Last Up Date 2001.04.01          

日記を物語る 2001年03月INDEXホームに戻る              


03月29日(木曜日)  

沖縄国際大学の葛綿正一さんから、『枕草子・徒然草・浮世草子−言説の変容』(北溟社.2001.02.\2200)と「源氏物語若菜巻論−時間・倫理・他者」(「都大論究」36.1999.05)「栄花物語の方法、大鏡の方法−時間と空間」(「沖縄国際大学日本語日本文学研究」1999.02)「絵をめぐって−源氏物語の主題論的分析」(「沖縄国際大学日本語日本文学研究」2000.02)の抜き刷りを頂戴する。『枕草子』の本は「一種のサイエンス・フィクション」だそうです。「若菜論」は十年くらい前、恵那で行われた、ものけん大会の論文の改稿編。時は過ぎ行きゆけど、『源氏物語』論はあらたに書き継がれゆく、ということですね。ありがとうございます。

03月30日(金曜日)  

久方ぶりに言語学系の研究会に出席しました。日本語と韓国語の会話の疑問文の比較研究について。ここでは僕の研究分野を知らない方のほうが多く、僕も指導的立場の先生の質疑応答でようやく内容の輪郭が浮かんでくると言う状態。つまり、門前の小僧程度の位置にあります。とかく、自分の研究エリアに安住していると自分を相対化できなくなってしまう(別名・裸の王様・井の中の蛙・天狗とも)もの。つい二、三年前、僕に面と向かって「昔は嫌な奴だった」と事も無げに言ってくださったI氏には日々感謝しております(爆)。

最近、森晴彦さんや松浦あゆみさんの御協力で補綴を重ねる『松浦宮物語』のページを補強するべく、美小夜さんの「満月の雫」内「古典講読」のページにある『松浦宮物語』をリンクしました。テキストが入手困難な数年前、センター試験の対策や本番で『海人の刈藻』や『松浦宮物語』の魅力を知ったと言う世代。専攻は他分野の方なので、こうした愛好者の存在がうれしいですね。(センター試験の作品名を探して質問してくださいました。ただし『海人の刈藻』と判明したのは、僕にも手が負えず、専門の松浦さんに御教示を仰ぎました。その節はどうも。)

03月31日(土曜日)  

今季おそらく名残の雪となるであろう寒い一日。これに月が出ると雪月花ということになるのですが。26日にお会いしてお願いしていた林晃平さんの『浦島伝説の研究』(おうふう.2001.03.25/\12000)が届く。さっそく、『続浦島子伝記』のあたりの考証を勉強させていただく。室伏先生のために北海道から馳せ参じた、篤学の、そして心温かく信頼の出来る方です。古代から現代まですべての浦島伝説が網羅されています。「研究が本物であれば人間も本物、研究こそが我々の人格である」ことをこの本から学べます。また、後藤祥子先生より「中川の宿−『帚木』巻読解」(「国文目白」40.2001.02)を頂戴する。詳細な邸宅の考証で、丁寧に本文を読んでからでないとお礼状も書けません。なにはともあれ、まずはさっそく御礼申し上げます。


03月01日(木曜日)  

約一ケ月の館内整理を終えた青山学院図書館へ。『吏部王記』『長秋記』を五月まで延長して、荻美津夫『平安朝音楽制度史』などを新たに借りる。尊貴性の高いもっとも琴(きん)の琴が、なぜ一条朝以後の古記録に残されていないのかを考え直して見ようと思います。山田孝雄『源氏物語之音楽』(1934)あたりでは『源平盛衰記』までの文献を拾っていますが、どうも、平氏一統のコレクションを考えて見る必要がありそうですね。

五絃目の(ミ)の音を半音上げて(ファ)にしてから、『陽関三畳』の前半を釈譜しながら辿ります。唐代の詩人・王維が「渭城朝雨湿軽塵、客舎清清柳色新、効君更尽一杯酒、西出陽関無故人」と友愛と惜別を謳ったその詩境に、この曲の琴境はなんとマッチしていることでしょう。弥生朔日、雨の降る夜。。。。

03月02日(金曜日)  

『御遊抄』(続群書類従/十九輯上)『拾芥抄』(故実叢書)の「琴(きん)の琴」のテキストを総チェックしてデータベース化する。他にもやるべき仕事はありますが、「なぜ琴が王朝雅楽から消えたのか」を解明することにしばらく集中することにします。三日間でもう百枚近く書けたし。それにしても『源氏物語之音楽』(1934)は偉大な業績ですね。僕のデータベースはデータそのものの精度が向上していることは確かですが。。。いやぁ参りました。

03月03日(土曜日)  

所沢の松井公民館。テキストは『新編全集』の三巻目、「乙女」巻。光源氏の夕霧に対する教育観のところは来月もう一回お話することにしましょう。

夜は醍醐天皇の皇子・重明親王(斎宮女御徽子女王の父)の日記『吏部王記』の弾琴文献を総チェックするため、全編に目を通す。散逸して逸文集成のこの本、『源氏物語』の古注に引用されている本文は『河海抄』・『花鳥余情』それぞれに特色が極めて顕著です。また一条兼良の時代までは全編が流布していたものと思われます。用例採集の作業中、特に目を引いたのは、延長八年(930)十月十一日、醍醐上皇崩御葬送の際に埋葬された文物や宝物の豪華さ。光明皇后の『楽毅論』王義之の『蘭亭集序』などの書籍に加えて、和琴、筝、琴は、わざわざ楽所預らに平調(和琴のみ律調)に調絃させてから埋葬したと書いてあります。参考文献となる『古今著聞集』によれば、葬送された琴(きん)のことの名は「青眼」。竹林の七賢・阮籍が、友人との付き合いを「白眼青眼」で使い分けたという故事にちなむもので「青眼」は友愛の象徴ということになるわけです。

『源氏物語』のページの『源氏物語音楽用語事典』更新しました。新規項目は期待はずれかもしれませんが、あしからず。

03月04日(日曜日)  

井上眞弓さんから頂戴していた「『わたし』を語る物語−『狭衣物語』の情報発着と操作をめぐって」(「立教大学日本文学」85/2001.01)を丹念に拝読する。今僕が考えていた分析方法のいくつかが『狭衣物語』をテキストに行われているものであり、また自分の研究構想の一端を改良することが出来ました。萬謝。

幽琴窟主人さんに習って本日も『陽関三畳』の前半を釈譜する。この曲、左手を使わない開放絃(散音)の連弾の後に、左手の按音で決めるパターンが多い曲です。もちろん泛音(ハーモニックス)も効果的なフレーズとして用いられていることは言うまでもありませんが。

03月05日(月曜日)  

ふたたび青山学院図書館。春休みののんびりとしたキャンパスの雰囲気をこよなく愛する僕は自然と足が向きますね。「重明親王の音楽」なる論文の収められた新刊は四大・短大図書館に未収録だったのでこれは諦め、『雅楽事典』『日本音楽大事典』などをコピーする。『体源抄』『続教訓抄』(日本古典全集)、『歴代残闕日記』(宇多・醍醐・村上天皇宸記)などを借りる。あまりに大量だったため、係の方が袋まで貸してくださいました。整然と並べられた本を眺めていたら、この三月に締め切りの紫式部関係の論文のことも気にかかり、家のどこかにはあるだろうけれども、と思いつつもういちど重要文献をコピーする。もうひとつの締め切りの「うつほ」の漢籍解題もアウトラインが見えてきました。勉強よりドライブの方が本当はよい日だったのになぁ。

03月06日(火曜日)  

今月後半は日程的にきつくなることが予定されるためふたたび信州へ向かいました。上信越自動車道から、黄砂現象がはっきりと見て取れるほど関東平野は薄ぼんやりとしていました。案の定、高速を降りてから右目のコンタクトに異変が。。。側道の公園でひとやすみをして、再スタートしようとしたら、なんと右前輪が側溝にはまりこんでいました。ジャキやらを用いて悪戦苦闘するも、ちょっとした機転を効かせ、側溝に被せてあるはずの網を少しずらし、車輪が乗りやすい位置に石で固定しセットしてからエンジンをふかせたら、あっという間に事件は解決。悪戦苦闘中の僕を見かねたトラックのお兄さんがわざわざ後戻りしてくれたのですが、僕の解決法を見て「なるほど、頭いいねぇ〜。」とお褒めのことばまで頂戴し、感謝感激の30分は終りました。明日は、無理して車を持ち上げようとしたりしたので、おそらく筋肉痛でしょう。

03月07日(水曜日)  

小諸にある「あぐりの湯」。早春にはまだはやく冬枯れの鄙びた雰囲気が良いですね。「うつほ」の漢籍解題は「藤原の君」巻 の「秘色」を書く。河添さんの先行研究を凌ぐ新見はありません。あらかじめお断り。

03月08日(木曜日)  

信州の道路はすべり止めのスパイクタイヤ(使用禁止になっているはずですが)で車輪のあたりが削られ乾燥したの日は粉塵がひどい。帰宅したらいつもの倍も車が汚れていました。

溜まった郵便物の中に古筆学研究所の「風信雲書/弥生」の葉書と総集編がありました。なんと「風信雲書/弥生」は最終便。小松茂美所長が東京国立博物館退官後開設されたこの研究所そのものがこの三月で歴史を閉じるとのこと。小松さんから頂いた封書は表装して僕の部屋に飾ってあります。「こんなに若い時に萩谷先生に出会えてあなたはなんと幸せな人だ。」というお言葉も頂戴しました。追って病の癒えた所長から事情を記した書簡が来るようです。

03月09日(金曜日)  

物語研究会の例会通知が届きました。ちっとした言葉遣いで文面のイメージや場の雰囲気はがらっと変わるもの。通知の文面に気になるくだりがあり、委員会の出欠葉書とは別に会の運営に関する要望を出しました。

03月10日(土曜日) 58000カウント  

古筆学研究所から連名で手紙が届きました。運営が逼迫していた上に所長の大病が重なり「日に日に混迷衰退の一途」により閉鎖するとのこと。所長の後見役である某出版社の経営状態も関係しているのでしょう。ただし、センチュリーミュージアムは運営形態刷新して継続されるので、少し安心しました。

リンクフリーの会。得るものがたくさんありました。楽しい企画も持ちあがりました。話の中身は秘密。

03月11日(日曜日)  

午前中は余明先生のスタジオ。調絃の方法を確認し、メトロノームでリズムを確認しながら『陽関三畳』の数字譜(古楽譜の音階をドレミに移したもの)を歌う。

夜は東京成徳大学の演劇サークル「日替わりランチ」の卒業公演を新宿の小さな劇場まで観に行く。指令本部に見放された宇宙船のクルー達が苦難を経て、友情を築き上げる物語。作・演出ともに一昨年の「国語科教育法」の履修メンバーの作品ですが、完成度が高く、だんだん劇中世界に惹き込まれて行くのがわかりました。帰りがけ僕の顔を見つけてとても驚いてくれました。また公演があったら出かけたいと思います。御卒業おめでとう。また会いましょう。

03月12日(月曜日)   

雑用万般の数度の外出を除いて終日原稿書き。平日は原稿、土日は会合の日々が続きます。同業者から昼間電話がかかってくる季節とも言えますね。一昨年の火事の翌日、早朝から野次馬でごった返したときのこと。スーツ姿で出かけようとしたのを見かけた隣の奥さんに「お勤めしてたの?いつもいるからライターさんだと思っていたわ」と驚かれたのは、春休み・夏休み・冬休みの長期休みの昼間に大きな原稿袋を抱えてポストに何度も通う姿しか見ていなかったから(今は電子メールの添付ファィルなので運動不足ですな)。しかも夕方決まった時間にバックを下げてプールに行くのも奥さんの買い物の時間と重なっているし。しかし実際、僕が大貧民なのは、僕を知る人に隈なく知られること、言うまでもなく。

『陰陽師』が映画化されるのですね。八月公開のようです。主役の安倍晴明は野村萬斎。どんな超能力を見せてくれるのか、また僕にとっては源博雅(伊藤英明)がどんな楽の音を聞かせてくれるのかも楽しみです。 

03月13日(火曜日)  

『音楽用語事典』を書いていて、以前から気になっていた『うつほ物語』いぬ宮の秘琴「龍角風」と咳薬で著名な株式会社・龍角散との関係が知りたくなって調べて見ました。もともとこの薬は江戸半ばに「秋田・佐竹藩の家伝薬として伝えられてきた」もので、さらに江戸末期に秋田藩の番医だった「藤井正亭治が改良をくわえ、藩薬として処方・創製し、龍角散の名がつけられ」たとのこと。龍角は筝のことの絃を受ける部位のことで、琴のことなら、先頭部の部位を臨岳もしくは龍齶、また頭部側面を冠角ともいうので、これらから音韻が転化したり、音どうしが繋げられたりしたものと言う事になります。今でも湯島聖堂に明琴が伝わっていることからも知られるとおり、水戸光圀に遡源される水戸儒学と琴楽と医薬とは密接な関係にあったわけですから、この秘薬と絃楽器の名前の由来とは、無関係なはずはありません。

03月14日(水曜日)  

またまた青山学院へ。購買会で藤井貞和『平安物語叙述論』(東京大学出版会.2001.03.09)を値段も見ずに衝動買したのでお昼は学食で(ただし給料天引きにしたけど)。パソコンを持参したので、国宝関係の大型書籍の解題を中心に入力作業。世界最古の琴譜『碣石調幽蘭(一名・倚蘭)』の一部の釈文作成、厳島神社所蔵の重要文化財で、平重衡所用の琴「法花」の写真を探したりしました(池田亀鑑『全講枕草子』図録編に模造品の絵が収められています)。

03月15日(木曜日)  

本日も青山学院図書館へ。昨日時間切れになってしまった平重衡の琴「法花」は『国宝・重要文化財大全 工芸品 上』(毎日新聞社.1998.03)の421頁に発見しました。「めぐりあひて見しやそれとも……」。併載は法隆寺宝物館の黒漆琴。ともに表面のひび割れ=断紋が数百年の歳月を如実に示しています。この「法花」国産では最古の七絃琴ということになるのでしょう。

古典に親しむ会でお世話になっている柴田さんにお招き頂いていた、銀座メルサで開催中の高木東扇遺作展へ。尾上柴舟・日比野五鳳・杉岡華頓などの書家に師事し、永年日展で活躍した方です。柴田さんの甥にあたる息子の厚人さんも、先年、大阪教育大から非常勤を続けていた大東文化の書道学科に御栄転という書道ファミリー。黒のマオ・カラーのスーツがお似合いでした。父君は千葉を活動拠点に、高円宮夫妻の書の進講係を勤めたり、明治大学の教壇にも立たれていました。僕には『万葉集』や正岡子規の「貫く棒の如きもの」の創作が印象に残りました。会場には「かな」ということで女性が多かったですね。高木さんの前任者で、僕も「日本書道史」を御講義頂いた、東山一郎先生もお見えで、気軽に写真に収まっておられました。現皇太子の書の進講係を務めていらっしゃいます。板書を消すのがもったいないくらい美しく流麗な書で、初回の講義では、全員から「あぁ〜」と言う声があがったのを思い起こしつつ、有楽町西武の駐車場へと道を急ぎました。

03月16日(金曜日)  

終日机に向う。『うつほ物語 引用漢籍 解題と索引』を三人で分担して執筆し、来年の春に出版する予定。モデルは『新編全集・源氏物語』の付録、今井源衛先生の「引用漢籍詩歌仏典」で、我々のはその『うつほ』バージョンということなります。僕は「藤原の君」から「楼の上」まで、今まで注釈書や論文で指摘されたすべての漢籍について解説を書く役割。「吹上」巻には浦島系の異郷訪問譚による漢籍引用が連続して織り込まれていることを知り、あわてて三浦佑之『浦島太郎の文学史』(五柳書院)、渡辺秀夫『平安朝文学と漢文世界』(勉誠社)で漢文伝系浦島説話を復習しなおす。『うつほ物語』研究史上の大発見と思しき事実が輪郭を顕しつつあります。本日までにこちらは累計120枚。僕の担当だけで220〜250枚くらいになるでしょう。今月末に脱稿して相互チェックに入る予定です。夕方は水泳。サウナで先月の放送大学の学生さん(兼、成増で多角的に事業を展開するオーナー)と鉢合わせしたお蔭で、僕はすっかりみなさんに素性がバレバレ。。。。(苦笑)

03月17日(土曜日)  

久しぶりの立正大学で物語研究会。関西からも懐かしい顔が見え、フレッシュな新顔も見えて会の雰囲気も好転しつつある感じ。それにしても久しぶりの恒例・三谷言説分析は、細かく文脈を辿る事を余儀なくされます。『羅生門』の芥川の語りと物語の時間を生きる語り手とを、物語外語り手/物語内語り手と位置付けたところまでは消化できた気もしましたが、これを「意識の流れ」と連結させる論理展開は家で復習してみようかな、というくらいの難解さ。物語を単純化することと、物語を論理化することが方法的には僕と異なる価値観にある事はわかりました。いずれにせよ、はやく単行本化してほしいものです。

03月18日(日曜日)  

日中比較文学研究会。『懐風藻研究』の母体となる研究会です。辰己正明先生の講評や読みにはいつも蒙が啓かれる思いがするものです。僕は『源氏物語音楽事典』の粗末な草稿の一端など。むかし、もぐりで出かけた研究会で、かつての作家論的な論文を取り上げられた某教授が、「論文を書くことは恥を掻くことだと思い知りました」とうつむきがちに話されたことを思いおこしました。もちろん収穫は山ほどありました。持参した琴は「白雲」と命名されました。

03月19日(月曜日)  

終日机に向う。『うつほ』の分担執筆分に関してはおおよそ目処がつきました。ちらほら桜の蕾も膨らんできたような陽気ですね。

森晴彦氏の御教示で『松浦宮物語』の文献目録を更新しました。

03月20日(火曜日)  

『うつほ』には教訓的故事成語、例えば「塵も積もれば山となる。千里の道も一歩から」を踏まえた和歌が見うけられます。これは『白氏文集』の「続座右銘」の一節に見えることばで、あて宮の求婚者達が、まったく振り向いてもくれない彼女に思いを届けようとする時に使われる事が多い。何事も一所懸命が美しいわけだ。。。

03月21日(水曜日)  

両親が遊びに来たので大宮まで出迎える。長野新幹線の佐久平駅からなんと50分。僕の家から大宮への車の移動と同じ時間です。蒸気機関車時代(むかし、小海線《今は佐久高原鉄道とも言うらしい》にも走っていたが、1967年、小学校05年生の時に廃止になったのだ!!!!)は、所用時間が06時間だったとのこと。文明の進化は著しいものがありますね。早春の日和でなによりでした。東京駅まで見送りをして帰宅すると、「国立の二次試験の発表後に激増した入学予定者超過分のクラス増は僕に担当せよ」と言う旨の要請が主任教授と教務事務双方からありました。時間割担当の教務主任は夜遅くでしたけれども、学年末にまさかの緊急非常事態、やはり僕の連絡を待ってまだ勤務しておいででした。しかも既に教室がほとんど埋まっており、どの日も01時限か05時限しか僕の展開するバーチャル講義はできないとのこと。時間によって講義内容が違うのもせっかく入学してくる新入生にかわいそうだし、最悪四日勤務を覚悟しましたが、なんとか三日出講で時間割は収まりました。朝いち四日は僕にも学生さんたちにも心臓によくないでしょうから。まっとうな社会人(9:00〜17:00勤務など)の読者の方、ほとんどいないかもしれませんが、こんな僕の我侭、あいすみませんね〜。

『和漢比較文学』26号の1999年度の文献目録から『うつほ物語』の文献目録の遺漏を拾い、『源氏物語音楽用語事典』を少しだけ更新しました。

03月22日(木曜日)  

朝、目覚めると花粉症になっていました。一気に気力が失せ、原稿は三枚程度書いただけで終りました。不機嫌なのでしばらく電話はなさらなくていいです(もちろん冗談)。某先生から御連絡を頂戴して、昨年来から親しい人に声をかけている『古典文学作中人物辞典(仮称)』の執筆者は全員僕が手配することに。。。来年は、『うつほ』、『源氏』二冊にこの辞典の計四冊、必ず出版させなくちゃ。僕の依頼した原稿だけは、締めきり遅延の「言訳無用」に願います。

箱根駅伝フリークの母校ネタ、懐かしかりき。一昨年、学会で降り立った教養課程のある東武東上駅・高坂駅は、僕の愛した「超ど田舎」に、それなりに近代化の波が押し寄せていてちょっと悲しかったですね。学校案内にも満足に目を通しておらず、東京の大学に入ったつもりでいたのに、教養課程は埼玉だと知ったのは、入学手続き完了後。そしてあの駅に降り立った時(1982年)の衝撃。19年経った今までも鮮明なる記憶が残っており,,,,。そして、始めて臨んだ金曜日二時限目は、やたら元気なおじいちゃんで、ちと大言壮語癖もある(その時は仰っていることが全部ほんとうだとは思えなかった)先生の「国文学講読01」『土佐日記』。「僕は今64歳(1917年生)、この学校の停年は73歳ですから、あと九年全力で頑張ります」「僕の兄弟の名前は『論語』の「剛毅朴訥」にちなみますが、僕は末っ子なので「訥」君はいません」あまりにインパクトが強い先生だったので、春と高坂が連想されると必ず思い出してしまいます。ちなみにテキストは私家版の「青谿書屋本土左日記」なる校訂本文のみのノート用と『日本古典全書 新訂 土佐日記』(朝日新聞社、初版1950.新訂1969,五刷1981)でした。特に『全書』の刊行時を電卓で計算したら33歳の時の仕事と知り(戦争復員後のお話はいくつかの著書で知ることが出来ます)、驚いたものです。そして今、この日記を綴っている僕の机上には、博士課程合格記念(1990年春)に頂いた「忘己利他」(最澄の言)の書が飾ってあります。

来週、26日に予定している「室伏信助先生を囲む会」のために、先生御自身が参会者にプレゼントする角川文庫ソフィアの『新版 竹取物語』(角川書店/2001.03.25)が届きました。編集担当の高橋さんによれば、島津忠夫先生御自身の改訂版である『新版百人一首』を除けば、1985年の伊藤博『新版 万葉集』以来の画期的な《できごと》。僕は卒業論文・修士論文ともに『竹取物語』の本文研究《特に故新井信之旧蔵本》で、室伏先生との御縁も前著の創英社版の注釈を拝読して抜刷をお送りした事が御縁でした。僕も本文は暗記しており、気になっている箇所を繰るとことごとく新見が盛り込まれ、研究会における先生の御発言は、この注釈の識見を支盤としていることが知られます。今後の角川文庫ソフィアの展開に期待しましょう。

注;《故新井信之旧蔵本》『竹取物語』は、現在、新井氏の実妹で、故中田剛直氏夫人・中田光子氏の所蔵となっています。新井氏は池田龜鑑博士の学位論文『古典の批判的処置に関する研究』(岩波書店.1941)における三人の協力者のひとり(序に松村誠一・萩谷朴と並んで見える)で、戦中に胸疾で早世されました。僕が《故新井信之旧蔵本》の調査をお願いしたら「兄が大切にしていた本ですから」と毅然とした態度で仰ったことを思い出します。そういえば、中田先生のいらした上智大学には萩谷先生も大学院に出講なさっていらしたそうです。それにしても、中田先生の『校本狭衣物語』(おうふう)の中絶は残念。しかし、ニューメディア時代の今なら、僕にできる仕事もあるかもしれません。本日これまで。


03月23日(金曜日)  

またまた青山の図書館へ。『宝物集』『三宝絵詞』関連の説話を調査しました。本日、東京は桜の開花宣言がありました。ミールも無事に落下したようですね。

吉海直人さんの四つの悉皆研究のひとつ『百人一首の新研究−定家の再解釈論』和泉書院を頂戴しました。返礼が追いつかないのは申すまでもなし。萬謝。

03月24日(土曜日)  

久しぶりに白百合で『浜松中納言物語』注釈の会。明日、池田利夫校注の『新編全集』が刊行されるため、次回はそれぞれ原稿を見なおして最新の成果を盛り込んだものを持ち寄る事になりました。夕方は、七月末で閉館が決まったカンダパンセで日本文学協会委員会。ご苦労様でした。

03月25日(日曜日)  

終日断続的に机に向い、明日、打ち合わせ予定の『うつほ』の分担執筆分(「藤原の君」〜「楼上」下巻)に注解を付す作業を一応完了させる。しばし著しい脱力感に苛まれました。

松浦あゆみ氏の御教示で『松浦宮物語』の文献目録をまたまた更新しました。ありがとうございます。

03月26日(月曜日)  

室伏信助先生が東京女子大学を退職されるにあたり、本日は研究会のOBのみなさんを招いて囲む会をしました。先生が持参した古いレジュメは手書きで、昭和53(1978)年頃のもの。足掛け23年、まだまだ続きます。

03月27日(火曜日)  

『元輔集』注釈一首。この歌集、諸本によって歌の配列が違います。『冷泉亭時雨亭文庫』の影印本で当該歌を探すのに一苦労してしまいました。

03月28日(水曜日) 59000カウント  

昨年、惜しまれつつ?解散した「古代言説研究会」の旧メンバーで新しい会を立ち上げることにしました。テーマは「九世紀を拓く−せめぎあう言語状況」。会の名称は「古代言語蔵開(くらびらき)の会」と決定。いくつか続けてきた研究会活動も再編してゆくつもりです。

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