Last Up Date 2001.03.01          

日記を物語る 2001年02月INDEXホームに戻る


02月26日(月曜日)   

溜まった手書きの礼状数通を認める。そんな折、昨年末以降、僕もおおいに火の粉を浴びてしまった、信じがたい労使紛争が全面解決したとの報告を頂戴しました。経営者サイドのまったくの主観による紛争だったため、裁判で勝てないと判断。二月中の決着となったようです。職場の雰囲気があまりにも殺伐としていたため、仕事本番より休憩時間のほうが気疲れしてしまったものでした。これからの大学経営はますます厳しく、こうしたケースは頻繁に起こることも予想されますね。人文科学研究者、とくに国文学研究者は、ますます連帯を深めていかないといけません。昨日もクリステイワさんは、ブルガリアの日本文学研究者という、境界からの視点で、国文学の現状と将来を厳しく批判していらっしゃいました。個人プレーの研究だけではだめなんですよね。

入江侍従長最晩年の日記(『入江相政日記/12巻』(朝日新聞社.1995))を読み返す。昭和の三筆と謳われた文人らしく、やはりまめに礼状を認めていたようですね。青山杉雨先生(当時、大東文化大学教授・芸術院会員)、小松茂美さんなど書や国史・国文関係者との交遊は大切にしていたようですし、遠祖にあたる『冷泉家時雨亭叢書』の編集委員の人選にも深く関与していた事がわかります。僕は、母校でお世話になった美術史の故・鍋島直泰先生が、学習院幼稚舎から入江さんと同級で、院長の乃木大将からふたりで頭を撫でてもらった話をうれしそうに自慢なさっていた温顔など、今でもはっきり覚えています(昭和58年<1983>04月12日にクラス会の記録があります)。ハープシコードの第一人者で、桐朋音大の教授だったお嬢さんも先年他界されました。時は流れたのですね。そう言えば、この日記とリアルタイム(昭和60年<1985>前後)で、僕が学部の学生だった頃、先生と旅をして、奥様が女子学習院時代の教え子、門跡とも大学の史学科の同窓という御縁から、青蓮院をお尋ねして、東伏見慈ai香淳皇后の弟宮)京都仏教会会長にお会いしたこともありました。門跡から日本最古の書写にかかる『往生要集』を手渡されて、「勉強なさいますか?」と声をかけていただきました。宮中某重大事件とよばれた、門跡の眼疾の話も話題になっていたのは、あとから勉強し直して、腰を抜かすほど驚きました。その時いっしょに旅した、高城弘一(竹苞)君も國學院に落ちつき、『古筆研究』(思文閣)を創刊するなど、すっかり若き巨匠になっています(ちと褒めすぎか)。僕は方外の士となって琴など弾いて暮らしましょうか。

そんなことが頭を過ぎるわけではないけれども、「陽関三畳」を中心に、「流水」「広陵散」の譜と楽曲を暗記するため、くりかえし聴く。僕の愛車に乗る人は、しばらく流暢なこの調べにお付き合いいただくかもしれませんので、あらかじめお断りしておきます。

 注、ちなみにこの旅は、奈良・帯解(おびどけ)の円照寺 < 三島由紀夫『豊饒の海』四部作・月修寺のモデルの門跡尼院。主人公達の運命のみならず、三島自身の人生も「しんとしてゐる」真夏の庭を描いて「完/昭和45年11月25日」と擱筆されたのはあまりにも有名。『物語その転生と再生−新物語研究02』有精堂.1993 のカバー写真「円照寺」はこの時の撮影にかかる。ただし、一般の参観はもちろん出来ません。別称・山村御殿。現在の門跡は華道・山村御流の家元でもある >、ついで、大三輪神社 で大宮司に面会し茶菓のもてなしを受けました。<大宮司は靖国神社大宮司から転じた直後で勉強中だとおっしゃっていました>。この神社も『豊饒の海/第二巻/奔馬』が、この神社境内で行われた剣道の奉納試合の場面から始まることもあり<必ず聴かれるが、こうした行事はなく小説上の創作だとのこと>、三島さんを偲びつつ、彼と同じコースを案内してくださいました。最後に、この神社から始まる万葉・山辺道を歩いてこの日の行程を終えたのですが、この旅だけでいまだに一生分のVIPに逢ったしまった気がしています。宿は宇治の万福寺。朝夕の御粥と沢庵だけの日々は辛かった。。。

02月27日(火曜日)  

元輔の注釈二首。太政大臣・小野宮実頼邸の花の宴の「隔浪見花」の題詠歌の解釈に時間を費やし、研究の面白さを堪能する。しかし、僕に与えられた人生で、和歌研究に費やす時間があるのかどうか。まだ駆け出しではありながら、王朝物語だけでも研究し果せるかどうか、それほど僕自身の秘めたる課題は山積しているということになります。

02月28日(水曜日)  

思い立ったが吉日、『源氏物語音楽用語事典』をアップしました。興に乗って終日書つぎ、新規項目、増補を加えて、のべ四百字詰め42枚も書いた Version02 を作りましたが、あまりにも新見を盛り込みすぎて自分自身もったいなくなったので、このバージョンの公開は活字メディアに掲載後とさせていただきます。一部は、来月18日の13時から東武練馬の大東文化会館で行われる日中比較文学研究会でお話させていただきますので是非と言うかたはこちらへどうぞ。また、古琴に関しては、幽琴窟主人氏編の東洋琴学研究所・琴学入門が至便です。御覧下さい。


02月01日(木曜日)  

あの、箱根駅伝から一ト月。箱根駅伝、最も好きな大学は?の第一位は97票、24.4%で、我が母校が一位でした。なぜなんでしょう? 現在、採点真っ最中の定期試験も二つ選んで答えなければならないのに、一つしか答えない人あり。なぜなんでしょう?。

02月02日(金曜日)  

昨日全学科の入学試験、本日、芸術学科の二次試験が行われている青短に成績を提出しに行きました。昼に重なったので学食に立ち寄るとなんとも言えないのんびりムード。就職セミナーとかがあるのでしょうか。いつ寄っても営業している学食、立派です。帰宅すると、25日に彩の国さいたま劇場で行われる、「『源氏物語』とその音楽」のコーデネーターの三田村さんより、「青波海」の貴重な資料を頂戴していました。『源氏物語必携辞典』(角川書店)、『日本国語大辞典 第二版』(小学館)『中世王朝物語辞典』(勉誠出版)などでこの舞について解説している僕ですが、実際にはその一部を、吉祥寺で跡見学園主宰の雅楽の公演に見たのみ。目を凝らして勉強したいと思います。

何気なく立ち寄った、長野県知事の交際費執行状況の公開は画期的です。情報の公開はかくあるべきだという信念が感じられます。県職員関係の方への弔意の生花と何かと話題の名刺の印刷代が目立つ程度ですが。

02月03日(土曜日)  

まず、所沢の松井公民館で古典に親しむ会。「朝顔」巻を読み終えて、『全集』本の二巻目を五年かかって読了する。移動して、茗荷谷の教育の森=旧東京教育大学跡地の放送大学第二学習センターで「平安朝文学の世界」。講義課目の名称が変わったこともあってか、二度目の履修者の方が何人かいらっしゃいます。福岡学習センターからの学生さんも出席なさっており、緊張ひとしおです。

02月04日(日曜日)  

立春。「袖ひぢてむすびし水の凍れるを春立つ今日の風やとくらむ」。放送大学第二学習センターで「平安朝文学の世界」の二、三時間目。昨日、原武史の『大正天皇』を枕に後宮制度の話をしたところ、本日の「朝日新聞・読書欄」に久世光彦の書評が出ており、それに対する鋭い質問を頂戴する。また、現代語訳に関して船橋聖一訳の評価に関してなども。講義を 3/5 終えた時点でまだ須磨・明石あたり、今度の土曜日はより計算して進めないと。時間との戦いになりそうです。

02月05日(月曜日)  

箱根駅伝、最も好きな大学は?の第一位は我が母校がさらに得票を伸ばして、188票、得票率 24.9%になっていました。そんなに駅伝が有名なのか。。。

リンク集02に相互リンクを追加しました。オンライン文芸投稿季刊誌『バウムクーヘン』「揺天堂」。『バウムクーヘン』は、シニア世代の投稿作品掲載をメインとしたウェブマガジンで、「情報リンク」というページを設け、「シニア」「文芸」「パソコン」の3分野の リンク集があります。

02月06日(火曜日)  

今年はいくつか本や辞典を編集する仕事があり、特に緊急にリストアップをしなければならない古典文学辞典の執筆者の人選を思案中。仕事が確かで任せて安心な人にはすでに声をかけ始めていますが、一度お願いして期待した原稿(内容・記述の精度、締め切り等々)を下さらなかった方、特に友人系(オイオイ、頼むぜ m(!8!)m )をどう配置するのか、頭の痛いところです。僕が一番嫌いなのは出版権威主義。使いやすく痒いところにまで目配りの聞いた本であれば、名の通った研究者を揃える必要はありません。権威主義的な本に限って、大家を並べたがります。そういう先生に限って締め切りなど一切お構いなく、督促もしずらい。ましてや、手を入れたりダメ出しなど出来るわけがありません。そんなわけで、そういう方とは研究仲間としてのお付き合いは大切にしたいけれども、本当に真価が問われるような出版関係の編纂物でのジョイントは、避けるのが無難だというのが、僕の仕事を受ける際の原則となったわけです。なぜなら、大学院の演習の注釈作業で、萩谷先生がしばしば口になさいました。「このことばについては、この辞典が一番いいね。編者は誰かね?」

辞書といえば、僕はすぐに故・中村義雄先生を思い浮かべます。《絵巻物の詞書》が専門ですが、有職故実の挿絵にも長けた方で、小学館の旧版の全集本『源氏物語』や『日本国語大辞典』、今も通行する『古語大辞典』、岩波の『広辞苑 第三版』など、みなさんおなじみの挿絵は先生の手になるものです。池田亀鑑門下の俊英として、また東京高等師範、東京帝国大学大学院、と恩師と同じルートで苦学された先生は、僕も関係している、東京成徳短期大学の創設メンバーでもありました。池田門下生としての仕事も、『源氏物語大成 図録篇』(中央公論社.1956)『全講 枕草子(注釈は、故・森本元子先生担当)図録編』(至文堂.1957)など忘れがたいものばかりです。大正15年生まれ、戦前のインテリの宿痾ともいうべき結核の後遺症と戦いながらの最晩年に教えを受けた僕は、先生の学問への毅然たる態度を忘れる事が出来ません。当時、岩波新大系の『古本説話集』を注釈なさっていた先生、大学院の演習「信貴山縁起絵巻の詞書研究」でやはり難語に出会って、我々が辞書を引き比べると、「その辞典は使い物にならない」「なんでこんなことを書いたのか、今度○○(現在では泰斗と呼ばれる先生)にあったら聞いておきましょう」などと自信を持って断言なさっていたことを、つい昨日のように思い出すことができます。今、ほとんど現役を退いた、僕にとっての戦中派研究者の代表格の中村先生、もちろん定刻に講義が始まったのは言うまでもありません。当然、締め切りにも厳密でした。今でも折にふれて著書を紐解く、僕の古典文学研究の温床ともいうべき先生のおひとりです。今から14年前、大学院合格の際に頂いた葉書の流麗な変体仮名は、すぐに読めなかった不肖の僕ですが、今の僕を泉下の先生はどのように思っておいでなのでしょうか。。。。

中村義雄・略歴:1925年(群馬県生)〜1993年没。東京高等師範学校を経て、東京帝国大学大学院修了。成徳短期大学(現・東京成徳短期大学)(1965年〜1966年)、二松学舎大学(1967年)を経て、大東文化大学教授(1968年〜1988年)。文学博士(筑波大学.1985年2月)。

主要著作目録:『王朝の風俗と文学』(塙書房.1962)『魔よけとまじない−古典文学の周辺』(塙書房.1978)『絵巻物詞書の研究』(角川書店.1982)、「現在最も古い本文を伝える、『隆能源氏物語絵巻』「柏木」詞書本文が、別本・国冬本本文に近似することなど、院政期の物語本文伝流史の実態を解明する先駆となった。注,上原」・1983年度角川源義賞受賞、『新日本古典文学大系 宇治拾遺物語・古本説話集』(岩波書店.1990、病床にあって小内和明氏と共著となる)。同僚の萩谷朴先生の一連の注釈書の挿絵も担当。終生、古典文学の啓蒙と普及に寄与した。

02月07日(水曜日)  

寒い一日。仕事は、青短のシラバスの校正をした程度です。来年度、古典演習は同僚の井野先生が担当されるため、講義を連続して担当します。一年生には、前期が「霧と薫りの物語−『源氏物語』宇治十帖論T」、後期が「文{ふみ}と法{のり}の物語−『源氏物語』宇治十帖論U」、二年生には「君が契りの琴−『源氏物語』の音楽」を通年で。土曜日の放送大の宇治十帖の授業にも使ってみたいこともあり、池袋パルコで、薫香を燻らせるための、金の地に紅梅の意匠を凝らした「蛤香立て」を購入しました。お香は、もちろん伽羅=沈香。購入の際、やたらと手間がかかったのは、店員さんがこれらを女性へのプレゼントだと思い込んだため。丁寧に包装してくれたのはいいけれども。。。今日では、これが女性限定の文化なのだと実感させられたわけです。池田亀鑑は、自分の研究を「少女趣味」と揶揄されるのを、極端に嫌っていたというエピソードを思い起こしました。

アマゾン・コムで自著を検索して見ました。『光源氏物語の思想史的変貌−<琴>のゆくへ』。出版元は解散してしまいましたが、この本により名のみ残すことは出来ているようです。

02月08日(木曜日) 56000 カウント  

放送大学をのぞいて成績はすべてつけ終わりました。しかし、相変わらず速達のレポートが届いたりします。ズレてんなぁ〜〜。今年も頭を悩ませたのは、多留生(多年度留年生)の扱い。親しくして頂いている教務の方とも打ち合わせたりもすることがごく稀にあります。大学というのは、高校と違って、自分が規準を立てなければならないのが難しい。甘すぎても辛すぎてもいけませんからね。

02月09日(金曜日)  

受験シーズン真っ盛り。ということはスキーシーズンでもあるということ。僕は大学院受験、修士論文なとがあって、ついぞみんなでスキーツアーなんてものとは縁のない青春でした。そんな昔、二月の入試期間中の休みを利用して、大阪京都を往復したものです。この時期の新幹線はちょうど受験生の大移動と遭遇できたりもします。なんとなく垢抜けていない、ぼさぼさ頭がいいんですよね。春のあたたかな嵯峨野や、雨の、ほとんど誰もいない法隆寺の、百済観音像の前にながいこと佇んでいた記憶が甦ってきます。

02月10日(土曜日)  

放送大学第二学習センターの「平安朝文学の世界」最終日。「紫式部と『源氏物語』」と「『源氏物語』の女性たち」。もちろん、先日準備した、お香も琴もすべて披露できました。教員控え室が超満員で調絃が出来なかったのですが、教室でなんとか整えられました。出来は70点くらいでしたかね。「夢浮橋」までなんとかたどりついた感じ。早速レポートが提出される。なかに、鋭い質問を頂戴していた方のものを開くと、「『聴講不可』の決定につき、盗み聞きを致しました」から始まる僕の講義の講評が綴られた長文のレポートがありました。この方、名前は記して頂けなかったものの、「近郊の公立大学の医学部教授」でいらっしゃり(参考文献のコピーの蔵書印から、Y市立大学と知られましたが)、僕のテキストの作文の癖を、大野晋、鈴木日出男、三田村雅子さんたちの、文庫本、放送大学教材、新書のなど名文家の誉れ高き大家と僕の作文の文体とを比較検討しつつ徹底検証された労作で、ただただ勉強になりました m(!|!)m。また、最後の浮舟物語の学習から彼女の症状を「逆行性健忘症」であると診断されていたり、光源氏を「エディプス・コンプレックス」と説明したのは誤りで、「『アジャセ・コンプレックス』にあらずや」との指摘もありました。この用語は、手許の小さな辞書には見当たらぬ学術用語なので、後日勉強して御報告します。公開の許可を頂いたレポートは、来週中にアップしますのでお楽しみに。

02月11日(日曜日)  

2000年度の講義はすべて終了。再試験等は残っていますが、頭はすっかり春休みモード。先週末には、某出版社で親しい営業さんから、出版物を教科書に使ってもらえないかと念押しの打診もあったりしましたが。今年は1500円以上のテキストは、もはや採用してもらえないとのこと。厳しさがひしひしと伝わってきますね。

02月12日(月曜日)  

文京シビック小ホールへ、余明先生のCD発売を記念して、先生自身のプロデュースによる「中国古典楽器が奏でる宮沢賢治の世界」を聴きに行きました。会場はほぼ満員。総勢10名のアンサンブル、余明先生も琵琶を自在に演奏なさっていました。特に1995年に北京国際民族楽器コンクールで優秀演奏賞に耀いた「荒城の月」は圧巻でした。もちろん、宮沢賢治の世界も古筝(21絃)や二胡の響きがいいですね。アンコールは沖縄民謡の「花」。陳腐な形容では表現できない哀切なメロディーです。

先日の、「アジャセ・コンプレックス」は、読者の方から、小此木啓吾『 日本人の阿闍世(あじゃせ)コンプレックス』(中公文庫)を読みなさいと御教示を頂戴しました。ありがとうございました。これを『源氏物語』に絡めて論じた論文、僕は見たことがありませんが。。。もし存在するなら御教示賜りたし。(自分で、安川洋子「阿闍世王説話と薫の造型−正編から続編へ」(季刊iichiko.No23.1992.Spring)があるのを見つけました。02月21日)

02月13日(火曜日)  

とりあえず、放送大学の成績処理を残すのみ、春休みとなったため信州の実家に帰りました。上信越自動車道の下仁田インターで降りて、本郷あたりでは春日通り、板橋あたりでは川越街道とも呼ばれる国道254号線を西へと向います。途上、日航ジャンボ機墜落で有名な上野村を横目に、内山峠のトンネルを抜けると、そこは真っ白な雪国の世界でした。予想よりもさらに寒く、明日の温泉はやめておこうかと思われるほどでした。本日、これにて。

02月14日(水曜日)  

午後、車を出そうとしたらウィンドー・ワォッシャーが凍結していましたが、それにもめげず隣の浅科村立穂の香の湯へ。露天は寒かったけれども、秩父連山をバックにした一面の雪景色の中を走る車がおもちゃに見えるような、そんな絶景でした。

02月15日(木曜日)  

放送大学の掲載許可を頂戴したレポートの編集をしました。今回はもっとも充実したものになるでしょう。

02月16日(金曜日)  

某大学の多留生(多年度留年生)から突然の電話がかかってきました。僕ともうひとりの先生から再受験の許可が出れば卒業できそうなので、担任の先生に頼んで見ろと言われたというのです。僕に出席回数とテストの回答内容を即答されて明らかに動揺していましたが。。。。どう対処したかは秘密にしておきましょう。

02月17日(土曜日)  

新大久保の韓国料理屋「スンデ家」で宴会。同じ海鮮鍋の赤さが明らかに違ったので、日本人客と韓国の人達の調味に偏差をつけていることを知りました。お店の応対もどんどん向上してきた感じです。

02月18日(日曜日)  

日本古典文学関係の学術論文の特徴は、後注を一覧するだけで、その論者の研究動向の把握実態がわかってしまいます。つまり、論文タイトル、後注だけで、何を書いてあるのかだいたいの見当がつくというわけです。論文を書き始めた初歩の段階では、対象のテキストしか引用文がないものもありますが、こうした傾向の論文を、僕は梗概語り換え型と呼んでいます。本来の学術論文の望ましいあり方は、前人未到の新しい文献を発掘し、テキストの世界を復原しつつ、以って新しい方法で、世界解釈を提示して見せること事が基本のはずです。しかしながら、平安時代の文献の新発見がままならぬ今となっては、流行追っかけ型に走るか、テキストの読みに戻って来られない、旧来の作品周辺論に回帰するかしかないかのような二者択一を迫られているように思えてしまいますね。とは言っても、前者の論文には新しい読みはまず期待できず、理論的な新しさだけがウリの、現代語訳あてはめ型の論文にとどまることも多い。また、後者は実態復原学というべきもので、これを文学論としては本質的に認めがたいものであるとも言えます。かといって解釈論文もまた、文学論としては前段階の作業ということになるでしょう。。。。では研究の不易流行とは何なのか、刺激の乏しいこの頃、真剣にこんな事を考えています。ひさしぶりに自著を読み返し始めました。面映いところが目立ちますが、古いものはちょうど10年前、20代後半の執筆にかかります。僕の研究姿勢=文献実証志向、それだけは不変のようです。

02月19日(月曜日)  

今年一番の陽気で、四月中旬の暖かさ。なんだか花のつぼみが一気に膨らんできた感じですね。僕の頭も冬眠状態から脱皮させないといけません。少しずつ家の中を整理して新しい季節のための準備を始めましょう。

02月20日(火曜日)  

母校の学内書店に注文してあった古典講座のテキストを受け取りに行く。店主のまさるさんはここの附属出身(学生服姿を見かけた事がある)。父君の急逝でこの店にデビューしたのでした。以来、駐車場を貸してもらったり、人手の足りない時に送り先を間違えた大先生(当時、文学部長)の自宅に研究費関係の本を届けたりという仲になりました。学年末で関係者しかいない店内で、店で久しぶりに顔を見かけた先輩達の話題などで盛り上がる。そんな彼もお母様と同居のパサライト・シングル。親子仲良く、二百人を超える専任の研究図書費と教科書販売で安定経営何によりです。そんなまさるくん、僕の帰り際に、「そう言えば、最近、××××が営業に来ないよ。この系統の出版社は、取次ぎからの返本も手許にお金がなくて引き取れない所も出てきたみたいだよ」。。。。ちなみに1995年当時、僕の本の書店からの返本率はほぼ合格点だったと営業部長に聞かされたっけ。最近の本の返本率は加速度がついたように急上昇しているようです。

02月21日(水曜日)  

古筆学研究所の『水莖』が届きました。静嘉堂文庫長・米山寅太郎氏の「恩師、詩と書と辞典と」、戦中戦後の大東文化学院総長で芸術院会員だった、土屋泰雨についての、進藤虚籟「杜甫、李白だけが漢詩ではない−日本人の漢詩について 土屋泰雨素描」が面白かった。ひとむかし前の漢学者は詩も書も抜群でした。前者には止軒・諸橋轍次の漢詩が縦横に引用されています。僕も論文化したことがある『蒙求』の「伯牙絶絃」などの故事を踏まえたと思しき「白雪由来和雖難、高山流水豈無恋(白雪由来和し難しといへども、高山流水豈に恋うる無からむ)」の一節は、琴曲、白雪曲(貫之の歌や『狭衣物語』に「秋のしらべ」として見える曲)がいかに奏法が難しいものであっても、弾く人の心が澄んでいれば美しく響き、師友の心に通ずるものがあれば、語らずとも意を伝えられるという詩意です。恩師と子弟とが縦横に学問を語り合う喜びを詠むのは日本的な徒弟制度というより大陸的な発想といえるでしょう。諸橋博士の書と言えば、みなさんもお世話になっている、旧版の『日本国語大辞典』(小学館)の揮毫で、その字はおなじみですね。米山氏の文章の最後に出てきた、『大漢和辞典』(大修館書店)についてのエピソードは、ほぼ完成期に校閲を託されたのが東京文理大関係者で、親字の選定、用例の収集などの基礎作業は、大東文化学院の卒業生の仕事だったことは案外知られていません。僕もその作業に関わった先生方の謦咳に接することが出来た最後の世代ですが、例えば、故・原田種成(はらだ・たねしげ)先生の広範な学識と記憶力にはただ驚いた事でした。『白氏文集詩歌索引』(同朋舎)の今井清先生には、那波本『白氏文集』「新楽府」を習いました(この話をすると和漢比較文学研究をしている人は『えぇぇぇ。。。』と驚いてくださるのがちょっとした僕の自慢)。『大漢和』の初期段階の関係者が、すべて泉下の今、この文章は貴重な歴史の証言となっているといえるでしょう。

後藤祥子・大軒史子 両先生の連名で『源氏物語の鑑賞と基礎知識N柏木』(至文堂、2001.03.10)を頂戴しました。萬謝。今年の青短の演習は柏木の輪読でしたから、注釈により見解に相違がある箇所などには懇切な語釈がついており、規模としては玉上『評釈』と並び、しかも最新の成果が盛り込まれていると言って良いでしょう。自由発表のネタ探しに困った人はもうちょっと早く出ていたら飛びついた本かもしれませんね。玄人の読者を唸らせるプロフェッショナルの注釈でありながら、『源氏』初心者にも丁寧でわかりやすく、きっと親しめる本となるでしょう。御一読を。

02月22日(木曜日) 57000 カウント  

明治大学で新年度の教科書会議。指導のあれこれを報告し、情報交換をしました。徳田武、林雅彦先生にさまざまなお話を聞かせていただく。徳田先生は勤続28年になるそうです。懇親会では法学部長から、例の革労協問題の中間報告と、法科大学院構想が始動する旨のお話がありました。三次会はドイツ語の先生たちと御一緒に。例によって酩酊し、自転車を置いたまま帰ってしまいました。以上。

02月23日(金曜日)  

普段は季節の花が咲いてもあまり気がつかない僕ですが、梅の花は時間があって気持ちに余裕があるからか、心が和みますね。武蔵野の大地全体が生命の息吹で膨らんでいるきたような感じです。

02月24日(土曜日)   

角川文庫で『源氏物語』の「若菜」下巻を読んでいたら琴の奏法、用語の施注は見当はずれのものばかりだということに気付きました。一度論文化して交通整理したほうが良いかもしれません。でも、広範に流布している雑誌に書かないと通説(文学研究の場合、文献学的な裏づけがなければ、決して定説と言ってはならない)は打破できないのが常。注釈・解釈の新説と言うのは注釈書に吸収されないと死んでしまうことが多くあるからです。自分で注釈書を出せばいいのですが。。。

02月25日(日曜日)  

阿佐ヶ谷の余明先生のスタジオでレッスン。いよいよ次回からは名曲「陽関三畳」。唐代の詩人「王維」の「渭城朝雨湿軽塵、客舎清清柳色新、効君更尽一杯酒、西出陽関無故人」が主題でこれを朗誦するパートもあります。まずは譜面の解釈と暗記から始まります。

午後は移動して与野(さいたま市となる前に記しておきましょう)にある彩の国さいたま芸術劇場で、三田村雅子さん解説の「源氏物語の千年 源氏物語の音楽」へ。僕の列は御招待席で、井野葉子さん、立石さん夫妻に原岡文子さんなどが一同に会していました。「春鶯囀」「柳花宴」「長保楽」そして「青波海」。僕はどうしても吹きものよりも弾きものに目が行ってしまいます。特に筝の琴の奏法。やはり左手をめったに使わない分、琴(きん)の琴より簡単な事は確かです。ちなみに中国では古筝(21絃で瑟に近い)で、13絃ではありません。また、琵琶も中国の現代音楽と比べるとはるかにミデイアムテンポで、ゆるやかなストローク中心。どうしてかくも雅楽がゆるやかなリズムになったのか、そんなことを考えていました(今、余明先生の自主製作CD『宮沢賢治の世界』の琵琶と二胡の音色を聞きながらその観をいっそう強くしています)。帰りがけに東京に居を移したツベタナ・クリスティワさんを囲んで、神野藤昭夫さん、長谷川政春さんたちとお茶。彼女の日本留学時代から、今日までの研究生活をお聞きする。些事万般に追われて瑣末的な展望しか持てない自分が恥ずかしくなりました。国文学の現状と将来に思いを致し、停滞した思考の、その蒙が啓かれた、そんな充実した一日となりました。


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