注記、初出誌・日本文学協会「日本文学」20000910日発行に誤植補訂。

  三谷・狭衣学の文献学史的定位の問題−三谷榮一『狭衣物語の研究(伝本系統論編)』                                   

 

 本書は、過ぐる昭和の初期から、七十年に亙って『狭衣』の諸本研究に研究人生を捧げてきた三谷榮一氏の、文字通り畢生の著作であり、研究史に刻印されるべき大著である。冒頭に掲げられた、「狭衣物語研究小史」に、氏じしんの研究史と、この物語の研究史の詳細が驚くべき記憶力のもとに書き下ろされており{ただし、16頁、吉田幸一氏編『狭衣物語諸本集成』(笠間書院、全六巻)の刊行開始は平成五<一九九三>年<一九九八年完結>の誤り、また西暦と日本年紀の混乱も見られる。323頁}、ついで、T章に「作者と成立」U章「構想・構成、および執筆期間」が据えられ、続刊が予定されている『異本文学論編』の刊行を待って、氏の狭衣学の集大成となる巨編である。

 さて、本書の中軸となるV章「物語の伝来と伝本系統論」における氏の方法論の特色は、物語文学史において、最も本文研究が困難で、複雑な享受の様相を見せる伝本群を、およそ三系統に分類し{ただし、後に『類』に改めている}、その伝本状況に照らして、「異本文学論」と呼び習わした方法論{今日ではこれを「享受史」と呼ぶ、その先蹤的意義を持つ}を以って、池田亀鑑が生涯を賭けて追求した、「原作者の原手記に可及的に最も近い本文の再建」を、この『狭衣物語』にも同様に、深川本に代表される第一類系本文{欠本の巻四は内閣文庫本}の徹底した本文批判によって試みるいっぽうで、池田文献学からすれば末流伝本として一顧だに省みられることのない、後世の、複数系統本文の混態現象や、説話的改作本文までを射程にした、物語史のジャンル横断的なテクスト享受史論を展開したことにあると言えよう。その研究成果と実践は、第一類本系諸本の再建本文を根幹本文とし、主要異本の全覧をも試みた『狭衣物語全註釈/全十巻・別巻一』(おうふう、一九九九年刊行開始)の完結を待って結実することになるはずである。

 かくして、「異本文学論」の前提を整備する意義をも有する本書の位置は、池田亀鑑終生のライバル・山岸徳平の薫陶のもと、中田剛直による、池田文献学の『狭衣』バージョンたる『校本狭衣物語』{巻三まで桜楓社刊。中絶}の究極の研究目的が、あくまで原作者・六条斎院宣旨源頼国女の《原『狭衣』》への遡及に向かう作業という幻想であったのに対し、氏の「異本文学論」の目的は、「成立期の問題を経て、さらに後世の読者がどのように物語を読んだのか?」という、享受史にまで射程が及んでいることに特徴があるわけで、ここにはあきらかな原本遡及主義の池田文献学へのアンチテーゼが存在する。

 最近、野村精一氏の、戦後の本文研究史の典型としての『狭衣』研究に対する、丹念にして舌鋒鋭い批判が提出された{「なぜ、いま、さごろもか?−序にかえて」『物語史研究の方法と展望』(実践女子大学文芸資料研究所電子叢書1、一九九九年所収)}。野村氏は、吉田幸一氏の『深川本狭衣とその研究』(古典文庫・一九八二年)、『狭衣物語諸本集成』(前掲)によって、三谷伝本系統論は「諸本の『分類』が『系統』を明示するに至」らず、「破綻」していると言い切り、また、中田『校本』にしても、「無関係な諸本がグルーピングされた可能性の高い系統表がまかり通っている」と批判したのである。この批判は、確かに両者の弱点を突き、要を得た見解として一読に値するが、しかしながら、さらに煎じ詰めれば、本文研究の使命は、「どの伝本をどのように読めばよいのか」を江湖に示すことが最低限の義務であると考える私からすれば、この野村論文もまた、やはり生産性のない、小異による総価値批判といった類の論にすぎないと認定せざるをえないのである。

 そこで、こうした野村氏の批判もありながら、なおその価値を失わぬ三谷氏の本文批判の方法論を相対化し、文献学史への定位を試みて、本稿の責を全うしたい。これも最近刊行された、『論叢 狭衣物語1−本文と表現』(新典社・二〇〇〇年)なる論文集が、刮目すべき論考を収載した。後藤康文「『狭衣物語』本文の機械的脱漏について−大系本・全書本文の対比を軸に」である。この論文は、結果的に池田文献学流の価値観に照らして、三谷氏の先見性は、第一類系本文の流布本に対する優位という観点から、僅かながらも証明されたことになる。つまり、全書本ならびに集成本が底本とした、第三類・流布本系校訂本文{ただし巻三までの分類カテゴリー、巻四は同系統になる}の独自本文十三例は、板木印行者による、翻刻作業の際の単純な「目移り」が、異文発生のメカニズムであることを立証した画期的業績だからである。しかしながら、皮肉なことに、第一類系校訂本文にも意外に多くの脱文は存在し{十例}、なかには巻四に大系本校訂本文作成の際、三谷氏じしんの単純な「目移り」によって発生した、およそ「一行ぶんに相当する」脱文一例42714行目}を含むことまで、後藤論文ならびに萩野敦子氏「大系本『狭衣物語』巻四の本文処理の吟味」(「駒澤大学苫小牧短期大学紀要」31号・一九九九年三月)によって報告されていることもあえて記しておく。したがって、大系本校訂本文のみならず、流布本校訂本文いずれかいっぽうにのみに依拠する限り、物語を行論することは無意味となり、私なりの処置を示すと、大系本校訂本文を選択する場合には、先の脱文を補綴して使用する必要が生ずるということになる。ちなみに、同書にも力編を寄せる片岡利博氏の研究は、第二類本系の為家本に諸伝本の祖系を推定する結論を示唆して、『狭衣』の伝本研究は、あたかも“戦国時代的活況”を呈しているわけだが、いずれにせよ、国文学もIT(情報技術)革命によって、コンピューターの文献操作による形式処理上の伝本系統の精密な再編は、もはや、時間の問題となっており、三谷氏以後、個々人の《読みわざ》による本文系統再編論議は、とうに限界を迎えていたと言っていいだろう。

 しかしながら、こうした後進の、精査の対象となりながら、なおも三谷狭衣学の基幹となる「伝本系統論」が普遍的な方法“論”的価値を失わないのは、「系統論」を補完する「異本文学論」が存在するからである。それは、すでに三谷氏の『物語文学史論』(有精堂・一九五二年)に天稚御子や飛鳥井姫君の物語などのバリアントをどう処理するかのモデルケースが例示され、今日においても後期・鎌倉物語研究の聖典{カノン}となっているが、前掲の諸氏によって試みられる諸本の異同を踏まえた『狭衣』論もまた、三谷氏の「異本文学論」的応用実践と言ってよく、今日、『狭衣』の本文批判においては、祖系本文・改作本文・混態本文をどう認定し、諸本をどのようにグルーピングし直すかに力点が置かれているようである。このように、今日隆盛している諸伝本の相対的距離から本文的価値を措定する作業に決定的な指針を示したのが、三谷狭衣学の先見性なのであって、さすれば、三谷氏が示した本文系統の指針が基盤にあるからこそ、今日の『狭衣』研究の活況があると言ってよく、この書が記念碑的著作である意義もここに帰結するわけである。

        (二〇〇〇年二月二九日、笠間書院発行 五二五頁 一九〇〇〇円)