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日記を物語る 2000年04月INDEXホームに戻る             


04月29日(土曜日)

とくに書き記すことはありません。こんな一日があってもいいでしょう?。

04月30日(日曜日)

本日も完全にオフ。お立ちよりの皆さんありがとうございます。


04月01日(土曜日)

午前中に実家を立ち、松井公民館の「古典に親しむ会」に登場。いよいよ藤壺の宮が崩御したくだりです。いよいよ新学期が始まりました。

04月02日(日曜日)

余明先生のスタジオで琴のレッスン。僕の場合、専門的な音楽の基礎を学んでいないため、音階など徹底的に鍛えなおす。やや喉の調子が悪かったのですが、何度も繰り返しているうちにようやくまともな音程に成ってきたようです。この場はまだ人に見せられるものでは決してありません。

04月03日(月曜日)

小渕総理、脳梗塞で倒れる。公式発表では「昏睡状態」で、一説には「臨床的脳死」だとも報道されています。さかんにストレスの要因が報道されていますが、僕の近所でもあの火事の後、事後収拾に当たっていた方に「売名行為」「なんでお前が」などの心ない発言が浴びせられ、脳梗塞で倒れるという事件がありました。今、天気のよい日には奥さんとリハビリに励んでおられますが、かつての勇姿は見る影もなく……。小渕さんも留学中のお嬢さんが緊急帰国するというのですから、容態は相当深刻なのでしょうね。

04月04日(火曜日)

新学期関係の辞令やら書類も届き始め、いよいよ春休みも残り少なくなってきました。そこで花曇りで雨降りの危険性があるにもかかわらず、愛車の洗車を敢行。すると車内から100+10+01=111円を発見しました。あまりにも語呂が良過ぎるではありませんか。これは何かいいことありそうな予感。

夜はひさしぶりに水泳。あの、「ありがとうございました〜」の本屋は12年目の閉店予告が貼られていました。帰宅してメールを開くと、研究会仲間すくなくとも二人に耳が聞こえなくなる風邪をうつしていたことを知りました。これはどうもごめんちゃい。

04月05日(水曜日)

春の雨。火事の前から入院していた近所のおばあさんにちょっと御呼ばれ。息子さんの様子がおかしいので、近所に電話したところみんなが心得ていて火事の話は新居が完成するまで話してもらえなかったという話。火事になって近所の人の顔がよく見えるようになりました。

論文の抜き刷りを頂戴しているので、丹念に読ませていただきました。湯浅幸代さん「夢告への対応−明石入道の場合」武久康高さん「枕草子の言説分析−『二月つごもりごろに』」森野正弘さん「物語の語り−『源氏物語』橋姫巻の方法」。やっと勉強モードに頭が切り替わってきました。感謝。

04月06日(木曜日)

午前中、『御堂関白記』の寛弘ニ年を一気に読み通しました。また、藤井貞和さんの『源氏物語論』{岩波書店.2000.03.22 ¥14000}をようやく入手。全54篇の大作なのに、あの「うたの挫折」は入っていなかったのが残念。でも、全編加筆があるようで、じっくり勉強させていただきます。

04月07日(金曜日)

古代文学会の斎藤英喜さんに頼まれていた本の感想文を書きました。同会の例会案内に載せるのだそうで、みなさんの目に触れるのは難しいと思いますからここに掲げます。

   凝視と幻視と幻想と〜古代文学会編『祭儀と言説』の世界      上原作和

 書かれたものから、書かれざる世界を再構築すること。しかも、依拠すべき貴重な文献も、あるものは散逸し、欠落し、あるいは書き改めたりしているはずの古代世界を再構築するということは、どんなにか困難が伴うことだろう。

 昨年秋、NHKエンタープライズ21の橋本と名乗る人物から、大和和紀の『あさきゆめみし〜源氏物語』を映画化しているのだが、いくつか細部でわからないことがあるから教えて欲しい旨の電話があった。あとでこの方は助監督のひとりと判明するのだが、電話の翌日には、岩手の「えさし藤原の里」でロケに立つので、すべてファックスで連絡して欲しいとのことであった。問い合わせの内容は、@葵の上出産の際の魔よけのための弦打・鳴弦の呪文と作法、A藤壷出家の際の作法の二点であった。@の方は僕の恩師・中村義雄{故人}の『魔よけとまじない〜古典文学の周辺』{塙新書.1978}に詳細な考証があり、Aは先行論文もあった{ただし、男性の出家作法に依拠していた}。また『曼殊院本出家作法』{京都大学国語国文学資料叢書}の写本をたどることで、平安末期の女人の出家の作法を復原することは出来たので僕はへたな絵コンテまで書いてその次第を報告したのであった。

 実際、先日BSで放映された宝塚人気キャストによる映画では、ふたつはシーンそのものはあったものの、絵的に面白くなかったのだろうか、注目の《物の気》も、池の中に情念をたたえた六条の御息所の顔を映しだす程度でごまかされ、弦打も出家の次第もカットされた、おざなりな、とおりいっぺんの映像になってしまっていたのはいささか拍子抜けだった。

 しかし、この助監督さんはよく勉強していて、萩谷朴『紫式部日記全注釈』の大著にも目を通していたようだ。しかし、いかんせん、書かれたテキストにのみに注釈を施す方式の古典文学の注釈書の場合には、そうしたマージナルでヒステリックな非日常的な世界を再構築するまで資料が揃わないのは致し方あるまい。むしろ、ここ数年担当している『古典文学演習』のテーマ設定などを考える過程で、先の紹介した中村義雄の著作が極めて有益であることを思い知らされたりしたのである。くわえて、小学館・旧版の『日本古典文学全集』の月報に連載した、生誕儀礼・洗髪・化粧・婚姻儀礼・葬送儀礼などは王朝儀礼の研究者には今でも必読文献であることも申し添えておこう。これは、例によって、文学テキストのみならず、絵巻・史書・有職故実書、はたまた民間伝承などから博捜し、儀礼世界を再構築して、作法・由来・地方への伝播、宮廷文化の民間伝承へ展開と継承までを論じた、小さな日本文化論のさきがけであったと言ってよい掌論群である。

 いささか、余談が長くなったけれども、僕は『祭儀と言説』を改めて読み返して見たとき、この中村義雄の一連の著作を想起せずにはいられなかった。前提となる文献への対峙法や方法的な手続きのシンクロはもちろん、儀礼の空間に生成される《現場》の復原に至るまでのストイックな姿勢は共通するところが極めて多いからである。とりわけ、『魔よけとまじない』には、はやく昭和五十年代前半の著作にもかかわらず、文化人類学の成果を取りこんだ言及も見えるその先見性に、現代の《現場》論の先蹤としての意義を再確認しておきたくなったのである。

 ただしこの著作の眼目は、中村義雄が決して踏みこもうとしなかった世界、すなわち、祭祀やテキスト、実践者そのものに、テクストとしての意味を付与し、その世界の意味そのものを文学の側を常に意識しながら論じられていることに眼目があると言えよう。つまり、歴史叙述の文体の中に、現代の文学研究者が歴史を追体験し、その歴史世界を《実践者》《宮廷》《競合》《技》という基本タームを武器に、ことばによって再構築を試みた《言説世界》の論ということになるだろう。

 論の個々へは立ち入らないが、文献の集中度によるのだろうか、あるいは話題のスキャンダル性が面白いのかもしれないが、どうも光明皇后・孝謙女帝・さらには道鏡へと連続する平安王朝前夜の、王法・仏法のミッシングリクンクの時代へ関心が極めて強いようである。僕は、ここ数年担当している「日本文学史」で、聖武天皇の仏教への帰依と、正倉院宝物を眺め渡してから、光明子の

  「わが背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪のうれしからまし」 を詠み起こし、さらに、聖武天皇の皇太子の夭逝から女帝の擁立、道鏡の専横と南都仏教の腐敗、さらに長岡京のテロ、桓武天皇、再度の決断〜平安京の成立へという流れをたどるプロローグを第一幕としているので、今回の論の集中度は、学年始めの僕にとってはむしろありがたい偶然であった。つまり、聖武天皇から桓武天皇への古代律令国家体制の動乱・揺籃期には「祭儀と言説」とが時代を突き動かす力動を最も誇っていたということになるだろうか。

 最後に、書名が『祭儀「の」言説』ではなく『祭儀「と」言説』であることが、論文集の呪縛と解放とを微妙に反映していることにも言及しておきたい。これらの論を改めて眺め返して見ると、祭儀と言説、双方向に軸足の重きを置く論がバランス良く並べられていることに気付かされる。たとえば、津田さんや山口クン、中尾さんの論は『言説と祭儀』と呼ぶにふさわしいものだし、劈頭を飾る猪俣・斎藤論文は『祭儀の言説』の表題をまさに具現したものであったと言う風に。                  四月七日に。

04月08日(土曜日)

安藤 徹、松井健児さんから、安藤徹・高木信編『テクストの性愛術〜物語分析の理論と実践』{森話社.2000.04.05}を頂戴しました。旧来のテクスト論批判などは、必読の論文でしょう。また、あとがきの「21世紀の物語分析のために」には安藤君の厳しい「《旧》実証主義派={旧来の作家・作品周辺論者のことか?}」批判が展開されています。僕も基本的には同感するところもありますが、多くの理論派の研究者の場合、現代語訳がないと古典が論じられない人がいるのは困ります。ざっと目を通しただけでも、行論のポイントととなるべきテクストであるにもかかわらず、それが明かな誤読の上に理論展開されている、言わば「入れ子型=方法論先行型」の論文も収められています。理論と考証の幸福な融合がなにより必勤の課題であると思います。

04月09日(日曜日)

朝刊で見つけたものを探しに行ってみたら、事実と異なる不当表示で半日無駄にしてしまいました。なんともはや。

04月10日(月曜日)

雨。満開の桜も散り始め、ジムがえりの車の中に舞い込んで来ました。

04月11日(火曜日)

『狭衣物語』巻一の「蓬の門」の段を使った大学入試問題{本文は一類本の大系本なのに、解釈は版本・流布本系の集成本で補っているという変則的なもの}が目にとまり、カナリ真剣に解いて見ました。問題は本文に『白氏文集』の引用もあるので漢文融合問題の形になっています。プロにはどこの大学かすぐわかりますね。結果は……満点ではありませんでした{ただしケアレスミスで点を落したわけではありません。念のため}……。すこしショック。でも、昨年の日本文学協会大会の質疑応答の時に、僕の兄貴分のM氏が「高校の時に一度も国語で五を取ったことがないのに、国語の教員養成系の大学にいる」旨の発言をしていたことを思い出して気を取りなおしました。結局、国語の入試問題で満点取れるのは出題者だけではないか、ということを半ば確信しました。僕がこんなことを書いてよいのかどうか、まあいいですね。

04月12日(水曜日)

ある仕事で、僕が急場を救った形になったため、責任者の方から図書券を頂戴しました。さっそく古橋信孝『物語文学の誕生〜万葉集からの文学史』{角川書店.2000.03.31}、国文学研究資料館編『伊勢と源氏〜物語本文の受容』{臨川書店.2000.03.30}の二冊を購入しました。

04月13日(木曜日)

東京成徳大学へ出講。いよいよ始まりました。国語科教育法はさっそく座席を指定して予定を話し、今日は日本国憲法まで。「中世文学」は中世文学の範囲について。さすがにのどが嗄れました。

04月14日(金曜日)

金曜日は、午前中が明治、午後が例年通り青山と言う強行日程です。明治は来週からなので、ゆっくりと青山に向かいました。キャンパスのメインストリートはすっかり春の日差しです。僕は昨年二年生のみを担当していたため、受講生は全員初顔合わせということになります。大学の教壇に立って今年で05年になりますが、教室に入って行くまでの緊張感がいいですね。文学史は「平安の黎明」と題して、聖武天皇と天平文化の話。古典演習はレポートの方法と『源氏物語』のあらすじを四回に分けて話すことにしました。

気づいたこと。今年はガングロ系ははやらないのでしょうか?僕の履修者はニ講座で70名強いるはずですが、昨年衝撃を受けたその手のおしゃれはいませんでしたよ。

04月15日(土曜日)

雨の物語研究会。日大通りの桜の絨毯が美しい。発表のニ本も力作で、立石和弘さんの『源氏物語』演劇化は、二次会でも盛り上がり、特に戦後の古典啓蒙に尽力した池田亀鑑の話題に花が咲きました

帰宅すると渡韓した二色博樹さんから心温まる近況報告が届いていました。彼らしい朴訥な筆致で新しい人生を始めた彼の充実感が伝わってきました。また吉海直人さんから「『源氏物語』」動植物関係文献目録」{「同志社女子大学学術研究年報」1999.12}も頂戴していました。萬謝。青短ゼミでぜひ紹介します。もちろん『源氏物語研究ハンドブック01/02』{翰林書房.1999}は僕の指定参考図書です。

04月16日(日曜日)

午前中は琴の稽古、夕方は水泳。本日これまで。

04月17日(月曜日)

清泉に今季初登場。古典演習は一時限にもかかわらず、定員の30名よりも若干多めの履修者が集まってくれたので、全員に履修カードを渡しました。日本中古文学概論は一年次の必修で全員+再履修者若干。今のところ、昨年とはまったく雰囲気が異なり、コミュニケーションの取り方を考えなければいけないような気がします。

04月18日(火曜日)

國學院大学の『うつほ物語』の会もスタート。今回は学会発表予定者のプレ発表。かつて僕も『源氏物語』の本文研究のレポートを皆さんに聞いていただき勉強になった貴重な機会。学会本番までのこうした緊張感は研究者なら一度は経験すべきでしょう。

04月19日(水曜日)

平凡な一日!( ̄‥ ̄)。

04月20日(木曜日)

東京成徳大学。国語科教育法で、例によって出席をとっていたら、山形県出身の学生さんが僕の大学時代の同級生の教え子であることが判明しました。感慨深し。「中世文学」は『無名草子』周辺の文壇の状況を知るために冷泉家のビデオを見ながら解説。雰囲気は伝わったでしょうか。

04月21日(金曜日)

明治大学法学部初登場。教員室に入ると研究所時代にお世話になった大東文化大学の富田矩正教授{西洋中世史・ゲルマン民族史}が母校の非常勤としてお見えになっておられ、諸般の事務手続きを案内していただけて助かりました。一時限目の論文演習は明治大学が学内報に誇る最新設備のAV教室をあてていただいていました。ワープロソフトが搭載されていないのが玉に瑕ですが、抜群のプロトコル{通信環境}の中、ビジュアルでアクティブな講義が展開できそうです。とは言ってもテキストは大野晋『日本語練習帳』なのですが。ニ時限目は一年生必修の「国語」。なぜか女子学生が右ニ列に固まって座っていたので、挨拶直後からみんなで大笑いしてしまいました。さらに教壇の前が大きく空いていて両脇と後ろに学生が固まっている完全なユニバーシティー型の座席形態だったので、女子大は前から席が埋まってゆくんだと話したら、「だからUNIVERSITYなのね」と納得していたみたいでした?!。めずらしく「この人生の一期一会を大切にしましょう」なんて話をしました。数少ない女子学生が男子学生と比べてなんとも元気で、もうクラスコンパをして、四十数人集まったことなどを教えてくれました。56名の履修者がのうち、大多数が司法試験を目指していて、弁護士・政治家・公務員、検察官を志望しています。また、ほとんどの学生さんが、インターネットで大学入試の志願者速報をGetしていることも判りました。さあ、この一年お互い頑張りましょう。

雨の代々木・原宿表参道を抜けて青山に到着。文学史はビデオ『まんが日本史』を利用しながら、孝謙女帝と道鏡の話を。子供向けなので教育的な配慮で道鏡は善玉系の人物造型なのでした。最後の演習は『源氏物語』第一部後半の解説。徐々に『源氏物語』ワールドにご招待するつもりです。 

04月22日(土曜日)

久しぶりに新緑の美しい調布市緑ヶ丘の白百合女子大学で『浜松中納言物語』の勉強会。書庫にあった物語研究会関係の『会報』や出席簿のノート類を室城さんの研究室へと運ぶ。僕の狭い書庫もずいぶんすっきりしました。『浜松中納言物語』は巻一通読に05年かかりました。次回の仕事は、テキストデータの整備です。

04月23日(日曜日)

日本文学協会事務所で枕草子を読む会は僕の担当。「花の木ならぬは」の段。先行注釈書の差異を読むのも楽しいぞ!!

04月24日(月曜日)

清泉。旧島津公爵廷であった本館の中庭に咲く赤いつつじが美しい。古典演習は『うつほ物語』と遣唐使の話。日本中古文学概論は「平安の黎明」。お喋り非常に多し。なんとかしないと。

04月25日(火曜日)

母校で元輔集の注釈11首。たまたま萩谷先生 〈1999.11.29撮影〉を僕の愛車で新宿までお送りできたので、気になっていたNHKのラジオ作家時代{もちろん当時の本務は二松学舎専門学校です}のお話を伺いました。先生のオリジナルは以下の通りです。@1946.12.16 朗読「パイドパイパーの話」出演・巌金四郎 A1947.02.09 朗読「虫の好きなお姫様」出演・神田千鶴子 B1947.02.10〜11 ドラマ「土佐日記抄」出演・日高ゆりえ・山田清ほか C1947.03.22 朗読「鬼の失敗」インド童話から。CIAの干渉により中止。D1947.04.22 コント「あるコント作家の手記」 E1947.05.12〜13 ドラマ「梓弓」出演・千葉栄・原田陽子 F1947.04.22 ドラマ「おはなしおじさん」出演・たまき会・仲田富次郎・綱島初子・田村淑子 G 1947.09.13 松浦宮物語 朗読・加藤道子{以上、赤堤会編『萩谷朴 人と教育』1991より}このうちのAの放送中止の理由は、本来、ヨーロッパの童話として知られる話もインドの説話が源流であるという解説がネックになっていたというお話でした。なお、先生は、1948{昭和23}年06月から1958{昭和33}年06月までの毎日「今日の話題」「明日の話題」「今日の暦」「今日この頃の風物」をNHKラジオの匿名作家として続けられたのでした。ラジオ小説は手許にないとのことですが、後者は『歴史366日〜今日はどんな日』{新潮選書、1989}、『風物ことば十二ヶ月』{新潮選書、1998}、さらに1946{昭和21}年07月復員までの戦争従軍体験は『ボクの大東亜戦争』{河出書房新社、1992〜現在絶版 }もあります。先生には戦後、紫式部学会再建のために藤村作邸に東京帝大系の国文学者が集結して協議したときのお話も承ることができました。久松潜一、池田亀鑑、市古貞次、さらには近藤忠義などのお名前も出てもりあがりましたが、この話は僕の胸に留めておきましょう。

04月26日(水曜日)

雨の降りしきる一日。水泳をしました。

04月27日(木曜日)

東京成徳大学。国語科教育法で授業の順番を決めました。『無名草子』は「文」を少し読む。京成〜都営と乗り継いで清泉へ。年に一度の教員の懇親会。長谷川政春先生に折口信夫など、いろいろなお話をお聞きしました。

04月28日(金曜日)

明治の「論文演習」はテキストの『日本語練習帳』の著者に関するWeb上のデータを通覧することから始めました。教壇のパソコンで僕が操作すると、各テーブルにあるスクリーンにおなじ画像が映される仕組みになっており、僕が入力に手間取っているのさえ映されてしまうので、キーボードを上手に使えないとカッコつかないんだよねえ〜〜。まあ、そんな陳腐なプライドは無視することにして、受講生のみなさんには、『練習帳』の問題を最新鋭の教材提示装置で示しながら解いてもらいました。やはり、よく考えて練りに練った答えが返ってきたのはうれしかったと書いておきましょう。そんなわけで、次回はワープロソフトを使った作文をしていただくことにしました。次の時間の「国語」は横光利一の「春は馬車に乗って」から読むことにしました{この講義は、かつて在籍した大岡信さんらの作られた、二葉亭から横光までの近代文学をテクストに行われます}。文学史的事項は激戦の入学試験を突破した一年生達なので、きちんと答えてもらえたけれど、彼らにこそ、僕のような雑草根性が必要なんだろうと勝手に思い込んだりもしました。

井の頭通りから表参道をスムーズに抜けて青山の「日本文学史T」では平安遷都までの話をしました。しばらく『類聚国史』などの漢文読解が続きます。最後に古典演習。発表のネタ探しをかねて、第三部の概説。次回に本題の柏木物語をじっくり解説します。

帰宅すると『源氏研究05』{翰林書房.2000.04.20}を頂戴していました。今井源衛先生の「源氏物語と私/半世紀のつきあい」は深い含蓄がありますね。いくつかの論文に目を通して、掲載論文の中にいくつか僕の名前も見つけたりしました{研究書に自分の名前を探し始めたら、国文学者は御用心なんですよ!!「何が御ご用心なんざんしょ?」「……」自覚症状のある、いわゆる国文学者は自分で考えましょう。アーメン!!}。


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