「解釈と鑑賞」特集・古典文法教育の創造・794号/1997.7.10、至文堂に加筆補訂/1999.03.01再補訂)
<笑ひ>と<をかし>、語りの構造(フレーム)
−『枕草子』後期実録的章段群の”<語る文芸>のかたち“−
1 「語りの構造(フレーム)」とは何か
「語りの構造(フレーム)」とは何か。これをロシアフォルマリズム流に言い換えれば、プロット(ストーリー)に対する、ディスコース(語りの流れ)である、と言えよう。さらに言えば、イストワール/ディスクール(物語内容/物語言説)という対概念を、「物語は何を語ろうとしているのか/物語はどのように語られているのか」と言い換えることが可能であるとすれば、本稿の課題である「語りの構造(フレーム)」は、「物語の語られ方」の分析例を提示することであるとも言えよう。
そこで、本稿の課題「テキスト文法の観点からの古典文法教育」という視点から、前述の構図をとらえ直すなら、ディスコースにおけることばの組み合わせ・仕組みの捉え方を、教室という現場での実践に即して考えよ、ということになるのだろうと思われるし、さらには、物語るテクストが生成される言語態の状況の、教室と言う現場での、一分析例を提示せよ、ということであるように思われる。そこで、テクストは、<語る文芸>の典型、『枕草子』の冒頭を、以下、分析してゆこう。
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Bのセンテンスは、てを介して、「山ぎは−あかる」「雲の−たなびく」と二つの「主語−述語」を有している「重文」であると言えるだろう。しかも、「主語」はそれぞれ「やうやう白くなりゆく」「紫だちたる」という修飾句を有しているし、「述語」もそれぞれ「少し」「ほそく」という形容詞を伴う、均衡のとれた緊密な文章構造であることが知られよう。しかも、このテクストは、語り手の繊細な感性に照らして、それぞれの季節の「をかしき」天象を、「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」と直截に季節をイメージしうる映像の言語形象化を試みたものであることが知られる。それ故にこそ、「やうやう白くなりゆく山ぎは」とあるように、テクスト内の時間意識は徐々に夜明けのイメージを喚起させつつ進行して、朝日の中で「彩雲」が微妙な色合いに変貌しながら「たなび」いているさまを、アスペクト「〜たる」を配して、まさに<語る>ように、書記しているのである。
こうした手続きから、ある程度理解できるかとも思うのだが、本稿の目的は、『枕草子』というテクストを、「唯一の正解」に向かうために分解し、その意味規定に終始するのではなくして、テクストが読書行為によって生成される(読まれる)に際して、どのような論理からテクストが統括されてゆくのか、といった問題系に関して、私なりの理論構築を試みることにある。これは一見極めて無原則な作業のように思われているようなのだが、それはテクスト論に対する絶望的な無理解が根底にあるように思われる。もちろん、テクストが一行たりとも存在するかぎり、作者の書いた「唯一の正解」は、その昔テクストが原作者によって一回的に書記された瞬間こそ、確かに生起したはずなのだが、それは作者の死によって滅び、以後は如何なる方法論を以てしても、「作者の意図」を再現することは、物理的にも論理的にも不可能な手続きとなる。であるからこそ、読書行為こそが、テクストに作者の意図を越えた多義的な意味を生成させるとともに、テクストそれ自体を認知し得る唯一絶対の方法論のはずである。となれば、先述の、「何をどのように語っているのか」という読者の世界解釈の方法こそ、『枕草子』研究においても、最も今日的な問題系となっているわけであろう(1)。
2 語る文体の構造(フレーム)の一解釈
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『枕草子』の後期実録的章段群中の自讃譚のひとつとして、著名なこの段は、中宮の許で、詠歌を楽しもうとした殿上人たちが、清少納言の漢詩文に想を得た秀句に驚いて評判にした、という挿話である。研究史を祖述しておくと、殿上人たちの一人が呉竹をそっと差し出したのを見た清少納言が、竹の雅名である「此の君」を漢文脈(藤篤茂「種ゑて此の君と称す」『本朝文粋』巻十一・『和漢朗詠集』巻下)からの連想から、「おい、此の君にこそ」と答えたことに対して、漢籍にも精通している彼女の機知が、殿上人たちをもたじろがせるほどの評判をとったという我褒め譚として理解されてきた(3)。ただし、このくだりは、最近、古瀬雅義によって清少納言の秀句として解されてきたこの発話が、漢籍の解釈の見直しを通して、実は失言そのものであったことが指摘され、予定調和的なこのテクストの解釈に一石を投じたエポックとなったと言えよう(4)。
すなわちその見解とは、Aブロックの場面での、清少納言の問答に引用した、藤原篤茂の「種ゑて此の君と称す」の原拠となったと思われる『晋書』王徽之伝に「嘗て空宅の中に寄居し、便ち竹を種へしむ。……徽之ただ嘯詠して、竹を指して曰く、何ぞ一日も此の君無かるべけんや」や、王朝女性の漢学理解のテクスト『蒙求』子猷尋載にも同一本文の見える「空宅」の語を連想することで{ただし、平安朝伝来の古本系本文には引用がない。1999.03.01補訂}、定子後宮のおかれている状況の隠喩を、清少納言自身がいみじくもイメージさせる発言をしてしまったことになり、「此の君」そのものは名答ではない、というのが論の核心であると言えよう。つまり、長徳二年(九九六)、火事で実家を失い、鬼が住むという職の御曹子住まいを余儀なくされている定子とその周辺の状況を、側近を以て任ずる自分自身が、「空宅」という予期せぬ隠喩を連想させる漢詩文を不用意に発してしまったのではないか、と言うのである。であればこそ、B−aブロックの場面においての二人の問答では、従来理解されてきた秀句としてではなく、彼女の表面的な漢籍理解が、漢詩文に精通する殿上人の誰かに見抜かれることによって、むしろ失言として流布することを危惧した行成が、以下のように発言したのであろう。すなわち「あやしくても去ぬる者どもかな。……呉竹の名をいと疾く言はれて去ぬるこそいとほしけれ。誰が教へをききて、人の、なべて知るべうもあらぬ言をばいふぞE」と、深層プロットのベクトルをずらす目的で、表向き当時忌避された女性の漢才のひけらかしにのみ限定し、彼女を非難したのであったのであろう。すると、彼女自身は、行成の意図を理解して、漢詩文そのものを踏まえたのではなく、竹の雅名としてのみ「此の君」と答えたのに、あたかも彼女が漢詩文の原拠に通じているかの如く誤解して、「(人々が)『失礼だ』だなんて、お思いになっていらっしゃるのは…(困ったことだわ)…F」と空とぼけて見せた、という従来理解されてきたような表層プロットの生成に向けて、ベクトルを変換することに腐心し始めたのであろう。そこで、行成も清少納言の窮地を救うべく「まことに。そは、知らじをG」と真に受けて調子を合わせたことにした、というのが、現段階での最新でもっとも合理的なテクスト解釈といっていいだろう。
そこで、この新見を踏まえて、B−aブロックの場面の言説分析を試みよう。たとえば、従来の解釈と新見とのターニングポイントとなる「『なめし』とや、おぼしつらむはF」の言説は、「『…』とや、…は」の構文から、清少納言が『なめし』と思われることを訝しがっていることを示しているのである。この場合の付加節「とや」は、『なめし』という、自己推量的な内話文を受けての婉曲表現である。また、会話直後の付加節に傍線を付しているのでより明瞭になったはずだが、とくにこのテクストは、問答によって物語が紡がれている二人称の文体である。例えば、B−aのテクストのうち、頭弁=行成の発話の付加節は、EGの二カ所にわたって「など〜」で承けられており、行成の発言はある程度、筆録者清少納言によって要約されているものと認定してよかろうし、逆に清少納言自身の発話は「と〜」で承けていることから、このB−aのテクストは、清少納言の叙述視点による、二人称の物語として構想されていると言えよう。
もうひとつ、B−cブロック、翌朝の、定子との前日の「此の君」譚のエピソードに関する問答の場面についても言説分析をしておこう。するとこのテクストも、定子がすべてお見通しであるかのように直接体験の助動詞『〜き』に統括される「さることやありしK」という発言によって、「や〜し」と軽い問いかけがなされた形の叙述がなされている。この『〜き』を重く取れば、定子は自らの後宮の出来事はすべて掌握している全知的存在であるということにもなり、この場の漢籍理解度のヒエラルキーは、定子―行成―清少納言−殿上人の順となる。つまり、この物語の語り手・清少納言は、実際には彼女の失言であったとしても、ストーリーの表向きは、表層的な殿上人たちの漢詩文解釈によって、彼女自身の機知が文人たちをも凌ぐものであった、という表層プロットとして漢詩文引用のコードすら巧みに変換してしまったことになるであろう。清少納言は「知らず。何とも知らで侍りしも、行成の朝臣の、とりなしたるにやはべらむL」と傍線部のように、謙退のポーズをとりつつも、「〜にや」とあるように、自身の失言が手柄に変換されたことの功績が彼にあることを、婉曲的に定子に告白したのである。しかし、定子はむしろ「とりなすとも(あなたの才能があるからこそですよ)M」とほほえんだという、まさに『枕草子』の後期実録的章段群に典型的な、予定調和の大団円を、清少納言自身が用意したのであった。つまり、B−a・cブロックで繰り広げられているような、行成という名バイプレーヤーに支えられた定子後宮の君臣和楽の世界であるからこそ、これらを統括するキータームとして、あえて「笑ひ」が刻印されることの必然性があったわけである。
しかも、『枕草子』という書物の特質は、この「笑ひ」に加えて、物語全体を統括する清少納言の一人称叙述が付加されることにある。当該本文で言えば、「誰がことをも」以下の一人称の草子地的なテクスト(Cブロック)に、読者との共同幻影を喚起する言説、「〜も、をかし」という、常套句が配置されることで、それが定型化されている。そしてまた、この本文のかたちにこそ、『枕草子』というテクストの本姿が窺えるはずである(5)。
3 『枕草子』における<語る>テクストの構造(フレーム)
ところで、こうした語りの構造(フレーム)は、前後の章段構成に密接な連関性を有すると言われる『枕草子』においては、どのような位相を見せているのだろうか。紙幅の関係もあり、当該の、定子の職の御曹司関連章段の分析例を、若干掲示しておこう。
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以上、当該章段に先行する二章段は、ともに
A−テーマ設定、B−物語世界、C−「をかし」き批評の提示
といった構造(フレーム)に分類可能なテクストで構成されている。共に漢籍から派生した話題に対して、清少納言が貴顕たちを向こうに回しつつも、その才能を遺憾なく発揮しており、定子後宮そのものには微塵も暗さを感じさせはしない。ということは逆にこのテクストそのものは、「職の御曹司」の記号に封印されたかのごとく、実態的な定子後宮の状況とは別世界を仮構する「笑ひ」と「をかし」という二重の構造(フレーム)によって枠取られている、と言えよう(6)。しかも、会話の内容は、定子後宮の文明の記録者たる清少納言の残した付加節「と」「など」等によって、微妙にそのトーンが変調・仮構されていることもまた、確かなわけである。
4 結語
このように見てくると、『枕草子』には先に示した、冒頭の「春はあけぼの」の言説に共通する、A、B、Cのごとき構造(フレーム)が、後期実録的章段群の共通基盤に定位されていることは確認できるであろう。このうち、Bブロックのテクストは、登場人物であり、語り手である清少納言が、さまざまな問答によるディスコースを駆使して、ある日の宮廷エピソードを、執筆契機であるところの”中関白家賛美の徹底“という主題によって描いたテクストであるとすることができよう。とすれば、先の「此の君」章段のように、道隆没後の後期章段に頻出する<笑ひ>こそが、Bの物語世界を完結させる機縁となり、さらにその世界を<をかし>というキータームで二重に枠取りして構成する<語り>の構造(フレーム)は、『枕草子』というテクストそのものの一面を確かに支配しているのだとも言えよう。すなわち、このテクストには、確固とした表現意識に統一された、語りの構造(フレーム)が、物語の論理を強固に支えているという現象は、認定してよいように思われる(7)。
さて、本稿に与えられた命題は、「テキスト文法の観点からの古典文法教育」というテーマであった。私は、以前、「テクスト理論は意味生成過程のダイナミズムがその中核にある」という趣旨の発言をしたことがある(8)。本稿もこうした考えの延長線上にあることは言うまでもないが、結局、テクスト理論による、物語内容から物語言説の掌握(意味規定)に至る、私の意味生成の過程は、微細な視点から全体の構造(フレーム)を掌握する、一つの世界解釈の方法論を提示したにすぎない。しかし−であるからこそ−、以上のようなテクスト論にこそ、十人の読者に、十通りの理解が認められがゆえに、教室という現場での応用も可能な方法である、という当たり前ながら必要不可欠な前提を、確認したことにもなるはずである。
注
(1) 小森潔「枕草子研究のあゆみ−テクスト論の立場から−」(「国文学」1996.1)、のちに『枕草子 逸脱のまなざし』(笠間書院・1998)所収参照。
(2) 萩谷朴「新潮日本古典集成『枕草子』」(新潮社・1972)による。本段の史実年時は長徳四年(998)ないしは長保元年(999)5月とある。
(3) 注釈史は、萩谷朴『枕草子解環』(同朋舎出版・1984)に学んだ。
(4) 古瀬雅義「『此の君にこそ』という発言−典拠の『空宅』と清少納言」(「国語と国文学」1997.2)参照。
(5) 田畑千恵子「定子晩年章段の語りと表現−日記的章段のかたち」(「国文学」1996.1)三谷邦明「枕草子の言説分析−『大進生昌が家に』の章段をよむ あるいは一人称叙述と共同幻影」(「国文学」1996.1)参照。
(6) 原岡文子『源氏物語両義の糸』(有精堂・1992)三田村雅子『枕草子表現の論理』(有精堂・1995)の関係諸論参照。
(7) たとえば、松本邦夫「枕草子・一条帝関連章段の位相−一条帝の叙述における『仰せらる』と『き』」「古代文学研究第二次」第五号・古代文学研究会・1996.10)等の一連の論文は、言説分析により従来の物語内容の意味規定を抜本的に組み替えて行こうとする意欲的な試みであると思われる。
(8) 「座談会『源氏物語』研究の展望」『源氏物語を<読む>新物語研究4』(若草書房・1996)参照。