Last Up Date 2003.09.01          

日記を物語る 2003年08月INDEXホームに戻る             


08月29日(金曜日)

最後の炎暑が予想される中、早稲田大学図書館へ。目当ての雑誌は事前にチェックしていったつもりでしたが、そこのみ欠巻。地下書庫のどこへ行っても必ず人がいて、しかも先生とおぼしき方もたくさん勉強なさっている、この巨大なエネルギーにひたすら圧倒されました。

08月30日(土曜日)

若干原稿に目を通したあと、ジムで三時間。明日は筋肉痛かも知れません。

08月31日(日曜日)

今月末締め切りの原稿を投函。所沢で本の打ち合わせ。雷雨になったようで、水たまりに驚く。帰りはまたまたジム。睡眠時間も増えました。


08月01日(金曜日)

『浜松中納言物語』の輪読のため、白百合女子大学へ。夏休みで閑散としてはいましたが、その方が勉強はやりやすい感じですね。

08月02日(土曜日)

梅雨明けの炎暑の中、久しぶりに早稲田の古本屋巡りを敢行しました。馴染みの本屋さんは、なぜかどこも尽く代替わりして、若い人が座っていました。何かタイムスりップしたような感じでした。午後からは、進路講話の先生方と研修会。四時間にわたり様々な情報交換が行われる。僕の講話に関しては、例に挙げる大学・短大のレベルが高すぎるという評価がいくつかありました。地元密着型で話が出来るよう勉強したいと思います。

08月03日(日曜日)

余明先生のスタジオでレッスン。リズムの取り方を繰り返し練習。SARSの影響で上海の仕事も溜まっている先生ですが、来週もレッスンをしてくださいます。

08月04日(月曜日)

遠方より朋来るであちこちの店を回る。女子十二楽坊のプロモーションビデオを見てCD+DVDを購入。なかなかいいですね。七絃琴も合奏できることを知りました。夕方は、さらに遠方に勤めつつ、現在帰省中の某氏の家を急襲。たっぷりと話込み、一日は暮れてゆきました。

08月05日(火曜日)

今日もあちこちの店を回る。所沢の古本屋さんで『漱石全集/漢詩文』(岩波書店)を購入しました。僕の持っている筑摩書房版には入っていなかったのですが、漱石を読むには漢学の素養が書かせませんからね。

08月06日(水曜日)

青山・渋谷近辺を歩く。ひたすら暑い一日でした。夕方の一雨もほどほどには必要なんですね。

08月07日(木曜日)

成増・赤塚近辺はお祭り。遠くから「東京音頭」も聞こえていました。

08月08日(金曜日)

先月に引き続き、小論文指導のため新潟三条市内の高校へ。二度目という事でリラックスして受講してくれました。「何か質問は?」という僕の問いかけに「なぜ看護《師》と保育《士》は《し》の字を使い分けてるんですか」と素朴な質問を頂戴しました。「たぶん、医《師》と合わせたんじゃないのかな」どなたか正解をご存知の方は、今月下旬の三回目の講義の前までにお知らせ下さいませ。

08月09日(土曜日)

台風直撃により所沢の古典講座は中止になる。そこで気分一新、原稿を書くことに専念。古記録と和歌を結びつけての年時考証も、一見無関係に見えるテキスト同士を時間軸で結びつけたり、別物と認定したりするその作業仮説の段階、これに自身が誠実に向かえば向かうほど、やりがいのあるものなのです。テキストに誠実であること、これだけは一義限定性のストイックな《読み》しか通用しない世界です。

そんな折、ニュースを見ていたら、某宗教団体で修行するうち、熱中症と外傷性ショックで亡くなった教育大学の先生が居るという。この人の名前、どこかで見覚えあるなあ、と思っていたのですが、やはり僕と同世代の平家物語研究者だったんですね。驚きました。ご冥福をお祈りします。この世界に住む人々は、例えば、麻原某の言説に有名大学院修了の医者ですら真に受けてしまった前例があるように、稀とは言いながら陥りやすい危険性のあるもの。これを御覧のみなさんの中にも、口の悪い僕から、状況が見えずに踊らされている(ようにしか見えない)特に若い人に対して、「オウムシスターズ」だとか、「連合赤軍」なとど決めつけられた人もいるかもしれません。「自分がまともだと思っている人ほど、実はこれこそアブナイ人だ」と僕に教えてくださったのは、膠着表現研究の某先生。今でも思い出しては密かに感謝しております。

思えば人が集まる所にはオカシナ教祖様が発生するのは致し方ないこと。それよりなにより、事の真偽を見分けられない研究者が存在すること、これこそ人文科学の危機だと言えるのではないでしょうか。

08月10日(日曜日)

余明先生のスタジオ。既にレッスンを開始して三年半を経過しましたが、ワンフレーズをパーフエェクトに弾けたらはじめて誉められる。明日からもがんばりましょう。

08月11日(月曜日)

青山の大学図書館で『左経記』と『九暦』の紀時文関係の該当個所を探す。能筆として尊ばれたようですが、『八雲御抄』に「ただ父が子といふばかりなり」と決めつけられていて、ちょっと気の毒な男。もう少し男を上げて進ぜましょう。道はどこも混んでおり疲労困憊の一日となりました。

08月12日(火曜日)

関越自動車道下仁田経由で帰省。日航機事故から十八年目の群馬県上野村は、ここから南西の方角にあります。毎年同じ時期に帰省しているんですね。

08月13日(水曜日) Special Thanks 134,000 Hits

のんびりと原稿を書く。朝夕は寒いです。

08月14日(木曜日)

前日に同じ。幼い甥っ子に一日中家族の目が集まる。僕はごろ寝しているところばかりを見られているらしく、「ねんね」と言うあだ名を頂戴しました。

08月15日(金曜日)

近くの親戚の家でバーベキュー。かなり近所迷惑だったことでしょぅ。

08月16日(土曜日)

小雨交じりで靄の立ちこめる中、軽井沢高原文庫へ。谷川俊太郎展。隣にある旧有島武郎邸の浄月庵で、一房の葡萄ならぬブルーベリーと杏子のジュースでしばしの癒しの時間を過ごしました。店内の落ち着いた雰囲気はお勧めのスポットといえますね。

08月17日(日曜日)

原稿はほぼ書き上げました。若干資料の確認をしなければなりませんが、出版社や出版年の確認はネット上で簡単に出来ました。便利になったものです。午後は近くの温泉へ。露天ではみなさん口々に「寒い」を連発。カラっと晴れた日が一日もないなんて、おかしな夏ですね。

08月18日(月曜日)

一週間ぶりに帰宅しました。寒かったが楽しい一週間でした。ソファにもたれてテレビを見ていたら、とある姓の人のイタンビューから記憶が連鎖的に蘇り、なぜか好感を持っていたグラビア出身の女優さんが僕の教え子さんのひとりであったことに思い当たりました。当時、僕は下赤塚に住んでおり、大泉学園〜成増間のバスで通っていたのですが、僕の乗っているバスを笑顔で見上げてくれたことなど、忘れていた記憶が蘇りました。この記憶力で齢を重ねて長老になったなら、僕はきっと大宅世継か夏山重木のような翁になれることでしょう。本日、これにて。

08月19日(火曜日)

明日からの高知の旅に備えて雑用をこなす一日でした。

08月20日(水曜日)〜24日(日曜日)

物語研究会大会のため高知へ四泊五日の旅。たいへん充実した濃い日々でした。

格安チケットのため会の前日に高知空港に到着。米子から車の原さんと合流して、山内家宝物館、県立文学館と回り、夜は明日の講演者のみなさんら関係者と合流。二日目は高知市文化プラザ かるぽーとの小ホールで『土佐日記と源氏物語の講演会』。到着直後「スタッフ」と書かれたプレートを渡される。既に200のイスとステージは準備されており、突如担当になった資料提示装置の調整とリハーサル、その他の力仕事をしてから楽屋でお話を聞く。テレビモニターで会場とホール入り口付近の様子が映し出されているのをみんなで見入っていました。メンバーが続々到着している様子がつぶさに見え、こちらも実に面白かったですね。会場は超満員の盛況で、さらにイスを増やし、レジュメは80部増刷り、会場に座りきれない人たちのためにホール外にもモニターを設ける。アンケートの回収率も高く、継続・続編を多数希望する内容の好評を得られたようです。さっそく翌日の「高知新聞」には当日の模様が紹介されていました。二日目は高知女子大学で発表を聞く。質疑応答の時間もたっぷりあってよかったですね。夜は、有志でショットバーなるものに行く。一生懸命ギターを弾いていた歌手の方には迷惑な客だったことでしょう。三日目は文学散歩。この日一番の炎暑の中を歩いた土佐国衛跡がよかったです。紀時文伝(60枚)を書き終えたあとだったため、この辺りに時文も幼少時を過ごしたことになります。そして、最終日はシンポジュウムの総括討論。さすがに疲労の色も見えましたが、全行程無事に終了。大会担当の東原さんに御礼を述べ、高知城の天守閣の涼風の中、高知の城下町に別れを告げる。帰りは羽田から吉祥寺までのバスもスムース。細かいことはまたいずれ。

08月25日(月曜日) Special Thanks 135,000 Hits

早朝の上越新幹線のときで三条市内の高校で夏休み中最後の小論文講座。顔と名前も覚えて楽しい二時間でした。秋も数回お尋ねします。

08月26日(火曜日)

『元輔集』の注釈のため、母校へ。大工事で新館も形になってきました。南向きの窓が大きく開かれ、大植物園と学生は評しているそうです。この会は大学院の演習の継続で気の知れた先輩・後輩関係で雰囲気も和やかなのですが、どこぞの会で聞かされたハイタッチ系の話は、会の同人としてはイコールパートナー、先生と学生という関係では縦社会が併存して、矛盾が露呈していました。人間社会とはむつかしいもの。昨日の雷雨の後、南の空に美しい虹がかかっていました。静かな革命が進行中と言ったところか。

08月27日(水曜日)

『元輔集』の注釈の二日目。『蜻蛉日記』の屏風歌制作ともからむ重要なところで仕事のため中座。残念。

08月28日(木曜日)

終日自宅。ニュースでは御静養中の天皇陛下夫妻も軽井沢高原文庫で谷川俊太郎展を御覧になったとのこと。そろそろあちらの朝夕は秋の気配のことでしょう。


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