Last Up Date 2003.01.01          

日記を物語る 2002年12月INDEXホームに戻る             


12月29日(日曜日)

年賀状を大半書き上げました。先月、御主人が急逝された隣の奥さんがお嬢さんの家で暮らすことにしたということで、御挨拶に。寂しくなりました。

12月30日(月曜日)

本年最後のスポーツジムへ。その前に向かいにあるブックオフで文庫本版の『あさきゆめみし〜源氏物語』を購入しました。七冊みな美麗だったので。KCコミックス版は実家に持って行くことにしました。名場面を中心に紐解いてみましたが、須磨も女楽も七絃琴の考証がうまく行かなかったようで、琴柱がついていて、和琴と箏の折衷みたいなのでした。もちろん、前から気づいていましたが。瑕瑾と言えば瑕瑾ですね。カバーに著名人のブックレビューがあるのを楽しく読みました。

12月31日(火曜日)

夕方から雪の予報であったため、お昼には家を出て、所沢インター〜下仁田インター、内山峠を回って帰宅しました。約二時間。弟一家が見ていた高校サッカーは、地元に出来た通信制の新設校・地球環境高校でした。校長先生は、確か、僕が高三の時の現代文の先生・木内先生であったかと記憶していますが、全国から集めたタレント集団のせいか、とにかく強かった。なにはともあれ、明るい話題で今年は終わりましょう。


12月01日(日曜日)

日本文学協会大会のため清泉女子大学へ。呉哲男さん、前田雅之さんらの発表を聴く。感想は来年、「大会記」を書くことになったので、またいずれ。それにしても、古代後期のメンバーは委員の他に、院生一名の参加しかなかったのはなんとかならないものか。懇親会ではひさしぶりに栃木先生ともお話しできました。副学長をしておいででした。

12月02日(月曜日)

快晴、ただし夕方は雨が降りました。明治大学。「国語」は例によって三島由紀夫、「論文演習」は「手紙を書く」。教材提示装置をズームにしたり絞ったりして、手書きの手紙を読む。日付や脇付けの微妙な位置まで細かくチェック。今後の参考になったものと思います。早いもので今年度の出講も月曜日はあと三回となりました。

12月03日(火曜日)

金曜日に発表の『小右記』の長元元年(1028)六月二十日、二一日条に注釈をつける。大嘗祭の準備をする中、道長の病気の最中にそれを悦ぶ輩として噂されていることが耳に入り、また危篤の大江匡衡から「緯文=未知の世界を予言した文」が届く。結構、凄い世界です。夕方からは『うつほ物語』の会。議論の中から新たな世界観が見えてきたようです。生産的な議論からこうした発想が生まれる。研究会の意義を再確認しつつ帰宅しました。

12月04日(水曜日)

「桃園文庫と池田亀鑑」展のために、高速道路を飛ばして東海大学へ。日本文学科の学生さん主体で池田博士の功績をまとめたものと、関連する古典籍が図書館で展示されていました。僕もその昔、修士論文作成のために期間限定の閲覧カードを作っていただき通ったことがある図書館です。学生さんの作った「目録と解説」も丁寧な作りで展示された典籍の翻刻まで付された立派なものでした。ご一緒の室伏先生が、明融本『源氏物語』の一巻の精査を希望されていたので、近日、もう一度調査に伺うことになりました。お世話になった下鳥先生、学生さんに御礼申し上げます。

12月05日(木曜日)

来週締め切りの、『うつほ草紙』の「解説・エッセイ」のために、関連サイトを調べる。なかでも諏訪緑的世界は秀逸。まだ出来たばかりのサイトのようですが、作品の紹介はよくまとまっていて、わかりやすく、たいへん参考になりました。御覧あれ。

12月06日(金曜日) Special Thanks 112,000 Hits

終日曇天。明治大学「論文演習」は「手紙」の最終チェックのあと「和泉の二年間で得たもの」。いよいよ、学年末ですね。午後は青山学院女子短期大学へ。文学史は『更級日記』の阿弥陀来迎の記を終え、来週レポート、このクラスはクラスコンパだということで、なぜか参加費を徴収される。講読は「浮舟」巻の出家の物語。真剣な眼差しに関心の高さを実感する。夕方は、慶応大学で『小右記』長元元年六月二十、二一日条を僕がレポート。古記録の文体がまだ身についておらず、ずいぶんと三橋先生に助けられる。重態の大江匡衡の送ってよこした「緯文」が今後の課題となりました。

12月07日(土曜日)

終日雨。所沢の松井公民館で「古典に親しむ会」『源氏物語』「初音」巻。『紫式部の方法』の自家製抜き刷りをお歳暮代わりに全員に進呈して簡単に解説する。足掛け十三年、月日の流れるのは早いものです。帰りがけに会員の方から紹介された自動車整備工場で、定期点検。その昔、お絵かきをしていたお嬢さんがてきぱきと事務処理をしていました。僕はいつから浦島太郎になったのだろう。。。。

12月08日(日曜日)

小雨がちらつき雨となるパールハーバー+ジョンレノンの命日。力道山が刺された日でもあります。短い原稿を書きなんども推敲する。午後は、ある捜し物をして何軒も店を探すもついに巡り会えず。電話で注文すれば済むことなのに。すべて思い立ったが吉日ばかりの世の中とは行かないのかも知れません。

12月09日(月曜日)

目覚めてテレビを見ると関東は雪。日課の朝風呂もシャワーもあきらめてバス停に向かう。始発ターミナルなのにバスは一台もなく、今まで見たこともないほどの人たちが何本も遅れたバスを待っていました。あわてて引き返し、車で幹線道路中心に交通量の多い道を行く。案の定空いており、高井戸までは最短新記録で通過。ただし、高井戸〜松原で首都高速が封鎖されていたために大渋滞で、今までと同じ時間を費やして(いつもは五分で通過できます)、明治大学和泉校舎へ。「国語」の一限目は履修者38名中(今年からさらに少人数教育を実践するため、語学系のクラスを前年の六割程度で編成したのです)、17名の学生さんが僕を待っていてくれました。天気の悪い日には公約のテスト(森鴎外の『独逸日記』の一条を訳すというもの)を実施し(「やっはりな」と言う笑い声と「スパルタだよね」の女学生の声が耳に残りました)、三島由紀夫の『文化防衛論』を読み始めました。「論文演習」は「手紙を書く」の二回目。教材提示装置で各自のをチェック。くわえて、昨日書いた原稿を配布して、この原稿は読者層(女子高校生だと思っていたら、小学校の高学年から読んでいます、と言う指摘もありました。いや、そうかも知れないと納得)に受け入れられるか、僕の作文の意味を理解できるかを基準に、感想・批評を書いてもらいました。コメントを読みつつ、履修生諸君の僕への友情めいたシンパシィーを感じて、「実施してよかった、助かった」と言う印象を持ちました。明日、改稿してみます。携帯電話の普及で、交通不便の学生さんが、必死に目的地に向かっている状況が精確に把握できた日としても忘れることは出来ない一日となりました。がんばって学校へ向かった、みんなの気持ち忘れないぜ。。。

教員室で百川敬仁先生より、『明治大学公開文化講座 江戸文化の明暗』(風間書房、2001年)を頂戴しました。極めて刺激的な講演録です。まだ未読の方はぜひ御高架を。

12月10日(火曜日)

快晴で雪もすっかり溶けた模様。今日は『うつほ』尽くし。まず、五枚の原稿を推敲に推敲を重ねて送信。夕方は、本年度最後の『うつほ物語』の会。室伏先生は御勇退を表明されていたので、僕も琴を持参して「関山月」を。来年度もこの会は存続の方向ですが、室伏先生ご苦労さまでした。

12月11日(水曜日)

ひたすら車で移動して営業活動の日。神奈川、東京、埼玉一都二県縦断しました。明日は、長野県飯山市。中学校の臨海学校で通過して以来です。でも何年前かは早く忘れたい。だって介護保険の通知が届いた日ですから。。。。悲しい。

12月12日(木曜日)

長野県飯山市の高校へ。精確に言うと飯山線は初めて乗りました。おもわず眠気を催すようなのどかな雰囲気です。千曲川沿いに単線のディーゼルが走る。高校はスポーツ科が有名で、オリンピック選手を輩出している学校。書道室を利用しての講話でしたから、昔、高校で書道を教えていた話をしたら担当の先生が書道の先生で話しかけてきてくださいました。全県89校中、書道の先生は70名、新潟大と大東文化、それに二松学舎の出身者が多いそうです。夏に伺った木更津の女子校も書道のさかんな学校で、千葉にある書道の著名な女子大の教授にお会いしたこともありました。

12月13日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」は僕の『うつほ草紙』の「解説・エッセイ」を批評してから、「和泉の二年間で得たもの」各自が読みあげるかたちで進め、またそのひとりにメッセージエールを書いてもらいました。僕も遠くてど田舎、入学当初はひどく嫌っていた教養課程を去るのはなんだか寂しかった気がします。SASの「YAYA〜あの時を忘れない」が大ヒット中でした。午後はこの歌の舞台となった青山学院へ。文学史は『平家物語』の冒頭を読み、平家語りを岩波映画の「盲僧琵琶」で実感していただきました。しつこいおしゃべりと暖房による居眠りにややキレかかる。講読は「浮舟」巻の出家の物語と手習の方法について。先週の真剣な眼差しに資料を追加して詳しく解説しました。三島由紀夫の『豊饒の海』に登場する月修寺(実際は円照寺・山村御殿)の門跡は三笠宮の双子の妹で糸子と言い、出生後すぐに山村家に養子に出されて若くして出家までしていたという説の話をしたら、またみんなの視線が集中。興味は尽きねど年明けあと一回となりました。ちなみに物語研究会編『物語 その転生と再生』(有精堂、1994年)のジャケットカバー写真にある円照寺は、昭和六十年の九月に故・鍋島直康先生と御一緒して特別に拝観させていただいた時のもの。残暑の厳しい、白く開かれたお庭でした。門跡は山村御流という華道の家元をしておいでです。 

12月14日(土曜日)

快晴。一日の三回忌を期して刊行された山田清市先生の遺稿集『王朝文学論叢』(翰林書房.2002.12.01)の関係者で出版記念の会を新宿三井ビルのレストランで。『伊勢物語』『源氏物語』の論攷に、『紫式部日記』の翻刻を含め四百頁余のうつくしい本になりました。ぜひ御高架を。

12月15日(日曜日) Special Thanks 113,000 Hits

快晴。ひさしぶりに原稿はぜんぶ片づいていてのんびり出来る日曜日。年明けには「白楽天の音楽」という難題の五十枚が待っています。

12月16日(月曜日)

明治大学。「国語」は例によって三島由紀夫。乱れた日本語を批判したり、日本人には自衛的教養が必要だと語る在りし日の肉声を聴く。『文化防衛論』は核心に入りました。「論文演習」は「和泉の二年間で得たもの」提出者がすくなかったことは大いに不満です。月曜日は年明け一回を残すのみとなりました。

12月17日(火曜日)

明日の進路講話が朝一時間目のため、松本市にある弟の家へ。松本城も眺められる素敵な部屋でした。六ヶ月になる甥も最初は泣かれましたが、僕に興味を持ったらしくひたすら僕を凝視していました。

12月18日(水曜日)

中央道を約一時間、長野県松川町の高校。まだ一年生なので興味を喚起するあたりの話で、という注文がありました。野球部が強く、グラウンドの照明施設やスコアボードも立派でした。お昼前にお役ご免となったので、途中、ハイウエー温泉・諏訪湖に立ち寄る。ドライバーでも知る人はさほど多くないようで、僕の他には一名しかお客さんが居ませんでした。諏訪湖と八ヶ岳が一望できる温泉でした。

12月20日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」は御指名の人だけ来ていただきました。。。御苦労様。その後、室伏先生と東海大学中央図書館へ。道も空いていて、順調に到着。先生の研究チームのお二人と合流して、『源氏物語』では前田尊経閣本文庫の「定家本」に次いで、青表紙本系本文の古体を保存する「明融本」九冊の調査を開始。詳細に観察することができ、頭に入っていた問題本文は様態をメモ。やはり原典にあたらないといけないという至極当然のことを再確認しました。

帰宅すると、名古屋の大井田晴彦さんより『うつほ物語の世界』(風間書房、2002.12.25/\12000)を頂戴していました。大井田さんにはこの家の改装につき全書籍の移動を二度も手伝ってもらったり、本郷のアパートにも泊めていただいたりした、僕の年若い心許せる友人です。彼の院生当時を懐かしく回想しつつ、彗星の如く学界を瞠目させた彼の軌跡を夜更けまで耽読しました。研究史の問題の本質に迫る構想力、物語を全覧しえるような論理の集成とその構成、すぐれてたくみに洗練された文体、このように編成された本書に学ぶところは他にもたくさんあるでしょう。みなさん御高架を。

12月21日(土曜日)

雨。物語研究会を横浜緑園都市のフェリス女学院で。雨のため大幅に遅刻しましたが、席はほぼ満席。『紫式部日記』論と今井久代さんの『源氏物語構造論』の合評会。とりわけ吉野さんのレポートは初出にも当たった徹底ぶりに驚く。来月は僕がレポーターなのですが、そこまでは出来るかどうか。

12月22日(日曜日)

昨日研究会の事務局から頂戴した総会向けの資料に目を通す。学術団体のための委員を本会会員、それに実務に携わる人たちを事務局委員とし、会員にアンケートを行い、本会委員で運営形態をチェックするという趣旨であるようです。僕の事務局時代は、夏の大会のはがきにアンケート・声をお願いして「会報」に掲載したりしましたが、はがきの戻りは多くて1/3の60〜70通位だったように思います。牧歌的な雰囲気で、回答も協力的なものが多く、僕自身「まぁ、いいか」程度の反応でしたが、学術団体の是非を問うたあたりから会の融和を求める意見が見え始めたように記憶しています。結果的に、業績とキャリア重視の学界にあって、無為無策で勉強会として存続することは出来なかったのでしょうが、研究会の方向性はどのようにあるべきかをきちんと捉え返すにはよい機会だと思います。昨日は若い人たちの心まで土砂降りの日だったのだ、と後から知らされました。ただし、こうした時こそ、慰安が会になければ、人が集まることの意味はないと思います。

12月23日(月曜日)

年明けに締め切りのある、白楽天の音楽を勉強するため、『白香山詩集』(世界書局、中華民国74年)を紐解く。いつかこれを持っていたら、小島憲之先生門下の勉強会「読古会」でもみなさんこの本で勉強なさっていたと教えていただいたことがあります。神田の台湾系の本屋さん「海風書店」で十数年前に購入しました(\1580円)。たしか、萩谷先生の注釈書もこの本の本文だったと記憶しています。今は本文研究も進み、版本系の再編集本であるこの本文を使うのは御法度、旧鈔本の本文を使用するのが学界の趨勢になってきていますね。帰宅すると早稲田の「平安朝文学研究」が届いていました。助川さんの神田さんのメチエの本と陣野さんの三谷言説論の書評を面白く拝読しました。

12月24日(火曜日)

三島由紀夫の、清水文雄宛書簡が『月刊新潮』に公開されるというニュース。そろそろ『決定版全集』の編集作業も大詰めの副産物と言えるでしょう。三島由紀夫の、川端やドナルド・キーンなどの師友との往復書簡は美しい名文が印象的です。

12月25日(水曜日)

年末の所用を片づけて一日過ごしました。

12月26日(木曜日)

年賀状を少しだけ書きました。

12月27日(金曜日)

年末の雑用に時間を費やす。今年も終わりですね。

12月28日(土曜日) Special Thanks 114,000 Hits

年賀状はだいだい書き終えました。


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