Last Up Date 2001.05.01          

日記を物語る 2001年04月INDEXホームに戻る              


04月29日(日曜日)

余明先生のスタジオで琴のレッスン。遅遅とした歩みですが、半歩程度は進んだと思います。サングラスを忘れたのでスタジオに戻ると、僕の後の六十前後の生徒さんの古琴の音色が聴こえてきました。溌刺(はつら)の澄んだ奏法が耳にこびりつき、《オレ、負けてんな〜》との思いがわく。そこで帰宅してさっそく練習したことは申すまでもありません。

明日が締めきりで仮入稿も済ませている紫式部伝の原稿を練りなおす。五年ほど蓄積したノートに、現在刊行中の『新編日本国語大辞典』(小学館.2000〜)の草稿で、整理が悪くて一番探していたはずの「雅楽」関係の手書きの原稿が、このノートに挟み込んであるのを発見しました。のべ百項目近く「語誌」を書いたのですが、実を言うと、『竹取物語』関係語彙は、その草稿にあたるもの。「語誌」はかなり削ってしまったと関係者から聞かされていたので、そのまま埋もれさせてしまうのももったいないと考えたわけです。ただし、真っ先に手懸けた「雨脚」の項は、何を隠そう僕の文体そのままに、あの立派な《ことばのうみ》の中に犇(ひしめ)いていましたね。用例が『うつほ』『蜻蛉』とともに、川端康成の『伊豆の踊り子』の冒頭「雨脚がはやくなって〜」とあったのを見つけた時は、さすがにうれしかった。歴史的価値のあるテキストに、みずからの文章も並べてもらったわけですから。

04月30日(月曜日)  

『紫式部−その表現(仮題)』の原稿を入稿しました。思い起こせば起筆から五年、ノートに挟み込んだ資料が膨大なものとなり、手書きで時系列の紫式部年表を何度も推敲した痕跡はあるものの、いつどのような資料を許に起算したのかわからない考証までありました。送信してからもまだ推敲を続けてしまいました。最近忘れていた、“夢中になって書くこと”を思い出させてくれました。完成の暁には、超一流の執筆者三十余名からなる700頁の大論文集になるはずで、僕を加えてくださった論集発起人のみなさんに、ただただ感謝するばかりです。


04月01日(日曜日)  

本日の朝日新聞「天声人語」は何年ぶりに執筆者が交代。『枕草子』の「村上先帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを」の話題を取り上げています。月明かりの夜、先帝が器に盛った雪に梅の花を射して、歌を詠む事を命じた時、女蔵人が、和歌にかえて『和漢朗詠集』交友に引かれた、白楽天の「琴詩酒友皆抛我、雪月花時最憶君」の一節「雪月花の時」の詩句を誦じて答えたと言う逸話です。過ぎ去りし天暦聖代観がこの当時既に生成されていたことが知られますね。その洗練された王朝の雅びにも、君臣和楽の思想が投影されていることはいうまでもありません。

すっかり晴れ上がった今日は『懐風藻』の石上朝臣乙麻呂四首の詩題について十枚程度。この詩群も「交友」の主題があります。

04月02日(月曜日)  

今日も石上乙麻呂四首の詩題について。夢中になりすぎて時の過ぎるのをすっかり忘れ、久しぶりのお仕事大遅刻。。帰宅して琴を弾いて見る。春宵の琴の音は空に澄み昇りますね。

出講各大学から、確定した時間割等の書類が届きました。明治大学のページをトップだけ更新しました。

04月03日(火曜日)  

『懐風藻』の乙麻呂の詩群を「交友」の主題で書いてきましたが、どうもすべて「恋愛詩」であることに気づいて、全面書きなおしへ。出世街道を驀進していた乙麻呂は、故・藤原宇合の妻・久米若売と密通し、施行されたばかりの『律』の罰則により、乙麻呂は土佐に、若売は下総に流されたと言う物語は、光源氏の須磨流離をも想起させます。くわえて、琴で「広陵散」を奏でて都の人を想う詩が詠まれていたすれば,,,,。続きが読みたい方は『懐風藻研究』を購読して下さい。

朝日新聞には学力低下問題で小西甚一氏。超ロングセラー『古文研究法』(洛陽社.1955初版)をゴーストライターの著作だと思っていた僕は、自身の名で出される著作は、すべて御本人の手になるものであることを知り、ひそかに尊敬していました。大家と言うとゴーストライターと言うのがこの世界では常識化しつつありますからね。国会図書館で、ズック靴にリュック姿の軽装で文献収集にいそしむ先生の姿を拝したことのある人は、「篤学の志」認定をさせていただきます。つい五年ほど前、茗渓会館で行われた「佐伯梅友先生を偲ぶ会」で、お話を伺うことが出来ました。佐伯先生とは東京教育大学時代、同じ研究室であったとのことでした。その時の司会は北原保雄・現筑波大学長。茗渓の国語・国文学者がずらりとお出ででした。どうりで、僕が在学中は教育大系の先生が何人もいらっしゃったわけですね。現在でも、茗渓人脈はかなり強固な結束がありますから。

青山学院女子短期大学のページのトップとメインなどの壁紙を張り替えました。しばらくの間、試行(思考)錯誤が続きます。

04月04日(水曜日)  

石上乙麻呂、久米若売の人生を辿るため、『尊卑分脈』『公卿補任』『続日本紀』を立て続けに調査。いやぁ、面白いですよ。これは。予約しておいた新編日本古典文学全集『浜松中納言物語』が届く。挿絵の図版は、目にしたことのないものが多く、新鮮なのがいいですね。でも「七絃の琴」は明かに他の本からの使いまわし。須貝稔先生には、角川の教科書でも御協力頂きました。古典図会、当代随一の手になるもの、本文・校注・現代語訳のみならず、じっくり絵も鑑賞してください。

04月05日(木曜日)  

『万葉集』の乙麻呂関係の論文をチェックしていたら、折口信夫に始まり、伊藤博、中西進、渡瀬昌忠(大学院時代の恩師です)など、大家の論考が陸続と有ることを知り、じじんの無知を恥じ入る。さっそく、後注にこれらを取り込んで、乙麻呂くんとの五日間の長いようで短かった配流の旅を終える事にしました。添付ファィルで送信してあとは出来あがりを待つばかり。明日からはまた『音楽事典』と『うつほ物語』の漢籍の世界に戻ります。

古代言語蔵開(くらびらき)の会のページが出来ました。立ち上げに向けて徐々にうねりが高まってきた感じ、「私の専門は〜〜」なんて平気で口にしてしまう若い人、専門は論文を二十本くらい書いてから見えてくるもの(つまり、平均十年以上かかる)。まず自分のフィールドを見つけることが何より大切ですよ。

04月06日(金曜日)  

本日、勉強はしないことにしました。日曜日にレッスン予定の「陽関三畳」が気になって。まず、リズム通り、正確に数字譜(1=ド、2=レ、3=ミ、4=ファ、5=ソ etc)を歌うことが今回の宿題なのですが、これもやっぱり勉強の一環だったりして。

04月07日(土曜日)  

所沢市の松井公民館で「古典に親しむ会」『源氏物語』「少女」巻。光源氏ハパは教育も熱心だった、の巻。

勉誠出版(ただし更新率極めて悪し) から『枕草子大事典』が届きました。これは凄いぞ!! 便利だし。ただし、『枕草子』ほど諸説入り乱れている作品は、客観的な評価はやはりむずかしいと言うことを前提に読まねばならないことは言うまでもありません。

04月08日(日曜日)  

余明先生のスタジオで琴のレッスン。今回は楽理についての理論を徹底指導していただきました。先生、東京藝術大学の修士を出られているので、西洋音階と中国古代の琴の音階の関連付けも極めて合理的に理論化なさっていらっしゃいます。中国音階は、4(=ファ)、7(=シ)抜きの旋律の展開を除けば、大きな違いが見られないようです。

故・南波浩先生の御霊前に献呈するための「紫式部論」(四月末日締め切り)を書き始める。五年ほどお蔵入りしていたテキストに加筆する形ですが、何度も講義でしゃべっていたことなどを活かしたり、最近の研究成果も盛り込まねば意味がありません。伝記研究は歴史学の一端に位置し、文学テクストも史料として扱われてしまいます。でも、そこにも研究者の《読み》が発現していることはあまり自覚されていません。これではいけない。。。。

04月09日(月曜日)  

昨日の続きで紫式部論。東京大学史料編纂所のフルテキストデータベースで検索すると、与謝野晶子以来営々と積み上げられてきた伝記研究でも、まだまだ未検討の文献史料があるのですね。ちょっと前ならひとつ文献を見つけただけで、それなりの雑誌に論文が掲載されたのでしょうが、これだけ検索が容易になると、厳密であることはもはや当たり前、むしろその論証の精度が問題になってくるというわけです。でも「古記録データベース」の玉に瑕なのは『権記』が入っていないこと。著作権の問題があるらしいけれども、はやくなんとかして欲しいものです。

ところで、その昔、大家の紫式部論に、「藤 ×子 同 ×子」と活字で翻刻された文献を信用して論文化したら、二番目の「同 ×子」さんは上に同じの藤氏ではなく「源 ×子」の「源」の草書体を誤読したものと判明、その某先生、その後も訂正論文は出していない模様。みなさん、人の褌(ふんどし)で相撲をとるのはくれぐれも避けましょう(笑)。

04月10日(火曜日)  

大正大学蔵『源氏物語』が話題のようです。確かに奥書に見える明応二年(1493)を信ずるならば貴重な本であることは確かです。新聞社でも記事にしたいようですね。(14日土曜日、朝日新聞朝刊に紹介されました)

研究会は来週ですが、用事があったので國學院へ出向き、室伏先生にお誘い頂いたので大学院の演習にも飛び入りで参加しました。テキストは『新版竹取物語』を用いて輪読形式で進めるようです。導入はさすがに熟練の手法で、國學院に関わりを持った往年の研究者の研究史に触れながら、研究のあり方を分かりやすく解説されていました。もちろんたいへん参考になったことは申すまでもありません。永かった春休みも終り。明治の入講制限も解除され車の乗り入れも出来る様になったようです。

04月11日(水曜日)  

池袋のジュンク堂へ出向くと、東京の大学へ御栄転の旧友とばったり出会いました。喫茶室で長話する。分野が若干ずれており、まだ持っていなかったお互いに著書を交換し合うことに相成りました。足取りも軽く成増で水泳をし、帰宅してソファにもたれてテレビ観戦していたら、緊迫感ある巨人−中日の首位攻防戦の記憶もなぜか薄れがち。結局たっぷり爆睡できた健康的な一日でした。

04月12日(木曜日)  

「ある紫式部伝−本名・藤原香子説再評価のために」をいちおう脱稿し、電子メールの添付ファイルで、編集担当の久保田孝夫さんに送信する。規定の枚数より超過したのではやめにお伺いを立てる意味もあります。久保田さんの『紫式部集』の論文の根底を覆す年次考証を含むものですが、さっそく受け取りの返信に原稿のスタイルについて御指示を頂戴しました。

『枕草子』研究の古瀬雅義さんから悲しいお知らせを頂く。彼の恩師で広島大学名誉教授の稲賀敬二先生が胃癌のため十一日に逝去されたとのこと。享年73歳。一昨年、国文学研究資料館での『校異源氏』の成立に関する質疑応答や、昨年の中古文学会の懇親会でお話をしていただいたことなどを思い起こす。合掌。

04月13日(金曜日) 60000カウント  

明治大学に今季初登場。ライバル三誌の発行部数が3000部ずつと言う履修マニュアル本に、僕の「論文演習」を単位「楽勝」課目とレポートした輩がいるらしく(どいつや〜〜)、僕がAVルームに入った途端、みなさんなぜかのっけからうれしそうに微笑を湛えていました。。。僕も履修本を一冊買って見ましたが、ある同僚の先生は「30分遅れて始まり、30分くらいで終る」らしい。ホントかな〜。昨年度移動でストレスが溜まったので、2時間目は空き。情報実習室の予約や学生さんのアドレス発行についてあれこれと事務室を回り、教員室に戻ると、文学部の日向一雅先生も金曜日に出講のようで御挨拶する。すっかり晴上がった空の下、拡張工事最中の井の頭通り・表参道を抜けて青山学院。工事中のデコボコで、琴の絃が完全にブレてしまっていました(大泣)。必死に調絃して、全員初対面のみなさんにちょっとだけお聞かせする。特に四時限目は本日講義初日の一年生であったため、琴を持って入ったら、教室を間違えたと思った学生さんが何人もいたので、「国文『源氏物語』の授業ですよ」と告げたら安心した様子。真剣に聞き入ってくれました。ではまた来週。

04月14日(土曜日)  

先日なくなった稲賀敬二先生の『日本の作家/紫式部』(新典社.1982初版.1985改訂版)を再読する。僕の机の両脇は式部伝関係の本で埋まっています。

04月15日(日曜日)  

溜まった礼状・お祝い状数通を認める。オフラインの方にはもちろん手書きで。引き続き紫式部論。今日は今井源衛先生の『紫式部』(吉川弘文館.1966初版.1985改訂版)の再読。同じく同氏の「紫式部の父系」を収めた『紫林照径』(角川書店、1979)にも目を通す。博覧強記とはまさにこのような研究を言うのですね。

04月16日(月曜日) 

明治大学に月曜日初登場。「国語」2クラス、「論文演習」1クラス。「国語」はクラス揃って二日目と言うことで、僕のガイダンスの後、自己紹介をしてもらいました。みなさん、これからのキャンパスライフのかなりの部分を共に過ごす学友達に対して熱いまなざしを注いでいましたね。一人終る毎に自然と拍手が出たことで和やかな雰囲気に。この感じです。それにしても帰宅したら、なんと言っても喉が痛いこと。。。

04月17日(火曜日)  

夕方、國學院の研究会。本日は僕の本ページのバーナーを作ってくださっている沼尻さんの中古文学会のプレ発表。やや読み原稿が多すぎて制限時間オーバーながら、新知見も見られ、なかなか高水準。もう一月切ったけれども、微調整にはもってこいのタイミングだったと思います。

明治大学青山学院女子短期大学、年間計画を立て、それぞれの講義のページを立ち上げました。水曜日と月曜日の授業時間が三時間も違うのは調整(?)するしかないね。

04月18日(水曜日) 

明治大学に水曜日初登場。教員室では長谷川政春先生もおなじ出講日(商学部・「文章表現研究」)とのこと。『紀貫之』(有精堂)の著者である先生に紫式部伝の構想を話して知見を伺うことができました。「国語」2クラスを終え、今年すべての講義が一巡、本格的なスタートとなりました。

04月19日(木曜日)  

本日、研究関係には関与せず。さすがに仕事が一巡したら疲れました。春休みはもっと水泳でもして体力つけておけばよかったかな。

04月20日(金曜日)

明治大学「論文演習」。僕のページを開いて年間の予定を説明し、新聞記事の文章を開いて分析してみました。ちょっとした小手調べ程度、次回から実際に書いていただきます。移動して青山学院。多量の教材資料の印刷を助手さんにお願いしましたが、にこやかに対応していただきました。明治、青短ともに、先週のプレゼン講義を聞きつけて若干履修者が増えたような。。。まあ、いいことです。夕方は、さらに南下して、慶応大学で「『小右記』講読会」に三橋正、井野葉子先生に帯同して初登場。本日は、長和元(1012)年5月24日条〔大日本古記録本:第3冊p.26 l.15-p.28 l.4〕。もうすぐ紫式部と思しき「女房」も登場するくだりです。初対面の慶応の史学のみなさんの、明るいパワーに圧倒されました。

04月21日(土曜日)  

そぼ降る雨の中、物語研究会四月例会へ。昔、格闘した栗原圭介『中国古代楽論の研究』(大東文化大学東洋研究所)を発表レジュメの中に見つけ、あまりの難解さに何度も放擲しかかったことなどを回想していました。会場を見渡すと、僕は出席者の平均年齢を上げている世代ではないかと気付かされる。くわえて、帰りがけにはある有力私大の国文学科再編の話題を耳にし、これから先、僕らの世界はどうなって行くのだろうか、と言う深い感慨を覚えつつ帰宅しました。

04月22日(日曜日)

古代言語蔵開(くらびらき)の会の第一回。船出としてはまずまずではないでしょうか。このところ連続していろいろな会合に参加して見ましたが、改めて組織と言うものは構成メンバーで雰囲気ががっらと変わるものだと言うことを実感しました。この会は (((花まる))))ですね。それにしても気温の寒暖が激しい一日でした。

04月23日(月曜日)  

明治大学。「国語」は、横光利一の年譜を克明に読む。「論文演習」は情報実習室で「自分史」を書く。最新鋭の大型モニターでは、Web上の操作を、キーポードを使わずに、モニターを指でなぞっても操作でき、特製ペンは手書きでホームページに書き込むこともできると言う優れもの。アドレスとパスワードを各自入力し、パソコンを立ち上げ、僕のホームページの書式を「ワード」にコピーしてから、オリジナルの自分史を書くのです。帰宅すると、すでに書き終えた「自分史」がいくつか到着していました。弟や妹をかわいがった幼年時代を懐かしく回想できたようで、なによりでした。

アメリカのマイクロソフトコーポレーションから、僕の書いた日本語データを言語資料にしたいとの申し出があり、提携の契約書にサインするところまで来ました。英文の契約書の読解には研究以上の労力を費やしました。

04月24日(火曜日)  

第4火曜日は研究会のはしごとなります。『元輔集』の注釈は大学院時代からの継続で参加から15年、國學院の『うつほ』の研究会は11年目と言う事になります。前者は二首注釈進みました。中身は先行する注釈書にまして濃いものです。『うつほ物語』はここ数年諸本の異同を影印できちんと確認できるようになったため、精緻な読解の手続きを学ぼうと思う方にはいいでしょう。国文学の伝統的な注釈のスタイルを遵守しています。もちろん、前者も僕が入ったときは前田尊経閣文庫本の伝俊成筆本の複製や紙焼き写真、影印本などを用いて入念な校本作りのチェック段階からでした。

04月25日(水曜日)  

本日も明治大学。事前に講義開始後十五分以上の遅刻を認めないことにしたため、一名入室をお断りしたものの、あとから気になって仕方がありません。僕はお人良しなのでしょうか、厳しすぎるのか、雨も降っていたしなぁ、とかね。お昼は長谷川政春先生と御一緒に。楽しい時間があっという間に過ぎ行きました。

学校が始まった途端、あれほど絶好調だった原稿の筆がピタリと止まってしまいました。同じく同僚の国語学の先生から国文学研究資料館の「日本古典文学データベース」が三月いっぱいだったことを聞かされた僕は未練がましく立ち寄って見ました。でも新規で同様のサービスが得られる模様。しかし、以前登録したパスワードは一度も恩恵に浴することなく一切無効になっていました(泣)。。。そこで、論文目録データベースで自分の論文採録数をチェックして見ました。若干こぼれている自身にとっての重要論文もありますが、とりあえず31件がヒットしました。ちなみに、萩谷朴先生は198件、直近の論文は回顧録風のものが多いのは致し方ないと言うべきでしょうか。

04月26日(木曜日) Thanks 61000 Hits !!  

先に頂戴していた吉海直人さんよりの「『夜の寝覚』の乳母達」(「日本文学論究」60/2001.03)「『源氏物語』の移り香−夕顔巻を起点にして」(「同志社女子大学大学院文学研究科紀要」創刊号/2001.03)「小倉色紙の成立と流転」(「歴史読本」46-5/2001.05)、外山敦子さんよりの「<雑音 ノイズ>としての『声』−『源氏物語』の老女を中心に」(「愛知淑徳大学国語国文」24/2001.03)「『源氏物語』の年齢明示の方法−小野の妹尼を中心に」(「愛知淑徳大学論集」26/2001.03)を読む。でもお礼状は時間切れ。これは早急に近日書かせてただきます。

04月27日(金曜日)

明治大学「論文演習」はこのクラスも「自分史を書く」。情報実習室での操作も慣れてきました。「自分史」も楽しみな内容が多そうですね。ついで青山学院。前回は時間があまりとれなかったので琴を弾いてみました。絃を受けている軫(しん:琴の裏にあり調絃する部分)がすぐに緩んでしまうため、休み時間にかなり整えたつもりでしたが、「ふるさと」を弾き終わると、絶体音感の学生さんから「下から二番目(六絃)の音が半音低いです」とアドバイスを頂戴する。教室移動だけで半音下がっていたのでしょう。琴ではソが西洋音階のシに相当するようです。廊下で外人の先生がゆっくりとした口調で話しかけてくださいました。「Are You Okoto's Teacher?」

帰宅すると増尾伸一郎さんより、増尾・丸山宏編『アジアブックス028 道教の経典を読む』(大修館書店.2001.05.01/\1800)を頂戴していました。道教文化研究会の面々の著作。増尾さんの取り上げた「父母恩重経」は『源氏物語』の目蓮救母説話との関連もあり、さっそく知見が広がりました。萬謝。

04月28日(土曜日)  

連休中は借りられないので所沢市松井公民館で今月二度目、五月分の「古典に親しむ会」『源氏物語』「少女」巻。夕霧・雲居雁の物語。

『源氏物語別本集成/十二巻』(おうふう.2001.04.20/\28000)が届きました。本文編は年内完結でしょうか。創刊当時は画期的な事業だったこの集成、冊子で発刊される校本としては最後の大型企画ではないでしょうか。CD-ROMの利便性と比べ、あまりに落差が大きすぎるからです。索引編はCD-ROM化されることを切に希望します。


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