年を記念して学士会館で忘年会。平成の政界を震撼させ、時の総理大臣まで辞職に追い込んだ同業他社のE元会長と社長は同級生だそうで、ロビーには学生時代の写真が張り出されてありました。ちなみにE事件の裁判長も同級生で同じスナップ写真に収まっていたのに驚く。会社も若返りを図り、社長が会長となり、37歳の新社長に舵取りを任せるという。お世話になったみなさんに頭を下げて回り、小論文関係の担当者さんは、僕が若いことにひたすら驚かれる。そんなにおじさんくさい字を書いているんでしょうか。確かに講話の先生方はみなさん僕の父よりちと若いくらいの人ばかりではありますが。

12月17日(水曜日)

金曜日・土曜日と連続して相撲の節が話題となりましたが、メンバーのおひとりからメールを頂戴しました。「話題となった引き分けの「持」の訓を君は、「じ」と主張していたが、『新編日本国語大辞典』(初版も)では「じ」と「もち」とを立項して、後者は「類従本延喜十三年亭子院歌合」の「されど歌は持ちどもにぞしける」を用例としているよ」と言う内容のものでした。当該用例を確認してみると、『平安朝歌合大成』の十巻本・廿巻本の本文は、ともに「されど楽はもろともにぞしける」(萩谷先生の日本古典文学大系『歌合集』岩波書店も、もちろん本文は同じ)でした。調べてみるとこの歌合は『袋草子』などでも歌合の判詞の資料としてよく採られており、それゆえ歌学書などに派生した異文・二次資料も類従本に混入していることも多いようです。どうも『日本国語大辞典』の用例は、岩波文庫・朝日古典全書(同一校訂者)からの採集であると言うことが類推されました。というのも、宇多天皇の召された袴を

十巻本   「承和色」

廿巻本   「そかいろ」

類従本   「空色」   岩波文庫・朝日古典全書の翻刻本文

なとど翻刻しているとんでもないものなので、文献資料としては使い物にならないもの。今回のも「楽→歌」「もろとも→もちども」と翻刻して「持−もち」という語を作ってしまったわけでした。実際の本文を恣意に校訂しているために、読者・研究者を混乱させている過程もよく分かりました。岩波文庫の翻刻者は「持−もち」説なのでしょう。陽明文庫の原本は御覧にならなかったらしいことも……。

例えば、十巻本2首目の左註に「「これもかれもよし」とて持(ルビ−ぢ)」3首目の左註に「「〜〜」とて持(ルビ−ぢ)になりぬ」(増補版『歌合大成』)

とありますから、相撲の節の引き分けは「持=じ」で決まりと言うことが分かります。勉強になった電子往復書簡となりました。

12月18日(木曜日)

快晴。今日も言葉の話。『新編日本国語大辞典』の用例のうち、僕が分担執筆してかろうじて生き残り、気になっていた「広陵散」の語彙説明で、典拠の「神奇秘譜」の誤植「神奇秘話」は訂正して下さるという連絡を頂戴しました。誤引なさらぬように。昨日の「もち」も、も・ち・ろん検討いただきます。

12月19日(金曜日)

快晴。歌舞伎座へ。福助丈の所作は典雅でいいですね。橋之助丈ともども贔屓の役者さんです。一緒に行った伯母は、帰り道、団十郎・新之介親子の話ばかり。まあいいけどね。

12月20日(土曜日)

横浜・緑園都市のフェリス女学院大学で物語研究会例会。舟橋聖一の『源氏物語』と『とはずがたり』。この会でこれらのテーマが発表されたのは僕も記憶にないので新鮮だったのではないかと思います。終了後、会の運営をめぐって議論がありましたが、僕は古代文学研究会の運営手法に学んで、事務局が変わるたびに運営スタイル・方針も異ならないようにすることが望ましいと考えています。

12月21日(日曜日)

快晴。まさに年末。自動車保険の更新で、修理工場に行ったらファンベルトが緩んでいて危険な状態だという。走行距離に応じて痛むのは人間も同じ。定家の伝えに「歌道の至極は身養生に極まり候」とありますね。保険はわずか4800円なのにオプションが多くなり、対人・対物無制限保証に加えて、道で転んだとか、自転車にぶつかったとか、エレベーターに挟まれても、交通傷害で保険が有効とのこと。便利なこと自体はよいが、このデフレスパイラルは何とかならないものか。

12月22日(月曜日)

快晴。明治大学。「国語」は三島由紀夫『春の雪』。三コマの講義に等しく系図を書くのはむつかしい。電子黒板があればよいのですが。来年は「国語」も最新鋭の教室でビジュアルに。「論文演習」は研究報告「郵政民営化」など。「和泉の二年間で得たもの」の中で「国語」からの履修生が、女子校だったので授業中の居眠りが趣味。でも怖い先生の時には睡魔との格闘だったと告白。「君、よく僕に●×▲□なかったね。」と言うと、隣の席の女子がすかさず、「先生、ウチのクラスは私だけが●×▲□ました?!」。。最後のクラスは忘年会だったようで終わりを告げた途端、「コンパに出席の人は京王線西口改札で集合」の声。コンパへの寄付を申し出されないようにそそくさと教室を後にしました。

12月23日(火曜日) Special Thanks 147,000 Hits

快晴。原岡さんから『更級日記 現代語訳付』(角川ソフィア文庫)を頂戴し、同じく角川学芸出版の高橋さんから、同時刊行の近藤みゆきさん訳註『和泉式部日記 現代語訳付』を頂きました。ありがとうございます。平安女性日記の注釈を第一線の女性研究者で揃えた、コンパクトでありながら情報性の高い書物です。

12月24〜26日(水〜金曜日)

世間ではクリスマスとは言いながら、これはツリー点火祭で済ませたことにして、福島県会津地方の高校で小論文の集中講座。先生方が代わる代わるホテルまでお迎え下さり、たいへん手厚くもてなしてくださり恐縮。仕事を終えた後は、温泉でも、と軽く考えていたけれどかなり交通の便がよろしくなく断念。八時過ぎると繁華街も深夜のように人通りも少なく、著名な地酒を買って帰りました。衆議院の副議長まで務めた代議士の盟友であるオーナー(永年市会議員を務めておられる)が経営する、会津地方一番の格を誇るホテルの朝食では、このオーナーもなぜか御一緒に、おなじメニューで。酒屋の奥さんから、今年の統一地方選は、無投票で全員当選だったという情報を入手しており、会話も粗相なく済ませました。生徒さんも純朴で、音読するときの訛がなぜか懐かしい。閉校式の生徒さんの挨拶に胸を熱くしながら三日間の遠征を終えました。

河村幸枝先生の源氏玉手箱のページをリンクしました。『源氏物語』の音楽理論はこの先生に学びましょう。

12月27日(土曜日)

朝は初雪、日中快晴。超多忙。家に寝に帰るだけの日々。日付も曜日も間違っていたので訂正しました。こんな具合です。

12月28日(日曜日)

快晴。国文学資料館の伊藤鉄也先生から『海外における源氏物語』(国文学研究資料館.2003.12.06)を頂戴しました。福田秀一先生の蔵書を中心に、詳細な報告・情報が満載されています。「源氏物語におけるサイト一覧」では僕のサイトも掲載していただいていました。萬謝。


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