Last Up Date 2002.11.01          

日記を物語る 2002年10月INDEXホームに戻る             


10月30日(水曜日)

終日原稿整理。まず、遺稿集の索引を三人で作ったのでその調整。さらに出版に伴う申請書を作るため、原稿の総枚数を調べると、余裕を持って数えても400字詰めで1042枚、A5版で454頁に相当することがわかりました。実はもう一冊準備中なんですよね。

10月31日(木曜日)

快晴。終日原稿整理。原稿を書くということはとどのつまりは自分を書くこと。時間の許す限りとことん調べ、もっとも的確な表現を探す。しかし、論じる対象そのものが、実は《つくりもの》《そらごと》なのだから、この世界はおもしろい。そういうまなざしで人間を凝視することもたまには必要なのかも知れません。この冷え込みではコートも必要な季節になってきましたね。


10月01日(火曜日)

台風直撃とは言いながら、さして風も強くないように感じた一日でした。ジムに行き、中止を予測しつつも渋谷へ。やはり中止だったので、すこしばかり贅沢なグルメ。こんな日もたまにはいいでしょう。

10月02日(水曜日)

台風一過の快晴。荻窪で三橋先生をお迎えして、首都高〜東関東自動車道を抜け、佐倉市にある国立歴史民俗博物館へ。午前中は、高松宮家禁裏本『源氏物語』帚木巻を閲覧させていただく。本文は精度の高い河内本系。奥書は「本云此巻無耕雲之歌/此巻就山知蔵《後大通院吏部王息》加書写仍朱点校合畢/長享二年《1488》季秋上澣 花押」。『源氏物語』校本の誤りも一カ所発見しました。管理担当は、日本中世史の井原今朝男教授で、高松宮家本の母体である伏見宮家の源氏学系古典籍の来歴などはまだ未解明であるとのお話を伺い、卑見などをお話すると大いに興味を持ってくださいました。午後は、國學院から移られたばかりの松尾先生のご案内で、「中世寺院の姿とくらし〜密教・禅僧・湯屋」展。招待券ももらったので、レポート不良者はここに来ていただきます。帰ってから軽く水泳もして、充実した秋の一日は終わりました。

10月03日(木曜日)

昭和・平成の国文学界にたいへんな業績を残された研究者の遺稿集をお手伝いしていて、今日はその校正作業。短いながら、編集後記を書かなくてはなりません。まさに篤学の人の端正な文体に頭を垂れつつ作業に勤しんでいます。

10月04日(金曜日)

明治大学青山学院女子短期大学と回って、夜は慶応で『小右記』。忙しい一日でした。

10月05日(土曜日)

品川の大学の付属高校で、朝09時から一時間、一年生のための進路講話。同じ敷地にある大学の教室に一年生全員が集まり、僕の話に耳を傾けてくれました。でもまだ関心は今ひとつのようですね。午後は所沢の松井公民館で「古典に親しむ会」『源氏物語』「玉鬘」巻。今月でこの巻は読了しました。

10月06日(日曜日)

校正をし、宇治十帖関係の論文を読んだのが午前中。午後は漢籍受容史の原稿を書きました。

10月07日(月曜日) Special Thanks 105,000 Hits

明治大学。「国語」は漱石の『一夜』。プロットのない小説はむつかしい。「論文演習」はまだ「夏休みの日記」を読む。どうしてみんな海外旅行なのか。大学生が金持ちなことを実感しました。

10月08日(火曜日)

遺稿集の編集後記を書く。『伊勢物語』だけで三冊もの大著がある先生の研究を千字あまりで纏めるのは至難の業です。夕方は國學院で『うつほ物語』の会。「国譲」上巻。僕だけの本文校訂試案がひとつ増えました。

10月09日(水曜日)

藤本勝義先生より『好かれる女・嫌われる女 源氏物語の恋と現代』(新典社.2002.10.18)を頂戴する。女子学生の講義の感想を元に、イラストまでふんだんに加えて女性像をデッサンするという企画物の本です。藤本先生、本務校以外にもたくさんの大学で教鞭をとられているんですねぇ。今後の僕の講義にも活かしてゆこうと思います。萬謝。

10月10日(木曜日)

遺稿集の校正。元号に西暦が付されていないところもあることに気づいて、あわててこれを付け始めると、どの論文も、解明すべきある中心に向かって論証されている志向性のあることがはっきりとわかりました。著名な成立過程説がある時期急カーブを切って変容したイメージがあったので、これには新鮮な感動すら覚えました。

10月11日(金曜日)

明治大学「論文演習」は「大学生のための日本語」より、話の効き方。快晴の井の頭通りを移動して青山学院女子大学では、文学史が『源氏物語』の「須磨」「明石」巻。講読の「宇治十帖」は「宿木」巻へ。エンジンがかかってきましたね。

10月12日(土曜日)〜13日(日曜日)+14日(月曜日)

大阪住之江にある相愛大学で中古文学会。土曜日の僕の目的は、為家本『土佐日記』の自筆・非自筆説。聞いてみたいこともありましたが、いつか僕も閲覧させていただいてからということに。懇親会の後の三次会は天保の観覧車に乗ってみました。夜景が美しかった。二日目の前半は源氏尽くし。いずれの発表も蓄積にはなったけれども、特に縄野さんの紅梅論は、今度注釈を手がけることになっているので、一言も漏らさすまいと耳を凝らして聞きました。もちろん、「氷を持つ女一宮」も、たくさんの質問が出てよかったと思います。帰りがけは、発表した某氏と親しくさせていただいている某御大とともに、喫茶店で健全なる反省会。発表の某氏の果敢なる研究史再編への試みに拍手を送りますが、あの要旨の文体だけは『とりかへばや』(しつこくて御免なさい)。さらに帰りの地下鉄の中で、腰を抜かすような夢のある話を聞く。国文学研究の世界に、まだこんな夢のある話があったとは。あわてず、時間をかけて夢の実現のために機の熟するのを待ちましょう。

抜き刷りを頂戴したみなさん、ありがとうございました。『うつほ』の会の春日さんの國學院雑誌懸賞論文は立派です。翰林書房刊の『松浦宮物語』の改訂版が出て、僕が姉貴と慕う塩田公子さんから頂戴しました。曽根誠一さんからは『土岐武治文庫和書目録』(花園大学国文学科.2001年)を。コピーのない時代、自ら新写本をたくさん揃えた篤学の、その文庫目録です。また、『紫式部の方法 源氏物語・紫式部日記・紫式部集』(笠間書院、2002.10.30.\8800)の見本本は、装丁がすばらしくおしゃれで、感嘆の声をあげてしまいました。ぜひ御高架をお願いしたいと思います。

10月15日(火曜日)

快晴。昼間は原稿整理。夕方、ジムにより、高速道路を使って移動。日が短くなったものです。ハイウエーを照らす明かりのカーブが美しい。帰りがけに空を見上げると、月明かりが雲間から放射状に広がっていました。やがて雲が覆って、雨となり、帰宅した頃には雷鳴が轟いていました。「めぐりあひてみしやそれとも」僕はあの放射状の月影の美しさを、生涯忘れることはないでしょう。

10月16日(水曜日) Special Thanks 106,000 Hits

明日の進路講話の仕事が長野県の北安曇郡にある高校で一時限目からのため、塩尻市に住む弟の家へ。生後四ヶ月の甥が迎えてくれました。蕎麦のフルコースで満腹に。

10月17日(木曜日)

塩尻インターから豊科インター、さらに明科町を経て、池田町の高校へ。この学校はオリンピックに連続出場、連続入賞したスポーツ選手の母校でもあります。進路指導主事の先生が机上のパソコンを巧みに操作して、話ごとに要点となるメモを登場させるという神業で生徒の関心を引きつけていました。聞けば情報処理の専門家とのことで納得。まだ紅葉は早かったようですが、美しい山並みを抜けて夕方帰宅しました。二日間の走行距離は六百qほどになりました。

午後、二四年ぶりに佐渡に帰った曽我ひとみさんのコメントに心打たれました。「いま私は夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みんな温かく、美しく見えます」。新幹線の中で推敲したというこの文章。僕なら教科書に入れますね。日本語の美しさを再発見しました。

10月18日(金曜日)

雨。道は渋滞し、練馬富士見台、中野区鷺宮、阿佐ヶ谷あたりの裏道ばかりを使ってようやく明治大学和泉校舎へと辿り着く。「論文演習」は産能短大編の「大学生のための日本語」のビデオを見ながら、話の聞き方。面接の受け方。場の雰囲気を読み、面接者の視線を感じることなど、当意即妙の自己演出法をみんなで考えました。移動して青山学院女子大学。文学史は『源氏物語絵巻』と「若菜」巻。講読は「宿木」を読了する。キャンパスの銀杏並木はまだ色づいてはきませんが、銀杏の独特の香りがしていました。夕方の青山界隈の洒落た雰囲気も僕は好きですね。

10月19日(土曜日)

今日も渋谷で仕事。環状八号線が混んでいたので、七号線を南下するも、こちらも事故処理のため、車線規制で二度の渋滞に陥る。井の頭通り以降はスムーズでした。常陸宮邸の脇にある駐車場は閑静な住宅街の中にあり、西側にある國學院の建物が際立って見えます。そこから歩くとよい運動にもなります。夕方は雨。帰宅して開いた日本書房の目録の、本の価格が軒並み安くなっていることに驚く。さっそく僕もいくつか押さえておかないと。本日、これまで。

10月20日(日曜日)

阿佐ヶ谷の余明先生のスタジオで「梅花三弄」。冒頭の、梅の散る様を表現しているあたりを繰り返し練習。来月、スタジオそのものを石神井台へ引っ越すそうで、古箏なども引っ越しを待っていました。先生は、来月催されるオーラ−J定期演奏会で、琵琶を担当されるとのこと。雨でめっきり薄暗くなった午後は清瀬の喫茶店・玄へ。僕のこのページを御覧になった方が、マスターの大槻君と同姓同名でわざわざ尋ねて見えたとのこと。カフェオレを脇に原稿の索引作りを終えました。雨の日こそジムで汗を流すのがいいんですよね。

10月20日(月曜日)

月曜日は二週間ぶりの明治大学。「国語」の『一夜』は「夢」と「現実」と「境界」の物語として分析する。あと一回で読了です。「論文演習」はこちらも『大学生のための日本語』へ。ビデオ視聴のあと、僕を中心にディスカッションしたのですが、分析的な思考によって、論点を明確に整理できていた人がいたので、僕の話の落とし所もよく見えたのではないでしょうか。情緒的に思考することも時には必要ですが、常に冷静に場の雰囲気を読むことがなにより肝要であることを再認識しました。帰って、ジム、そして弾琴。先生が上海に帰られるようなので、自習は怠らないようにしないと。

10月22日(火曜日)

渋谷の國學院。なんとレジュメ55枚。根源的に文献を探し出そうとする努力こそ、学問に対する誠実さの証明であると言うことを実感しました。このところ、理論を媒介として、強引かつ合目的的に創造した世界解釈をするだけの研究にはほとんど興味がなくなりました。こうした地道な研究こそ、「不易」というものでしょう。

ひさびさの画像は叔父と父。叔父は父と20歳も離れた明治のひとで、旧満州で敗戦を迎えたそうです。

10月23日(水曜日)

つくば市の高校で進路講話。土浦へと向かう常磐線の中で、月曜日に課した小テスト(もちろん抜き打ち)の採点と、原稿を推敲する作業。小一時間だったので行きだけで終わってしまいました。忙しいときほど、時間の使い方が大切。忙しいことを理由に仕事や研究が手抜きになるようでは、学問に携わる資格はないといつも念じています。それにしても往復六時間に話は30分というのは短すぎる。僕の後に三つの大学の先生が見えて、経済、心理、保育の模擬講義をなさっていました。専門学校では車のエンジンを回転させるというプレゼンまであった模様、というのも自分の仕事を終えたらさっさと帰ってしまったので、伝聞を書き記すしかありません。

10月24日(木曜日) Special Thanks 107,000 Hits

山梨県櫛形町の高校(おそらくひとつしかない)。中央道の大月付近で事故渋滞に巻き込まれるも、余裕を持って家を出たのでなんとかセーフ。今日は短大進学者のためのお話。僕の話のあとに、県立短大、山梨学院短大、都内から一校、長野県からも一校お見えになって相談会。でも女子高校生、その場の雰囲気で事前申し込みとは違う大学の前に座ってしまい、相談者ゼロの学校も。責任者の先生が平謝りして、担当の先生にも「今後こういうことがないように」とダイレクトに注意していました(唖然)。こういう場に居合わせることも勉強ですね。

10月25日(金曜日)

快晴。練馬高野台近辺が混んでいることがわかったので裏道を抜けると、井荻トンネルは通過するまで前後に一台も車が見えないと言う奇跡的な道路状況。ここは長野ではなく東京なのかと我が目を疑いながら、その後の環状八号も快調に、今季最速の45分で 明治大学和泉校舎に到着。いつも同席の中国語の先生が僕の後輩に当たる方なので、弟の子「大河」君の精確な発音を教えていただく。来年度の時間割の話など。僕は五コマを三、二に分けて二日にしていただくよう教務にお願いしました。さて「論文演習」は産能短大編の「大学生のための日本語」第二回目、ノートの取り方。睡眠とグリット理論、二つの講義を通して話術の妙を考えてみました。たまたま僕のページから、スクリーンに17歳当時(1979年)の写真が映ってしまいました。「僕たちまだ生まれていません」の一言に激しくショックを受ける。本日テキストで読み上げられた「少年老いやすく学なり難し」そのものでしたから。 二、三時限目を自主休講にしたという学生が暇そうにしていたので、ともに井の頭通り、表参道と移動して青山学院女子短期大学へ。日本最大規模と言われる四大の学食に行く。僕の席のとなりには次の時間の文学史の一年生が陣取っており、僕のメニューまでじっくり観察される。明治の学生との気質の違いは、「まつげが立っていて、ほっぺが赤い」だそうである。この探検隊はもちろんお昼に解散しました。さて、文学史は『源氏物語絵巻』と「柏木」巻。講読は「東屋」へ。いよいよ浮舟物語です。

10月26日(土曜日)

止まない雨はないとは知りながら、なぜか本日も雨。お茶の水の明治大学リバティータワーで研究会。時間ちょうどに大学に向かうと消防車が何台も待機中。「駿河台一丁目の明治大学の三階付近から火が出ていると携帯電話で通報なさった方は名乗り出てください」。とんでもないいたずら電話をする人があったものです。発表は『源氏物語』に引用された『万葉集』歌について。大いに研究の蓄積になりました。萬謝。

10月27日(日曜日)

快晴の朝は、なぜか『梅花三弄』。冒頭から梅の花びらが散る様を表象している一節を練習。来月半ばに日本大学国文学会主催の特別講義で演奏予定の演目に入れる予定です。午後は、母校で『元輔集』の注釈作業に参加。それにしても大工事で僕が学んだ校舎がなくなって行くことは寂しい気がします。まさしく秋ですね。

10月28日(月曜日)

明治大学。「国語」は漱石の『一夜』を読了。ルーズプロットではあるけれど、一夜を描くことにより、生涯を描くことへのベクトルはわかってもらえたものと思います。「論文演習」は「大学生のための日本語」第二回目、二つの講義を通して話術の妙を考えるもの。このあとに新聞記事を読んで二分間のプレゼンを行うときに事故が。「新聞を読んでいないのでわかりません」発言に場は白けきり、僕の冷たいひとことを浴びせかけられる。後の人は一所懸命やってくれたので安心しました。かつて巨人軍の長島監督は、勝負を逃げた選手に鉄拳制裁すら厭わなかったという。能力があってもただ逃げていては何ら向上、発展はありません。次も逃げたら、サ・ヨ・ナ・ラですよ。

10月29日(火曜日)

快晴。足下から冷え込んできました。原稿整理の後、『うつほ物語』の会へ。国譲の上巻の前田家十三行本は「校注古典叢書」本の見開き二ページの間だけで、他本に比して独自本文を三例も抱えていました。書写状態は毘沙門堂本の方がよいわけです。でも多くの辞典は、版本系の本文から用例を採集しているため、これらの孤立例は再録されていません。辞書と古典本文の関係の中で、『うつほ物語』はもっとも注意を要すると言うことです。


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