Last Up Date 2000.04.02          

日記を物語る 2000年03月INDEXホームに戻る             


03月30日(木曜日)  30000カウント

健康診断とお見舞いを除いて、約20年ぶりに医者に行きました。少年時代にかかりつけだった村医者先生がまだ診察をしておられるということで出かけましたが、御齢80ということで、かなりキテいました。カルテに書きこむべき住所などの事項がうまく伝えられず、患者の僕がカルテにあれこれと記入したり。注射はやめて抗生物質の投与に決めたのに、注射を手にしたり…。思えば高校生の頃、最後に診て頂いたときに、この先生から医師会推薦の参議院議員を両親に紹介したメモをもらったことなどを思い出しました。年月の流れを感じますね。

30000カウントを達成しました 。ちなみに、1998.07.08にカウンターを設置して、10000カウントは1999.04.28で約九ヶ月を要し、20000カウントは1999.11.03で六ヶ月、30000カウントまでに五ヶ月を経過ということになります。今後ともよろしく!!

03月31日(金曜日)  

所在のない春の一日、猪木寛至『アントニオ猪木自伝』{新潮文庫.2000.03.01}を一気に読了しました。『源氏物語』よりも詳しいと信じていた猪木の軌跡を僕は全然知らなかったことが判りました。特に、22歳の時にアメリカ遠征で知り合った女性との間に儲けた、女の子{お母さんと同じ名前で文子。程なく夭逝。生きていれば僕くらいの年か}の手を引く写真を見て、腰を抜かすほど驚いたことでした。あとは、酒あり、博打あり、女性あり、そして借金まみれの波乱万丈の人生ですが、なぜかこの行文には嘘が感じられない。これぞミレニアムの物語として推奨します。


03月01日(水曜日)

諸届などや、シラバスで特に再校が必要なこともあったので、ほぼ01月ぶりに青山に行ってみました。四大の図書館は開いていましたが、04階の文学関連の図書が置いてある部屋は人もまばらで閑散としていました。でも、胎動の季節、春休みの閑散としたキャンパスの雰囲気が僕はなぜか好きなんですよね。

03月02日(木曜日)

前夜、要請があった、高田馬場の学校で国立大学二次試験シフトのお仕事。その後恒例のラーメンツアーに向かい、杉並区梅里、環七の青梅街道とクロスしたところにある「どんたくらーめん」で、目玉商品のどんたくらーめんを食しました。このならびにある店はどれも一級の味らしいので、いつかまた行って見たいですね。夕方はしっかり水泳で無駄なエネルギーを放散させました。深夜、松岡智之さんから、ものけん機関誌の件で連夜の打ち合わせ。松岡さん、ほんとうにご苦労様です。

03月03日(金曜日)

物語研究会の例会通知の文書がようやく揃ったので発送作業。その帰り道、『新・坊ちゃん』{三一書房}の著者・工藤隆先生とばったり出会い、学界処世術指南を賜りました。著書の間隔が空き過ぎると、前著の評価が相対的に落ちるのではないかとの御指摘は、ただただ首肯せざるを得ないものでした。

03月04日(土曜日)

所沢市の松井公民館で古典に親しむ会『源氏物語』「薄雲」巻。資料には、ともに倒産してしまった光琳社と京都書院の図版を配布しました。カラーコピーも有効に使っています。そのままジムに直行して健康的な一日を過ごしました。夜の雨が冬の気配を洗い流しているかのようです。

03月05日(日曜日)

新宿歌舞伎町で行われた、「新<現場論>研究会」に初参加。今年の僕は根底から研究基盤を再構築しようと思っているので、極めて刺激的な研究会となるはずです。今回は『岩清水八幡宮護国寺略記』の縁起を読み解こうとしたもので、行教の宇佐八幡の大菩薩の託宣と、幼童・清和天皇と母皇后がほぼ時を同じくして見た夢告とがパラフレーズされながら神話が生成される過程をたどるものでした。そしたら、合同シンポジュームよろしく、感想文の宿題をもらってしまった。またゆっくり復習します。

03月06日(月曜日)

週末に予定している勉強会のテキスト、ハルオ・シラネ、鈴木登美編『創造された古典』{新曜社.1999}をようやく入手しました。僕の場合、ある程度の値段の本は、割引のある大学系の書店でしか買わないので、一般の本屋では雑誌類はほとんど立ち読みという、最悪の客でしかありません。駐車場の前にあって、スポーツジムの前に必ず立ち寄る本屋では、ここ07年でまだ04種類くらいしか買い物をしていないのに、帰る時には決まって「ありがとうございました〜〜」と店員さんたちから声をかけられます。僕には完全に嫌味でしかないのですが。

03月07日(火曜日)

昨年の火事の補償交渉は、最終段階となった暮れにトラブル、越年となっています。そこで今日は図書館で、損害賠償関係の文献の勉強。図書館に向かう途中で、家の中に三階から水が入ってしまった吉田さんに出会ったので、立ち話ながら今までの経緯を報告しました。夜には全焼の家にも経過を報告してもう少し待って頂くようにお願いしました。今日は立教の編入学入試の発表だったようで、とてもうれしい報告もありました。

03月08日(水曜日)

今朝の中目黒駅の地下鉄脱線事故には驚きました。僕の記憶だとこの路線には広尾の都立中央図書館に、加賀文庫の『竹取物語』断簡の閲覧のために一回利用したことしかありませんが、最近、僕は、山手通りから国文学資料館や清泉に車で向かう時にこの駅の下をよく通っています。前回は、02月24日に通っていました。でも、こんな事故はどこでも起こり得るということなのでしょうか?怖いことですね。大学関係は春休みのため、学生さんより、比較的青壮年の方に被害が目立つような気もします。

03月09日(木曜日)

このところ、まるで冬眠中かのようにおとなしかった僕の電話が、今日は留守電三本、電話中のキャッチホン二本という大混雑ぶり。特に恩師・萩谷先生からの留守電は思わず襟を正してしまいました。しかも話のチャンネルは多岐にわたり、約束事などのメモを新聞の脇に書きこんだり、手帳に書き写したりしていたら、明後日の勉強会のレジュメにとりかかれたのは深夜になっていました。BS02で放映された「岡野玲子『陰陽師』」は、面白かったですよ。

03月10日(金曜日)

三年間続けた国文学研究資料館の共同研究の最終回。みんなで本を二冊造れたし、国立の組織で継続的に三年間も続けられたのはひとえに江戸さんのおかげです。二次会ではそれぞれの研究や生活の進展に花が咲きました。大井田さんの結婚式では、同窓会的な雰囲気だったため、僕だけが異質の私学出身のこともあり、先生方も気を遣っていてくださったこともわかって、なおさら恐縮しました。御著書をなおさら丁寧に読み返したいと思います。

03月11日(土曜日)  29000カウント

私的な勉強会のため、京都に向かいました。旧交を暖めつつ、京都の夜を満喫できました。やはり、厳しい研究環境の中、同世代の人達と交わす会話が、……沁みますね。僕の人生までを考えてくれているんですから。「やっぱり○○さんは、やめといてよかったよ」だってさ{何をやめたのかは、御想像にお任せいたします}。

本日の「朝日新聞夕刊」芸能欄は、「『大和源氏』宝塚流に」と 放映の記事。みなさん、BS02に注目あれ。

03月12日(日曜日)

風俗博物館 に行きましたが、……日曜日は休みでした。そこで、御本尊御開帳の清水寺に行き、御本尊との縁を結びました。次のご開帳で僕は70歳。う〜ん。午後は古代文学研究会に参加。関根賢司さん、久保田孝夫さん、高橋亨さんらにあたたかく迎えていただく。ここでは、新サイトである、ぶんがくの草子で話題がもちきりとなりました。帰りの新幹線では高橋、塩田公子さんとご一緒に。なぜか、高橋さんに遠まわしながらお説教されたような……。でもうれしかった。ありがとうございました。

03月13日(月曜日)

春休みだからよかったですね。午前中は体が動きませんでした。この四月から、月曜日は一時限から仕事が入っており、学会帰りの翌日はきつそうですね。

03月14日(火曜日)

考えて見ると、このところ文学的読書行為が極めて少なくなっていることに気づきました。そんな折に細木郁代先生から『源氏物語花摘 完』{近代文芸社.2000.03.01}を頂戴しました。ありがとうございます。本はあちこちに読みかけのものが積み上げられています。さてさて。

03月15日(水曜日)

古代と近代とを往還する批評家、岡部隆志さんがホームページ「岡部隆志の現在」を立ち上げられました。詩の部屋、中国雲南省少数民族文化をめぐる旅、イ族・モソ族の儀礼、白族の歌垣、くわえて評論の部屋まで揃っています。このサイトはたっぷり時間をかけてお出かけください。

03月16日(木曜日)

前日深夜、昨年の火事の出火元の遺族との補償交渉をこの四月新学期前に妥結させることで合意を見たので、なんとも言えぬ安堵感のなかで眠りにつきました。ところが、今朝、火事の直前に火元の家のリフォームをしたまま、代金のほとんどが未回収の家が、司法書士・公認会計士に不備の書類を揃えてもらって{あとから作るということ?!}、別に交渉を進めようとしていたことが発覚、終日事態収拾に追われました。もともと隣の家で頼まれた仕事であったため、契約書も交わさぬ口約束であったうえ、遺族はこの地に同居したわけではなく、隣家とも親近感がないために値切られて、未回収のうちの約四割しか回収できないことが不満であったようです。実際、弁護士は請け負ってくれず、かなりやばい勧誘に乗ってしまったということでした。しかし、僕が素人法律談義をするうちに、これは法に触れる可能性があることに気づいてくれ、結果的に示談が全罹災者の間で成立したと言う、そんな疲れた一日でした。ただし、このうちのおばあちゃん{家の権限をすべて握っている。火事の半月後には都内に一戸立をキャッシュで購入したすごいおばあちゃん}の作ってくれた手作り料理がやたらと美味かった。これが救いでした。なかには、焼けて更地になったところのみならず、僕の家までを土地転がしに利用しようと打診してくる人{近所で付き合いのある人だから余計困ります}もあるし、この件は、この春休みに全部終わりにするつもりです。

03月17日(金曜日)

すっかり春めいてきたジムで、ほぼフルコースのメニューをこなし、眠気と戦いながらぼんやりテレビをながめていると、明日のものけん総会の決算予算相談の電話がかかってきました。こういう難しい話はもっと余裕を持って早めに進めて欲しいですね。深夜、ファックスが予算案を送ってきたようですが、修正コメントは明日にさせていただきます。Good Night。

03月18日(土曜日)

物語研究会例会。僕には記憶のない、三谷・三田村御両人の揃い踏み発表でした。あまりにも充実したものだったので、後日じっくり復習しないともったいないような内容であることは申すまでありません。そして例会・大会含めて50回務めた事務局はいよいよ御役御免となりました。御協力いただいた事務局メンバー 委員の皆様に心から御礼申し上げます。       

03月19日(日曜日)

昨日のものけんからの流れで遊びにきていた原豊ニさんを吉祥寺まで送り、夜は 放映に注目。宝塚に詳しくない僕は、『あさきゆめみし〜源氏物語』同様にどの姫君が誰なのかの区別もつかないことがしばしばありました。映像は美しかったけれども、学術的なテクニックが必要な場面はさらりとかわされていたような。みなさんの感想をお聞きしたいですね。

03月20日(月曜日)

春一番が吹き荒れ、僕は花粉症の症状に苦しみ出したかのような…。日本文学協会の『枕草子』の会にゆく。そしたら、次回は僕がレポーターの順番だったことが判明。今年の僕は原稿執筆関係は完全クールダウンの予定ですが、仕込みは休まずやれと言うことなのでしょうか。       

03月21日(火曜日)

朝方は咳が止まらず、いやな予感がしたものの、これは大事に至らず。いくつかのレポートの資料を作成するため、もっとも便利な青山学院の図書館に向かう。学食もまだやっており{平日は長期休みでもほぼ無休なのでしょう}、それなりのにぎわいがありました。女子大だとこの時期はまったく閑散としてしているのですが……。ついでに、卒業発表がまだ張り出してあったので、気になっていた短大の何人かを確認して見ましたが、二年生二年目の某さんらの名前がない……、なんたることだ?!

 気を取り直して、資料を収集するもここ数ヶ月の怠け癖から、バリバリというより、ボチボチと作業をこなして、午後になっていきなり冷え込んできたこの街から帰ってきました。あの、かぐや姫の「♪マキシーのために♭」ではありませんが、こんなうだつの上がらない状態では、「青山にでっかいビルを建て」て「自由なお城をつく」ることはできません。でも「おかしな連中集め」ることは出来るかな。

帰宅すると、05月31日のNHKホール「かぐや姫Best Dreamin'」ツアー・ファィナルのコンサートチケット優先予約券を提供していただけるというお知らせを頂戴していました。今日はなんだか、最後にとてもラッキーな日になったような。

03月22日(水曜日)

新宿新都心で今年度の打ち上げ。もう何度もやっていますが。       

03月23日(木曜日)

やはり身体がどこか調子良くないようで、午後から発熱。ぼんやり何もせず過ごす。季節の変わり目、みなさんも御自愛ください。

03月24日(金曜日)

本日も完全静養日、話題はありません。明日は書くことがあるかもしれませんよ。

03月25日(土曜日)

右の耳が熱のため、よく聞えぬまま、カンダパンセの日本文学協会委員会に出席。「日本文学」の編集方針をめぐって議論が白熱、論文審査のむずかしさを痛感した会となりました。

03月26日(日曜日)

ひさしぶりに余明先生のスタジオで琴の稽古。午後は日本文学協会で『うつほ物語』俊蔭巻の輪読で僕の担当。いわゆる、古うつほと言われる場面で、船橋本『孝子伝』の引用が繰り返されるところなので、漢和辞典を片手になんとかレポートを終える。また発熱で左耳がおかしくなって集中力を持続させるのがたいへんでした。

03月27日(月曜日)

元輔の注釈作業のため、母校に向かいました。すると萩谷先生から、僕の昨年12月の日記の一部を見せられ、「君はこんなことも連載しているのかね」。キャスターをなさっている息子さんが、リサーチして、父君に送られたそうです。基本的に、このページの読者は、自分の心覚えとともに、研究者や学生さんで、僕とその周辺に興味があり、しかもお時間がたっぷりある方に向けて書いているので、朝日新聞の論説委員の方の目に触れていたと言うのはかなりの驚きでした。その先生から新著『紫式部の蛇足 貫之の勇み足』{新潮選書.2000.03.30}をサイン入りで頂戴しました。

カバーと帯のメッセージ。「曾て半世紀むかし終戦後の文壇において、若い作家のグループが、たがいの作品を褒め合うことによって相互扶助の利を博することがあった。いま学界では、『源氏物語』のような特定の作品を無闇に褒めそやし、あたかも熱気球のごとくにバーナーの熱気を吹き込んで、その価値を賞揚し、ロープで取り縋った研究者自身の社会的地位を高めようとする動きの目立つことが、近ごろ気になって仕方がない」ですって……。あれ〜〜。

03月28日(火曜日)

体調極めて不調。しかし、諸般の事情もあり、15時37分に家を立ち、17時39分に実家にたどりつけました。走行中は、なぜか咳も出ず。不思議なことです。

03月29日(水曜日)  

実家では家族が頻繁に出入りしていますが、僕一人完全なお留守番で一日終わりました。


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